第8回「東・東南アジアにおける障害者運動の動向―中国、台湾、香港、そして知的障害者」

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東・東南アジアにおける障害者運動の動向―中国、台湾、香港、そして知的障害者

第8回「東・東南アジアにおける障害者運動の動向―中国、台湾、香港、そして知的障害者」

長瀬 修


長瀬です。よろしくお願いします。今回の位置づけは、後でご紹介申し上げる9月22、23日の障害学国際セミナーの予告という性格もあり、東アジアにおける障害者運動の動向、具体的には中国、台湾、香港そしてとくに市民社会のスペースがどういうふうに動いているのか、あと、東南アジアにつきましては、私自身が特に関係のある知的障害者に焦点を当てていきたいと思います。概要といたしましては、障害学国際セミナー2016、それから市民社会と障害、障害者そして中国、香港、台湾の動き、最後に東南アジアと知的障害者の本人活動、セルフアドボカシーというところについて触れていきたいと思います。

障害学国際セミナー
私どもの生存学研究センターが主催をしております障害学国際セミナーという企画がございます。今年は第7回目で、9月22日の木曜日の祝日と23日に大阪いばらきキャンパスというところで、テーマとしては法的能力、障害者権利条約の第12条と成年後見制度について取り上げます。従来の韓国、日本、中国に加えて、今回初めて台湾からも参加をいただきます。言語は、日本語、韓国語、中国語(北京語)です。手話通訳と文字通訳もありますので、是非今日いらっしゃってくださった皆様には積極的に参加していただきたいと思います。来週中ぐらいには周知を始めたいと思っております。
この障害学国際セミナーの歩みですけれども、2010年に当初日韓の障害学の交流というかたちで開始させていただきました。ソウルと京都で隔年開催、それぞれ日韓で開催するという歩みを続けてきております。これまでは「障害アイデンティティと差異の政治」や、災害、または差別禁止法などといったテーマで開催をして2013年まで日韓で開催いたしました。そして2014年のソウルの時から中国の参加を得ました。
それは、2013年の10月に京都におきまして、生存学研究センターの主催で中国と障害者に関する研究会(「中国と障害者に関する研究会―中国の市民社会における障害者の権利条約への取り組みに焦点をあてて」2013年10月31日)を開催したのがきっかけでした。この時に、中国の障害者団体・市民社会団体の方たちと日中の障害分野でなにか一緒にできないかというお話をしましたところ、その前年である2012年の尖閣の問題以来、日中の政治的環境がなかなか難しいということもあって、まだちょっと日中の枠組みでは難しいだろうと伺いましたので、でしたらそれまで実績があります日韓の障害学国際セミナーに加わっていただいてはどうかということになったわけです。
それで2014年のソウルの「障害と治療」をテーマとする障害学国際セミナーの時に、中国から、オブザーバーといいますか、ゲストというかたちで初めての参加をいただきました。そこで、なかなかおもしろそうだとおっしゃっていただきまして、昨年は11月末に北京で中国がホストというかたちで開催をすることができました。「社会サービス」と「障害者の権益保護」というテーマで開催をいたしました。
9月の茨木におきましては、障害者権利条約の中でも非常に大きな焦点となっております法的能力と成年後見制度のところについて取り上げるということで合意をしております。この法的能力の問題につきましては、今日の後半(第9回)のところで詳しく取り上げられますけれども、2014年に障害者権利委員会が一般的意見という特定の条文の解釈に関する文書を出しております。しかし、日本では条約の12条やそうした一般的意見等にはそぐわないかたちで、つい最近も成年後見制度の利用促進法というような動きを示しているという、逆行する動きもあるという中で、障害者権利条約の12条をどうやって実現していくのかというのが、今回の障害学国際セミナーの大きなテーマになります。

中国
最初に中国の動きについて見ていきたいと思いますけれども、中国につきましては、歴史的な展開によって、中国の現代史と障害の分野が非常に密接に関連するかたちで動いています。それは、鄧小平、改革・開放政策の現在の中国の経済発展をもたらした大きな立役者である鄧小平の息子の鄧樸方(Deng Pufang)という方が中国の障害の分野で非常に大きな影響力をもってきているということがあります。
簡単に振り返りますと、1949年に中華人民共和国が建国され、そして66年に文化大革命が始まりました。そのことによって鄧小平は走資派というかたちで紅衛兵(青年学生運動)から批判を受けます。迫害といってもいいかもしれません。そして鄧小平の息子である鄧樸方が1968年に北京大学にいて、これは3階という説と4階という説が両方あるようですけれども、そこから突き落とされ脊髄損傷をおって障害者として車椅子生活を送るようになります。これはまさに中国の現代史の大きな一コマになるわけですけれども、そこから、ご承知のように、鄧小平が復活をとげる。そして障害者としての生活を送るようになった鄧樸方が、中国の社会保障政策の中での障害者政策を担う組織としての中国障害者連合会を発足させます 
この組織は、中国の組織の中で突出した存在であって、障害のところにだけ焦点を当てた行政の機関であると同時に、市民社会組織、NGOでもある、そういう性格を持った組織です。鄧小平の息子である鄧樸方の存在抜きには、この組織はあり得なかっただろうと言われています。もちろん鄧小平が亡くなった時点で、鄧樸方の影響力がどうなるか、そして連合会がどういう歩みをするのかというのも注目されていました。鄧小平が亡くなってからも、この組織の存在は確固たる位置づけをされ、中国、そして国際的にも存在感ある組織になっています。
さて89年に鄧小平も指導力を発揮するかたちで天安門事件が起きてしまいます。ただその後、90年代は中国の市民社会が開かれる方向に動いていきます。その1つの大きなきっかけとしてよく言及されるのが、95年の世界女性会議が北京で開催されました。そういったインパクトもあって、市民社会のスペースが広がる方向で、90年代は動いていきます。
そしてこの辺は、駒澤大学の李妍焱先生の『中国の市民社会』(岩波書店、2012年)という本(これは非常に参考になって、私も雑誌でブックガイドを書かせていただきましたが、一番ショックに感じたのは、ここに引用した「多くの中国人が、真剣に、客観的に日本を学ぶようになることは現状では期待できない、日中間の国民感情の改善には日本側が主導して努力していくしかない」という記述です。)で私も非常に勉強させていただいたんですが、90年代の後半には第一次の草の根のNGO非政府組織、市民社会の動きが出ている。その中で、障害の分野でも、とくにサービスの分野ですけれども、いろいろなサービスを提供する、そういった草の根のNGOが誕生していきます。
第一世代の特徴としては、カリスマのあるリーダーたちが傑出した個人として活躍をする。そして、後で申し上げる最近の動向等も密接に関連する点としましては、こうして広がる90年代からの市民社会の動きに対して、欧米や香港の財団やNPOが非常に積極的に協力をしていく。具体的には、資金提供だったり、留学等を含めた能力強化(キャパシティ・ビルディング)のようなかたちで、とくに欧米のいろいろな財団、また一部香港がこうした中国の動きを支援していく、そういう動きがありました。
そして、経済発展が順調に伸びていくわけですけれども、同時に様々な社会問題が深刻化していく。とくに2002年以降は第二世代の草の根のNGOが生まれていく。そこでは第一世代のカリスマリーダーたちの後を受けて、必ずしもリーダーたちはカリスマでないポスト・カリスマ時代にうつって、個別の分野の専門性のあるNGOが活躍していくということが続いていきました。CNUSP(Chinese Network of Users and Survivors of Psychiatry)という精神障害の方たちの市民社会組織、障害者組織がストリートでパフォーマンスをして精神衛生法、精神保健法に関する動きをすることもありました。こういったことが可能であったというのも、やはり90年代以降の市民社会の活動の場面が徐々に拡大していった、そういう時代の動きだったというふうに思われます。
そして、2006年にワン・プラス・ワン(One Plus One)という中国を代表する障害者団体、障害者組織が誕生をしております。この組織が、後で申し上げますように、例えば中国の障害者の障害者権利条約の審査の際には障害者団体として、いわゆるシャドーレポート、パラレルレポートという、市民社会からの情報提供を障害者団体として唯一行うというようなこともありました。
こうした動きに重要な役割を果たしてきたのは、香港です。中国のいわゆる本土の部分ではなかなかやはりそういった市民社会のスペースの拡大があっても、いろいろな議論がなかなかしづらいということで、例えば2012年に香港大学が主催するかたちで障害者の権利ワークショップというのを開催いたします。これは同年の後半に予定されていた障害者権利条約の審査に向けて、中国の市民社会の組織、そして障害者組織にどうやって市民社会としての情報提供、すなわちシャドーレポート、パラレルレポートをつくるのか、そういったことを伝授するためのワークショップを開いたのでした。国際的な障害者団体のネットワークである国際障害同盟(International Disability Alliance)というところも一緒に、主催に加わるかたちでこのワークショップは行われています。
同年の後半に、障害者権利委員会の中国の審査が行われました。中国政府は障害者権利条約の成立自体に積極的に取り組んできました。そしてこの批准も非常に早い段階で行っていますし、報告も多分今まで2年間の締切をきちんと守って出した政府は、障害者権利条約については中国だけじゃないかと思われます。他の国は、日本を含めてですけれども、あまり2年というのにはとらわれず、真面目なところでもだいたい3年くらいかかっています。締約国の中にはひどいところも多くて、4割ぐらいの政府は5年過ぎても、下手したら10年過ぎても出さない。そういう政府が多いんですけれども、中国政府は非常に真剣に受け止めて、きちんと報告書を締切内に出すということを行いました。それを受けて、2012年という非常に早い段階に中国の審査は行われております。ただそうしたそれまでの市民社会のスペースの拡大がちょっと変わってくるのは、現在の中国の習近平政権が発足してからです。そしてつい最近、外国非政府組織国内活動管理法という法律が成立をしております。
次に、中国のワン・プラス・ワンという障害者組織をちょっとご紹介したいと思います。ワン・プラス・ワンという、中国で唯一とまでは言えないんですが、一番活躍をしている障害者組織、そこがシャドーレポートという政府報告を補完するような市民社会側からのレポートを提出した理由の一番として指摘をしていたのは、「限界を超える」、もしくは「限界を知る」ということです。どこまでだったら書いて大丈夫だったか、それを探ることが一番の目的だったと述べていました。それから、他には中国の障害者組織として国際的な問題に取り組むことや、心理的な壁を乗り越えて集団として意思決定に参画することのほか、政府からの圧力を少なくするためにどの時期に公表するのかというのタイミングの検討も行ったと伺いました。2014年にこのセミナー(生存をめぐる制度・政策 連続セミナー「障害/社会」第5回「中国における障害者権利条約をめぐる取組み」)で報告をしてくださったワン・プラス・ワンの蔡聰(Cai Cong)が、中国の障害者組織の活動の方向性として、アドボカシーという権利主張に加えて、事業や社会的企業としても活動していく、そういった方向性が必要だということをおっしゃっていました。ワン・プラス・ワンというような組織があまりに目立つ注目されるというようなことは、政治的にちょっとリスクがあるかもしれないということで、ワン・プラス・ワンから社会的企業や事業体にも分かれていくというようなかたちで、ある意味分散する方向性をとっているということも最近は伺っています。
中国の条約に関するところを振り返ってみますと、障害者権利条約の署名が開放された、初めて署名ができるようになったその日に、中国、そして中国の一部である香港とマカオも署名をしています。そして翌年の2008年の8月という非常に早い段階で批准も行いました。そして、政府報告をきちんと出した。2012年の2月に国際障害同盟という、例えばDPI(Disabled Peoples' International)ですとか、世界ろう連盟、私が理事を務めておりますインクルージョンインターナショナル(Inclusion International)、知的障害者、本人、家族そして支援者の国際的な組織ですけれども、そういったところが加わっている国際障害同盟には、例えばジュネーブに常駐のスタッフが3、4名おります。彼らは弁護士で、条約についてもプロです。そういう方たちと香港大学が一緒にワークショップを開いて、そこに参加をしたワン・プラス・ワン、そしてイネーブル障害学研究所が、どうやってシャドーレポートを作ればいいのかということを学んで、北京に戻って同年秋の審査に向けてシャドーレポートを作った。そういう経緯があります。
この市民社会からの情報提供を生かすかたちで、事前質問事項(リスト・オブ・イシューズ)というのが作られました。それを担ったのが、18名で構成する障害者権利委員会であり、委員の1人がその国の担当者、審査の担当者になります。中国の担当をされたのは、韓国のキム・ヒョンシク教授です。当初は中国の場合には中国本土と香港とマカオということで分量が通常の3倍ぐらいあるので、ドイツのテレジア・デゲナー(Theresia Degener)、今副委員長をしておりますけれども、彼女も一緒にというかたちで協力をしていましたが、最終的に国別報告者は1人ということで、韓国のキム教授が中国の国別報告の担当者になりました。そして2012年9月の第7回の会期で審査が行われました。日本は先週ぐらいに政府報告が出されて、多分2020年ぐらいに審査を受けることになると思います。この9月の第7会期で、国際障害同盟はランチタイム・ブリーフィングというのを開きました。これはどういうものかと申しますと、審査の直前、たいてい午後から審査が始まりますので、例えば中国に関してのいろいろな市民社会からの情報提供を、昼休みに委員の皆さんにクローズドなミーティングというかたちで行います。クローズドで行うのはなぜかと言いますと、そこに中国の政府、中国だけじゃないんですけど、例えば日本についてそれをやる場合には、日本の政府関係者はそこには入れないという意味で、クローズドにしているわけです。
この場合は、中国に関する審査でしたから、中国政府の関係者が入ってこないというかたちで開催を行いました。私はだいたいこのジュネーブの審査には毎回足を運んでいますので、この中国の審査の時には私が司会をするという依頼を、たしか6月ぐらいの段階で依頼があったので、気軽に引き受けました。後でよく考えたら、その直後ぐらいに尖閣の問題等があった時期でした。9月の国際障害同盟の中国のランチタイム・ブリーフィングの司会を私がやるという話を障害者権利委員会の委員長にお話しましたら、彼は半分冗談だと思いますけれども、ボディガードを連れて来た方がいいよというお話がありました。それがあながち冗談でもないというふうに感じられたのは、審査は国連の高等弁務官事務所で開催されますけれども、この中国の審査の時だけ、会議室にガードマンといいますか、セキュリティのオフィサー(ガードマン)が入ったからです。これは中国政府の要請によるものでした。審議を妨害する勢力が現れるかもしれないからということで、このセキュリティオフィサーが会議場に導入されたのは多分この時だけだったというふうに思います。審査自体は非常に紳士的に行われました。そして、審査を受けた後で総括所見という勧告が出されますけれども、中国への総括所見の中にはワン・プラス・ワンやイネーブル障害学研究所が出した意見が非常に多く反映をされています。
皆さんに中国への総括所見(参考資料参照)はお配りをしてありますけれども、その中で中国の障害者組織をしっかりと認めなさいということが障害者権利委員会から中国政府への勧告に含まれています。条約の一般原則(第4条)に「ナッシング・アバウト・アス・ウィズアウト・アス」(Nothing About Us Without Us)という障害者自身の参加を求める言葉が条約の言葉になって、障害者に関する政策決定に関しては障害者組織の意見をちゃんと聞いてくださいという内容が盛り込まれています。そこに関するところで、第9段落の懸念事項では、委員会は中国障害者連合会以外の障害者組織が障害者の権利条約の実施に含まれていないことを懸念するということが示されています。また、33条の国内的な実施及び監視に関するところでも、委員会は、中国障害者連合会が依然として参加国での中国の唯一の公式代表であることを考慮し、市民社会の参加に懸念を示すとされ、具体的な勧告である第20条におきまして、中国障害者連合会以外の非政府組織が締約国において障害者の利益を代表することという勧告が出されました。これはまさにワン・プラス・ワンやイネーブル障害学研究所が出したシャドーレポートが求めた、「私たちの声を聞いてください」ということがこの総括所見の中に反映されたと申し上げられる点です。
こうした総括所見を受けて以後、中国政府としてどういうふうにこの総括所見への対応がなされているのかというところにちょっとふれたいと思います。イネーブル障害学研究所の張巍(Zhang Wei)による本連続セミナー「障害/社会」第5回「中国における障害者権利条約をめぐる取組み」(2014年)での報告のタイトルは、「竜頭蛇尾、決して戻れない道」というタイトルでした。最後の考察に関する部分で、障害者権利条約がこの中国の障害分野においてもたらしたインパクトというのは、当初非常に大きかった、そして中国の障害者組織、市民社会分野にとってこの障害者権利条約の持つ可能性というのは非常に大きいものに思われた、と述べています。
これはちょっと話がそれるかもしれませんが、私は1981年の国際障害者年の時に学生だったんですけれども、後でいろんな文献を読みますと、やっぱり81年の国際障害者年というのは、日本社会にとっては障害の分野というのが、政治的なそして社会的な課題であるということが、世界的なメッセージとして日本に届いた、大きな機会だったというふうに言われています。もしかしたら、中国の場合には、この障害者権利条約がそれと同じような国際的なインパクトをもった機会だったかもしれません。しかし、このまさに「竜頭蛇尾」という言葉が示しているように、そうした当初のインパクトが失われつつある。ただ、そして張巍の表現で言いますと、人権条約を受け入れることを学び、そしてそれなりの対処の仕方もわかってきた。ただ同時に張巍はこういうふうに分析しています。「戻れない道を歩んでいる」。中国は国連の人権システムに加わり、そのルールに従おうとしている。これは、中国が人権にノーと言えた時代には戻れないことを意味しているというふうに締めくくりで述べていました。
しかし、それと必ずしもそぐわない動きがつい最近も示されております。今年の4月28日に議会に当たる全人代にて外国非政府組織国内活動管理法という法律が成立をしております。これによって外国の非政府組織を対象に、資金源や中国国内における政治宗教的活動の禁止、そして管理監督官庁が公安当局、治安当局が監督をするということが決められました。施行は、来年の1月からになります。この法律の施行成立以前から、現政権下では市民社会のスペースが非常に狭まってきているという指摘が多くあります。中国の市民社会組織、障害者組織へこの法律が非常に大きなインパクトを持つということは、これまでとくに欧米のいろいろな財団から資金が中国の障害者組織を含む市民社会組織に流れてきているという背景があるからです。そこのところが封じられるということは、残念ながら国内的な基盤が非常に脆弱な中国の市民社会組織、そして草の根の障害者組織にとっての否定的な影響はとても大きいんじゃないかという心配があります。
2012年以降私が中国の障害者組織と積極的にやらなきゃいけないと思ったのは、2つ理由があります。1つは、同年6月だったと思いますけれども、人民大学で行われた社会保障に関する会議で、「ナッシング・アバウト・アス・ウィズアウト・アス」を本気で言っている中国の障害者に初めて会ったことです。もちろん中国障害者連合会の方ともこれまでももちろんいろんな協力をしてまいりました。中国障害者連合があるおかげで、中国の障害者分野が非常に進んで、取り組みが積極的になされてきたこと、それは間違いないのだと思います。しかし、中国障害者連合会だけが中国の障害者の声を表すということは、やはり無理だと思います。ですから、2012年、尖閣の問題が紛糾してしまったあの年の、まさに6月にそういう中国の障害者と出会ったということ、そして、その活動を知る機会、たしか同年と翌年は2年で10回ぐらいは中国に行ったと思いますけれども、彼らの活動ぶりを見つけて、やはり非常に厳しい環境だけれども、ものすごく積極的な取り組みをしている、そこで一緒に協力することはできないかということを感じました。その際に、欧米がいろんな面で協力をしているにもかかわらず、近い日本の障害分野における協力のパイプが、非常に細い。日本の障害者組織のカウンターパート、その中国側の相手がどうしても連合会になってしまうということがあるので、そこを変えなければならないということから、中国の草の根の障害者の組織との連携というのを、この障害学国際セミナーを含めて取り組んできたという経緯がございます。

香港
2つ目の香港にうつりたいと思います。香港は、中国、中華人民共和国の中での特別行政区という位置づけが、マカオと一緒にあります。歴史的に振り返りますと、アヘン戦争の結果として清国から大英帝国に割譲され、日本の占領もありました。アジアの中では先駆的な95年の障害者差別禁止条例というのが、イギリスから中国への返還直前の時期に行われております。現在も1国2制度、通貨やパスポート等も維持するというかたちで行われております。そして2012年、先ほどから繰り返し出てきます香港大学での中国の権利ワークショップも開始されています。私は2012年は行けなくて、13年と14年は行きましたけれども、13年に天安門事件を記念する慰霊塔が香港大学の中にあるのを見て、香港の独自性というのを非常に感じました。そして不思議なめぐりあわせで、2014年の香港大学のワークショップの最中に政治的な権利の直接的な参加制度を求める雨傘運動がまさに開かれていました。このことによって、香港がそれまでは、例えば中国の本土のみんなが香港に行って自由な議論ができる空間だったわけですけれども、この雨傘運動以降逆に香港が行きづらいところになってしまった面があるようです。
ちょっと中国の方に戻りますけれども、いろいろな空間が狭まってきているというのはとくに感じますし、香港についても、香港自体というよりは、中国の本土の人たちが香港に行っていろいろするというのも、とくに雨傘運動以降は難しい状態が発生しているということは申し上げなければならないと思います。
この2月に東京大学で、私が研究分担者で加わっている「社会的障害の経済理論」という科研費のプロジェクト(研究代表者:東京大学経済学部松井彰彦教授)と私の科研費「障害者権利条約の実施過程の研究」で「東アジアにおける障害者権利条約の実施と市民社会」という公開講座を開きました。そこに香港からはチョーズン・パワー(Chosen Power)という知的障害者の本人活動組織(ピープルファースト)が来てくださいました。非常にパワーがあるグループで、プレゼンも非常にいいものでした。私はその報告を聞いていて、本当に胸にぐさっときました。といいますのは、香港の独自性というのを考えたことがなかったなということを痛感したからです。中国の制度にばかり目を向けて、香港の独自性というのをきちんと考えていなかった。彼らのプレゼンの中で、多くの人たちは香港のことにはあんまり関心がなく、それと同じように知的障害者に関しても関心がなく、知らないと言っていました。このように、知的障害者と香港をパラレルに比べていました。香港のインパクトは他よりも少ない。だから、香港のところへの関心というのは非常に低い。それは知的障害者も同じだというそういうプレゼンをしていて、私も全く自分がまさにそういうふうに香港のことを位置づけていたなということを感じました。先ほど雨傘運動の話をしましたけれども、報告をしてくれた発達障害の男性は、「雨傘見聞録」というので分厚い本にしたかたちで、イラストで雨傘運動の時にどういうことが起こったのかという記録を残しています。香港のチョーズン・パワー、ピープル・ファーストは非常に積極的に活動しているグループで、多分アジアでは最強だと思います。
ジュネーブでの香港の審査の部分は、中国に関する部分とは対照的でした。中国に関する部分では、障害者組織から1人も顔を出すということがありませんでした。ですから、委員たちはランチタイム・ブリーフィングの時でも中国の障害者から実際にこうなんだという話を聞く機会はありませんでした。しかし香港の方は、非常にたくさんの障害者、そして市民社会の代表が参加をしましたし、その中にチョーズン・パワーの彼らも積極的に参加をしていました。こうした参加を可能にした資金面についていえば、一部は外部からの資金ですけれども、残りの部分、これだけたくさんの資金の8割ぐらいは自分たちで資金集めをして、たくさんの人がジュネーブに行くことができたという話をしていました。今日はちょっと取り上げませんけれども、同じ東アジアということでは、ジュネーブでのロビーイングについては、韓国はいつもながら非常に組織だって、そして戦略的に、効果的な取り組みをしていました。あと東アジアということであれば、モンゴルがあります。Tシャツを着てメッセージを出すということを権利委員会の審査で始めたのは、たしか韓国が最初だったと思いますが、モンゴルも同じようなかたちでTシャツを着ているんですが、モンゴルはさらにもう一歩進めて、一人一人メッセージを変えるというところまで進化させているというのが特徴かもしれません。

台湾
次に台湾にうつりたいと思います。台湾は、12年の中華民国の建国があり、そして日本の植民地になっていたわけですけれども、日本が敗戦、そして中華民国による台湾接収によって中華民国が台湾の政権になるということがありました。そして70年代の始めに国連で北京が認められるということで、それで台湾の国民党の政府は国連から脱退するということがありました。私はたしかその頃中学生だったんですけれども、そういうような議論を学校で行った覚えがあります。80年代の後半に戒厳令が解除されるというようなかたちで、市民社会のスペースが生まれてくる、民主化が進むということがありました。市民社会の自由が拡大するということと、障害者運動というのはやはり密接に関連があります。9月の障害学国際セミナーに参加してくださる国立台北大学の張恒豪准教授は、その辺について非常に詳しく、ハワイ大学の博士論文では台湾の戦後の民主化と障害の分野の関連というテーマで書かれていますので、関心のある方は是非9月の時に張恒豪さんに話を聞いてほしいというふうに思います。
台湾は、先ほどの香港の雨傘運動とはある意味対照的なかたちで2014年の3月、4月のひまわり学生運動によって、いわゆる両岸、大陸と台湾の関係をいっそう密接にしようという馬英九政権、国民党政権の方針にストップをかけるということが成功したわけです。たしかにこの両岸のサービスの一体化ということについては、13年ぐらいに本土側の障害者団体やサービス提供団体から、この協定が成立することによって中国本土のサービスが台湾の事業体によっても完全にとられるんじゃないかとか、そういう心配があるというようなことで、この両岸の関係緊密化に関する話を聞いたのを覚えています。しかし14年のひまわり学生運動によってストップがかかるということがありました。この年の8月に障害者権利条約施行法というのが成立をしています。台湾は71年に国連を脱退していますので、国連加盟国という立場はありませんから、条約の締約国になることはできません。しかし既に他の条約、自由権規約やあと女性差別撤廃条約等につきまして、独自に批准する施行法を成立させることによって批准しています。カッコ付きの批准ですけれども、批准する。そして独自に政府報告もつくる。ただし、それをどうやって、誰が審査するのかということになる。他の条約の場合にはその委員会の委員を含む人たちに委嘱して台北に来てもらって、通常ならジュネーブで行われる審査を台北で行うということを既に行っています。障害者の権利条約についても、早ければ今年の終わりぐらいに政府報告を政府としては出す方針があるというふうに伺っています。それにもとづいて委嘱された専門家たちが審査を行って総括所見と呼ばれる勧告も出すということが独自のプロセスとして行われる見込みだと伺っています。
障害者組織を紹介したいと思います。90年に設立された、障害者同盟というのがあります。また92年に台湾知的障害者親の会というのも設立をされている。これは先ほど申し上げたインクルージョンインターナショナル(国際育成会連盟)というのがありますけれども、そこに台湾の組織として準会員というかたちで加盟をしています。インクルージョンインターナショナルでは各国からの正規の参加団体は1つと決まっていますので、中国の場合には中国障害者連合会がインクルージョンインターナショナルの正規の会員になっています。それは主だった国際組織全てそうです。DPIもそうです。世界盲人連合もそうだし、世界ろう連盟もそうだし、リハビリテーション・インターナショナル(Rehabilitation International)もそうです。そういうところは全部中国の障害者連合会が会員になっているわけです。政府という面とNGOという側面両方があるためです。台湾の知的障害者親の会というのは、準会員というかたちで加盟が認められています。最近はこの台湾の知的障害者親の会、PAPID(Parents' Association for Persons with Intellectual Disability, Taiwan)という略称がありますけれども、PAPIDも知的障害者本人のセルフアドボカシーに力を注いでいる組織です。他にはアクセス・オブ・オール(Access of All)というバリアフリー、アクセシビリティを中心に取り組んでいるところがあります。また、自立生活センターもあります。自立生活協会という名前ですけれども、これは日本の自立生活センターとも非常に密接に協力をしています。そういった組織が台湾の中にはあります。障害者権利協会という障害種別を超えたような活動もあります。

東南アジアの知的障害者の本人活動(セルフアドボカシー)
残り時間が10分強ぐらいで、あとは質疑にうつりたいと思いますけれども、簡単に東南アジアの知的障害者本人活動に関する動きを紹介したいと思います。マレーシアのユナイテッド・ボイス(United Voice)というのが、アジアの知的障害者本人活動グループとしては、香港のチョーズン・パワーと双璧だと思います。
ユナイテッド・ボイスは、マレーシア全部の組織ではなくて、クアラルンプールを対象にした知的障害者本人活動グループで、自分たちのオフィスも構えて、いろいろな職員も自分たちで選ぶというような活動をしていますし、マスコミ等にもよく取り上げられます。いろいろな事業体や日本のJICA(国際協力機構)とも協力するかたちで、例えばジョブコーチや支援付き就労といったそういった分野でも取り組みをしている組織です。マレーシアは東南アジアの中では、例えばシンガポールが一番経済的に強いとすると、それに次ぐグループなんですけれども、東南アジアのもっと経済的に弱いところでは、こういう知的障害者の本人活動というのがなかなかありませんでした。しかしアジア太平洋障害者センター(APCD)という、バンコクに本拠を持つセンター、これは日本の政府開発援助、タイ政府と日本政府の協力によって設立されたセンターがテコ入れをするというかたちで2009年にタイで知的障害者の初めてのグループ、ダオルアン(タイ語で「マリーゴールド」)ができております。その発足にあたりましては、日本の知的障害者のリーダーも国際協力機構(JICA)の専門家として初めて知的障害者が海外に派遣されるというかたちで、タイの知的障害者本人たちと協力をして、活動し、初めてのグループを作るということが実現しています。私もそのプロジェクトにはちょっと協力させていただく機会がありましたけれども、2007年ぐらいに初めて会った時、本当におとなしくてこの人たちがリーダーになれるのかなと感じました。私自身はインクルージョンインターナショナルの理事を務めさせていただいていますけれども、自分自身が知的障害の人を見くびることが多いなというふうに反省させられます。彼女たちにも、正直すごいリーダーになるというふうには、最初に会った時、もう10年近く前ですけれども、思いませんでした。けれども、今は素晴らしい、本当にリーダーに育っています。そして今度は、タイのリーダーたちが支援しまた日本の方も支援するというかたちで、お隣の、ミャンマーの本人活動のグループが誕生しました。当初ミャンマー等に訪問した時は、まだアウン・サン・スー・チーという言葉すらなかなか口に出しづらい、まだそういう時代でしたけれども、最近訪問をすると、町にスー・チーの写真があふれるという変化を感じたりしています。2011年には、今度はカンボジアで本人活動のグループができました。あとベトナムやラオスでも本人活動のグループが生まれています。
中国にちょっと戻りますけれども、中国でも本人活動のグループが本当に地域単位の小規模なものだというふうに聞いていますけれども、生まれてきています。これまで国際障害同盟では、他の肢体不自由や、視覚障害や聴覚障害、または精神障害の方たちを対象に障害者権利条約に関するワークショップというのを行ってきていましたけれども、残念ながら知的障害者の参加というのは、ありませんでした。それが初めて実現したのが、昨年(2015年)秋のバンコクにおける東南アジアの障害者のリーダーたちを対象にしたワークショップでした。そこに参加をしていたのは、タイのすでにベテランとも呼べる知的障害のリーダー女性2人と、新たに参加したミャンマーの女性のリーダー2人でした。先ほども非常に見くびることが多いということを申し上げましたけれども、前回もまた同じ間違いをしてしまいました。とくに1人ミャンマーの女性の1人の方は、教育における機会を受ける機会がなかったということで、文字の読み書きができないと聞いていましたので、正直、条約のことについて他の障害のリーダーたちと一緒に学ぶということが可能かということは非常に心配しました。
知的障害者の参加ということで、それなりの手は打ちました。例えば他の障害の方たちは英語で参加する、共通語である英語で参加します。ただタイとミャンマーの知的障害者のリーダーだけは、一種の合理的配慮としてまず言語通訳がつきました。英語とタイ語、英語とミャンマー語というようなかたちで通訳がつく。しかも単に通常のタイ語への通訳とミャンマー語への通訳というかたちでは足りないということで、通訳者支援者には非常に負担をかけることになりましたけれども、わかりやすいタイ語に英語から通訳をしてもらう、わかりやすいミャンマー語に通訳をしてもらうというようなかたちにしました。昨年の秋は2週間、今年の春は10日間ちょっと短かったんですけれども、障害者権利条約の国際的な研修を知的障害者を含めて行うということが初めて実現しました。
その時に他の障害のリーダーたちが変わっていく、一緒に知的障害のリーダーとも一緒にやっていけるんだという実感を持っていくプロセスが、非常によかったと思います。始まったばかりの時に、とくにミャンマーのお二人は、体格も小さくて、東南アジアの他のリーダーたちは、もちろん好意から心配をしていました。私もです。ちょっとセッションが長くなった時に彼女たちは「大変だったら、休んでもいいんですよ」と善意で言われました。その時に、彼女たちは「いや、私たちは皆さんと他のみんなと同じように、ちゃんと条約のことをもっともっと学びたいんです」と言って、部屋に残ったというエピソードが私の心には残っています。
合理的配慮、通訳のことを申し上げましたけれども、もう一つこれはCBM(Christian Blind Mission)という、国際的に途上国で頑張っている組織があるんですけれども、そこのファシリテーターが提案してくださったこととして、イラストレーターを知的障害者グループには特別につけるということをやりました。日本でも最近、会議の進行にしたがってイラストを書いていくというのが導入されていますけれども、とくに知的障害者の部分についてイラストによって話されている中身を図解していくということをしてもらいました。そのイラストレーター自身、身体障害のある方だったんですけれども、例えばタイで現在も続いている本人の同意がないかたちでの知的障害者の思春期前の不妊手術に関するテーマが話された時にも具体的な人権侵害をイメージさせるイラストを描いてくれました。タイの知的障害者本人リーダーは、今年3月のワークショップの際には、国連のアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP:Economic and Social Commission for Asia and the Pacific)でちょうど国際女性の日というイベントがあり、そこでタイのインクルーシブ教育の課題と、知的障害者の女性が本人の同意がないまま親と医者の合意によって不妊手術を受けさせられているという点について報告をしていました。タイの本人活動も全面的に順調にトータルとして伸びているかどうか、成長しているかどうかというのは、まだまだ疑問の余地がありますけれども、少なくともこういう力量のあるリーダーが活躍することが可能になったのは、まさに本人活動の成果の一つとして上げられるだろうと思います。
本人活動の一つのかたちとして、インクルージョンインターナショナルでは、条約交渉の時に、ロバート・マーティン(Robert Martin)というニュージーランドの知的障害者を中心に条約交渉に参加しました。ロバート・マーティンは、インクルージョンインターナショナルでは、2人目の知的障害者本人の理事です。12年の任期を終えて2008年に退任をしてしまいましたけれども、ちょうど条約交渉が終わる前の期間、彼が理事を務めていたので、条約交渉の際にはロバート・マーティンが、例えば19条の地域生活に関するところで、強くアピールしました。そして、ニュージーランドにおける知的障害者の入所施設撤廃の取り組み等について報告をしたというようなことが、19条の成立にも、非常に大きな影響があったんだろうと思っています。もちろん支援が必要なので支援者がニュージーランドから同行するという支援が行われておりました。このロバート・マーティンが今年の6月の障害者権利条約の締約国会議において行われた障害者権利委員会の選挙で初の知的障害者として障害者権利委員会の委員に選出をされました。日本では石川准さんが委員に選ばれたということが報じられていましたけれども、あの選挙において初めて知的障害者の候補者であるロバート・マーティンが当選をして、知的障害者として初めて条約の審査に当たる18名の委員の一人として来年の1月から活動を開始することが決定をしました。非常に本当に嬉しいニュースです。これは宣伝になりますけれども、ロバートの伝記です。『世界を変える知的障害者』(現代書館、2016年)という訳本で、私は監修だけさせていただいたんですけれども、是非読んでいただきたいと思います。インクルージョンインターナショナルの理事会でロバートとは付き合いがあったのですけれども、彼が小さい時にどんなひどい目に家庭であったのか、例えばおねしょするから夜は風呂桶の中でバスタブの中で寝させられていて、ある晩寝ぼけて起きた時に転倒して鼻の骨が折れてしまったとか、施設から施設にたらい回しにされたり、里親に奴隷のようにこき使われたとか、そういう話、私全然知らなかったんです。そういうこともこの本には書かれていますので、是非機会があれば読んでいただきたいというふうに思います。
選挙についてもう一言申し上げると、ロシアのろうの人、手話を使う人が、初めてこの委員会に選ばれたので、それも非常に嬉しく思いました。石川さんとロバートとロシアのろう者(Valery Nikitich Rukhledev)の当選は非常に嬉しく思いました。反面、今回選ばれた9名は全部男性でしたので、それは非常にショックでした。全部で18名で、半分改選なんですけれども、残りの9名のうち女性は1人しかいないので、全部で18名のうち1人は女性、1人しかいない。それがドイツのテレジア・デゲナーです。それについてはまた後でご質問があればお話したいと思います。障害者権利委員会にロバートが選ばれたことによって、委員会をどういうふうに運営していくかというのを変えなければならない、ロバートにどうやって、どういった合理的配慮を提供することができるのかというのが権利委員会にとっても非常に大きな課題になります。
民主党政権下で非常に大きな役割を果たした、障がい者制度推進会議という審議会がありました。そこに知的障害者が入っていて、イエローカードと呼ばれるカードを質問がある時には遠慮なく使えるようにしていました。そういったカードが合理的配慮として使われていましたのです。
そして国連のアジア太平洋経済社会委員会の例ですが、分かりやすい表現を使った報告書の実例があります。会議の報告書を国際的な機関が出す時にまだまだ障害分野だけですけれども、わかりやすいバージョンを一緒に出すというのが徐々にスタンダードになってきています。そうした情報をわかりやすく委員に提供するということを含めて、障害者権利委員会としてこれからどうやって会議の形を変えていくのかというのは、非常に大きな取り組みになっていくでしょう。障害者権利委員会に知的障害者が入るということも、知的障害者本人活動の幅広い一環だというふうに思います。ただ、こういう審議会に参加できるというのは、あくまで本人活動(セルフアドボカシー)の一つのかたちです。様々なかたちで障害者活動、障害者運動全般に知的障害者がどうやって参画をしていくのか。それは障害者運動にとっても課題であり、それはインクルーシブな社会に向けての取り組みの課題であるということも申し上げたいと思います。
9月の障害学国際セミナーに向けての情報提供というようなかたちで今日はご報告をさせていただきました。是非9月の障害学国際セミナーには、今日いらっしゃっている皆さんにはたくさん参加をしていただきたいと思います。残り時間、是非皆さんからご質問をお受けしたいと思います。

生存学研究センター報告

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