出生前検査の歴史といま――「優生思想をほぐす」

掲載日: 2021年11月01日

私が、博士論文をもとに『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』(生活書院、2012年)を上梓してから、10年近くが経過しました。その間に、NIPT(無侵襲的出生前遺伝学的検査、メディアでは「新型出生前検査」と呼ばれている)1の導入と普及、受精卵の着床前遺伝学的検査(PGT)実施例の蓄積など、着実な広がりをみせてきました。

そして、コロナ禍の今、出生前検査をめぐって大きな変化が起きようとしています。

これまで、日本の出生前検査は、独自の歴史的経緯を背景に、慎重に行われてきました。羊水検査が導入され始めた1970年代初めに、「青い芝の会」をはじめとする障害者運動は、出生前検査とその結果による障害胎児の中絶は、障害者を「本来あってはならない存在」とみなし生存権を否定するものだとして果敢な反対運動を行いました。また、産む/産まないの自己決定を求めた女性運動に対しても、障害胎児の選別的中絶も自己決定権に含まれるのかと鋭く問いかけたのです。女性運動は障害者運動との議論を重ね、共闘を模索していきました。そして、1990年代終盤には、子どもをもつかどうかを決めるのは女性の権利だが、障害の有無で胎児を選ぶことはリプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)には含まれないし、それによって正当化もされないとの考えを醸成していきました。

このように1970年代初めの障害者運動が、出生前検査とその結果による選別的中絶は障害者差別であり、個人の自己決定という形をとった優生思想の実践であると明確に指摘したこと、そして、女性運動がそれを受け止めた意味は非常に大きいと思います。障害者運動から発せられた優生批判は、医療界の対応にも大きな影響を与え、出生前検査の開発や一般医療としての普及に慎重な態度をとらせてきました。

1990年代中頃に、母体血清マーカー検査2が商業ベースで一気に普及する可能性があった時期にも、障害者団体、親の会、女性団体、一部の産婦人科医らが強く反対しました。反対した障害者らは、「障害者への支援体制は不十分なうえに障害に対する差別・偏見が根強い現状では、検査の存在を全ての妊婦に知らせるならば、そのまま勧奨につながり、社会としての障害者のふるい分けになる」との強い危機感を表明しました。これを受けて、国は、厚生科学審議会先端医療技術評価部会「出生前診断に関する専門委員会」で審議し、1999年に、「医師が妊婦に対して、本検査の情報を積極的に知らせる必要はない」とする非常に抑制的な「母体血清マーカー検査に関する見解」を出しました。

2010年代になって、NIPTをはじめとして、少量の検査試料から一度に様々な遺伝学的変化を網羅的に調べることができる新しい検査が登場します。日本では、2013年4月から、日本産科婦人科学会(日産婦)が定めた「指針」に基づいて臨床研究として開始されました。「指針」は、「広く普及すると、染色体異常胎児の出生の排除、染色体異常を有する者の生命の否定へとつながりかねない」との懸念から、「十分な遺伝カウンセリングができる施設で限定的に行われるにとどめるべき」としており、実施施設は、日本医学会の「施設認定・登録委員会」の審査・認定を受ける必要があります。2020年3月までの7年間で、約8万7千人が検査を受け、最終的に「染色体の変化がある」と診断された人の9割近くが中絶を選択したとされています。

2016年秋ごろから、認定を受けずにインターネット等で検査を宣伝し実施するクリニックが出現しはじめ、2020年には認定施設の数を上回るまで増加しました。非認定施設の医師は、美容外科や皮膚科など産婦人科以外が多く、検査前後の説明や遺伝カウンセリングも不十分で、「陽性」と判定されたものの十分な説明も適切なフォローもなく、パニックに陥る妊婦も出ていると報告されています。

厚労省は、2020年10月から、厚生科学審議会科学技術部会「NIPT等の出生前検査に関する専門委員会」で審議し、今年5月に「報告書」を公表しました。現在、具体化に向けて準備が進められていますが、四つの点で、これまでの出生前検査の枠組みを大きく転換させる内容を含んでいます。

ひとつは、国の報告書の中に、「選別的中絶の容認」を書き込んだということです。現行の母体保護法では、胎児が疾患や障害を有していることを理由とした中絶は認められていません。しかし、「(出生前検査により胎児に障害の可能性があると判明した場合)母体保護法が規定する身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある等に該当するものとして妊婦及びそのパートナーが人工妊娠中絶を選択する可能性がある」とし、その際、「妊婦等の自由意思が尊重されることが重要」としています。

二つ目は、出生前検査に関する妊婦への情報提供について、20年ぶりに方針を変更したということです。これまでは、「妊婦に対して、出生前検査の情報を積極的に知らせる必要はない」という1999年「見解」を踏襲してきましたが、これを大きく転換させ、「出生前検査の目的は胎児の情報を正確に把握し、妊婦とパートナーの自己決定を支援すること」であり、「妊娠・出産・育児に関する包括的な支援の一環として、妊婦等に対して出生前検査に関する情報提供を行うべき」としています。

三つ目の大きな転換点は、国の関与です。これまで出生前検査の実施や規制に、国はほとんど関与せず、日産婦や日本医学会が担ってきました。今回、新たに、施設認証の基準の作成、認証、評価や見直しを行う「運営機構」を日本医学会に設置し、産科・小児科などの関係学会、医師・看護師の団体、倫理・法・社会分野の有識者、障害福祉の関係者、患者当事者団体などに加えて、厚労省関係課も参画するとしています。国が関与することで、施設認証の重みが増す効果はあるものの、今後、出生前検査が、保健・医療政策の一環として組み込まれていく可能性もあります。

四つ目として、国の関与にも関わらず、出生前検査の商業化の流れを止めることは難しく、むしろ拡大させるのではないかという点です。NIPT実施施設は、遺伝カウンセリングができる大規模病院を拠点施設として認証し、市中の産婦人科クリニックもこの大規模病院と連携すれば認証対象となるとしており、実施施設は一気に増えることになります。一方で、非認定施設への有効な法的規制は盛り込まれていないため、営利目的でのNIPTの実施はさらに増加するのではないかと懸念されます。

また、紙幅の関係で詳しく触れることはできませんが、日産婦は、昨年から今年にかけて、「PGT-M3に関する倫理審議会」や「日産婦倫理委員会PGT-A・SR4臨床研究に関する公開シンポジウム」を開催し、着床前遺伝学的検査(PGT)の見解・細則を改定して、適用範囲や実施施設の拡大を図っています。

このように、現在、出生前検査の拡大・普及を後押ししているのは、妊婦(カップル)の「ニーズ」や「自己決定権の尊重」を前面に掲げることで、倫理的・社会的問題を不問に付そうという流れです。さらには、出生前検査の商業利用が、これに拍車をかけています。

〈優生思想をほぐす Part1〉の案内チラシ 「Zoom集会 シリーズ優生思想をほぐす 第1回」の案内文。今後の予定については、「優生思想をほぐす」実行委員会事務局(kazuko-s@white.plala.or.jp)までご連絡ください。

昨年来のNIPTやPGTをめぐる国や日産婦の議論の中に、遺伝性疾患の当事者や障害者本人が、直接参加する機会はありませんでした。そこで、障害当事者および障害のある子と暮らしてきた立場から、これまでの生活の中で出生前検査とどのようなかかわりを持ち、どのように考えてきたかを発信し共に考える手段として始めたのが、Zoomでの集会「優生思想をほぐす」です。「Part1 みんなで話してみよう 出生前検査と着床前検査」を7月31日に開催し、100人以上の参加を得ました。10月9日には、これをさらに深化させようと「Part2 みんなで話してみよう 〈障害ある・なし〉と〈ジェンダー〉と〈産む/産まない〉」を持ちました。参加者からは、「優生思想は、物語的に他者の経験を共有すること、そして、自分の物語と向き合い意味づけすることによってしか解きほぐすことができないものなのではないか。そういう意味でもよかった」との感想も寄せられました。

現在、障害を理由とした強制不妊手術が著しい人権侵害を引き越していたことが問題とされ、国賠訴訟も提起されています。優生思想と医療が組み合わさって強制不妊手術につながっていったことに鑑みれば、今一度、出生前検査という技術がはらむ差別性や、優生社会を現実化させる可能性について問い返したいと思います。

利光惠子(立命館大学生存学研究所客員研究員)

*1 妊婦の血液中に含まれる胎児のDNAを検査し、胎児が、ダウン症(21トリソミー)、18トリソミー、13トリソミーという三種類の染色体の変化をもつ可能性を調べる。妊娠10週という非常に早い時期から、相当高い精度での診断が可能だとされている。

*2 妊婦の血液中のタンパク質やホルモンの値を検査し、妊婦の年齢も加味して、胎児がダウン症などの障害をもつ可能性を確率で示す検査。

*3 単一遺伝性疾患をもつ子の妊娠回避を目的とする着床前検査。

*4 不育症・不妊症の患者を対象に不妊治療の一環として行われ、流産を防ぎ出産率を上げることを目的に、体外受精で得られた胚の全ての染色体の数の変化を調べる検査。

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