「女の町」で生きる――京都花街の研究から見えるもの

掲載日: 2012年07月01日English

enlearge image (to back to press x)*私は、花街、とりわけ京都市の花街を研究対象としています。花街とは、芸妓が活動する場である料亭やお茶屋などが集まる区域を指します。京都市には5つの花街があり、2012年現在、約300人の芸妓が存在します。京都花街は、国内で唯一、18歳以下の芸妓である舞妓が活動する地域として有名ですが、その内実は花街の外にはあまり知られていません。京都という都市空間のなかで、花街にはどのような役割が期待されてきたのでしょうか。

私はこれまで、京都の近代史における芸妓と、芸妓の活動地である花街の歴史的な成立過程に関心をもち、史料を用いて分析してきました。芸妓は不思議な存在です。芸妓が何者であるのかを明確に定義した法は、現在に至るまでありません。明治期以降、芸妓は近代公娼制度において、娼妓に準ずる存在として位置づけられてきました。その理由は、娼妓と同じく、前借金の存在を前提とした年季奉公契約にもとづいて就業していたことに由来します。しかしながら、娼妓とは異なり、芸妓には統一した統制の基準は存在せず、芸妓の扱いは各府県に委任されていました。そのため、芸妓という職業の定義や活動の場は、地域によって大きく異なります。このような芸妓の労働をめぐる法的位置づけの歴史的な変化については、生存学研究センター報告17『歴史から現在への学際的アプローチ』の中で、「芸妓という労働の再定位──労働者の権利を守る諸法をめぐってという論文にまとめていますので、是非ご覧下さい。

enlearge image (to back to press x)*私は、史料分析を通じて、京都における芸妓とその活動地である花街がいかなる存在であるのかという点に関心をもち、芸妓やお茶屋の女将へのインタビューを開始しました。京都における芸妓は、性ではなく芸能を提供する女性の専門職であり、その活動の場は基本的にお茶屋に限られています。芸妓が侍る宴会は、京都の商空間において、接待に利用される「格の高い場」です。このような場を提供するお茶屋もまた、女性によって営まれている商家であり、その歴史は数世代に渡ります。花街は、男社会である京都の商空間のなかで、女性たちによって営まれてきた異色の地域であり、「女の町」と呼ばれてきました。花街の商売は、驚くべきことに、一般のサーヴィス業とは全く異なる規範に則って動いています。芸能だけでなく、商業上の慣習や「筋」と呼ばれる系譜に則った人間関係、そしてお茶屋建築の並ぶ「伝統的な」景観などの総体が、独自のローカルな規範として継承されているのです。言い換えると、花街で生きる女性たちは、いくつもの規範にとらわれていると言えるかもしれません。しかし、現代においては、旧来の規範それ自体が魅力的なものとして、新たな客層をひきつけています。

現在の花街を取り巻く厳しい状況のなかで、いかに自らの価値を見出していくのか。私は今後の調査のなかで、花街の女性たちの生き残りを賭けた模索を追いかけていきたいと考えています。

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