最後の旅—台湾における死を見つめて
私の研究は、死にまつわる様々な概念や慣習が、医療技術が高度に進歩する現代社会においてどのように現れているのかを出発点とし、現代人にとっての「善終(善い死)」の形式とその意義を見つめるものです。東アジアの国々を中心に研究し、とりわけ日本と台湾における死生観および終末期医療の法制化に関する比較に取り組んでいます。
台湾では、最期を自宅でむかえるために、患者本人の事前意思、もしくは家族の代理決定に基づいて、瀕死状態の患者を退院させ民間運営の救急車で自宅へ搬送する、いわゆる終末期退院という慣行が存在します。退院した患者が自宅で死亡することを事件性のない死として認めるために、法制上の規定も存在しています(註1)。一般に「最後一程(最後の旅)」または「留一口氣(一息を残す)」と呼ばれるこの慣行は、「壽終正寝(正廳で死ぬことが幸せ)」という伝統的な観念、すなわち自宅で亡くなることを「善終(善い死)」として捉える台湾人の死生観の特徴のひとつに関連しています。台湾人にとって「客死他郷(自分の故郷ではない所で死ぬこと)」は亡くなった人の魂が家に帰れなくなり、先祖代々との合流ができなくなるという悲しい出来事です。それゆえ、病院で危篤状態になったときに、そのまま病院で死ぬのではなく、「一息」でも残っているうちに自宅まで搬送してそこで亡くなるという慣行が生じました。
1995年に国民皆保険に相当する「全民健康保険」が実施され、医療制度も整備されてきている台湾において、終末期退院の慣行の存在は現代社会における医療技術と伝統的な死生観の融合とも考えられます。在宅死(death at home)の割合が日本より高くなっていることには、このような死に関する文化的な背景もうかがえます。しかしここ数年、台湾では医療施設(medical institutes)で亡くなった割合が増える傾向が見られます。図1が示すように、かつて自宅で亡くなる人は全体の半数以上を占めていましたが、2008年にはその割合は半数を割り、2012年には医療施設の死亡者数が自宅の死亡者数を上回りました。この変化の要因のひとつに、終末期医療に関する法制化の整備が挙げられます。2000年に、本人の事前意思もしくは家族の代理決定による延命治療の拒否に関する法律ー「安寧緩和医療法(Hospice and Palliative Care Act)」が成立しました(註2)。数回にわたる法改正を経て、現在、終末期における延命治療の事前指示書は全民健康保険のデータベースに保存することができ、保険ICカードを読み込むだけでその意思が確認できます(図2)。延命治療を望まず緩和医療を選択する人は、病院でのケアを受けて最期に自宅へ搬送されて亡くなる場合もあれば、そのまま病院で息を引き取る場合もあります。それらのどれが「善終(善い死)」なのかは人それぞれですが、死に場所による終末期ケアの差をなくし、患者の意思を尊重することが法制化の目的です。
私は現代社会において、死という課題がどのように取り扱われてきたのか、死をめぐる議論と研究は社会にどのような影響や教訓をもたらしたのか、という大きな疑問を、東アジア地域を対象に解明したいと思っています。かつての台湾社会では「死」というテーマを忌まわしく思い、それを語ることをタブー視してきた傾向がありました。伝統的な慣習にのっとってなるべく自宅で死を迎えさせ、最期をめぐる本人の意思も家族との阿吽の呼吸で解されてきました。終末期医療の法制化によって、事前に本人の意思を文書にすることになりました。それまで暗黙のままで決めていたことがより明確になり、自らの最期を事前に選択することへと変化しています。死の伝統にのっとった慣行の実態とその変化を踏まえて、私は台湾や東アジアにおける「善終(善い死)」の変容を考察しつつ、死を見つめていきます。そして、「死」への考察を通して「生きること」を考えていきたいと思っています。
註1 台湾の医療法(Medical Law)の第52条第2項では、延命治療を拒否し、最期を自宅で迎えたいと希望する場合、患者本人または家族がその意思を文書に示すことで退院できると規定されています。
註2 台湾における終末期医療の議論と法制化の経緯は拙稿に整理しておりますので、ご参考ください。鍾宜錚,「台湾における終末期医療の議論と「自然死」の法制化ー終末期退院の慣行から安寧緩和医療法へー」『生命倫理』第23巻第1号(通巻24号),115-124頁,2013年
図1 過去20年間(1993~2012)台湾における死亡場所別に見た構成割合(%)の年次推移
鍾 宜錚