精神障害者の生きづらさとはなにか?――障害の社会モデルは精神障害を包摂しうるか?

掲載日: 2014年02月01日English

セルフヘルプグループ「こころのピアズ」の交流会

精神障害は長らく病として治療の対象とされ、医学モデルの認識枠組みのなかで語られてきました。障害をどうとらえるかを問う言説のなかに「障害の社会モデル」とよばれる見方があります。社会モデルは、医学モデルの抑圧性を批判し、障害者のうちにある病やインペアメント(impairment)ではなく、障害者をディスアビリティ(disability)の状況に陥れる社会のあり方こそが、障害者を生きづらくさせているという視座をたてることで「障害=ディスアビリティ」の解消を目指す議論です。社会モデルの議論は身体障害を中心として組み立てられていますが、精神障害についても同じように社会変革こそが障害当事者を解放するのだと見立てています。しかし、精神障害の社会的要因に還元され尽くさない生きづらさを経験したわたしは、その主張にずっと違和感を覚えてきました。二十代でこころの病を発症して以来、精神障害はわたしのアイデンティティの核にあり続けています。わたしが体験したのは、自らの存在そのものが脅かされるような生きづらさでした。そういう生きづらさを伴う精神障害とはそもそもなにであるのか、そしてそこから解放される途はなにであるのかが、わたしの研究課題です。

身体障害はインペアメントである心身機能と身体構造の欠損が何であるかが比較的明確で、欠損を補ってディスアビリティから脱却する方策もまた、ある程度明瞭であるとも思います。それに対して、精神障害者のディスアビリティを解消するのに、どんな対応が適切なのかはそれほど明確ではありません。自閉を続ける精神障害者は、ヘルパーが付き添うことで外出できるようになるのでしょうか。ヘルパーの存在そのものが恐怖をつくりだし、さらなる自閉へと追い込むかもしれません。そもそも彼女/彼らは外出を望んでいるのでしょうか。もし望んでいるとして、それは妄想や強迫に駆られたからかもしれません。妄想や強迫に基因する外出を手助けすることが、ディスアビリティの解消につながるのでしょうか。疑問は延々と続きます。精神障害は医学モデルと社会モデルの間に置き去りにされてきたといえるのではないでしょうか。

聞き取りをさせてもらった当事者と。彼が通っている地域活動支援センターで。

私は、このような問題に取り組むためには、精神障害者がなにを自らの生きづらさととらえているかという原点に立ち返るべきだと考えています。精神障害当事者であるわたしが同じ生きづらさを抱える者として聴き取りをすることで、精神障害者がとらえる精神障害なるものの再構成に取り組んでいます。それは、治療を目的とする精神医学や社会変革を目標に据える社会モデルとは異なる試みでもあります。

自らの体験を踏まえてわたしがいま提示できる仮説は、精神障害者の生きづらさはディスアビリティにではなくインペアメント、もしくは病そのものにあるのではないか、しかし医学モデルに立ち返ることができず、そして社会変革にも期待できないのなら、同じ生きづらさを体験した者同士によるわかちあいにしか精神障害特有の生きづらさからの解放の途がないのではないかというものです。この仮説を検証し、社会モデルに替わる精神障害に適合する障害モデルを構築したいと考えています。

白田幸治

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