「清潔さ」を問い直す

掲載日: 2022年01月01日

新型コロナウイルスが世界的に流行してから2年がたとうとしています。多くの人々をめぐる生活が変化を迫られました。感染者数が日々知らされるようになり、また医療資源逼迫などが大きく報道されたことは記憶に新しいところです。感染状況やそれに関するニュースは状況に応じて変わっていきます。流行してからしばらく、感染の状態やそのメカニズムに関する多くの報道がなされました。感染の科学的根拠が不明である際、多くの人は何らかの理由を探し説明しようとします。そのとき、あるコミュニティや地域、あるいはその国の特質や条件が、根拠なく感染の理由として意味づけられていくことがあります。

他方、日本では感染していない/死者数が少ないことも注目されました。それは感染しないメカニズムやその理由も探られていたのを示すことだといえます。この間、日本での感染者数が他国と比較して少ないことが強調され、日本人の習慣や国民性に理由を求め説明されることがありました。単に他の国と違うというだけではなく、「日本人であること」や「日本人の国民性」を高く価値づけるような発言や言葉が政治家の発言やSNSなどで幾度もあらわれました*1
。往々にしてこうした発言は、「日本には清潔を好む習慣があるから」、「日本人は清潔な国民性だから」という価値観とセットになっています。そうした言い方や考え方はたいてい新しいものではありません。日本人の特徴、国民性といったものが自明の前提とされて、繰り返し、語られてきたとも言えます。そのため、そうした清潔な国、日本といった前提自体はあまり注意されず、一般的には、意識的に問い直されることはほとんどありません。それは清潔さが善いことであるという意識が自覚できないレベルで内面化されている結果といえるかもしれません。

写真1 近年刊行されたもの。左:川端美季「「清潔さは信心に次ぐ美徳」という理念――被差別部落と公衆浴場運動」『部落解放』解放出版社,741号,2017年,76‐83頁.右:「特集ネオリベラル・ジェンダー秩序の時代を考える――菊地夏野『日本のポストフェミニズム――「女子力」とネオリベラリズム』合評会特集趣旨」『立命館生存学研究』立命館大学生存学研究所,第5号,2021年,5‐6頁.

写真2 川端美季『近代日本の公衆浴場運動』法政大学出版局,2016年.

私は日本の清潔規範の歴史について研究しています。私たちが清潔をよしとし、清潔でなければならないと思うようになり、その思いが内面化され、無意識化されてきたのはどのような経緯によるものなのか、また、そもそも「清潔」にするとはどういうことなのか、そういった問題を解明することを目指して研究を進めています(写真1)。

博士論文では日常の衛生空間・設備のひとつである公衆浴場を対象に公衆衛生史的な観点から検討し、それをさらに発展させて2016年には『近代日本の公衆浴場運動』(法政大学出版局)を上梓しました(写真2)。

現在は二つの軸から研究を進めています。ひとつは、かつて日本が植民地化した国々(東アジアが中心ですが)の公衆浴場の調査から、日本の清潔規範がどういう形で伝えられようとしていたのか、伝わっていったのか、という点の解明を目指す研究です。
もうひとつは、清潔規範が教育との関係でどのように構築されてきたのか、清潔規範の形成に教育が果たした役割についての調査・分析を行なっています。明治後期から文科省主導で「国民道徳論」が提唱されていくようになります。これは1890年の教育勅語を機能させるべく、国民に強固な精神的つながりを持たせる国民道徳の意義について説くものでした。明治末期から大正・昭和期を通じて、多くの論者や政府関係者、知識人によって国民道徳論に関する文献が多数出版されています。国民道徳論の嚆矢とされる井上哲次郎は、国民性という基盤の上に国民道徳が成立するとしました。国民性の特徴はいくつかありますが、そのひとつに「潔白性」というものがあり、井上や他の論者によって論が展開されていきます。潔白性には身体の潔白と精神の潔白があると説明されるようになりました。身体の潔白に清潔習慣、精神の潔白は武士道と関連づけられ、潔いことがよしとされることが説かれるようになりました。また病気になることは両親や周囲に心配をかける、迷惑をかけるという内容も繰り返しあらわれています。
こうした国民道徳論の論者は、日本で1904年から編纂された国定教科書(修身)にも関わっています。修身教科書が説いたのは国家が理想とする日本人像であり、そのなかで清潔習慣や健康な身体作りが推奨されました。また国定教科書が編纂を重ねるなかで、身体の清潔さと精神性が結びつけられていく記述がみられるようにもなりました。さらに当時の情勢を背景に、潔く死を選ぶことを示唆するような内容も見受けられます。

また女子学校教育においては、家政を担う主体としての女性役割、良妻賢母という役割が女子に求められるという認識が教育学者や論者の間では共有されました。この役割には清潔習慣(入浴習慣も含まれる)を家庭で子に教え伝え、子どもを日本人として社会・国家に送り出す存在という意味も含まれていたと考えられます。

これまでの研究成果は参考文献にも挙げているので、関心のある方はぜひお読みください*2

さて、では「清潔さ」とは、「清潔にする」とはいったいどのようなことなのでしょうか。それは「不潔」であることを見つけ出すことだと言い換えられるのではないかと思います。清潔さを維持するためには常にそこから逸脱する不潔さを見つけ続けなくてはなりません。しかし、ひとが生きている限り清潔であり続けることは実は難しいことです。また忘れてならないのは「清潔さ」はときに何の科学的根拠もなく語られることがあるということです。想像される「清潔さ」にはなにか許容範囲があるとされるものですが、そこから逸脱したものは異物とみなされ、排除される対象になっていきます。しかし、それは排除されていいものなのか、何を根拠に異物だと不潔だとみなしているのか、その枠組み自体を立ち止まって問い直すことがつねに必要なのではないかと思い、研究を続けています。

川端美季
(立命館大学生存学研究所特別招聘准教授)

*1 2020年6月には当時の財務大臣が「国民の民度のレベルがちがう」と参議院で発言したことが報道、注目されました。https://www.asahi.com/articles/ASN6455CGN64UTFK008.html

*2 なお、2020年度に日本生命倫理学会のインタビューで研究紹介もしています。今回の内容と重なることもお話ししています。
研究室紹介vol.5

参考文献

川端美季「清潔の指標――習慣と国民性が結びつけられるとき」『現代思想』第48巻,2020年,170-176頁,

川端美季「近代日本の「国民性」言説における身体観と道徳観――国民道徳論と国定修身教科書から」『医学哲学・医学倫理』37号,2019年,53-60頁.

関連リンク

立命館大学生存学研究所プロジェクト感染症研究会「肺ペストとマスクの歴史1894-1912――西洋の知とアジアの現場」2021年3月12日

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