〈延命〉の倫理——多としての健康から考える
私は「終末期」の医療・看護に関する制度や考え方について研究をしています。博士論文をもとにして〈延命〉について論じた『〈延命〉の倫理――医療と看護における』を刊行しました。このテーマについては、以前の研究の現場※1をご参照いただきたく思います。ちなみにこの記事は、ある方から「ゴリゴリのプロライフ姿勢、カッコイイ」と評される栄誉に与りましたが、素直に喜んでいいのか悪いのか、まだ判断できずにいます。というのも、医療者としては「プロライフ」で上等ですが、研究者としてはそのゴリ押しの域を出ていない面があるからです。
医療は一般に、健康の維持と疾病からの回復のための活動であると考えられています。現代では、これに公衆衛生と連続する疾病予防や健康増進も加わるとされていますが、総じて〈延命〉が医療の目的であるとも言えます。しかし、私たちが〈延命〉をどのようにとらえ、医療の規範や制度がそれにどのように対応しようとしているのかを改めて考えてみると、医療の目的が必ずしも〈延命〉にあるとは言い切れない背景があることに気づきます。
私は拙著の中で、「〈延命〉が否定されるにせよ、肯定されるにせよ、その状態が〈延命〉ではないかと問題にされるその時にはすでに、化学と物理学では説明できない相対的な価値評価がその生命個体に対して下されている」※2と指摘しました。つまり、〈延命〉には科学的根拠がなく、人々は実際、科学的に〈延命〉の状態を把握しているわけではありません。だとすれば、医学的な根拠に基づいて患者をみるべき医療者が、ある種の「価値評価」を伴う〈延命〉という言葉に左右されることはないと思うひとは多いかもしれません。
しかし残念なことに、今日では「医師は生命を保全する以外のことはしてなりません」※3という古式ゆかしい言明を真に受けることはできません。現代の「健康」の概念をみれば、その状況がよくわかります。
よく用いられるWHOの定義では、「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病や虚弱がないことではない」※4とされています。この定義では、「身体的」だけでなく「精神的」「社会的」という視点も示されています。なぜ「身体」だけではないのでしょうか。それは、「身体」と「精神」「社会」は相互に影響し合うから、切り離して考えることができないからだと説明されるでしょう。もちろんその通りなのですが、「精神」「社会」まで含む広い意味での「健康」を医療が対象とすることに私は懐疑的です。何をもって「精神的」「社会的」に健康とするかという問いに対する答えは、人々が暮らす社会背景や国の状況、病気や障害の受け止め方などに影響されるものであり、医療がそのような広い健康を対象とすると、医療にかかわる人たちの「価値評価」に依存しすぎることが懸念されるからです。
しかし、現代では、「身体」に限定した健康概念が受け入れられているとは言い難いのが現実です。なぜなら、かつては為す術もなく死んでいったはずの人々が、医療によって生き続けることができるようになり、人間にとって必ずしも望ましいとはいえない状態での〈延命〉が行われているといわれるからです。
こうした批判に応えるために、医療は「身体」だけでなく、「精神的」「社会的」な側面も良好であるように配慮しなければなりません。それだけでなく、「精神的」「社会的」な側面が好ましくない場合には、「本人の意思」の表明や「話し合い」に基づく推定があれば「生命を保全」する医療を差し控えたり中止したりすることが許され、そのプロセスに医療者が関与しなければなりません。「精神的」あるいは「社会的」な観点からみた場合、生存がその人の広義の健康を脅かしているとみなすこともできるからです。
このような観点から、最近私は、医療者が広義の健康概念を採用することには弊害があるのではないかと考え、健康概念や医療・看護の目的論について調べています。地域包括ケアシステムの構築が謳われる現代において、医療、特に看護はむしろ仕事の範囲を圧縮し、価値にとらわれることなく「生命を保全」することに専念すべきだという仮説を検証するのはスリリングな作業です。研究の過程で、数年後には一周まわって「身体的」健康という生物統計学的概念を批判することになるかもしれません。たとえそうなったとしても、医療者は「プロライフ」で上等だという考えは変わらないだろうと思っています。
柏﨑郁子(立命館大学大学院先端総合学術研究科修了生)
※1「ただの〈延命〉ですが、それが何か?」(https://www.ritsumei-arsvi.org/essay/essay-4626/)
※2柏﨑郁子, 2024『延命の倫理——医療と看護における』晃洋書房, 21.
※3フーフェラント, C.W., 1836, Die Verhältnisse des Arztes, Berlin, 杉田絹枝・杉田勇訳, 1995『自伝/医の倫理』北樹出版, 102.
※4WHO, 1946, Constitution.(2024/04/27アクセス, https://www.who.int/about/governance/constitution)