花嫁は贈り物か商品か――東スンバの婚姻儀礼と婚資交換から
インドネシア東部には、大小さまざまな島々が点在する。バリ島で飛行機を乗り継ぎ、さらに東へ向かうこと1時間、スンバ島が見えてくる。島に近づくにつれ機窓からは赤茶けた大地が広がって見える。ただし、これは乾季の景観であり、雨季になると一転して島は緑に覆われ、その印象は大きく変わる。この島が筆者の調査地である。
筆者はこれまで、スンバ島東部地域における慣習儀礼や、同地域の社会階層における貴族と奴隷の関係について調査を進めてきた。東スンバの慣習儀礼のなかでも、とりわけ重要なのが婚姻儀礼である。婚姻儀礼(lii luri)はたんなる個人の出来事にとどまらない。両親のみならず広範な親族の関心を集め、盛大に執り行われる社会的な行事である。ゆえに東スンバの婚姻儀礼は一日や二日で完結するものではなく、複雑で長期にわたる過程をともなう。この期間をつうじて、花嫁側と花婿側の親族のあいだでは、さまざまな交渉が繰り返される。交渉がとりわけ白熱するのは、花婿親族が花嫁親族に支払う婚資額が話題にのぼる局面である。
belis(ベリス)と呼ばれるこの地域の婚資は、馬や水牛、さらに装飾品などが含まれる。花婿親族はこれらの財を花嫁親族に支払い、それに対して花嫁親族からは民族織物などの返礼がなされる。婚資額の多くは、花嫁の母親にかつて支払われた婚資額を基準に定められる。平民階層の場合、20頭ほどの馬や水牛が求められることが多い。ただし、ときに花嫁親族が法外な額を要求することもあり、その際には花婿親族が値引き交渉を試みることになる。この婚資交渉はまさに花嫁の「価格」をめぐるやり取りである。実際、花婿親族は婚資を支払いに赴くことを「婚資を支払いにいく」と表現する。男たちもまた、女性について「価格が高い」と語ることからも明らかなように、婚資は花婿親族にとって大きな経済的負担となる。しかし、だからこそ筆者はある疑問を抱いてしまう。花嫁と婚資の交換は、わたしたちがスーパーやコンビニでタバコや肉を購入する行為と同じものなのだろうか。すなわち、商品の売買と先の婚資交換とを同じ視点で捉えてよいのだろうか。
人類学者はこの問いについて考えを重ねてきた。筆者と同じくスンバ島で調査をしてきた人類学者のホスキンスは、婚姻儀礼において要求される婚資は、あくまで両親族の社会的な地位に見合った双方の名誉を守るためのものであり、人間の売買を目的にしたものではないという1。『負債論』を著した人類学者デヴィッド・グレーバーもおなじく、花嫁と婚資の交換を売買とは解釈しない2。彼によれば、この交換が実際に意味するのは、婚資の支払いによっても清算しえないほど花嫁がかけがえのない存在であることを承認する行為にほかならない。グレーバーは同書で「人間経済」という概念を提示した。それは人間関係の形成・維持、あるいは再組織化することに関心を置く経済である。そう考えると、東スンバの婚資と花嫁のやり取りもまた、たんなる商品の売買ではなく、人間経済の営みの一部として捉えることはできないだろうか。つまり花嫁は売られるのではなく、新たな人間関係の創造への期待を込めて譲渡される贈り物だといえるのかもしれない。
ところでグレーバーは、人間経済とは真逆の原理をもつ経済システムを「商業経済」と呼ぶ。商業経済とは、あらゆるものが数値化され、貨幣と代替可能なものとして扱われる暴力的なシステムである。もちろん、人間ですらこの数値化の暴力から逃れることはできない。わたしたちは日々、自身の労働力を商品として市場に売り、その成果や生産性、業績といった指標によって評価され、序列づけられている。このとき、個々人の社会的な文脈はしばしば顧みられることなく切り捨てられてしまう。商業経済は人間関係ですら貨幣や数値に換算して把握することを可能にする。おそらく、わたしたちが花嫁と婚資の交換を商品の売買のように捉えてしまう背景には、この商業経済の論理がわたしたちの思考の深くにまで根づいていることと無関係ではないだろう。
現代社会は商業経済の論理が全面化した世界であるかのようにみえる。あらゆるものが数値化され、個々人のかけがえのなさは考慮されない。だからこそ筆者は、この非人格的な数値化の暴力に対抗する視点として、人間経済の可能性に希望を抱かずにはいられない。他者のかけがえのなさを認め、そして他者との関係の創造をめざす人間経済のあり方は、わたしたちの経済の徹底された合理主義を見つめ直す重要な手がかりをもたらしてくれるだろう。
1 Hoskins, J 2004. Slaves, Brides and Other ‘Gifts’: Resistance, Marriage and Rank in Eastern Indonesia. Slavery & Abolition 25(2):90-107
2 グレーバー, D. 2016『負債論――貨幣と暴力の5000年』酒井隆史ほか訳 以文社.
酒向 渓一郎(立命館大学大学院先端総合学術研究科院生)













