生殖補助技術の現場:非配偶者間人工授精の現在・過去・未来
人工授精や体外受精といった生殖補助技術が誕生・発展したことで、性交渉を経ずに妊娠・出産ができるようになりました。それに伴い、配偶者以外の異性と性交渉を経ることなく、夫婦の片方、あるいは、双方と血の繋がらない子どもを妻が出産すること(提供精子・卵子・受精卵の使用)、「夫婦の子」を妻以外の女性に出産してもらうこと(代理出産)、つまり、「第三者の関わる生殖補助技術」が可能になりました。私は、第三者の関わる生殖補助技術のなかで最も歴史の古い「非配偶者間人工授精」と呼ばれる提供精子を使った人工授精について研究しています。
非配偶者間人工授精は、不妊に悩む夫婦に福音をもたらし得るものです。しかし、非配偶者間人工授精によって生まれた人たちは何を思って生きているのでしょうか。もちろん、そもそも自分が非配偶者間人工授精によって生まれたと知らない人、知ったとしても「その程度のこと」と捉えている人もいらっしゃるでしょう。しかし、「その程度のこと」とは捉えきれず、苦悩を抱えている方がいらっしゃることもまた、事実です。苦悩の原因はいろいろとあるのでしょうが、精子提供者の情報が得られないことが最も大きいといわれます。つまり、自身を形成している要素の半分の情報がわからないことで、自分が何者であるのか捉えられなくなる、という話です。日本では、現在に至るまで原則として提供者を知ることができないことを前提に非配偶者間人工授精が行われてきたため、こうした事態が生じています。
それでは、日本ではいつから非配偶者間人工授精が行われるようになったのでしょうか。最初の試みは、1948年に慶応義塾大学医学部教授、安藤画一によって行われたとされています(翌年には、女児が誕生しています)。夫の精子を使う「配偶者間人工授精」、提供精子を使う「非配偶者間人工授精」を問わず、人工授精が広く知られ、行われるようになるのは、安藤の試み以降のことです。
ですが、安藤よりも前、おそらく明治期から夫の精子を使った人工授精がひっそりと行われていたようです。大正後期・昭和初期になると表立って配偶者間人工授精を行う開業医が登場します。そして、この医師には非配偶者間人工授精の発想がありました。しかし、実行には至らなかったようです。おそらく提供者の確保が困難であったことが、その理由の一つとして位置づけられるでしょう。
他方、安藤は医学部教授という地位にあり、医学生という提供者を確保することが可能でした。ここに、安藤が最初に非配偶者間人工授精を実施できた理由の一つがあると考えられます。しかし、医学生に提供者になってもらうにしても、身元が判明するようでは、さすがに頼みにくかったでしょうし、そもそも、当時は身元を明かす必要すらないと考えられていました。現在では、提供者情報を開示するべきだと盛んに指摘されていますが、先述のように今日に至るまでこうした状況は続いています。
現在、世界では提供者情報開示制度が整備される流れにあります。日本でどうなるかはわかりませんが、今後、開示制度が創設されるならば、それに伴い、新たな問題が生じることも予想されます。たとえば、提供者や提供者の家族との人間関係の問題があります。提供者と会って、円満に終わればよいのですが、必ずしもそうはならないでしょう。開示制度を作るならば、調整役が必要となり、誰がそのような役割を担うのかが課題となってくるかもしれません。
非配偶者間人工授精の未来はもちろん、現在、過去についてもわからないことだらけです。今後の調査、研究のなかで、できる限りのことを明らかにしていきたいと考えています。