ろう者と手話の問題を考える――2023年障害学国際セミナーの報告を通して
2023年10月27日・28日、韓国のソウルで、“Universal Access in Information Society (CRPD article 9 accessibility):Persons with Disabilities and Revolution of Information Accessibility(情報化社会とユニバーサルアクセス(障害者権利条約9条:アクセシビリティ):障害者と情報アクセシビリティの革命)”をテーマとして、障害学国際セミナー2023が行われました。2010年に始まったこのセミナーですが、2020年、2021年、2022年は新型コロナウイルスの影響もありオンラインにて開催されていました。対面のイベントは実に4年ぶりの出来事となりました。
今回の「研究の現場」では、私の研究テーマである「ろう者」と絡めつつ、私の視点から見た「障害学国際セミナー2023の報告」をさせていただきたいと思います。
まず、皆さんは「ろう者」という言葉の意味をご存知でしょうか。「ろう者」とはどのような人だと思われるでしょうか。重度の聴覚障害のある人のことでしょうか。手話を使う人のことでしょうか。
従来「ろう者」は、重度の聴覚障害者として考えられていました。そのような人々は、独自の洗練された言語だとされる「日本手話」を用いて、独自のろう者コミュニティーを中心とした生活を行っています。にも関わらず、これまで「日本手話」や「ろう者」は、聞こえる人から「野性的である」「所詮は身振り手振りである」「可哀想」などと、否定的な意味付けがされがちでした。その結果、「日本手話」は、ろう者の近代的な教育システムから排除され、ろう者には音声日本語による教育(口話主義)が強要されてきました。
しかし、1995年に発売された『現代思想』の「ろう文化宣言」著者の木村晴美は、そのような医学的な視点から定義されたろう者像や、口話教育を否定し、「ろう者」を「日本手話」という、日本語と同様に洗練された言語を用いる言語的少数者であると定義しました。「ろう者」や「日本手話」の言語的側面に着目し、ポジティブに捉え直そうとしたのです。この宣言は、日本社会に大きな影響を及ぼしました。そして、当事者たちの運動や、ろう者が言語的少数者であることを支持する研究がなされ、「日本手話」による教育システムが確立されようとしています。
そのような中、この日本社会には、ろう者の教育的背景から「ろう者であっても日本手話が使えない人々」が存在しています。私の調査対象は、そのような人々です。「どういうこと?」と思った人もいるかも知れません。そこで、このような人を調査しようと思った背景について、簡単に説明したいと思います。
私が大学に入ったとき、同級生に自らを「ろう者」と自認している友人がいました。私は、「ろう者」の友人が、日々大学の授業を受けるための情報保障手段として手話通訳を使っていると思っていました。しかし、彼女は、情報保障として手話通訳ではなく、本人にとって苦手な文字情報保障を積極的に選択していたのです。「ろう者」にとって最善の情報保障方法である手話通訳を選ばず、なぜ苦しい経験をする必要があるのか。当時、手話について詳しく知らなかった私は、彼女にその理由を尋ねると、以下のように言いました。
「私は、日本語対応手話で育ってきて「日本手話」が使えないから、「日本手話」の通訳は分からないし、その支援は周りの人に自分が『障害者だ』とばれるから使いたくない」
この話を聞いたとき、私の中の「もやもや」が増大し始めました。
「日本手話」とは、「ろう者」の間で広く使われている言語であるはずです。一方、日本語対応手話とは、テレビなどで映る手話通訳など、口話者の日本語を手話であらわすもので、「日本手話」とは異なる文法です。「ろう者」と自認する人であっても、「ろう者」の言語であり、ポジティブに語られている「日本手話」を使えない/使わない。そのようなろう者は、「障害者である/言語的少数者である」ということに、どのような意味を見出しているのだろう。
私は、このような興味から今の研究を始めました。そして研究計画が、立命館大学の「NEXTフェローシップ・プログラム」(文部科学省公認事業「科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業」の助成を受けたもの)に採択されました。
写真2 筆者の報告ポスター前で韓国のろう者と手話通訳者と議論する筆者(左側)
今回の国際セミナーでは、日本唯一のろう学生組織「全国ろう学生懇談会(通称、全コン)」がいかにして組織されたのかを調べました。その発表に、会場にいた韓国のろう者、韓国語の手話通訳の方、台湾の文字情報保障を行っている方が興味を持ってくださいました。日本や韓国の手話、時には翻訳機を片手に交流する中で、韓国や台湾でも、筆者の問題意識と共通する問題があることを知りました。そして、各地域の手話の言語教育の差について話し合うことができました。
地域が異なっていても似ている問題もあれば、その地域や言語独自の問題もある。本当に勉強になることばかりでした。このような機会がなければ、私は日本以外のろう者の情報を知ることはなかったでしょう。
このセミナーが立ち上がった背景には、7月に逝去された私の元指導教員、立岩真也先生が国際的な交流に積極的だったことがあります。この議論・セミナーを終え、日本に帰国する際、立岩先生が残してくださったものの大きさに、改めて身が引き締まる思いでした。このような経験をもっと積み重ね、自分の知識も、経験も、より積み重ねていきたい。そして、この研究を始めるきっかけとなった彼女にも、そして亡き立岩先生にも届くような研究を行えるように、これからも頑張りたいと思います。
種村光太郎(立命館大学先端総合学術研究科・院生)
参考文献
- 木村晴美・市田泰弘,1995,「ろう文化宣言――言語的少数者としてのろう者」『現代思想』23(3): 354-362.