『開かれる自閉』――異なったまま在る社会を構想する
私は、自閉スペクトラム障害(以下ASD)と呼ばれる人たちと社会の関係を研究しています。ASDは「社会性の障害」と「強いこだわり」の2つの特徴をもつとされる発達障害の一種で、知的-言語障害がある人もない人も含まれる、広範な診断カテゴリーです。私自身も成人してからASDと診断されました。
1990年代以降、ASDの人たちがオンラインで交流するようになり、「神経多様性」が提唱されました。神経多様性とは、先天的な障害と見なされてきた特徴を、生まれつきの脳機能の違いとして尊重するべきだという思想です。
以前の「研究の現場」で、私はASDをめぐる社会的な変遷の「大きな見取り図を作る」と書きました。少し時間がかかりましたが、2025年3月に晃洋書房から『開かれる自閉――医者・心理学者・当事者のポリフォニー』として刊行しました。
本書のテーマは2つあります。
まず、自閉症がどのようにスペクトラム化し、神経多様性が表れたのかという思想的経緯を明らかにすること。人が出会い、関わり、トラブルが起ったときに「社会性の障害」が生じます。そのため、自閉的な特徴がどのように「問題」(障害といってもいい)と見られるようになったのかを辿ることは重要です。専門家の語りに注目することで、古典的な小児自閉症がASDという診断へ拡張され、やがてカウンターカルチャーとして神経多様性が登場した背景と影響をより明確に理解できるようになります。
加えて、当事者同士の異なる体験・語りを考察すること。ASDの人たちも決して一枚岩ではなく、求めるケアや望ましい社会参加の在り方も大きく異なります。特に本書では、ASDの歴史に大きな影響を与えた、テンプル・グランディンとジム・シンクレアを例として取り上げました。2人の主張は一見まったく対立して見えるので、片方を「誤り」とする先行研究もあります。しかし、分析の結果、2人の「違い」はASDのどの面に着目し、どのような戦略を選んだかによるものだとわかりました。
近年、定型発達(非発達障害の意)という言葉が知られるようになるにつれて、発達障害者と定型発達者を二項対立的に理解する傾向が生じているように思います。
スペクトラムは、ラテン語で「像」を意味するspectrumに由来し、物理学分野で用いられる「プリズムにより分解された光の色帯」(つまり虹)の意味になりました。切れ目なく多様であるASDを象徴する言葉です。
神経多様性を学術的にまとめたジュディ・シンガーは、スペクトラム性を重視し、二つの極(たとえば自閉と定型)の間で揺れ動く自己を認識し続ける大切さを強調しました。そして私は、シンガーの著作物を通読し、神経多様性の特徴を、自分を擁護する気持ちと自分を批判する意思の両方をもつこと、あえて曖昧な状態に留まることとまとめました。
ASDを含む発達障害の人の困難は、「診断されたから解決」とはならず、同じ診断をされていても状態や経験が大きく異なることだと思います。他の病気や障害にもいわれることですが、発達障害は特に「多様さ」や「違い」が強調されます。だから、ぴったり自分と似ている人が見つからず、かえって孤独を感じるかもしれません。しかし、「違い」に注目するのではなく、ぼんやりと全体を見て「仲間」だと感じられる余白を生み出すのが、スペクトラムや神経多様性の力強さだと考えます。
無理をいって、本書の表紙はオーロラ色の箔押しにしていただきました。オーロラ色といいつつも、部分を見れば、青だったり、ピンクだったり、エメラルドグリーンです。オーロラ色のどの部分をどう見ているのか、同じ部分を同じように見ているかはわかりません。でも「きれいだね」「かわいいね」と言葉を交わす瞬間があるのなら、それはとても素敵なこと――これが、私の考える自閉スペクトラムのイメージです。
それぞれの人が、その人のまま社会にいる。そんな世界を目指して、これからも研究を続けていきます。
髙木美歩(立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員)