中国南部の新婦仔の生活史調査

掲載日: 2022年11月01日

中国には、幼い女児を成長後に息子の嫁にするために養子として引き取る婚姻慣行がある。この婚姻慣行および養家に引き取られた女児は、新婦仔(シンプア・shin-pua)あるいは童養媳(トンヤンシー)と呼ばれる。1980年代になると中国都市部では新婦仔婚が消滅していったが、一部の農村地域では存続していた。とくに中国南部の農村では1990年代以降も新婦仔婚が継続し、いまだ数万人の新婦仔が存在するといわれている。私は、福建省莆田市秀嶼区東荘鎮を調査先に、新婦仔の生活史を収集し、彼女たちがどのように自らの特殊な出自や境遇に折り合いをつけ、人生を歩んできたのかを研究している。

調査先である中国福建省莆田市東荘鎮の風景1

新婦仔のなかには、養家での望まない性行為や過酷な労働から逃げ出し、中国の改革開放や法制度の変化のなかで養家から自立して生活するようになった者もいる。莆田地域において、乳幼児の頃に斡旋者(いわゆる「人買い」)を通じて養父母に引き取られた新婦仔は、養女になった記憶を持たずとも、周囲の人々から「〇〇さんの新婦仔」と呼ばれることで、自らが実子ではないことを知る。生家の記憶はなく、教育を受けることもできなかった彼女たちは、たとえ逃げ出しても自立することは非常に困難であった。しかし現在ではDNA検査技術の発展に伴い、彼女たちの「実親探し」の支援を提供するNPO団体や彼女たちの生活や権利獲得を支援する運動が生じており、新婦仔のなかには自らのルーツ探しや新しい人生を模索する者が増えている。

私は、まず新婦仔たちのアイデンティティ形成のプロセスにおいて、生みの親の存在をどのように理解しているのかを調査している。これまで聞き取り調査をした新婦仔の生活史からは様々な新婦仔の姿が浮かび上がる。たとえば、養父母に息子が生まれず、「等郎妹(denglangmei)=弟を迎える」として新婦仔になった者、幼少期から実家探しに執念を燃やしている者、「これからの人生が大事だ」と口癖のように語り生家に関心を持たない者、実親を探したいという気持ちは持ちつつも実親からの冷遇を心配して躊躇している者など、多岐に渡る。新婦仔のなかでも、こうした実親やルーツに対する関心・考え方が養家の人々との関係や農村での経験、その後の人生(養家に留まる、逃げる、自立するといった違いや現在の生活環境)によって、状況が異なっていることがわかる。

調査先である中国福建省莆田市東荘鎮の風景2

こうした調査から実際のルーツ探しの実践についても検討してきた。これまでの調査では、実親探しを数十年かけても実現できていない者、実親探しに対する意欲は低かったが、好奇心で自身のDNAを「尋親帮帮団」に登録した結果あっけなく実家が見つかった者、家族の側が自身と顔の似ている新婦仔を探すことからDNA検査なしに親子関係を認知し、族譜(中国の家系図)に掲載された者などがいることが分かっている。

このようなルーツ探しの成否やルーツ探しのプロセスを考えてみると、新婦仔と親族や周囲の人々との相互行為を通じて、彼女たちの人生で新婦仔と定義されない「自己像」が形成されている。これは他者との関係を意味すると同時に、よりよく生きるために、自分自身に対するメタ的認識も再構築されていることを意味する。新婦仔のルーツ探しは「自救」実践の意味として理解できるだろう。

この研究を通じて、中国だけでなく、ほかの地域や国での新婦仔婚、誘拐婚、児童婚を経験した女性の人生を理解することにつながると考えている。

李思航(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生)

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