共依存──依存的な関係性を考える

掲載日: 2012年04月01日English

『共依存(codependence)』は依存的な関係性(または人間関係における依存症)を指す言葉として知られています。具体的には、「アルコール依存症の夫」と「夫を必死に支える妻」との関係、「暴力を振るう男性」と「暴力を振るわれても彼から離れることのできない女性」との関係、「過保護な母親」と「成人しても自立できないで家に閉じこもる息子」との関係などにおいて、「その関係は共依存だ」と指摘されます。

共依存という概念はとても曖昧で、「他者」となんらかの接点を持ち、その接点が「依存的」でさえあれば、どのような事象にも応用可能であるかのように語られてきました。「片時も離れたがらない恋人同士」も共依存、「親に依存していると判断される子とその親、ないし、その逆」も共依存、「いつも一緒にいてあらゆる秘密を公開し合う友人たち」も共依存。今日において、共依存はかなり拡張した概念になっているようです。

元々ネガティブなイメージを持つ言葉だったためか、共依存という言葉で表現される事象はネガティブなイメージを抱かれがちです。言い換えると、依存的な関係性は少し危険なものとして捉えられる傾向にあります。アメリカでの研究では、「アメリカ人のほとんどは共依存者である。共依存は病気なので回復しなければならない」という報告がされています。自律大国であるアメリカらしい主張です。共依存が「他者」と接点をもつ「依存的」なものなのであれば、少しでも依存的な人は、誰もが共依存者になれます。まったく依存的でない人間が、この世界にどれほど存在するのでしょうか。アメリカ発の主張は、角度を変えてみれば、この問いに答えていると言えます。

依存性にネガティブな要素が多く内在することは事実です。しかし、それだけではない、ということを私は伝えていきたいと思っています。また、依存性に内在するネガティブな要素を研究することで、上述したような共依存の問題に取り組んでいきたいと考えています。

私の所属する立命館大学大学院先端総合学術研究科主催で、今年の3月に「Catastrophe and Justice」というテーマで国際カンファレンスが開催されました。東日本大震災から1年が過ぎた今、このカンファレンスでの発表を通して、震災について再び考えることができました。忘れてはならないという感覚と、震災を直接経験していないことから感じざるを得ない「私が語っていいものか」という後ろめたさが、震災を語る上では生じます。それでも、発表の準備を通じて、震災を取巻くごく一部について考察出来たこと、被災地支援に参加された方の生の声を伺うことができたことは、大切な経験になりました。震災における支援においても、人間関係における依存の重要性は語られるべきものであると感じることができました。

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人間関係に対しては多様な考え方やあり方があります。そのすべてを追うことなどできませんが、たった一人だけの心にしか響かないものだとしても、私はそれに価値を見つける研究をしていきたいと思います。

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