あとがきにかえて 燈明のフェミニズム

あとがきにかえて
―燈明のフェミニズム―

大谷通高

わたしの立ち居振る舞いは、フェミニズムの思想からかい離している。それは単にわたしの身体が男で、ジェンダーも男で、ということはもちろん抜きがたくあるのだけれども、それは原因ではなく、自分と人とを大切にする術や指針が私のなかに、十分に育まれていないことに原因があると思っている。
このフェミニズム研究会では、人が人を大切にする、ということを、肌がひりつく距離と体温とで実感をともなった身振りで、伝えてくれる。その身振りに触れるとき、わたしは、戸惑うばかりで緊張し、うまく応えることができず、人を、自分を大切にすることに困惑し、よく分からなくなる。
わたしは、長い間、わたし個人の思いの文脈を、普遍的なものとして、なんの迷いや疑いや畏れもなく、この世界と合一したものと感覚して生きていた(18歳から35歳までは自覚してその世界を生きていた)。それは他者がいたのにいない世界で、傲慢でいびつで大変な心地よさを生み出し続ける、そんな世界だった。
そんな世界に生きていたなかで、わたしはフェミニズム研究会に参加した。参加した当初、わたしの関心は、フェミニズムの抑圧―被抑圧関係からの解放を目指す核や実践にあった。抑圧関係を生み出す構造的暴力についても、書籍を読んで学んだりした。けれども、わたしは最近まで、構造的暴力が存立の要件としてあるいびつな世界で生きていたし、そして、今もその世界のなかを歩いている。
しかし、昨年・一昨年とその世界から零れ落ちた。そのきっかけに、フェミニズム研究会があったわけではない。そのいびつな世界から零れ落ちることができたのは、自分の怠惰と心身の不調によって、いびつな世界に身を置くことが一時的にできなかったことにあるのだと思う。
とにかく、わたしは、幸いにして、いびつな世界から(一時的にではあれ)零れ落ちることができた。零れ落ちて、はじめて、このフェミニズム研究会と出会った、と言える。零れ落ちたさきは、何もない真っ暗な荒野だったと感覚している。その荒野では、これまでの自分に心地よさを与えてきた枠組みが、これまでの心地よさを享受してきた分の相乗に、過去も現在も未来にわたっても自分と他人とを痛めつけることを、はっきりと分からせてくれた。だから、わたしは、何も分からなかった。自分の挙動をふくめ心身の状態までも、その何もかもが分からなくなった(そして、今もよく分からない)。
その零れ落ちたさきの真っ暗な荒野のなかで、ぼんやりと、でもはっきりとした温度と実感を持った灯りとしてフェミニズムがあった。人が人を大切にするということを、制度や価値や理念や関係を先行させるのではなく、人の生身の心身を目の前にして触れることから始めようとする、その身振りは、荒野のなかにおいて、とても力強く、心強く感じた。とくに、フェミニズム研究会の堀江有里さん、山口真紀さんには、荒野のなかを、人を世界を呪いながら歩くわたしに触れて、大切にしてくださったこと、この場を借りてお礼を言わせていただきます。ありがとうございました。
本センター報告は、そうしたフェミニズムの振る舞いで編み込まれて、形づくられたものである。荒野の燈明となるフェミニズムの身振りが、本センター報告のなかにはあふれている。このセンター報告が、多くの人の目に触れることを願う。