誰もが生きられる、生きることに迷わない社会に向けて――障害学国際セミナー2012に参加して

掲載日: 2013年02月01日English

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2012年11月23日、韓国ソウル、イルムセンターで障害学国際セミナー2012が開催されました。午前のセッションでは、「障害者権利条約の履行のための国内法研究」をテーマに、午後のセッションでは若手研究者を中心に、韓国と日本の障害当事者、研究者がそれぞれの国における障害をめぐる現状や課題を発表し、活発な議論が行なわれました。

セミナー全体を通して興味深かったのは、韓国と日本の障害者運動の違いでした。日本からは長瀬修氏を中心に障害者制度改革と障害者運動の動向、現状課題が報告されました。その中で示された障害者運動は、障害(者)の垣根を越えた連帯でした。一方、韓国から報告された差別禁止法の成立過程やその状況からは、大衆組織化された障害者運動が示されました。

この両国の障害者運動の違いは、それぞれの国が抱えている課題の違いともいえます。現在の日本の障害者運動は政治的な働きかけによることが多く、大衆を巻き込んで運動を展開していく力が弱まってきています。反対に韓国では、小児麻痺障害者などの軽度の障害者らによって運動が形成されてきたため、重度の障害者との関係性や、精神障害、女性、児童など、障害や年齢、性別などの垣根を越えてどのように連帯していくかがこれからの課題です。

そうした違いを抱えながらも、「障害とは何か」ということを追究しようとする障害当事者と研究者との間で、どのように生きにくい社会を変えていくのか、その社会の在りようについて議論が交わされました。当事者が感じている現実と研究者が考える社会のあり方が、揺れ動きながらも交じり合っていく、貴重な場となりました。それと同時に、こうした課題に取り組む姿勢が問われたと思います。

セミナーのある参加者は、障害の特性から午前中は長時間座って聴講することが厳しく、時々横になって休息して体調を管理していました。しかし何人かの研究者たちは、そこが横になって休憩する場所でないことなどを理由に、会場から離れたロビーで休むようにうながしました。

それに対して、その参加者は、体を休める休憩時間に、休むためにロビーに時間をかけて移動し、その移動中に休憩時間が終わって発表が聴けなくなれば、セミナーに参加する機会自体も奪われると主張しました。それは、たとえ休憩場所が離れた場所にあっても、そこで体を休めながらセミナーに参加できるような配慮――部屋にモニターをつけるなど――がなされていないという指摘でした。

私たちにとって、会場で(人前で)寝るという行為はあたりまえのことではありません。休憩時間に横になって寝ること自体が予想外の出来事です。そのため、別途休憩場所を確保し案内することは、それほどおかしなことではないように思えます。しかし、その参加者にとっては、ともすれば学ぶ機会自体が奪われてしまいかねないのです。こうした対応をとってしまったのは、私たちが「あたりまえ」とする考え方であり、外見ではわからない障害、障害者を理解することの限界がここにありました。

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私がこれまで研究してきたALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の人たちをめぐっては、人工呼吸器を装着すれば長期的な生存が可能となるにもかかわらず、多くの人たちが、過酷な家族介助の現実を慮って、その装着を最終的にあきらめています。そこには、生活のあらゆる場面で自己決定が求められることの難しさがあります。多様なはずの生き方が、私たちの自己決定に対する考え方によって定式化されてしまい、そのことで生きにくくなってしまっているのです。

私は、ALSの自己決定の問題も、セミナーでの休憩の問題も、結局その人たちを生きにくい状況に追い込んでいるのは、私たちが知らない間に当然のものとして身に付けている規範だと思います。それは同時に、私たち自身の生活をも生きにくくしています。

障害者は、自分たちが生きたいように生きられる社会を目指して、そのために必要なものを運動を通して少しずつ獲得してきました。生きるために必要なことを、まっすぐに追い求める姿勢は、芯が通っていて、力強く刺激的です。同時にその運動は、「健常」である私、私が持っている規範やその拠り所となっている社会の在り方を問い返すものでもあります。

障害のある/なしにかかわらず、誰もが生きられる、生きることに迷わない社会の在り方を探求する――それは、生存学と障害学に共通する目的で、すべての研究に通ずることだと思います。呼吸器をつけていようと、休憩時間に人前で寝ようとも、人は人として、そこにある存在が尊重される。私の研究は、そんな社会に少しでも近づけるように、その人の障害に真摯に向き合い、彼らにも私にも生きやすい社会を追求することです。これからも障害学や生存学を通して、この社会の在り方を問い続けたいと思います。

長谷川唯

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