自動車の未来を考える

掲載日: 2018年12月01日

写真1:出版した書籍のカバー写真

私は、京都府庁に在職中の2008年に立命館大学大学院先端総合学術研究科に入学し、2015年に学位を取得しました。学位論文は、京都府庁での実務経験を素材に、自動車利用のあり方について都市交通政策の立場から論じたものです。

私はこれまで自動車を研究する中で、「公共交通とは何か?」という問題意識を常に持ってきました。交通手段の中に、公共性が高い交通と低い交通があるということは理解できます。しかし、鉄道やバスだけに公共性があり、政策・支援の対象の中心とする考え方は少し単純に過ぎると思っています。交通の公共性は、本来ひとつひとつの移動について、利用者の属性や目的に着目し、きちんと把握した上で判断されるべきものであると思っているからです。そして、今後、自動車利用がこれまでとは違って公共性を強めて来るであろうという予測なり期待を持っています。

こうした問題意識のもとに執筆したのが、このたび出版した『自動車 カーシェアリングと自動運転という未来――脱自動車保有・脱運転免許のシステムへ』です。この本は、学位論文の内容をベースに、既に普及しつつあるカーシェアリングから学べることと、それを下敷きとして、これから発展するであろう自動運転技術に期待されることや危惧されることを述べたものです。

カーシェアリングや自動運転というと、最新の技術やサービスというイメージが強いと思います。しかし、本書は最新の動向のみを追うのではなく、過去のことや来歴を辿ったりしながら、新しい技術やサービスの中にある、これまでの「自家用車利用」と異なる部分を正確に捉えて提示し、今後の自動車利用のあり方について考える手がかりを提供しようと試みています。

具体的には、今は当たり前の自家用車利用という行為の始まりについて、1950年頃まで遡って検討し、自家用車利用とカーシェアリングとで、利用目的と利用の関係が異なることを明らかにしています。簡単にいうと、自家用車利用は、常に自宅に利用可能な自動車があることを前提に利用目的が生み出される傾向を持つのに対して、カーシェアリングは、鉄道やバスと比較して自動車の効用が高くなる場合に利用されるという違いがあります。

自動運転技術については、高齢者や身体障がい者など、移動に困難をともなう者のモビリティの改善に役立たないかという見通しをもって、運転免許制度を視野にいれて検討しています。自動車は移動に困難をともなう者にとって便利な交通手段であるにもかかわらず、運転免許は身体能力が一定レベルより高い者にしか与えられません。この現在の運転免許制度の弱点を、自動運転技術が改善する可能性に期待しているからです。

写真2:都市交通政策技術者の会のディスカッションの様子

私は自動車を中心に研究をしていますが、もちろん鉄道やバスの役割を低く評価しているわけではありません。交通に関わるさまざまな部門の全体の中で自動車を考えることを心がけています。写真は、京都大学の交通政策研究ユニットの修了生で構成される「都市交通政策技術者の会」という自主的な研究会の様子です。交通政策を複数の者で検討し論じる場は、いろいろなところにありますが、そのメンバーは多くの場合、鉄道、バスなどの交通事業者の方を含んでいます。私は、そうした場で交通事業の現場を担っておられる方と接することを大事にし、自動車を考える際に、常に鉄道やバスの状況を念頭におくようにつとめています。

また、自分自身が、常日頃、道路を歩いていたり、鉄道に乗ったり、また自動車に乗ったりしている中で、見たり感じたりすることを大事にしています。利用者の視点を維持することで、はじめて有効な政策の見通しが得られると思うからです。

鉄道・バスと自動車と自分の三角形。このバランスを意識しながら、これからも私なりの研究を続けていきたいと思っています。

仲尾謙二(生存学研究センター客員研究員)

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