学校における吃音の歴史

掲載日: 2018年10月01日English

(写真1)吃音・クラタリング世界合同会議の看板

私は教育学を専門としており、言語障害教育での教育のあり方について考えるため、日本の学校教育における吃音の歴史について研究しています。吃音とは「お、お、お、おはようございます」や「・・・お、おはようございます」などの非流暢な発話のことを指します。一昔前は「どもり」と呼ばれており、こちらの方が馴染み深い方もおられるでしょう。現在でも吃音は原因が不明であり、治すことはできません。

私が学校という場に注目するのは、授業などでどもらずに話すこと、つまり吃音者に流暢な発話を要求する場だからです。それは流暢に話すことが難しい吃音者には苦痛なことです。そこで私はなぜ学校という場では、吃音者はどもったまま話すことが許されないのかという問題意識を抱きました。学校という場において流暢に話すことが良いとされる教育思想はどのように形成されたのか。これを解明するため、現在の学校教育の基礎がつくられた明治時代まで遡り、明治時代から現在までの学教教育での吃音に関する歴史について研究を進めています。

今年7月には、広島で吃音・クラタリング世界合同会議が開催されました。世界合同会議の参加者は専門家、臨床家、当事者による複数団体で構成されています。国際合同会議では世界中の吃音に関わる人が交流できるプログラムが組まれていました。専門家や臨床家、当事者という垣根がなく、吃音について議論できる場となりました。

(写真2)吃音・クラタリング世界合同会議での戦前の吃音学級に関するポスター発表

私は戦前の言語障害教育における吃音学級についてポスター発表を行いました。日本における吃音の歴史は楽石社という吃音矯正機関から始まったといわれています。楽石社の吃音矯正法は一時的ではありますが吃音の矯正に効果があり、全国に広まりました。そこで戦前の学校教育でも吃音矯正を試験的に実施することになりました。それがポスター発表で扱った吃音学級です。ポスター報告では、当時の吃音矯正法について、どのような方法が用いられていたかなどの質問があり、戦前の吃音矯正法についての議論が深まりました。

しかし、吃音学級は試験的に数校の小学校に設けられただけでした。そして、この吃音学級は後継者不足などから戦争終結前までに姿を消してしまいました。戦後、アメリカから言語病理学が日本に入り、現在の言語障害教育の基礎がつくられながら、言語障害教育が普及していきました。その中で1970年代に吃音を含む言語障害がある児童を専門とする「ことばの教室」が全国に普及したのです。戦後の言語障害教育は、戦前の吃音矯正と同様の枠組みをもってすすめられてきました。ただ、こういった学校教育での取り組みの一方で、矯正を拒否するという考え方もあらわれたのです。言語障害教育においても矯正を拒否するという考えが受け入れられるようになり、吃音の改善だけを目的とせず、吃音児の周囲の環境調整をすることにより、どもりながらでも吃音者が吃音とうまく向き合うという方向にシフトしていきました。そうした流れのなかで、最近では再び吃音の発話改善を目指す治療も試みられています。私は戦前の言語障害教育に加えて、戦後の言語障害教育における吃音と教育のあり方にも迫り、それらをふまえつつ、吃音者のための教育について考えていきたいです。

ここまでをまとめますと、言語障害教育は吃音の矯正から始まりましたが、矯正することに対し否定的な考えがあらわれ、子どもに吃音は個性の一つであると教育されていた時期もありました。しかし、そのような考えを否定する動きも一部で出ており、いまは再び吃音の改善をする動きもあらわれ始めています。すなわち、言語障害教育は吃音の矯正と拒否を循環しているのです。以上のようなことをふまえて、吃音だけに目を向けるのではなく、吃音のある子どものための教育にも目を向ける必要があると私は考えています。

橋本雄太(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生)

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