「主婦を生きる」ことをめぐって
村上潔『主婦と労働のもつれ――その争点と運動』(洛北出版、2012年)
私は自分自身、主婦ではありませんし、いま現在主婦的な生活をしているわけでもありません。そしてとりたてて主婦に憧れをもっているわけでもありませんし、反発をもっているわけでもありません。
ただ、主婦が抱えているとされる葛藤や、葛藤以前のもやもやとした先の見えない不安といったものに、とても強く惹かれるのです。そして「主婦的状況」を生きるということの意味を、ずっと考えていきたいのです。
私自身の「主婦的」体験については、以前エッセーに書いたことがあるので、もしご関心がありましたらそちらをお読みください★1。私自身はずっと、主婦を「研究対象」とすることの必然性をあまり意識せずに過ごしてきましたが、改めて振り返ってみると、とるにたらない、世の中の基準では価値づけられないような――つまり、非常に「主婦的」な――時間や状況や現象が、何かいまの自分に作用しているように感じられてきます。
そのような、言葉にできない時間・状況・現象を言葉にする作業には、近々本格的に取り組まねばなるまいと思ってはいるのですが、当面は、言葉にされてきた主婦の暮らしや闘いの記録の数々を、しっかりと拾っていく作業を続けていくことになります。これが私の「現場」です★2。黄ばみ、破れた印刷物のなかで無名の主婦と出会い、対話し、彼女たちの生を描きます。そしてそれを、別のどこかの主婦たちの生とつなぎます。時には、彼女たちの手に持った鉛筆では書かれなかった言葉を、私が「主婦として」書くことにもなります。埋もれた生、忘れられた生を呼び戻すには、こうするしかないのです。
2013年のいま、私は、新たな、はっきりとした「現場」に行き当たりました。水俣です。〈新日窒労組主婦の会〉という、「チッソ」(1950年〜65年:「新日本窒素肥料株式会社」)の労働組合で活動した主婦たちの運動体を調査することになりました。これは、一見ピンポイントな対象設定に思われるかもしれませんが、①女性運動研究、②労働運動研究、③生活者運動研究、④地域研究(水俣学)という4つの研究領域すべてに関係する、多様なポテンシャルを秘めた対象だと私は考えています。
主婦は、労働運動の本流を担う男性労働者と違って、家のことを考え、家の仕事をし、子どもや親の面倒をみて、さらに教育や環境などの地域の問題に向き合い、対処しなければなりません。そのポジションと役割において、主婦たちは労働争議の日々を、水俣という地域での日常を、どう生きたのか。何を考え、どう動いたのか。そしていま、何を地域の女性たちに引き継ごうとしているのか。そうしたことを、ひとつひとつ、解きほぐしていきたいと思います。
最後になりますが、私が水俣という地に行き着いたのは、「地域社会におけるマイノリティの生活/実践の動態と政策的介入の力学に関する社会学研究」(2009・2010年度グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点院生プロジェクト)の「熊本県共同フィールド調査」がきっかけでした。このとき水俣を訪れていなかったら、この研究課題を設定することはなかったでしょう。「生存学」が私と水俣をつないでくれました。ですから、この研究で、なにか「恩返し」をしたいと考えている今日この頃です。
- ★1 村上潔「ニュー・エイジ登場【378】 主婦の割り切れなさと向き合う」(『週刊読書人』2945〔2012年6月29〕号9面)。洛北出版のブログから全文を読むことができます。http://rakuhoku.blog87.fc2.com/blog-entry-929.html
- ★2 単著『主婦と労働のもつれ――その争点と運動』(洛北出版、2012年)で、その一端をご覧いただけます。http://www.arsvi.com/b2010/1203mk.htm