中国が提示した高齢化問題への解答例――モデルケースになった低所得層向け団地

掲載日: 2019年06月01日English

高齢者センターで提供されている食事。5品程度のおかずから3品、蒸しパンまたは米飯、スープで18元。この日、筆者が選んだのは、家常豆腐(左)、豚肉と昆布の煮物(中央奥)、セロリと干し豆腐の炒めもの(右奥)に蒸しパン。

私の研究を一言で言い表すと、「みんなが生きるには?」です。日本には生活保護制度があり、「みんな」が生きられるはずです。しかし、生活保護に対する日本人の視線は、非常に厳しいものです。なぜでしょうか? 私は、この答えを求めて、海外との比較検討を続けています。

2015年以降、1年から2年に1回の定点観測を続けてきた区域があります。北京市の中心部にある、1960年代からの団地です。300メートル四方ほどの区域のなかに、狭い道路を挟んで、木やレンガで出来た平屋の長屋がズラリと並んでいます。これは、中国都市部の伝統的な住宅地のスタイルで、「胡同(フートン)」と呼ばれています。北京市内には、景観保存と観光資源化を兼ねて整備された「胡同」が、いくつかあります。しかし、その他の「胡同」は、保存されない方針です。この区域も、数年前から取り壊しと再開発が計画されています。周辺は、すでに近代的な高層建築物に取り囲まれています。

区域の当初の住民は、市内繁華街の再開発に伴って立ち退くことになった北京市民と、北京市の大規模土木工事や建築事業に従事するために移住してきた地方出身者たちでした。現在、70歳代以上となって年金生活を送っている第一世代は、利便性の高い地域にある住み慣れた住まいで、貧しいながらもマイペースで幸せそうに暮らしています。1979年から2015年まで続けられた「一人っ子政策」の影響で、第二世代や第三世代は少ないものの、日中、働いている子ども夫妻の代わりに孫を育てる高齢女性もいます。

2015年に訪れた際には、「来年には区域全体が取り壊されるだろう」と語られていましたが、実施されませんでした。中国の大都市部では地価高騰が続いており、立ち退きの補償金も高騰しています。充分な補償金を用意することは、富が集中する北京市にとっても困難なのです。

2016年から代わりに開始されたのが、住環境向上のための整備工事です。土埃が舞う道路は舗装され、下水道も整備されました。同時に、道路に面した家々の違法建築は一掃されました。さらに、家々に接する形で花壇が設置され、違法建築を再び行うことは不可能になりました。かつての違法建築部分は、大人が一人横になれる程度のスペースでした。そこに住んでいたのは、どうしても北京市で働く必要に迫られていた地方出身の貧困層ですが、その人々の住居は区域から消えたわけです。現在、本来の住民である低所得層は合法的に居住しています。しかし、近い将来、粘って高額の補償金を得て転居するか、タイミングを失って強制退去させられるかのいずれかと思われます。北京市と住民のやりとりが続く間にも、高齢化はさらに進行します。

2018年、区域の一角に高齢者センターが建てられました。レクリエーションから医療・介護までが、安価または無料で提供されます。いわば「高齢者ワンストップサービス」。若い職員とともに、定年退職した年金生活の元看護師らがボランティアで運営を支えています。中国の定年は、特別な例外を除いて60歳なので、定年退職者は若々しくキビキビしています。

元看護師の一人は、通訳と私を歓迎して、区域と高齢者センターを「北京市のモデルケース」と語りました。構想の目的は、まず、若年層から高齢になった親の介護という負担を取り除き、経済活動と人口再生産を後押しすること。同時に、高齢者が最後の日まで地域コミュニティに包摂されて暮らすこと。高齢者センターの幹部たちは、設立にあたって、イタリアのトリエステ市の精神障害者の地域生活を見学したそうです。中国精神医学界とトリエステ市の長年にわたる関係が活用されたのです。

いつまで、区域が現在の姿を留めていられるか、全く不透明です。いずれにしても個々人の生存は、区域とコミュニティだけではなく、中国の高齢化対策、すなわち国家レベルの生存戦略と密接に関係しています。

一つの区域が再開発され、低所得層の住居が失われる経緯に注目した私の調査は、国家の生存戦略への問いにたどり着きました。今後は、国境を超えた「みんなが生きる」を追求するため、今までの調査結果をまとめて、さらに研究を発展させたいと考えています。

三輪佳子(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生)

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