救護施設と精神障害者の戦後史を再考する

掲載日: 2023年07月01日

写真:第25回日本精神医学史学会(2022.10.15)において、1950年代の「緊急救護施設」創設過程に関する発表を行いました。

私は、日本における精神保健・医療・福祉の歴史を研究しています。なかでも、現在取り組んでいるのは、戦後の救護施設における精神障害者処遇をめぐる歴史です。

救護施設とは、生活保護法(1950-)によって規定された保護施設の一つで、「身体上又は精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な要保護者を入所させて、生活扶助を行うことを目的とする施設」と定められています。救護施設は、必ずしも精神障害者だけが対象ではなく、障害の種類を問わず様々な生活課題をもつ要保護者を受け入れる施設です。しかし、救護施設の歴史を紐解くと、当初から今日に至るまで、その入所者には精神科病院退院者をはじめとした精神障害者が他の障害と比較して高い割合で入所してきたことが知られています。救護施設と精神障害者は、切っても切れない関係にあるといえるのです。

救護施設と精神障害者の関係をめぐって歴史的に重要なものとして、1950年代末から全国的に設置されていった「緊急救護施設」があげられます。緊急救護施設とは、精神病院に入院していた生活保護受給者で、病状が落ち着いた状態にあるが家族の引取り手もない精神障害者を専門的に受け入れるため、厚生省の主導で創設された救護施設です。初め東京や大阪、名古屋などに設置され、一時は全国で30施設以上あったとされています。その後、緊急救護施設は1973年に制度上廃止となり、それまで緊急救護施設だった施設も一般の救護施設と同じ枠組みで運営されるようになっていきました。しかし、過去に緊急救護施設だった施設を中心に救護施設では精神障害のある方を数多く受け入れて今日に至っています。

このように、救護施設は精神障害者を受け入れる施設として、戦後日本の精神保健・医療・福祉にとって不可欠な役割を果たしてきたといえるでしょう。ところが、これまでの精神保健・医療・福祉をめぐる歴史研究においては、精神科病院や精神科医療が主な検討対象とされてきた傾向があり、生活保護法による保護施設(福祉施設)である救護施設やそこに入所した精神障害者については、ほとんど語られてきませんでした。また、仮に語られるとしても、その制度面の不備に対する批判がほとんどだったといえるでしょう。たとえば、緊急救護施設については長らく、医療の管理から外れた「安あがりの終末施設」、「慢性患者の収容所」といった精神科医たちからの否定的な評価が定着してきました。

しかし、そのような批判がなされてきた一方で、救護施設における精神障害者処遇をめぐっては、救護施設一つ一つの実態に目を向け、そこに生きた人々に焦点をあてた考察はほとんどされてこなかったと私は考えています。救護施設に入所した精神障害者は、どのような経験をへて施設へとたどり着き、そこでどのような日々を送ったのか。救護施設とは、入所した当事者やその家族にとってどのような場所だったのか。また、救護施設の職員たちは、精神障害のある入所者とどのように関わり、何を思い、日々の実践に取り組んでいたのか。さらに、救護施設と地域社会との関わりのあり方とはどのようなものだったのか。

私は、この研究において、救護施設における精神障害者処遇の制度的な変遷を辿りなおすことに加えて、いま述べたような観点から、救護施設に残された資料や行政文書、その他様々な資料を用いて、戦後日本の精神保健・医療・福祉にとって救護施設における精神障害者処遇が果たした役割と意義について考えていきたいと思っています。

これまで、施設関係者の方をはじめ多くの方々に助けていただきながら、また、教えていただきながら、この研究をすすめてきました。今後も、人との出会いをとおして学ぶことを大切にして、研究をつづけていきたいと考えています。

篠原史生
(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生/日本学術振興会特別研究員)

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