被爆地の「通史」とその周辺

掲載日: 2025年01月01日

 2024年12月、日本被団協にノーベル平和賞が授与されました。80年前の原爆被害とその惨禍を訴え続けてきた被爆者の存在が、戦後の国際政治における「核のタブーNuclear Taboo」確立に、多大な貢献をしてきたというのが今回の受賞理由とされました。

 第二次世界大戦末期の1945年8月6日と9日、米軍による原爆投下がなされた広島と長崎で、何が起き人々は何を体験したのか。被爆者たちによる証言はまさにそれを克明に、そして彼ら彼女ら自身の存在をもって、強く訴えるものとしてありました。

 広島・長崎両地の方言を時に交えながら展開されるこの証言活動の中で、頻繁に用いられてきた言葉があります。「ピカドン」という言葉です。原爆の炸裂した瞬間、強烈な閃光(=ピカ)と轟音(=ドン)が人々を襲ったことに因んだ原爆の別称で、『ピカドン』(丸木位里・赤松俊子、1950年)、『ピカに灼かれて』(広島医療生協、1990年~)など、多くの書名にも用いられてきました。

 原爆被害の実態を国内外に広く訴求していく上でも重要な役割を果たしたこの言葉は、しかし、被爆者やそれを支える戦後の平和運動が、一つの無意識を前提としてきたことを象徴するものでもありました。被爆者は「ピカ」が見え、「ドン」が聞こえた、という前提意識です。端的に言えば、そこに視覚障害と聴覚障害の被爆者の存在は、意識されないものとしてあったのです。実際には当時の盲学校や聾唖学校で被爆した者がおり、あるいは成人の視覚障害・聴覚障害者が一定数被爆していたにもかかわらずです。

 裏を返せば、そうした障害をもつ被爆者が自らの訴えを表出し始める過程は、「ピカドン」という前提をそっくりそのまま逆転させる試みとしてありました。

 1991年に豆塚猛が世に問うた写真集『ドンが聞こえなかった人々』は、書名の通り「ピカドン」という被爆地の無意識的な健常者モデルを根底から覆す試みとなりました。この時期以降、主に1980年代頃から、障害をもつ被爆者の存在に光が当てられていきます。広島・長崎の点字図書館による既存原爆手記の点訳や、『手よ語れ』(長崎県ろうあ福祉協会、1986年)など聴覚障害の被爆者の手記刊行が本格化していったのです。

 行政レベルの対応としてはさらに後年のこととなり、広島・長崎の原爆資料館が展示解説の点字版を拡充するのは2000年代以降、毎年の平和式典に手話通訳を導入したのは、長崎が1981年で広島が1999年でした。被団協の結成が1956年で、以後多くの手記や証言が収集されていったことを考えると、これら障害をもつ被爆者に関心が向けられるまでには、四半世紀ほどのタイムラグが見られたと言えるでしょう。あえて穿った見方をすれば、戦後の被爆地が目指した「核のない社会」は、平和都市としての理想を謳うものでありながらも、障害者への「差別・偏見のない社会」を含意しないままにあったのもかもしません。

豆塚猛『ドンが聞こえなかった人々』(文理閣、1991年)。聴覚障害を持つ長崎の被爆者40名以上を撮影取材したもの。豆塚は京都のろうあ運動に長く関わり、『道』(全日本ろうあ連盟、2016年)などの著作もある。

 私は、戦後の広島・長崎において、被爆者がどのように自らの体験を表出し、その継承に向けた運動を展開してきたか、主に高度成長期以降に焦点を当て運動史の視点から検討しています。同時に、そうした「通史」「正史」の背後で、どのような存在が見過ごされてきたかについても検討を試みています。例えば空襲被害者や、広島・長崎以外の地の被爆者、そして先に触れた視覚・聴覚障害の被爆者が、その代表例です。

 被団協の平和賞受賞は、被爆者たちの「通史」が持つ意義が世界的にも再確認された意味で非常に喜ばしいニュースとなりました。ただその大々的な報道の傍らで、例えば被爆者には一定の立法措置がなされている国家補償が空襲被害者には未だ存在しないこと、あるいは、障害者運動と被爆者運動が今後どのような連帯可能性を有しているかなど、「通史」を補完的に再検証していくこともまた、今回の受賞を機に求められているものと思われます。

 被爆者の戦後運動史を広く戦後日本の社会運動史総体の中で把握していくこと、そうした問題意識をもとに、今後も調査研究を続けていきたいと思っています。

鈴木裕貴(立命館大学衣笠総合研究機構研究員)

関連リンク
ミニシンポジウム:人間の精神にとって原爆とは何だったか?―ラン・ツヴァイゲンバーグ氏(Ran Zwigenberg, ペンシルベニア州立大学准教授)の基調講演と研究報告―
https://www.ritsumei-arsvi.org/news/news-5503/

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