障害教員運動史──教育現場からの排除をめぐる闘争の歴史を探る

掲載日: 2021年08月01日

みなさんのなかで、障害のある教員に授業等を習ったことのある人はどれくらいいるでしょうか?幼稚園、小中高校、大学を通じて一度もないという人が多いかもしれません。

実際に障害者雇用の統計をみてみると、公立学校の教員を雇用している都道府県教育委員会の障害者雇用は進んでおらず、障害教員はまだまだ稀少な存在だと言えます。2020年の集計では、障害者雇用促進法で雇用が義務付けられている法定雇用率(全職員に対して障害者が占める割合)2.4%に対して、全国の教育委員会合計の実雇用率は2.06%、障害者数は13156人となっており、雇用義務を達成するためには2363人が不足しています1)。日本の障害者雇用一般にも多くの課題がありますが、とりわけ障害教員の就労には深刻で重層的な問題があることがわかってきています2)

写真1:視覚障害教員として教室で授業をする筆者(新潟西高校 2012年)

私は2020年3月まで新潟県の県立高校の教員(社会科、公民科)をしていましたが、20歳代後半に失明してから30年余、視覚障害のある教員として働いてきました。障害教員が働き続けようとするとき、それを阻む社会的障壁が多く存在することも、身をもって体験しました。全国に散在する障害教員の先輩や仲間との出会いもあって、全国視覚障害教師の会や、「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会などの障害教員団体3)の活動にも参加してきました。

大学院に入り、障害のある教員について、その当事者の社会運動に着目して研究を始めました。障害教員個人の手記や障害教員団体の機関誌などの文献を調べるとともに、関係者へのインタビューもおこなっています。また、障害教員運動の背景にある国の労働政策の変遷についても調べていますが、いろいろと謎が浮かんできています。

たとえば、1960年に障害者雇用促進法が制定され、その段階で小学校、養護学校、大学等の教員は、障害者の就労は困難であるとして、雇用義務の除外職員とされました。このこと自体が大きな問題ですが、これは一応、法令に明記されています。しかし、中学校、高校の教員に関しては、除外職種にはなっておらず、本来、雇用促進義務の対象であったはずにもかかわらず、1994年まで、労働省の運用によって実質除外扱いをされてきました。なぜこのような「脱法」行為がなされ、それが1994年に突如解除されたのか、その経緯はこれまで明らかになっていません。

写真2:「日本における障害のある教員の当事者運動史」のポスター発表をする筆者(障害学国際セミナー2019武漢)

もしこのような特例扱いがなければ、どれほど多くの障害のある教員が1960年代から働いていたことでしょうか。1970年代に、教員採用試験の門戸開放、点字受験の実現を求めて運動し、それでも採用されなかった先人たちの無念を思うと、あらためて憤りさえ感じます。

このような感情が研究の客観性をゆがめることのないように気をつけなければなりませんが、いっぽうでこうした歴史背景にもとづく熱情は研究を推進するエネルギーにもなると思います。障害教員運動の歴史研究は、教育現場から排除されてきた障害者たちによる、参加を求める闘争の経過を対象としつつ、障害者たちを排除してきた社会のあり方を問い直すものとなるはずです。

栗川治(立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程/日本学術振興会特別研究員)

  • 1)「令和2年 障害者雇用状況の集計結果」,厚生労働省ホームページ,https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_16030.html. なお、この統計の「障害者数」は、重度障害者1人を2人と数える「ダブルカウント」などの操作がおこなわれており、実際の人数とは異なる。
  • 2)以下の文献を参照。栗川治,2012,『視覚障碍をもって生きる──できることはやる,できないことはたすけあう』明石書店. 羽田野真帆・照山絢子・松波めぐみ編,2018,『障害のある先生たち──「障害」と「教員」が交錯する場所で』生活書院. 中村雅也,2020,『障害教師論──インクルーシブ教育と教師支援の新たな射程』学文社.
  • 3)障害教員運動関連の団体リストは以下を参照。http://www.arsvi.com/w/ko04.htm

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