中国における献血史
学校やショッピングモールなどで、看板を掲げたり、チラシを配ったりして献血を呼びかけるボランティアの姿をよく見かけます。献血という行為は、ただ血液を提供するだけでなく、自己犠牲と利他主義の行為を体現するものだと言われています。集められた血液が「命の贈り物」と呼ばれるのはそのためです。他方、「贈り物」が十分に供給されるかどうか、肝炎やHIVなどのウイルスの存在や適合性によってその血液が他者にとって危険なものにならないかどうかも懸念されます。そのため、血液供給の安定性と安全性も重要な課題となっています。献血に対するこういった理解は、20世紀後半に無償での血液提供制度が主流になってきたことから生まれました。では、有償で血液を提供することはいけないことなのでしょうか。有償献血において利他精神はどのように位置づけられるのでしょうか。
こういった背景から、私は、中国における献血の文化と歴史の変遷について研究しています。さまざまな分野で交差する献血というキーワードについて調べることで、献血者(ドナー)と受血者(レシピエント)の中間的存在としての政策にもとづく組織や制度が、どのように献血に影響を与えているのか、さらに理解することができるでしょう。またこうしたことを手がかりにして、私たちは、現代社会における健康の意味と生命に対する認識をどのように読み解いていけるのかを、より深く考察するため、いくつかの論点を提示したいと思います。
中国の献血制度は有償供血(売血)から義務献血、そして無償献血へと進んでいきました。まず、献血問題においては、身体の商品化について考える必要があります。過去には、多くの貧しい労働者が、より多くの経済的報酬を得るために売血せざるを得ないこともありました。こういった行為は、後に、職業売血者や、売血団体の出現に繋がりました。献血者を募集する病院も商業化的な広告を打ち出すようになりました。近代中国では、売血行為をめぐり、新聞や雑誌などを通じて議論が行われてきました。同時に、漢方医学由来の「補血」が得意な中国人にとっては、献血は傷害になりやすく、血液を売る行為とはすなわち、体と魂を売ることの象徴になっています。
第二に、献血動機の多様化があります。例えば、抗米援朝戦争と共に、血液の社会的な需要も高まり、それと同時に、愛国心が献血における重要な動機となりました。
第三に、特殊な献血制度について述べます。中国の義務献血制度には、献血という行為を社会的責任として国民に義務付ける側面もあります。同時に、これまでの売血行為を全面的に見直すものでもあります。売血行為というものは、中国の社会主義国家の理念と矛盾するだけでなく、非文明的な象徴でもありました。一方、義務献血という制度によって栄養費という形での報酬を得ることもできますが、その報酬は献血の量や質に直結するものではなく、義務や責任に相当する報酬として重視されているかもしれません。
第四に、中国の血液組織機関の重要性について触れます。献血贈与方式では、血液組織機関が中間者の役割を引き受け、どのようなドナーが必要で、どのような血液を収集するかを決定します。匿名性という条件のもと、通常、ドナーの血液も血液組織機関が決めます。また、献血機関は受血者にどのように返礼するかにも重要な影響を与えています。贈与方式については、再検討する必要があります。
私は現在、1949年以前の中国と抗米援朝時期の献血に関する調査を行っています。多様な政策制をめぐり紛争と多様性の下でどのように他人の生命に対する尊重を実現するかについて考え、他方、「現代人」道徳の基本的な基準についてもこれからも検討していきます。
王裕森(立命館大学先端総合学術研究科院生)