第3回「生存学奨励賞」受賞作が決定しました

掲載日: 2017年12月22日

第3回「生存学奨励賞」について、生存学研究センター運営委員および外部審査員からなる計7名の審査員による厳正な選考の結果、以下のように決定いたしました。

生存学奨励賞 『饗応する身体――スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーサの民族誌』
中村沙絵 著 ナカニシヤ出版 刊

生存学奨励賞講評(生存学研究センター センター長 立岩 真也)

 今回候補になった著作は理論的な著作、歴史の研究、そして民族誌的・人類学的な著作と、いずれも優れたものだった。そして、互いに異なった領域の著作の比較はたしかに困難でもある。ただそのなかで、本書はやはりよくできていた。大学院生たちの「質的な研究」と呼ばれるような領域の研究(の指導)に関わっていると、このぐらい書いてくれたらとてもありがたい、ととても思う。

 なにより、この長い本は、しまいまで読んでしまえる。そんな世界があるのだなと読者は思う。その「そんな世界」とはどんなものか。この長い本を要約しようとするより、自ら読んだ方がよい。苦痛でなく読み進められるだけでこれはなかなか立派な本だ。長く、きちんと、情熱をもって調べられたから、そうした記述が可能になった。今回、この作品が受賞した大きな要因はそのことにあると思う。

 ただ筆者は、ただ「民族誌的」に描くだけでなく、何か肯定的・積極的なことが言えると考えて、それがあると感じて、それを何度も言おうとする。

 「他者の苦悩に共鳴してしまう、苦悩を抱えた他者の身体を生きてしまう」(347頁)。「「カラキレナワ」(人生に失望した)と語るフロアスタッフは、老病死に伴う苦痛

不安定な未来にうちひしがれながらも、決して無力にはならない。[…]彼女にとっては、自らも苦悩をまぬがれないことを前提に、苦悩のただ中にいるであろう〈他者〉に働きかけることこそが、「今-ここ」を懸命に生き(何とかして生きぬき)、自分の未来へと働きかける方途であったのだ」(347-348頁)。以上は「結論」より。

 「苦悩や病を抱える入居者が、言葉の外部において「何か」を訴えかけるとき、それを感受する寮母やフロアスタッフたちは、饗応する身体としてそこにいた、ともいえるだろう。ここには、解決されることのない(解決が図られない)苦を、ただ身体において分有するような関係性が見出される」(303頁)。これは第七章末尾。

 「目の前の入居者と自分とは、ともに偶有性の次元に立つ存在となってしまった。この偶有性の次元に置かれた時、他者の痛みや苦悩、そして自己の内なる他者(他者性)が一つながりとなって、激しい動揺を生みだしていた」(336頁)。これは第八章末尾。

 そんなことがあるとも思うところもある。とともにそれは、この場に限らず生ずることであるようにも思える。とすると、筆者は、ここで調査・記述の対象になったそのスリランカの老人施設が、そんなことが諸般の事情で起こりやすい場であると言いたいのだろうか。とするとその事情とは何か。ここら辺についての疑問は残る。

 たぶん、務めて抑制的に書くべきであるという指導は、本書のもとになった博士論文の執筆・審査の過程でも入ったのではないか。しかしそれでも筆者は「饗応する身体」について書きたくて、それは本の題にもなった。それはよいことだ。ただその部分は、今回の審査にあたって、あまり「加点」の対象にはならなった。

 もとは博士論文であった大きな本が一生に一度は書かれるというできごとが、ここ数十年のあいだにわりあい普通のことになった。学者がたいした仕事もしないまま一生を終えるよりはよいことであるように思う。ただ、就職もせねばならず、仕方のないことではあるが、せっかく大きな本にするのだから、もっと詰めるだけ詰めて、あるいは寝かせて考えてなおして出される方かもっとよかったのにと思うことがしばしばある。にもかかわらずこのセンターが属する大学は、博士課程在学中に出版の予約をとりつけすぐに出版しないと出版助成をしないのだと言う。さっそくそんなきまりは変えてもらわねばならない。