地域でふつうに暮らすためは誰の手に――『こんな夜更けにバナナかよ』から台湾の介助制度を見つめる

掲載日: 2025年10月01日

『こんな夜更けにバナナかよ――愛しき実話』という映画は、2018年12月末に日本で公開された。これは、渡辺一史氏によるノンフィクション書籍『こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(2003年初版(北海道新聞社)発行)を原作とする作品である。物語の主人公は、北海道札幌市でボランティアに支えられながら地域で暮らしていた進行性筋ジストロフィー患者の鹿野靖明氏(1959年生まれ、2002年逝去)だ。

写真1:2024年6月、台湾国家図書館を訪れ、所蔵資料の調査を行った。館内には電子資料庫(アーカイブ)閲覧用の専用スペースが設けられている。新聞記事アーカイブは、国家図書館内の専用パソコンからのみ閲覧可能。利用には受付での登録が必要となる。

 映画には観客の「感動」を引き出す演出が含まれているが、日常的に介助を必要とする、いわゆる「障害者」の生活は、必ずしも感動の対象として描かれるべきものではない。そもそも、人は他者を感動させるために生きているわけではない。しかし、映画や原作が投げかけているのは、まさにその「感動」の背後にある社会の仕組みだ。

なぜ鹿野さんは、地域で「ふつうに暮らす」ために、ボランティアに介助を頼ることになったのだろうか。

当時の日本では、公的な介助制度が未整備で、施設にも入らず、家族にも頼れず/頼らずに地域で暮らそうとすれば、ボランティアの介助がほぼ唯一の選択肢だった。これは日本に限らず、他国でも共通の課題である。

写真2:2006年5月の関連記事の一部(「民生報」(2006.05.28))。当時は「介助人」という用語が使われていた。

 映画は2019年5月、台湾でも上映され、障害当事者や関係者のあいだで大きな反響を呼んだ。一方で台湾社会では、今なお「障害者=かわいそうな存在」と捉える慈善的なまなざしが根強く残っている。これは儒教的な家族中心の価値観の影響も大きく、障害者の9割以上が家族と同居しており、家族が介護を担うのが「当たり前」とされている。

台湾では1980年に「残障福利法」が制定され、障害者福祉が法制化された。しかし当時はまだ戒厳令下であり、たとえ権利侵害があっても注目されることは少なかった。制度はあっても、実効性には欠けていた。1987年の戒厳令解除以降、障害当事者や関係団体が街頭に立ち、法改正を求めて声を上げた。これが台湾における障害者運動の起点となった。それ以降、障害者団体や親の会などが次々に結成され、台湾でも少しずつ制度整備が進められてきた。障害者の人的支援の制度化は、1990年代後半からは外国籍介護労働者の受け入れが始まり、2000年代には高齢者向けの居宅介護サービスが導入されたが、障害者のニーズとは必ずしも合致しなかった。

2007年、ダスキンの支援によるアジア障害者リーダー研修事業に参加した台湾の若者たちは研修の中で、日本の介助者支援を受けることを体験し、帰国後に自立生活運動を展開した。これを契機に、「介助者」という新たな人的支援の導入が進められ、2011年には台湾で「個人助理(パーソナル・アシスタンス)」制度が法制化された。

しかし現在、「個人助理」制度は既存の居宅介護サービスの補完的な役割にとどまっており、障害当事者が十分な支援を得られない事例が続出している。そのため、制度と現実のギャップをめぐって、行政に対する訴訟も起きている。

本来、「地域でふつうに暮らす」ために生まれたはずの制度が、なぜこのように形骸化してしまったのか。その背景を探るため、私は現在、台湾の障害者団体の資料、新聞記事、政府文書などをもとに文献分析を進めている。

鹿野さんの生き方は、制度の狭間に生きる中で浮かび上がった一つの問いを突きつける。それは、「誰の手によって、どのように、誰の暮らしが支えられるべきか?」という問いである。制度が変わり続けるなかで、この問いの重みは、むしろ増しているように思う。

高雅郁(立命館大学大学院先端総合学術研究科)

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