医療と患者――歴史研究の視点

掲載日: 2021年01月01日

私は、脊髄損傷を負った経験から再生医療に関心を持ち研究を進めてきました。現在の再生医療研究は、国のバックアップのもと、臨床応用をめざす研究者と治癒を望む患者が一体となって研究を推し進めるという構図で理解されています。とりわけ脊髄損傷者は、科学者やマスメディアによって「再生医療に一縷の望みを託す患者」として表象されています。しかし脊髄損傷医療は、急性期の整形外科治療、合併症の予防や治療、看護、リハビリテーション等を包括した医療を指します。これまで医療史、とくに外科史・整形外科史において「治癒に結びつかない包括的な医療」の歴史は傍流でした。ではこのような医療はいつからはじまったのでしょうか。

写真1:坂井めぐみ『「患者」の生成と変容 : 日本における脊髄損傷医療の歴史的研究』(晃洋書房、2019年)

幕末期から現在までを対象に、脊髄損傷医療がいかに形成され展開したのかについて歴史的に検討し、「患者」の位置づけがどう変容したのかを叙述したのが私の博士論文です。博士論文をもとに『「患者」の生成と変容:日本における脊髄損傷医療の歴史的研究』(晃洋書房、2019年7月)を出版しました[写真1]。本書では、手術・看護技術のみならず、経済的補償、自宅改造、移動手段の確保、就労に関する諸課題等と絡み合うなかで、総体としての脊髄損傷医療が形作られたことを明らかにしました。それは、国家、医療、患者それぞれの意図と社会的な要因が交錯し、脊髄損傷医療が方向づけられていく過程でもありました。

幕末・明治期、脊髄戦傷者(戦争による脊髄損傷者)は、適切な身体管理がなされず「余命いくばくもない者」でしたが、1930年代後半には国策によって長期生存が得られたことで、脊髄戦傷「患者」が生成されました。戦後は、戦中から続く療養所で医学研究が行われ、結果的に彼らの治療・看護体制を維持させました。「傷痍軍人」から「医学研究の対象者」への変容です。1960年代は、「パラリンピックの選手」として称揚され、その後、連帯した患者たちは地域生活を実現させるために「脱患者化」して医療と距離を置きますが、再生医療研究の台頭により、医療側は脊髄損傷者を「患者」として再び見出し「被験者化」しました。新たな価値を付与された脊髄損傷者は、「治癒への希望」によって駆動するものとされ、医療に参画して国家プロジェクトを支える「患者」として振る舞うことが期待されています。今日、戦後の脊髄損傷者運動団体から派生した新たな患者団体は、再生医療研究に対して単なる旗振り役ではない自律した患者になっています。契機となったのが、ヒト幹細胞にかんする指針作成に向けた厚労省の議論でした。中絶胎児組織の「利用」が争点となり、患者は倫理的問題に直面するなかで安全性を重視した被験者保護を回路に患者の知を確立していったのです。

写真2:左:坂井めぐみ「トリアージ・捕虜・廢兵」『福音と世界』pp. 18-23.(新教出版社、2020年10月号) 右:坂井めぐみ「ひとを線引きする:パラリンピックの歴史的変遷から」『現代のバベルの塔 反オリンピック・反万博』pp. 153-167.(新教出版社、2020年6月)

現在私は、中絶胎児の「保存」や中絶技術の歴史についての研究に取り組んでいます。まだ端緒についたばかりですが、女性の身体が医学知に与えた影響や、医療技術の「進展」が何を覆い隠してきたのかを明らかにしたいと思っています。また本年度(2020年度)は、本書で取り上げた事柄を別の角度から再検討した論考を執筆しました。たとえば、戦傷病者の処遇について、権力関係が発現する患者の身体という観点から、コロナ禍のトリアージについての考察を試みました。パラリンピックについては、グットマンの能力主義や1960年代日本の障害者へのまなざしから批判的に捉え、そこには「ひとを線引きする思想」が埋め込まれていることを示しました[写真2]。歴史研究に「当事者性」は直接的には関係しないと思いますが、私自身が患者であること、女性であることは私の研究やものの見方に影響を与えています。今後も、医療と生のありようをこれまで見過ごされていた視点から捉え直していきたいと考えています。

坂井めぐみ(立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員)

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