空き時間から生まれた研究対象 ――拙著『人と成ること――恵那地方の統合教育・地域生活運動』について

掲載日: 2021年06月01日

私は地方における障害のある人たちの生活について研究し,2018年博士論文提出修了後,このほど,『人と成ること―恵那地方の統合教育・地域生活運動』を出版しました。
研究のきっかけは「ひがし生活の家」という場所で,障害児たちと音楽活動をする空き時間に,「生活の家」の資料探索をしたことがその発端となりました。活動する児童の親には中津川市立東小学校(以下,「東小」と略)の学童保育に通っていた人たちがおり,「東小は地域の人,色々な障害の人で入り乱れていた」「1980年代までスムーズであった入学が90年代になると困難になった」という話を聞きました。資料は未整理のままで,これは整理して明らかにせねば,と研究を始めたのです。

写真1 中津川市立東小学校交流文集(著作権者 中津川市立東小学校掲載承諾済)

岐阜県恵那地方における中津川市東小学校で,1970~1980年代に障害児の統合教育,障害者の地域生活運動が展開されました。1971年,重度障害児が東小に入学します。全介助を必要とするため,福祉関係者が学校に入ることになりました。就学猶予・就学免除で家に籠る障害児に対する訪問指導も開始されますが,「学校でみんなと遊びたい」と訴えた障害児と教師の出会いによって,東小の障害児教育は統合教育に舵をきっていきました。

恵那地方の統合教育は,障害のある児童が,原学級授業・活動,養護学級授業,合同教室,市民活動も含む交流学習と多数の授業を往来する動的なカリキュラムでした。その基盤には1980年代までの教育現場の裁量を地域教育委員会が認めた自主カリキュラムの展開があったからです。『飛我志』という全学の生活綴方交流文集があり,障害児の綴方,健常児の綴方などが掲載されています(写真1)。

親と障害児による母子分離学習活動「かやのみ教室」が1973年より始まり,この母親たちが東小校内に学童保育所を設立しました。親たちは「中津川市障害児者を守る会」の会員となり,福祉事務所の協力を得て大がかりな障害児者実態調査を実施しました。ピアの力は大きく,引き籠る障害者は外に出て支援を受けるようになり,「守る会」の運動で遠方の施設生活者には帰省費用が届けられました。「生活の家」は,東小卒業生のみならず,家から出て来た障害者,帰郷した障害者の溜り場となり,人があふれ,広い土地を求めて開拓地に移転することになります。
「生活の家」は,就労,学習,文化的活動の場所として,帰郷した障害者の住処として総合的な構想を助成申請しますが,認可されませんでした。市民が資金面を支えることになりますが,生活綴方は地域生活運動の要となりました。市民は障害者が書いた綴方集を手渡されて読み,後援会員となり資金を出資し,その数は市の総人口5万人中の1万人に及びました。運動にはさまざまな障害者が関与しますが,その中心は重度知的障害者であったため,綴方集の編集・制作や勧誘活動に支援者たちが参画しました。
移転地区では,「生活の家」が偏向的な思想組織だとうわさされ,今までの支援が断ち切られていきました。存続の危機の中にあっても障害当事者は地道に活動を続け,その姿勢によって支援者が戻ってきました。障害当事者である「仲間集団」は,開拓の伝承の伝え手として,開拓地の存続に寄与していきました。当事者の運動がイデオロギーの問題を超え,ようやく生活の基盤を敷いたのです。

ある人が生活しようとした場合,制度利用することは易くできます。しかし,制度になく標準から逸れる要求は,承認されるまでに多大な労力を必要とします。社会は,多くの事情を抱えた人が暮らし,多様な他者の理解が求められるにもかかわらず,人は他者にはなりえないので他者を理解することはできません。けれども,壁をつくって遮断するのではなく,折り合いを付けていくことは必要でしょう。
本書が生活することのヒントになればよいです。

写真2 恵那地方における地域生活運動の経緯(著者作成)

写真3 篠原真紀子『人と成ること――恵那地方の統合教育・地域生活運動』(晃洋書房、2021年)

篠原眞紀子

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