障害学による歴史と政治を越えたつながり――「中国残障政策多学科研討会」に参加して

掲載日: 2018年04月01日English

コンファレンスに参加された方々には、研究者、障害者当事者、および政策制定者が含まれていた。会場では、文字通訳(中国語)も行われた。

「武漢」、学生時代に教科書でよく目にしていた「祖国」の地名の一つであるが、いつか訪れることになるとは考えたこともなかった。2017年12月15日の深夜、空港で飛行機の窓から大きく赤い「武漢」の字の看板を見た瞬間、1911年に「中華民国」を名乗ったその時代の歴史とつながったという奇妙な感覚を覚えた。中国は、1949年の国共内戦によって、「中華民国」と「中華人民共和国」に分かれてしまった。その後、両政府の方針で、両地の人民は交流することができなくなった。そして、「中華民国」の国際的な地位も確立されていなかった。1987年に親族の訪問を許可する「開放両岸探親」という政策が実施され、戦争時代に来台した人々は40年ぶりに実家に戻ることができた。私の祖先は何百年も前に台湾に移住していたので、私にとって教科書で学んだ「祖国」は曖昧な遠いイメージであった。ただ、それは大人になってから感じたことであって、子どもの頃にはほとんど意識したことがなかった。

コンファレンスが終わって、日本に戻る前に、立岩氏と長瀬氏と3人で武漢空港で

以前、上海や広州に訪れた時、空港では「中国人通路」と「外国人通路」が分けられていた。そのとき私は「中国人通路」を通るよう空港のスタッフに指示された。入国審査の際、私はいつものように、「中華民国」の印があるパスポートを手に持っていたが、同時に中華民国(台湾)籍をもつ人専用の中華人民共和国入国用ビザである「台胞証」も用意していた。そのため、どちらの通路に入るべきかとまどうことがあった。しかし、武漢の空港は違い、その二つの通路を分けていなかったため、全ての人が同じ通路に入ることとなった。こちらの方が私にとっては違和感が無かった。ただ、審査官は他の空港と同じく、パスポートを見ずに台胞証だけで審査した。

今回の渡航は、生存学研究センターの立岩真也氏と長瀬修氏に同行して、12月16日と17日に開催された、「中国残障政策多学科研討会」に参加することが目的だった。この研究会は、武漢大学東湖社会発展研究院とスウェーデンのラオウル・ワレンベルグ人権と人道法研究所の共催で実現したものであり、約40名の参加者には、研究者、障害者当事者、および政策制定者などが含まれていた。たとえば、アイルランド国立大学の障害者法律と政策センター(CDLP)のGerard Quinn氏(法学専門)、ノルウェーのオスロ・アーケシュフース高等学院のRune Halvorsen氏(社会福祉政策専門)、インドネシア女性・障害者・児童の権利擁護センター(SAPDA)のNurul S. Andriani氏、そして、台湾の南華大学応用社会学系の蘇峰山氏(社会学専門)と黄美智氏などが参加した。さまざまな国の参加者がいたため、通訳による情報保障が重要であった。主催側は中国語(北京語)と英語の通訳をアレンジしたが、私は中国語(北京語)と日本語のウィスパー通訳をする役割を担った。

2012年から2015年まで、武漢大学東湖社会発展研究院(張万洪氏が主事)は中国各地から毎年20名の障害学に興味を持つ研究者を集め、研修会を行った。これまで蓄積してきた科学的根拠を政策に反映させるため、研修会に参加した研究者と障害者団体、および政府の代表者は、2017年1月に北京で会合を開き、今回のコンファレンスについて検討した。

コンファレンス2日目の午後に私が発表している様子

今回のコンファレンスの主題は、研究者、市民社会、政府という三者の関係と連携についてであった。たとえば、非営利団体と政府機関で勤務した経験があるQuinn氏は、その三者の特徴、良い関係のあり方、そしてそれらに関する欧州の例を挙げた。すなわち、研究者・機関はアイディアを出し、市民社会は現状の改善について声を出す。すると政府はそれらに後押しされる形で権力を行使して、障害者の社会的地位の向上と現状改善を行う。そのような場合がありうることを示唆した。各国の政治状態によって、三者の連携のあり方とそれぞれの影響力は異なるが、基本的理念は共通している。Quinn氏によれば、政府機関に所属する公務員たちは、基本的に制度の変更をしたがらない。しかし、制度に疑問を感じていないわけではないため、その長いキャリアのなかで一度ぐらいは制度を変更してもよいような心持ちになることがある。市民社会や研究者は、その機会を的確にとらえ、声をあげることが重要である。こうした点が、共通しているという。私は、障害者の権利を提唱した非営利団体で勤めた経験があり、かつ現在は研究者をしているため、Quinn氏のこの話がとくに印象に残った。

今回、立岩氏は日本の障害者運動の展開や、重度障害者の介助者制度と障害者政策との関連について話した。長瀬氏は相模原事件から障害者の人権および国際障害者権利条約と政策について話した。両氏の話は、参加者を賑わせ、活発な議論が展開された。

私は「バリアフリーの環境と障害者政策の発展」のセッションで、「障害者の情報保障の台湾経験」を発表した。情報取得のバリアフリーも障害者権利条約に関連した合理的配慮の一つである。その中の一つである、知的障害者が対象の中心になる「わかりやすい情報(Easy-Read)」概念は、イギリスで20年前から注目を集め、実施されてきた。日本では2008年から研究者の関心の対象となった。台湾では、2014年から「中華民國智障者家長總會」(知的障害者の親の会連合会)が「わかりやすい情報」の概念を導入して、主催する知的障害者向けの活動を推進している。そうした活動の影響から、「國立臺灣歴史博物館」では、自発的に知的障害者とチームを組み、わかりやすいガイドパンフレットを作成するということもあった。

情報保障のもう一つのキーポイントは、当事者の参与である。そこには、障害者の自立を支えて、主体性を取り戻すという意味も含まれる。中華民国と中華人民共和国には、同じ中国語が語源と思われる同じ言葉であっても意味や表現が異なる言葉もたくさんある。私は、知的障害者の意思表現と自己決定、および適当な支援について研究している。社会的価値と環境はどう影響しあっているのか、多様な表現とつながり、そして、異文化の根底に共通する核心的価値とは何か。そういったことを考察し、その意義を国境と政治を越えて、明らかにしたいと考えている。

高雅郁(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 院生)

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