重い障害のある人に寄り添い続ける看護師たち

掲載日: 2019年11月01日English

重症心身障害児者施設(2004年新築移転されたびわこ学園医療福祉センター野洲の2住棟:びわこ学園ホームページより)

私は、びわこ学園での勤務経験をきっかけに、重症心身障害児(重症児)者施設の歴史的背景とそこで働く看護師たちの研究をしています。重症児者施設では、小児期に運動機能と知的機能の障害が重度で重複している人たちがくらしています。それは重症心身障害という状態で、出会った人のほとんどが、その障害の重さにどう声をかけたらいいのか、どのようにかかわったらいいのか戸惑ってしまいます。重症児者施設は、児童福祉法による「入所施設」であり、医療法による「病院」でもあります。しかし、医療関係者でさえ重症児者に出会ったことがない人が多く、重症児者施設では、半世紀にわたって看護師不足が続いてきました。就職する看護師が少ないうえに、就職してもすぐに辞めていく看護師が多い、一方で長年重症児者施設に勤務する看護師がいます。その差異は、いったいなんであろうかということが私の研究の問いでした。そして、先端総合学術研究科の博士論文を加筆修正した拙著『くらしのなかの看護――重い障害のある人に寄り添い続ける』を出版しました。本書では、重症児者施設がなぜ2つの法の下に運営されることになったのかということや、入所基準と実際の入所者が異なるという矛盾点についても言及しています。そして、重症児者にかかわる歴史的・法的背景と関連させて、1970年代~2009年の間に重症児者施設に就職した看護師たちの語りを分析しました。

重症児者施設では、医療法に規定される病院として必要な従業者に加え、保育士等の福祉職員が必要です。入所者に対し福祉職員と看護職員を合わせた数が、1対1の人員配置にすることが規定されています。そこでは、病院とは異なる次のような場の特徴があることが明らかになりました。

  1. 重症児者施設は病院であるが、医療職がそこにそのまま専門職として存在しているのではない。
  2. どんなに重度な障害がある重症児者に対しても、医療を行うことが目的ではなく、よりよいくらしができるように医療がある。
  3. 入所者の状態が悪化した時には、くらしの場が一転して医療の場になり、医療者が本来の専門職としての役割を発揮している。

このようなくらしの場における看護は、福祉職と協働してくらしを支えることであり、1980年代までに就職した第一世代、第二世代の看護師たちには、楽しいこととして受け入れられていました。他方、近年、医療の専門分化に対応する教育を受けた第三世代の新人看護師は、職業的アイデンティティの揺らぎを感じていました。しかし、先輩や上司からの承認や支えにより、くらしのなかの看護を「これでいい」と了解できるような各々の経験がありました。これが「看護の再定義」であり、就労継続できている看護師たちには、キャリアのある時点で「看護の再定義」がおきていました。

窪田好恵2019『くらしのなかの看護――重い障害のある人に寄り添い続ける』ナカニシヤ出版

歴史を振り返ると、重症児者施設が病院であることの矛盾点や、当事者にとっての施設収容の是非の問題もありました。しかし、20歳までは生きられないと考えられていた重症児者の多くのいのちが救われ、彼/彼女らに、可能な限り健常者と同じような経験をしてもらおうという取り組みが行われてきました。1960年代に重症児施設として法整備されて入所した子どもたちは、年々高齢化し、同時に障害の程度も重度化してきました。また、近年、低出生体重児が増加し、常時人工呼吸器やたんの吸引などを必要とする超重症児が増加してきて、地域でも医療・看護の必要度が高まりました。意思決定できないほど重度な障害のある人が、救われた「いのち」を、どのように生きられるかは、よりよく生きることを支援する専門職の力に託されています。重症児者施設の長い歴史のなかで醸成されてきた、多職種協働による支援のありかたは、これからの社会において、人々が望む場所でくらしていくためのヒントを与えてくれるものと考えます。それを、地域支援にどのように活かしていくかが現在の私の研究課題です。

窪田好恵(京都看護大学看護学部教授/生存学研究所客員研究員)

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