「植民」をめぐる思想史から見える地平

掲載日: 2016年04月01日English

enlearge image (to back to press x)博士論文執筆のため通っていた北海道大学図書館まえの道

 私は北海道をおもなフィールドにしながら日本帝国における植民学の歴史・思想を研究しています。近現代を通して、内地から北海道への移住した人々、そして北海道から日本帝国の圏域へ移住した人々を「植民」(colonization)という観点から再考することが目的です。

 これまでの研究では、北海道という場所を開発するための調査研究機関であり人材育成機関であった札幌農学校・北海道帝国大学の「植民学講座」を対象に、佐藤昌介と高岡熊雄という2人の思想を中心に扱いました。彼らが提唱した「内地植民」及び「内国植民」には、土地制度・農業技術・移住者の保護など入植のプロセスに関わる技術的な側面と、日本帝国の農業問題を人口問題・政治経済的な問題および近代化論的な歴史の段階的なプロセスの問題として捉え、その解決策として「植民」を実施する学知的な側面がありました。こうした「植民学」の問題系は過ぎ去った問題ではありません。佐藤昌介らが研究した近代的な土地区画制度に基づいた最初の「植民」の事例は、1889年の大水害を被った奈良県十津川村からの災害難民2500人を北海道滝川の原野に入植させることでした。ある場所から異なる場所へと人を移住させる「植民」の問題は、ダム・発電所・軍事基地などの巨大開発プロジェクトや地震・津波など災害によって住む場所を追われてしまった人々の問題をコロニアリズムの側面から再考する一つの手がかりになるかもしれません。

enlearge image (to back to press x)著作・論文など 学而館・生命領域共同研究室にて

 博士論文の執筆のために、北海道立文書館や北海道大学大学文書館に通うなかで植民学に関わる資料がたくさん眠っていることを知りました。ポストコロニアリズムの影響を強く受けながら知的形成をした自分にとって、「植民」という言葉とその背後に蓄積された歴史の「生々しさ」は非常に新鮮でした。私が注目するのは、宗主国/植民地、内地法域/特別法域という区分を前提とした「植民政策学」が立ちあがるなかで、「植民」をめぐる領域が植民地問題から除外されていくプロセスです。研究を進めて行くなかで、「植民」「移民」「開拓」などの類似用語のなかにはしる亀裂が浮かび上がってきました。「植民」から議論を立ち上げる試みは、「移民」や「開拓」などの用語によって再構成される歴史の手前の領域を問うことであり、植民者/被植民者、宗主国/植民地、内地法域/特別法域という区分自体が立ちあがる瞬間に働く力学を問題化することにつながります。こうした植民地問題の前提自体を問い直す試みは、東アジアにおけるコロニアリズムの歴史を再考するため重要な課題でもあります。

 近年では、思想史研究以外にも文学・映像作品からこのテーマを扱う方法がないか模索を続けています。この「研究の現場」にも既に登場された大野光明さん、そして立命館大学大学院先端総合学術研究科の教員であった故西川長夫さんと共に編集した『戦後史再考―「歴史の裂け目」をとらえる』(平凡社、2014年)では、「植民」の問題系とも重ねながら山田洋次監督の『家族』(1970年)という作品をとりあげています。故郷を離れざるを得なかった炭鉱夫が北海道での酪農の夢を求めて旅をするプロセスは、国家の大規模プロジェクトに重なりながらも常にそこからの脱出の可能性をはらんでいます。この共同研究は、「私」という書き手の肉体から感知する公式的な歴史の「裂け目」と、資料の中から浮かび上がる「歴史の裂け目」とを共振させていくような記述の方法がないものか、14人の執筆者で議論を重ね、それぞれの形で模索し、苦闘した結果です。書き手としてはまだまだ修行不足ですが、「苦しみ」や「痛み」、そして「可能性」とともに議論しているテクストを、今後とも読者へと発信していきたいと思っています。

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