安斎育郎氏特別講演「福島原発事故と生命─研究者の倫理を考える」

掲載日: 2012年08月31日

(日本生命倫理学会共催企画)

企画趣旨

10月27日(土)〜28日(日)に立命館大学衣笠キャンパス以学館を会場として、日本生命倫理学会第24回年次大会が「生存と生命倫理」をテーマとして開催されます。生存学研究センターでは、大会会期中の28日(日)に、日本生命倫理学会との共催として本学名誉教授の安斎育郎先生の特別講演を行ないます。

日時 2012年10月28日(日) 14:30―15:30
会場 立命館大学 衣笠キャンパス以学館2号ホール
主催 日本生命倫理学会・立命館大学生存学研究センター
参加 参加無料・事前申し込み不要定員490名

※本企画では手話通訳が必要な方がおられる場合には、手話通訳を付ける予定です。必要な方は、お手数ですが10月15日までに jab2012@gst.ritsumei.ac.jp までメールでご連絡を頂けますようお願いいたします。

講演要旨

50年前、私は東大工学部原子力工学科の第1期生となった。実習テーマには、致死量の放射線を照射したマウスが死に至る経過を観察し、解剖所見をレポートにまとめる課題もあった。感覚を超えた放射線が命を奪うことを、いやおうなく知った。卒業論文は「原子炉施設の災害防止に関する研究」だったが、先見的な問題意識の指導教官に負うところが大きかった。

1960年代はベトナム戦争や経済成長に伴って命が蔑にされる事象が多発し、科学者・技術者・企業・国家などの社会的責任が問われた時代だった。私は「科学の自主的・民主的・総合的発展」をめざして1965年に設立された日本科学者会議に参加し、原子力関係の活動に責任を負う中で、政治・経済・文化・社会・科学・技術全般にわたる目を培った。加えて、原発立地地域への講演活動を通じて住民に徹底的に鍛えられた。その集大成が1972年の日本学術会議初の原発問題シンポジウムでの基調講演だった。「6項目の点検基準」(①エネルギー開発の自主性、②経済開発優先主義の否定、③軍事転用への歯止め、④内発的地域開発の尊重、⑤住民と労働者の安全の実証的保障、⑥原子力行政の民主性)を提起して日本の原発政策を全面批判、翌73年には、衆議院科学技術振興対策特別委員会や初の住民参加型原発公聴会でも批判を行なった。74年には、米原潜寄港にまつわる放射能監視データ捏造事件や原子力船「むつ」問題でも国の原子力政策を厳しく批判した。いずれの場合も、国家公務員でありながら、「科学に忠ならんと欲すれば、国家に孝ならず」の思いを払拭することは出来なかった。原子力が国策として推進される中で、私はネグレクト・恫喝・監視・差別・懐柔などを含む様々なハラスメントを体験することとなった。拙著『原発と環境』(ダイヤモンド社)1975年は、放射線防護学の専門家としての生き方の総括だった。

80年代にかけて私は被爆者援護や核兵器廃絶の活動を通じて、ジョセフ・ロートブラット氏(ノーベル平和賞受賞)などから「地球大の問題」に対する研究者の活動のあり方について学んだ。

86年に立命館大学に移った後も、私は、研究者の倫理を考えるいくつかの体験を重ねた。第1には、オウム真理教事件(機関紙『ヴァジラヤーナ・サッチャ』誌上で私は「超能力批判の急先鋒」として批判されていた)を含む様々な現代非合理主義的事件の中で、第2には、原爆症認定訴訟に科学者証人として関わる中で、第3には、立命館大学国際平和ミュージアム館長として『人間の価値』展(ドイツや日本の戦時における人体実験をテーマとする特別展)などに関わる中で、第4には、福島原発事故に対応して事故当事者に「隠すな、ウソつくな、故意に過小評価するな」と呼びかける活動の自らへのフィードバックの問題を通じて、である。科学者として人間の生きる可能性を紡ぎ出すための悪戦苦闘が続く。

お問い合わせ先

日本生命倫理学会 第24 回年次大会事務局
〒603-8577 京都市北区等持院北町56-1

立命館大学先端総合学術研究科気付
E-mail:jab2012@gst.ritsumei.ac.jp

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