恋愛的/性的に惹かれないことの重層性――アセクシュアル当事者の実践
私は、学部時代からLGBT団体に携わってきました。その経験から、性にまつわるさまざまなメタファーや社会的な約束事(汚らわしいことや秘匿すべきものとされる)に疑問を持っていました。大学卒業後、産婦人科の現場に携わるようになってから、性愛のあり方により強く関心を持つようになりました。性科学の範疇で性障害や性交痛と分類される方々に関わることが多くなっていく中で、セックスが前提とはならないセクシュアリティの語りの領域は、果たして想定可能なのかという問題意識を持つようになりました。そしてそれを踏まえ、セクシュアリティの「不在」としてのアセクシュアルをいかに位置づけるのかを考究してきました。ジェンダーやセクシュアリティの差異や多様性を議論してきたフェミニズム理論やクィア・スタディーズでも、セクシュアリティの「不在」が論じられたことはこれまでほとんどありませんでした。既存のセクシュアリティの枠組みでは、アセクシュアル当事者が自身を表現することができない、という状況が関わっているのかもしれません。
アセクシュアルは、他のセクシュアリティとは異なり、どのように定義するのかというところに難しさがあります。アセクシュアルは、コミュニティ内では「他者に性的に魅かれる経験をしたことがない人」と定義されていますが、中には恋愛感情を経験する人もいて、コミュニティ内では性的指向とは別に「恋愛指向(romantic orientation )」という概念や、アセクシュアルとセクシュアルの中間のグレーセクシュアル、デミセクシュアルなどといった概念が作りだされています。アセクシュアルの概念を広く捉えることで多様性を包摂しているのです。
英語圏の先行研究に目を向けると、アセクシュアルを性障害とみなす病理的言説に対する抵抗が進められ、恋愛やセックスはするのが当然とする社会の「性愛規範(sexual normativity)」自体を反省する必要が唱えられたりしています。私は当事者たちがどのようにして自らのセクシュアリティを表現し実践しているのか明らかにしたいと考えています。また、研究をしていく中で、日本社会が抱えている性愛規範の内実はどのようなものなのかをも暴きたいと思っています。そして、アセクシュアル研究は、アセクシュアル自体を知るだけではなく、いずれは異性愛者を含めたこれからの性愛のあり方、性にとらわれ過ぎない生き方への思考と実践の可能性へも向かうのではないかとも考えています。
アセクシュアル研究は、セクシュアリティに関するさまざまな知識が求められるため、セクシュアリティだけではなく、学際的な交流が必要であろうと以前から考えていました。加えて、学部時代から、周りにジェンダーやセクシュアリティについて関心を持っている学生と繋がる機会を持てなかった経験があったため、自分たちで人的ネットワークを構築していかなかなければならないとも考えていました。そこで、現在所属している先端総合学術研究科同期の欧陽珊珊さんと後期博士課程院生の3人で研究科内の院生プロジェクト制度を活用し、2019年に「SOGI研究会」を立ち上げました。「SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity)」とは、性的指向と性自認を意味します。研究会ではそのSOGIの視点で幅広い課題を検討することを目指しています。
初年度は3人のみの構成員ではありましたが、研究成果発表や研究会の開催を重ねるごとに参加人数が増え、現在では、学外の参加者も加わるまで発展し、私は研究会の成果報告企画や文献選定の責任者となっています。これまでの読書会や研究会では、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』やイヴ・K・セジウィックの『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―』などを読んできました。また、年に1度に外部の先生をお招きし、研究成果報告もしています。2019年度の研究成果報告は、「ケア・BDSM・親密性」をテーマに、大阪大学の小西真理子先生をお招きし、「正常」とされるセクシュアリティに付随している性規範を、ケア、性的嗜好における嗜虐的性向(BDSM)、親密性を中心に、批判的検討を加えました。そして、2020年度は、「性・アート・リレーションシップ」をテーマにし、お茶の水女子大学の竹田恵子先生をお招きし、ダムタイプを題材にセクシュアリティとアートという社会実践の交差性について議論を深めてきました。このように、SOGI研究会の存在は私自身のアセクシュアル研究にも非常に役に立っています。今後もSOGI研究会での取り組みを通じて、自らの研究にも活かしていきたいと考えています。
長島史織(立命館大学先端総合学術研究科院生)