物語ること、応答すること——刑務所演劇の実践から
私は、刑務所で行われる演劇創作活動の実践を事例として、その活動に関わる人々の紡ぐ「語り」に着目した研究を行っている。刑務所で演劇を観劇するとき、持ち込めるのは顔写真付きの身分証明書とチケットのみである。荷物をすべてロッカーに預け、麻薬探知犬に足元を嗅がれ、複数名ずつ車に乗り込み、劇場 —普段は体育館として使われている建物—へ向かう。
一歩劇場に足を踏み入れれば、ギターの音色と珈琲の香り、そして高揚した人々の声に迎え入れられる。入り口付近の先住民のアートや木工品に目移りしながら、オートミールクッキーとあたたかい紅茶を受け取って、客席へ進む。来場者の多くは腰掛ける暇もなく、再会を喜んでハグをしたり、壁に貼られた衣装のデザイン画や脚本の1ページをまじまじと眺めたりしている。11月上旬の外気温を忘れさせるような熱気の中、私は会場を見渡し、舞台裏で高まる緊張感を想像する。
その男性刑務所は、カナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバー島のビクトリア市を南下した、メチョーセンという地域の沿岸にある。敷地内には鹿が住み、海岸に目をやれば鯨が跳ねる。私の研究の対象は、その刑務所で活動する劇団William Head on Stage(通称WHoS)に関わる/関わっていた人々である。劇団の運営の主体は刑務所で受刑する男性たちだ。彼らはプロのアーティストの協力を得ながら、助成金の応募から演劇制作、そして一般観客に向けた公演までを行う。彼らが自らの経験を盛り込んで創作する演劇に対する市民の関心は高く、全公演でチケットが完売する。一般市民が刑務所で演劇を鑑賞するような取り組みは、世界的にも稀である。このように、カナダの連邦刑務所の特徴的な点は、地域コミュニティとの連携にある。
上演が始まると、劇場の空気は一変する。舞台上には男性たちの身体と声が響きあい、彼らの語りは空間を支配する。過去に最愛のひとから受け取った手紙。先住民としてのルーツとホームレス経験。詩や歌に乗せて、「自由とは何か」を問う。堂々と、無邪気に、そして激しく。しばらく舞台に釘付けになっていた客席からは、張り詰めていた糸が切れたかのようにスタンディングオベーションが巻き起こる。しかしそれと同時に迫る事実は、舞台に立つ俳優が、刑務所に収容されている者たちであるということだ。終身刑や無期刑受刑者も少なくない。彼らは、舞台を降りて1時間も経たないうちに居室に戻り、収容者の人数を確認する「カウント」に備えなければならない。舞台上の涙は多くを物語る。
今回は、舞台鑑賞と演出家への聞き取り調査を目的として渡航した。しかし、特に私の興味を引いたのは、上演後に行われる受刑者と観客の対話の場面であった。受刑者たちは他者に自らの人生を物語として差し出し、観客はそれをそれぞれの仕方で受け取り、それぞれの仕方で応答する。それは、彼らが互いの存在を「目撃する」場であるとともに、互いの「生」に近づいていくような試みであると言える。これまでの応用演劇学や犯罪学の先行研究においては、演劇活動が受刑者を含めた参加者にもたらす肯定的な効果が析出されてきた。しかし、彼らの創作プロセスに迫るミクロな視点や、社会との相互作用に着目したマクロな視点を取り込むことで、刑務所演劇を稀有な取り組みとしてではなく、異なる人生を生きる他者が対峙し共に在るための一つの契機として捉えることができるのではないだろうか。今後の研究においては、演劇に参加した元受刑者たちに加え、それを受け止めて応答を試みる観客や、彼らの表現と対話を支援するアーティストの経験にも光をあてたい。そして、演劇活動を取り巻く人々の語りと関係性に肉薄することで、人々が自己を説明し、他者へ応答しようとする実践の一端を描きだすことを目指したい。
注:本研究は、立命館大学における人を対象とする研究倫理審査の承認を受けて実施されている。
加藤このみ(立命館大学先端総合学術研究科院生/日本学術振興会特別研究員)