日本の入浴・公衆浴場と欧米の公衆浴場運動

掲載日: 2012年05月01日English

日本人は古くから入浴を好む清潔な民族・国民であるということがよく言われます。このような考え方はいつ、どのように生まれたのでしょうか。

江戸期、身体と精神の安定を図り、病から身を守ることを説いた養生書が一般的によく読まれました。養生書のなかで重視されたのは体内の「気」の流れであり、入浴を頻繁にすることや熱い湯につかることは「気」を消耗させるものと見なされていました。明治期の初めも、医師や衛生行政を担当する官僚などの言説では、しばらく「気」の流れが重視されていましたが、1897(明治30)年頃から、大きく変化していきます。

1897年に、入浴が良い習慣であり日本には古くから入浴習慣がある、比べてヨーロッパでは日常的に入浴することが稀であるということが、医師や衛生の専門家たちが刊行していた『大日本私立衛生会雑誌』の中で紹介されました。その中で、ヨーロッパでは公衆衛生の発達とともに浴場が設置されているということもあわせて紹介されています。このような記事は、その後も『大日本私立衛生会雑誌』に掲載されました。これらの記事により、ヨーロッパから入浴は衛生上必要であるという認識がもたらされ、入浴習慣を古くから持っている「日本人」は「清潔好き」であるという言説が現れるようになったのです。

同じ頃、入浴する場である浴場が問題視されるようになりました。具体的には、浴場の設備・浴槽の湯が病気の伝染しうる場だとして注意がうながされたのです。というのも入浴する場で伝染病がうつってはならないという理由からでした。明治期後半から大正期の初めにかけて湯の細菌調査が何度も行なわれ、浴場をどのように改良したらよいのかということについて、衛生の専門家を中心に議論されました。このように、私たちが考えているような入浴の意味づけや「入浴好きな日本人」というイメージは、1897年以降、当時の人々が海外と比較しながら獲得してきた認識がもとになっているのです。

同時期に、衛生の専門家だけではなく社会事業の専門家が海外の公衆浴場を視察し、紹介していくようになります。ヨーロッパやアメリカでは、1840年頃から「公衆浴場運動」(Public Bath Movement)が展開されていました。この運動は「移民」/「労働者」/「貧民」が暮らす地域に公衆浴場を設ける運動です。この運動には2つの目的があったとされています。ひとつは、「不潔な」貧民を「清潔」にして伝染病を予防すること、もうひとつは「不潔」は当時「悪習」・「悪徳」と見なされており、「清潔」にすることでそうした「悪習」を「改善」させることでした。日本で、公衆浴場運動を紹介したひとりに社会事業学者の生江孝之がいます。生江はヨーロッパやアメリカの浴場を紹介し、日本の浴場問題について述べています。生江が問題としたのは、入浴料金と「労働者」・「細民」の家族でした。生江は、日本の入浴料金は海外に比較すると安いけれども、その家族までが入ることは難しいと指摘し、彼らの居住地域に浴場を設置しなければならないと訴えました。そして、大正期には行政による「公設浴場」が都市を中心に設置されていきました。行政が問題視したのもまた、「労働者」/「細民」であり、彼らの衛生状態を「改善」し、不潔な習慣を「改善」することが公設浴場の設立の目的として掲げられました。これは海外の影響を受けてつくられた浴場だと言えます。そのなかには元々あった公衆浴場を利用して建設され、その経営を民間に委託するといった公設民営のかたちをとるものもありました。つまり、海外の影響を受けつつ、もともと日本にあったものを利用してつくられたのが日本の公設浴場なのです。

現在でもヨーロッパには公衆浴場運動の形跡があります。これまで2度「生存学若手研究者グローバル活動支援助成金」制度の支援を受け、国際学会に参加して海外の公衆浴場について調査してきました。今後は、1897年以降当時の人たちがみた海外の入浴習慣や紹介した浴場について調査していくことが私の課題のひとつです。

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1879年にオーストラリアPeninsulaのPublic saltwater bathの跡と思われる場所(オーストラリア・シドニー)

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1901年に建てられたドイツ・ルネサンス様式の浴場(ドイツ・ベルリン)

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