核をどのように捉えるか――完璧ではない科学と私たち

掲載日: 2018年09月01日English

写真1:博士論文の内容をまとめた著書『核の誘惑:戦前日本の科学文化と「原子力ユートピア」の出現』が、2015年に勁草書房から出版されました。

私は放射線や核エネルギーが人々にどのように捉えられてきたかという歴史研究をしています。人類は核をさまざまに用いてきましたが、時代や地域によって大きく異なる核の捉えられ方を知ることは、私たちが核とどのように付き合っていくかについて考える視座となるものでもあります。

たとえば戦前の日本においてはラジウム温泉が流行するなど、放射能は身体によい影響をもたらすものとして捉えられており、戦時中には日本が原爆を製造して戦争に勝利するという小説や、日本の原爆製造を待望する論がメディアにあらわれていました。博士論文ではこのような被爆国となる以前の日本におけるポジティブな核イメージが生み出された背景とその変遷を、科学とメディアの関係に注目しながら検討しました。

それでは戦前・戦時中の肯定的な核イメージは、戦後どのように変化していったのでしょうか。敗戦後の日本では、米軍占領下で原爆被害の実相は殆ど伝えられず、被爆者は十分な手当を受けられなかったことが知られています。そのようななか、メディアにおける戦前・戦時中の肯定的な核イメージは大きく変化することなく、原子力は偉大な科学技術の所産として、日本の科学技術が目指す目標として語られました。それが大きく変化するのは占領が終結した後、ビキニ事件を契機に全国的な原水爆禁止運動が起こる1954年のことです。これとともに、原爆被害の実相も広く知られるようになり、被爆者の援護が進んでいきます。

写真2:長崎大学医学部の原爆復興50周年記念モニュメント。長崎大学は被爆の過去を医学の進歩に役立てるという永井隆の精神を継承しています。

現在の研究課題は、原爆被害の実相が伝えられず「隠された」とされる時期を含め、被爆による人体影響がどのように人々に捉えられ伝えられてきたのかを、医学、被爆者、メディアの関係から解明することです。戦後アメリカは、原爆の人体影響を調べるための調査機関であるABCC(原爆傷害調査委員会)を広島と長崎に設置しました。ABCCは核開発を一元的にすすめたAEC(米原子力委員会)の予算で運営されており、その調査結果を冷戦期アメリカの核戦略に役だてようとしたものでした。このABCCによる調査は、被爆者をモルモット扱いした、被爆者のデータを独占・隠蔽した、被爆影響を過小評価した、などといった批判の対象ともなりました。

しかし被爆影響を過少評価したのはアメリカだけではありませんでした。占領下の被爆地では、「原爆症(被爆に起因する疾病を総称した名称)はすでに過去のものとなった」というような地元の医師たちによる発言がしばしば地元の新聞メディアに掲載されていました。その背景には、医師たちも原爆後障害の実態を捉えられていなかったということや、原爆症に怯える人々の不安を和らげようとしたことが考えられます。一方、被爆者は自らの苦しみが医学的に説明されないことによる苦しみを増大させました。このような医師と患者の関係は、現在においても大きく変わっていないように思われます。

このように、社会に流通している科学知識は必ずしも正しいわけではありませんが、私たちは医学や科学が万能であるという幻想を抱きがちです。ある専門家が放射線被ばく影響を「隠している」ということは、その専門家が真理を知っているということを含意します。歴史を顧みれば、現在の医学が現在進行形の事態を正確に捉えられている保障はなく、専門家の発言も正しいという保障はありません。専門家は全知ではなく、限られた専門外のことについては無知であったりします。よくわかっていないことに対して見解を求められ、表明しなければならないことが、さまざまな誤解と軋轢を生んでいることもあるのではないでしょうか。

私は現在長崎大学原爆後障害医療研究所というところに勤務しており、歴史研究を行う傍ら、検診などの調査に参加する機会があります。そこでは医学調査のシステムがどれほど膨大で緻密な作業によって支えられているかを実感するとともに、そのようにして得られるデータが科学的に厳密なものではないことも感じています。完璧なデータを得るのは、人間をモルモットのように管理しなければ不可能なことです。自由意志を持つ人間を対象とした医学調査はどのように可能であるのか、そもそも動物実験の妥当性はあるのか、その倫理的な問題とともに考えているところです。

中尾麻伊香(長崎大学原爆後障害医療研究所)

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