貸付が「福祉」であるための条件を探る
国際カンファレンス『カタストロフィと正義』(2012)での報告の様子
2006年にバングラデシュのグラミン銀行と当時のリーダーであったムハマド・ユヌスがノーベル平和賞を受賞してから、8年近く経過しました。その後、日本でも低所得者や多重債務者へ貸付する金融NPOが注目され、全国の社会福祉協議会が実施する低所得者向け貸付制度である生活福祉資金貸付も、2009年には利用件数・貸付金額ともに過去最高を記録しました。こうした貸付制度は、生活保護受給世帯の増加が問題視されるなかで、社会保険制度と生活保護制度の間の「第2のセーフィティネット」の一つとしても注目されています。
しかしその一方で以下のような懸念は根深く存在しています。すなわち、貧困・低所得者などに貸付することは、かれらを返済困難に追いやり、生活をかえって不安定化させ、さらなる生活困窮を招くのではないかという懸念です[日本学術会議社会学経済学合同 包括的社会政策に関する多角的検討分科会『提言 経済危機に立ち向かう包括的社会政策のために』2008、など]。近年では、途上国におけるマイクロファイナンスの高い金利や強引な債権回収が、貧困者を更なる生活困窮や自殺に追い込む危険性も指摘されはじめています[Hugh Sinclair Confession of a Microfinance Heretic(邦題『世界は貧困を食いものにしている』)2012など]。日本でも、日本学生支援機構の奨学金が大学生・卒業生などにおよぼす負担の重さや厳しい取り立てが、社会問題にもなっています。今日、貧困・低所得者向け貸付制度の隆盛の裏側で、貸付することが本当に貧困・低所得者層の生活改善に資すものなのかが、問われているのです。
編者の一人を務めた著書、『体制の歴史』(2013 洛北出版)
貧困・低所得者向け貸付制度は、かれらに生業の開始や教育、住宅購入などの機会を与え、多様な自由と安定的な生活の基盤を提供するものとして期待されていました。福祉、または、暮らし良さ(well-being)を、「本人が価値を置く理由ある人生を送る」(lead the kind of life he or she have reason to value)実質的な自由と結び付けて考えるならば(Amartya Sen Development as Freedom(邦題『自由と経済開発』)1999などを参照)、こうした機会や基盤を提供する貸付制度は、かれらの福祉にも十分つながるはずです。にもかかわらず、こうした貸付制度が貧困・低所得者層の生活をさらに悪化させるとしたら、それはどうしてでしょうか。
お金を借りることとは、お金に余裕があるであろう〈将来〉の自分を当てにして、〈現在〉のお金の不足を補うことです。それは、マウリツィオ・ラッツァラートがフリードリヒ・ニーチェを参照しつつ指摘しているとおり、〈現在〉においては〈将来〉が予見不可能・不確実であるにも関わらず、〈将来〉時点での返済を約することだといえます。すなわち、お金の借手は、「時間の不確実性に身をさらす危険」を冒さなければなりません[Maurizio Lazzarato La Fabique De L’Homme Endetté(邦題『借金人間製造工場』)2011]。
ここで確認しておかなければならないことは、こうした危険に身をさらすのは、一般的に、貸手ではなく借手だ、ということです。たとえば、貸手も借手も上手くいくであろうと考えていた新規事業を、借手が貸手から資金調達(借入)して開始したとします。しかしこの事業が、予想外の世界的経済危機の影響により思うように利益を上げられなかったり、深刻な自然災害に見舞われて継続することができなくなったりしても、借手が、当初定められた条件(毎月の支払金額や金利、支払い回数など)で貸手に返済する義務(債務)を免れることはほとんどありません。一方で貸手には、こうした事情にもかかわらず返済金を受け取る権利(債権)があります。こうした、借手のみを時間の不確実性に身をさらさせる貸付制度が、そもそも借入前から経済的・社会的基盤が不安定性で、〈将来〉時点で顕在化した危険にたいする耐性の低い貧困・低所得者層の生活に、時に深刻な悪影響を及ぼすことは想像に難くありません。
信用生協のオフィスが入っているビル
しかし私は、「貸付とはそのような制度でしかありえないのか?」という問題意識から日本におけるいくつかの貧困・低所得者向け貸付制度や、金融NPOの現場の調査を行ってきました。たとえば私は以前、岩手県と青森県で、多重債務者や金融事故情報のある人であっても排除することなく、個別の事情を聴取し、必要に応じて貸付支援を行っている、消費者信用生活協同組合(以下、信用生協)を訪問しました。信用生協は、借手の失業・家族の病気・事故・離婚など、借入当初の借手の将来見通しを覆すような事情が発覚した場合、家計に対する相談・援助や、当初の支払条件の緩和(毎月の支払金額の減額や金利減免)、必要に応じた追加貸付などを行っていました。
いくつかの信用生協のような貸付事業を行う非営利組織は、時間の不確実性に対処する責任を借手のみに負わせるのではなく、借手と共にそうした不確実性の問題に対処していこうとしています。このような取組の特徴は、貸手の都合で当初の約束から少しの狂いのない返済スケジュールの履行を迫るのではなく、貸手が借手の支援者として、借手の人生計画の進捗に歩調を合わせていこうとするところにあります。私は、こうした取組が、貧困・低所得者向け貸付が、借手をさらなる困窮に追い込むことなく、借手の福祉に資すものになるための必要不可欠な条件であると考えています。そして、将来の不確実性にたいし、支援を受ける当事者も支援者も共に対処する取組は、将来にたいする見通しの甘さや失敗などに寛容な、今とは別の市場社会を構想するヒントを与えるものではないかとさえ考えています。
もちろん、時間の不確実性について貸手も借手も共に対応することのみが、貧困・低所得者の福祉を実現するわけではありません。経済的不平等や社会的排除を貸付以外の方法で解消していく政策も必要です。またたんに借手の人生計画の進捗に歩調を合わせるだけでない、より個別具体的な支援も必要です。
そのため私自身、まだまだ現場の貸付実践に関する知識やそれに対する分析を深める必要があります。現在は、佛教大学の佐藤順子先生の日本・アメリカ・フランスの貧困・低所得者向け貸付制度を調査する科研費プロジェクト(課題番号24530759)に参加したり、低所得高齢者向けリバースモーゲージ制度と生活保護制度の関係を分析する私の科研費プロジェクト(課題番号10706675)を進めたりしています。いろいろな金融NPOや社会福祉協議会を飛びまわりつつ、貸付という方法が、借手、とりわけ経済的・社会的基盤の脆弱な貧困・低所得者の自由や福祉に貢献するためどう設計されるべきかを考えながら、日々研究を進めています。