結核菌を飼い馴らす――近代日本における結核の「発病予防」

掲載日: 2020年12月01日

私は、近代日本における結核の病因をめぐる言説とその変容を研究しています。多様な領域で発見・創出された結核「病因論」の歴史をたどることは、現代に生きる私たちが自らの生存を脅かす危機をどのように解釈し、共有してきているのかを考える一助となります。

結核は近代日本で最も多くの死亡者を出した伝染病として知られています。結核の直接の原因は結核菌の感染です。しかし、病原菌に感染しても発病する者はごく一部であり、感染者の多くは菌を休眠状態で体内に残したまま一生を送るといわれています。このような結核発病の理解は、ツベルクリン反応が実用化された20世紀初頭に成立しました。同時期に西欧の医学界では、ツベルクリン反応検査の成績を根拠に「文明国」の人口の大部分が結核にすでに感染していると考えられるようになりました。

日本でも、結核に多くの人がすでに感染しているという見方が受け入れられ、感染予防とはべつに、体内の結核菌をコントロールする結核の「発病予防」が模索されました。戦前期には、一般向けの結核に関する書籍の普及とともに、結核の発病予防に関する知識を大衆も共有するようになります。すなわち、体内に侵入した病原菌を駆逐せずむしろ病気に対する「免疫」として利用する、結核菌の「飼い馴らし」が必要であることが広く知れ渡ることとなったのです。

発病予防の要点は、結核菌をコントロール可能な「物」として認識することにあります。では、いかにして体内の結核菌を管理できると考えられたのでしょうか。医師や医学者が大衆にむけて発信した発病予防とは、心身の「過労」を防ぐことで、病原菌の感染によって得た「免疫」を維持することでした。心身の過労を引き起こすものとして、過度の労働や勉強、大酒、房事過多、過敏な精神による煩悶憂鬱などがとりあげられました。個々人の行動や思考の「過剰」さが心身の過労につながり、結核菌の飼い馴らしの失敗、すなわち発病に帰結するものとして論じられていたといえます。

このようにして、自らの心身に綿密な配慮を払い、自身の行動や思考を律することによって体内の結核菌を飼い馴らすことが、結核の感染はもはや免れないとされた近代社会を生き抜くための条件として唱えられていきました。その意味では、結核の発病予防は「近代人」の/になるための実践としても位置づけられるでしょう。発病予防の考えは、結核感染から1-2年の内に高い確率で発病とするという初感染発病説が支配的になった戦時期においても重視され続けました。

注目すべき点は、このような結核の発病予防をめぐる議論が、結核菌をある種の爆弾とみなすことによって成り立っていたことです。たとえば、医師・医学者で結核啓蒙者としても著名な原栄(1879-1942)は、こう述べています。

吾人人類は実に此世に生れ落つると共に、結核菌なる大敵の前に曝露せられ、結局一度は此物の体内侵入を受け、一生涯の久しき間、何時体内より潜伏結核菌が爆発し来るか、外囲の新なる結核菌の強襲を蒙るかの、危険の中に立ちつゝあり。通観すれば実に人の一生は初めより終迄、結核菌なる強敵を前にせる戦線に立てると異る事無し*1

近代日本における結核の「発病予防」とは、発病しないための具体的な方策以上に、想像力を駆使してあたかも自身の体内に爆弾が埋め込まれているかのように――自らが「人間爆弾」であるかのように――振る舞い、自身をコントロールしようとする態度そのものだったともいえるでしょう。ならば、近代日本の結核を通じて描かれるべきは、人間そのもののコントロールをめぐる歴史かもしれません。

現在、私は結核の発病と個々人の「体質」や精神衛生とを関連づける議論に焦点を当て、研究をすすめています。そのさなか、新型コロナウイルス感染症の世界的流行が起こりました。コロナ禍によって、病原体VS人間という単純な図式を超えた疫病理解が改めて模索されています。いまあらためて過去に立ち返り、疫病をとりまく意味の複雑さを人文学の見地から描き直すことは、意義のある試みであると私は考えています。

塩野麻子
(立命館大学先端総合学術研究科院生/日本学術振興会特別研究員)

*1原栄『肺病予防療養教則大改訂第17版』吐鳳堂、1921年、19頁。

原栄『肺病予防療養教則』写真
写真1:原栄『肺病予防療養教則』(写真は1927年刊行の第40版)。同書は、初版の刊行された1912年から1947年までの35年間で計61版を重ねるロングセラーとなった。

『通俗医学』第9巻第5号
写真2:1920年代から続々と登場した健康・家庭医学雑誌は、一般大衆への医学・衛生知識の浸透を一層加速させた。写真は、『通俗医学』第9巻第5号(1931年)。

arsvi.com 「生存学」創生拠点

書庫利用案内

「生存学」創生拠点パンフレットダウンロードページへ

「生存学奨励賞」

立命館大学大学院先端総合学術研究科

立命館大学人間科学研究所

立命館大学

ボーフム障害学センター(BODYS)

フェイスブック:立命館大学生存学研究所

生存学研究所のTwitterを読む