認める・認めない わかる・わからない──わかり認めようとすることの負の側面と顧みられない困難

掲載日: 2024年08月30日


ソウルでの障害学国際セミナーで発表する筆者。発表直前のPCトラブルで英文の発表スライドが大文字に……(2023年10月28日,撮影:高雅郁さん)

 この社会には様々な状態の人がいます。一方でこの社会は、その異なりに応じて誰もが、生きていくために必要なものを得られる社会であるとは、残念ながら言えません。その大きな要因の一つは、様々に異なる人々の置かれた状況や、そこから生じる困難が、その状況や困難を分析したり対処したりしようとする学問や政策などが取り扱う範囲よりも、常に大きなものであるためです。学問などは、社会に限りなく存在する複雑かつ多面的な諸相の一面を切り出し論じようとするに過ぎません。そのような議論を経るなどし、ある人々の困難が社会に「認められ」、十分とは言えないまでも対策が講じられます。そのこと自体は、基本的には良いことだと言えるでしょう。しかし、ある人たちの困難が「認められ」議論されるということは、それ以外の大部分の人たちの困難は、社会に「認められない」(認識されない、真剣に受け止められない、議論の対象とされない、否定される……)まま残り続けることをまた意味します。この社会には生きることの困難を「認められていない」人々が数多く存在し、その内の逼迫した状態に置かれた人々は、その議論を待つこともできず、生存・生活の危機に立たされたり、命を落としたりします。

 筆者の研究に照らし具体例を挙げると、病や障害の原因や診断方法などが十分に明らかになっていないため、医療や福祉制度にアクセスできず、生存や生活を脅かされている人たちがいます。そのような人たちの存在は、医学的知からは「よくわらない」ものとして軽視され、人文社会科学領域においてもこれまであまり顧みられてきませんでした。またその人たちは、制度に「認められない」ばかりか、身近な家族などからも「詐病」だと疑われるなどし、病者・障害者であることを「認められない」という困難な状況に置かれる場合が少なくないということが研究でわかってきました※。どうやら、「よくわからない状態を軽視したり認めない」というのは学問などに限った思考の方法ではなく、この社会が、そのようなやり方でしか問題を認識できないという構造になっているようです。あるいは、上記のような「知」の思考方法が、社会に極めて強い影響力を持っているようです。

 多くの場合人々の困難というのは、状況を説明できないこと、理解されないこと、困難を認められないことそれら自体に大きな影響を受けています。困難を抱えながらも、それが困難であることすら「認められない」人たちの立場に立てば、社会は決して「だんだん良くなっている」ものには見えないでしょう。

写真2 19世紀末の「詐病」についての翻訳書。丹涅爾著 横山訒抄訳 1887 『詐病診断方』,長尾景弼.(国会図書館デジタルコレクションより)

 筆者はいくつかの社会問題の当事者として研究をはじめ5年目ですが、当初は研究のことなど何もわかりませんでした。紆余曲折を経て、今は日本における「詐病」言説についての研究をしています。その過程でわかったのは、自身が当事者として経験したことや見聞きしたことの多くは、直接は研究に反映させられない、ということです。それは研究をはじめた頃は、思いもよらなかったことでした。今は、そのこととどう折り合いをつけて研究を進めていくかを考えています。ただ研究をはじめる前も今も根底にあるのは、ある状態がそれに値すると「認める」ことからしか議論がはじまらないような、(学問のあり方を含む)この社会のあり方に対しての問題意識のような気がしています。

 近代化の過程で、世界中で国民の生・身体の管理がはじまり、その時生じたのが、「自らの身体の状態を偽ろうとする国民」が多く存在するという「疑い」でした。その時代、様々な「詐病診断法」が提唱されたのですが、そこには人の身体の不調について医学的に明らかになっている部分を正当な疾患・障害とし、当時の医学的説明と矛盾するような状態を「詐病」とするような見方が内在していました。しかし、医学はどこまで行っても完璧なものではなく、また、ある人が身体情報を偽っているかどうかを判断する知を人は持っていません。そのような乱暴な病者・障害者観は、当然ながら学問として成立せず、学問の表舞台からは消えていきました。しかしその後今日まで、暴力的な「疑い」についてきちんと顧みられることはなかったようです。

 前述のように、現代において、原因や診断方法が明らかになっていない病・障害を抱える人たちは、「よくわからない」存在として、制度から疎外され、社会から存在を否定・軽視されたりしています。つまりは、過去そうであったように、今も「認められて」いない状態は続いています。

 過去から現在に続くそのような社会のあり方が、なぜ、どのように維持されてきたのか、研究を通じて、その一端を明らかにし、真なる・正当な存在を切り分け、それ以外を認めようとしないような、この社会のあり方をこれからも問うていきたいと考えています。

中井良平(立命館大学先端総合学術研究科院生/日本学術振興会特別研究員DC)

※日本では野島那津子さんらにより、原因や病態などがはっきりしない場合、病にまつわる「論争」が生じ得ること、「論争中の病」を患う人たちが困難な状況に置かれていることが明らかにされはじめています。

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