スペシャルエッセイ

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スペシャルエッセイ

博士論文完成も単著出版(『移植と家族』岩波書店2016)も、うえの式質的分析法のおかげ

2014年度立命館大学先端総合学術研究科学術博士号取得 一宮茂子体験談


1.看護師長から研究員へ

私が看護師長から立命館大学生存学研究センターの客員研究員になったのは、退職後に博士論文(以下、博論と略)で学位を取得したあとでした。現役時代の私は、先端医療の大学病院で臨床現場にいたため研究材料は沢山ありました。ですが、学生時代に論文の書き方の作法など学んだことはなく、院内研修やみようみまねの自己学習でとても稚拙な内容であったと思います。看護師長になったとき半年間の院外研修で看護教員養成講座を受講する機会をえました。今から思うと、このときに研究の面白さに気づいたように思います。外科外来に所属したこととあいまって、生体肝移植が始まり移植前後のドナー(臓器を提供する人)やレシピエント(臓器をもらう人)に接する機会が増えました。そのため当時の私は、臨床現場は研究テーマの宝の山のように見えたのです。

2.あるドナーのエピソード

ある日の外来で、子どものドナーとなった母親から興味深いエピソードを聴く機会がありました。それは「入院中は、まるでベルトコンベアに乗せられたみたいに物事が進んで、私の話も聴いてほしかった」。さらに家庭では「移植をするような子が生まれたのは、お前の家の血筋が悪い」と配偶者から責められ、結果的に離婚したのです。ですが外資系の職場ではオーストラリア人の同僚から「わが子のためとはいえドナーになったお前はエライ!」と初めて労いと賞賛の言葉を受けて泣いてしまった、と打ち明けてくれたのです。この事例からドナーの心のケアがいかに重要かを学んだことで、その後の私は、とくにドナーに関心をもってケアにかかわる契機になったと思います。

3.論文を書くことになったきっかけ

A病院で移植が始まったのは1990年です。医療者の関心の的は、移植前はドナーの肝臓であり、移植後はレシピエントの肝臓であって、患者ではないように見えました。そのため前述のようなドナーの想いに、医療者の関心が薄かったといえます。そこで私は、ドナーの実態を社会に提供する手段として看護研究に取り組むようになりました。医学的枠組みの論文は、目的、方法、結果、考察、結論というフォーマットにそって書くことを求められます。私の稚拙な看護学論文は、このフォーマットに従って書きました。当時はどの看護学会にエントリーしても、たとえ内容が稚拙であったとしても、テーマが新しいこともあって採用されました。以後20年以上にわたって、私はドナーにかんする研究をおこなっています。

4.インタビュー自体がドナーの心のケア

生体肝移植は先端医療であるため医学的な研究は多数あっても、社会学的な先行研究は多くありませんでした。そこで私は、わからないことをドナーに教えていただくという姿勢でインタビューをおこなうことにしたのです。
インタビュー依頼は私自身がおこなったのですが、レシピエントが死亡した事例のドナーには、私が連絡した時点で断られたドナーもいました。一方、自らすすんで聴いてほしいというドナーもいたのです。レシピエントが生きていても亡くなっていても、移植前後の体験が良くても悪くても、ドナーは「誰にも言えないことを聴いてくれて嬉しかった」「心が癒やされた」「スッーとした」と積年の思いを吐露したドナーもいました。このようなドナーの想いを聴きながら、私はもらい泣きしながらインタビューしていたのです。
インタビューの場所や時間は、ドナーに指定してもらいました。場所はA病院ばかりではなく、ドナーの自宅、団地の集会場、ドナーの職場の個室、手作りの別荘、ホテル最上階のラウンジバー、料亭の個室などです。自宅にお邪魔したドナーからは手料理で手厚いおもてなしを受けました。インタビューは1時間が原則だったのですが、その後も話は尽きることなく、半日以上もお邪魔したこともありました。それほどにドナーは、話せる相手、話せる場、話せる時間を必要としていたのだと思います。はからずもインタビュー自体がドナーの心のケアになっていたことがわかりました。

5.職場の壮絶なイジメ

現役時代の私は、毎年、稚拙な論文を何本も書いて学会に投稿していました。その結果、学会からシンポジストの依頼や看護大学からゲストスピーカーの依頼を受けるようになりました。ですが、ある時期に看護部組織の人事異動があり、私は上司から壮絶なイジメを受けるようになりました。あるとき学会のシンポジスト依頼が私にありました。そのとき「どうして、あなたがシンポジストに招かれるの?」という上司から私への問いかけは、明らかにパワーハラスメントであり、シンポジストに参加することは叶いませんでした。その後は何かにつけて職場異動が頻回にあり、私は周囲から孤立したような状況におかれました。けれども私は辞めない決心をしたのです。影ながら私を支援してくれる人がいたし、なによりも研究フィールドは他では得られないと思ったから頑張れたと思います。さらにドナー自身が私に話を聴いてほしい、相談にのってほしいと頼りにしてくださる方々もいたからです。

6.リタイア後もつづくアカデミックハラスメント

私はリタイアした後もこの研究を続けていました。あるとき学会で、退院したドナーが半年間のめまい、2年間のうつ状態、引きこもりとなった事例をポスターセッションで報告しました。このドナーは退院後に前述のような状態になったことが数年経たインタビューでわかりました。このドナーは、退院して半年後と1年後にA病院の外来受診をしています。ですが、このような心の不調は訴えなかったようです。その結果、2年間もその状態が続くことになったのです。
移植コーディネーターは、A病院で移植術を受けた患者は、生涯A病院の患者だと言われました。それならなおさらのこと、どうしてこのような状態が把握できなかったのでしょうか(『移植と家族』2016: 80-87; 130-132; 139-140参照)。私は彼らを責めているわけではありません。現実にこういう事態が起こっているということを移植関係者に認識してもらいたかったのです。
この件があって以来、移植コーディネーターから、A病院の患者について報告する場合は予め教授に目通しをしてもらいたい、というクレイムを受けました。リタイアしてもこのような倫理的制限を受け続けるのでしょうか。A病院から退職あるいは転勤した医師たちは、前述のようなことをしているとはおもえません。 
そこで当大学院の指導教官と相談して、新たに研究計画書を作成し、あらためて対象者全員に連絡を取り、その方々とやりとりしたデータも含め、これまでのインタビューデータの使用について説明した上で対象者全員から了解を得るという対策をおこないました(『移植と家族』2016: 39頁参照)

7.誰も教えてくれなかった方法論

博論は20事例ですが、得られたデータは数十万字以上です。私は膨大なデータをどのような方法を使うと博論となるのか、データの洪水のなかでもがいていました。本大学院では誰からも研究方法の指導はなかったのです。例え聴いても、「自分で学ぶべきだ」とのお答えでした。一方で「データが沢山あるのになぜ書けないの?」「ドンドン分厚く、分厚く書いていってください」というコメントは、私の脳細胞を余計に混乱させたと思います。そのため研究方法は、グラウンデッド・セオリー・アプローチ(Grounded Theory Approach ; GTA)1→現象学的研究法2→記述研究3と何度も変更しました。長年の研究から調査方法(対象、研究期間、調査内容、調査方法、倫理的配慮など)は理解していました。調査方法は半構造化自由回答法によるインタビュー調査をおこないました。
この研究を進めるにあたって絶対に外せないコード、これを外すと研究がなりたたないコードがありました(「コード」は序章、第5章、終章5(2)で詳述)。それは長年の臨床経験と先行研究、パイロットスタディ(研究開始時に研究計画が適切かどうかを確かめるためにおこなう試験的な研究)から得たもので下記の5つです。(1)ドナーの意思決定過程を把握するために「ドナーになる決断の経緯とその時の感情」、(2)移植にたいする医学的な理解を把握するために「インフォームド・コンセント(本エッセイ12.倫理的配慮の重要性で詳述)の理解度」、(3)ドナーの負担と犠牲の状況を把握するために手術前後をとおして「最も苦痛であったこと」、(4)ドナー家族、レシピエント家族、その親家族について、家族が移植にどのように巻き込まれているのかを把握するために「家族支援の状況」、(5)その後の生の営み状況を把握するために社会復帰後の「日常生活の変化」でした(『移植と家族』2016: 38頁参照)。
あとで考えると、絶対外せない5つのコードは、博論の章立てとなる重要な項目だったのです。こうしてデータは大量にゲットできました。ですが、得られたデータをどのような理論を使って、どのように分析すれば博論となるのか、その研究方法がわからず、8年経過しても暗中模索状態でした。

8.うえの式質的分析法との運命の出会い

私がこのような状況にあったとき、2012年に当大学院に東大名誉教授の上野千鶴子先生が特別招聘教授として着任され、上野先生のプロジェクト演習(以下、うえのゼミと記す)に参加する機会を得ました。20事例の分析は自分なりに既に終わっていましたので、博論としてどうまとめたらいいのか、誰も答えてもらえなかった研究方法についてうかがいました。うえの先生は「こうしたらいいのよ」と一発回答でした。具体的にはマトリックスをつかって縦軸に20事例、横軸に語りから得られたコード(要因)をおいて、そのクロス点から各要因の関連の有無や関連の度合いを表示してドナーの意味づけに影響をおよぼす要因をみいだすという方法でした(表1参照)。

表1 ドナーの意思決定がもたらした効果と関係性の変容
【省略】

GTAでは1次情報(第2章参照)が2つ以上ないと、そのデータは使えません。はなれザル(第3章参照)は使えないのです。たとえばレシピエントが亡くなったにもかかわらず、ドナーは「やるだけのことはやった」という達成感の語りをえました。このような事例はほかにはなく1事例のみでしたので、GTAではデータとして取り扱えないのです。ですが、うえの式質的分析法では、どのような1次情報であったとしても捨てることなく全て取り扱います。その結果、この事例は「ドナーの意味づけに影響をおよぼす要因はなにか?」という博論の問いにたいする重要な答えのひとつであることがわかったのです。うえの式質的分析法だからこそ得られた情報でした。
私はやっと納得できました。もしかして、うえの先生との出会いがなければ、問は解けずに今でも博論は完成していなかったか、自己納得できない未完の状態で放置していたと思います。

9.仮説をたてるとは?

うえのゼミの研究計画書には氏名、所属、研究テーマ、研究内容、理論枠組(理論仮説&作業仮説)、研究対象、研究方法、先行研究および関連資料、研究用機材・研究費用、研究日程、本研究の意義、本研究の限界を書きます。
私は理論枠組(リサーチメソッド)の意味がわからず、もちろん仮説のたて方もわかりませんでした。うえのゼミでは、仮説とは根拠のない妄想であって、研究者の推論からえた「あたり」である、と教えられるのですが、具体的にどう推論するのかも理解できず、まるで雲をつかむような状況でした。
医学枠組みの分析では、対象事例をすべて自分なりに分析していく過程で、移植はレシピエントが生きていれば成功であって、亡くなれば失敗。それは素人でもわかることでした。ですが、レシピエントが生きていても家族間や親族間の関係性がこじれて否定的に語るドナーもいたのです。さらにレシピエントが亡くなれば医療者に不信感や不満感を語るドナーがいる一方で、「できることは全てやったから悔いはない」という満足感を語るドナーもいたのです。これらの事実は、医学枠組みの分析では分析できない事例でした。
そこで社会学的分析を行なった結果、うえの先生のご指導で、このことが三つの仮説になるとわかりました。仮説1:レシピエントが生きていれば肯定的な語りとなり、死亡した場合は否定的な語りとなる。仮説2:レシピエントが生きていても、ドナーになんらかの問題がのこされた場合は一部否定的な語りとなる。仮説3:レシピエントが死亡したとしても、ドナーが自己納得できれば肯定的な語りとなる(『移植と家族』2016: 35-36頁参照)。
仮説には理論仮説と作業仮説があるのですが、前者は理論的なレベルで考えた仮説。後者はデータによって検証可能な仮説。私の場合は、全事例を自分なりに分析したうえで、このことが研究者の推論からえた「あたり」といえる、つまり作業仮説であることがわかったのです。

10.あっという間に博論完成!

これまでの8年間で2~3事例を用いて、あるテーマに特化した原著論文は書けるようになっていました。何度もトランスクリプト(逐語記録)を読んでいましたので、20事例のドナーの語りはほとんど暗記できるほどに身体化していました。そのため2012年から2年間で、先行研究と自分自身の臨床経験、20事例の分析から得た知見をうえの式質的分析法を使うことで、要因関連図ができあがり(第3章参照)、博論としてのストーリーテリングが一気に見えてきて、分析枠組み(分析モデル)が完成しました(図1参照)。
私は最初からうえの式質的分析法を使ったわけではありません。ですが「ここまできたプロセスを追っていけば、必ず完成しますから」とうえの先生に励まされながらの2年間でした。分析枠組みにしたがって、目次ができました。あとはひたすら書いていくのみでした。カレンダーに博論完成までに何章を書くのか工程表を書き込み、あとは、迷い、焦り、不安もなく、ひたすら書いていくことができたのです。その結果、32万字という冗長で、引用が長く、繰り返しが多いという指摘を受けましたが、何はともあれ2014年に博士の学位を取得できたのです。

図1 分析モデル(ドナーの意味付与の要因連関図)
【省略】

11.単著執筆中スランプにおちいったときのうえの先生から命の電話

公聴会(博論の学位授与決定にあたり、本大学院の複数の教授や准教授に加えて外部の学識経験者も交えて公開で意見を聞く制度)が終わったその時点で、副査の先生たちから単著出版を勧められました。加えて出版社とのかねあいで、文字数を減らす必要性の助言も受けました。文字数を減らす作業は、思ったよりも大変な作業でした。博論執筆にとりかかるとき、章ごとに文字数を決めて書くという指導を受けていましたが、その重要性はこのとき身にしみて感じました。うえの先生のサポートを受けて、岩波書店から出版の承諾をえたときはとても嬉しかったです。また、当大学院からの出版助成金も受けることができました。
ですが、出版契約書には発行日がかかれていて、その日までに書店に本が並ぶ状態になっていること、という時間的制約があったのです。のちにこのことが私には大きなストレスになりました。
本を書くのは初めての経験です。最初からトラブル発生。文字飾りをつけないtext版で入稿するなんて知らなかったのです。そのためゲラ刷りが上がってくるまで、想像以上の日数がかかりました。さらに100頁分文字数が多いと指摘を受けました。あと2ヶ月という時期に私はすでにパニック状態でした。
それでもやるしかないのです。文字数削減とさらなるリライト、それまで整然と書いたと思っていた文献リストも本文の削除とともに作り直しが必要になり、リライトの繰り返しで、原稿内容がグチャグチャになったと感じました。
必死に取り組まざるをえない緊張状態がつづいた私は、眠られず、食べられず、もう限界というときが何度もありました。そのストレスから持病が悪化して、フラツキが強くなり、まるで雲のうえを歩いているような感覚で、家のなかではつたい歩き、外に出ることすらできず、手が震えてパソコンの入力ももどかしく、論理的に考えられず思考停止状態となりました。博論なら提出延長が可能ですが、単著は出版契約が完結していたため、なにがなんでも期日までに仕上げないといけないのです。
がんじがらめになった私は、限界状態がその後も続きました。追い詰められて逃げ場がなくなったと感じた私は、あるときふと、このまま違う世界にいけたらどんなに楽だろうと思ったのです。両親はすでに星になっていたため、万が一にそなえて実家の弟あてに遺書めいた電話をしました。うえの先生にもヘルプのメールを送りました。
うえの先生からはお電話をいただき、温かい励ましの言葉をくださいました。「あなたが、そんなふうに追い詰められているとは知らなかった」と言われたのです。そして出版社に問い合わせて進捗状況を確認してくださり、「順調に進んでいるためこのまま書いていけばいい」とのお返事をいただきました。
けれども私の本心は「自分の体を壊してまで、本を書く必要があるのだろうか。もうやめたい」という想いが強かったのですが、こんなに熱心にフォローしてくださるうえの先生に、とうてい本音は言えず封印しました。
その後、当大学院のある催しの会でうえの先生にお目にかかる機会がありました。そして、あなたの長年の研究成果が岩波書店から出版されることに、わたしはとても期待している、という意味内容のことを言われたのです。主治医からは既にドクターストップがかかっていましたが、ここまできて投げ出すと後悔することはあきらかでした。だから書くしかないと思いなおしたのです。
ところが最終締め切り日になったとき、決定的なミスを見つけました。2頁にわたる多数の出典元が入り交じった複雑な引用文に、文字数を減らすときに出典元を削除していたことに気づいたのです。このような論文は剽窃であり、許されない倫理違反です。ただ出典元を挿入すればいいような単純な内容ではなく、修正するのに時間が必要と考えるとパニック状態になりました。
出版社にそのことを電話したとき、思わず私の本音が出ました。「出版の延期って、できないのでしょうか?」と。すると出版社からうえの先生に電話が入ったようで間髪入れずに、うえの先生から電話をくださいました。「その部分を自分なりにリライトして送ってください」と。それを元に、うえの先生からどのように修正すればいいのか、適切なご意見をいただきました。この問題を解決しようとしてすでに1日近く経過していたのですが、うえの先生からの的確なアドバイスで、あっという間に解決しました。うえの先生からはアドバイスのあと、次のように言われてビンビンに張りつめていた緊張感が抜けていくのがわかりました。「あとはご飯食べて、お風呂入って、お酒飲んで、グッスリ寝てください」と。2ヶ月の執筆期間中、まともに眠られず、食べられなかった私は、体重が6kg減っていたことに、このとき気づきました。後で考えると私にとってうえの先生の電話は命をつなぐ電話だったのです。それまでは泣きたくても泣けなかったのに、涙が溢れてとまりませんでした。
ここまでサポートしてくださったのは、うえの先生が初めてです。本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。

12.倫理的配慮の重要性

博論を加筆修正して岩波書店から単著出版するにあたり、編集長が一番気にかけていたことは倫理問題でした。裁判沙汰になることは、私も岩波書店も避けたかったのです。博論の同意は得ていても、書籍として公開するとなると、ドナーの心情は異なることが予測されました。その結果、単著出版の草稿原稿は、3名のドナーの同意は得られませんでした。そのため、いかに重要で貴重なデータであったとしても、その部分はすべて削除しました。
人を対象とする研究の場合、医学、看護学、社会学、歴史学、文化人類学などでは、所定の倫理委員会の承認を得たのちに、対象者に十分に説明して理解を得たうえでの同意が重要です。移植手術では移植医が患者や家族に3回のインフォームド・コンセント(以下、ICと略)をおこないます(詳細は『移植と家族』2016: 92-98頁参照)。
私自身の本研究開始時はA大学大学院の倫理委員会の承認を得たうえで、私自身が対象ドナーに対して文書と口頭でICをおこない、同意書を2部用意して、ドナーと私の両者が同意書に署名と捺印をしたうえで、相互に一部ずつ保管することにしました。同意書を交わしたからといって、ドナーが草稿原稿の内容に同意してくれるとは限りません。インタビュー時は「感情を交えて言ったかも知れないけれど、私の本心はこのような内容ではありません」とのお手紙をいただき、結果的にこの事例は削除しました。
私は家族間の微妙な問題を研究するため、とくに倫理問題がのちに裁判沙汰になることは絶対に避けたかったのです。そのため原著論文、博論、単著原稿の草稿は、その都度、ドナーにフィードバックして文書による同意を得ました。

13.情報を提供してくださったかたがたとの関係性

私とドナーとの関係は20年以上続いています。なにしろ分析枠組み(分析モデル)はドナーやレシピエントの終末期まで追っていかないと、ドナーの意味づけが、肯定的か否定的かがわからないことがわかったためです。病院と縁が切れたドナーを終末期まで追うというのは、医学界の常識では考えられないことです。病院と縁が切れたドナーは医療者の関心から外れている現状を考えると、私には最後まで見届ける使命があると思っているのです。私もドナーもレシピエントもいつまで生きられるのかはわかりません。それでも対象ドナーとの関係性は、いまも電話1本でお話ができるラポール(信頼関係)があります。毎年いただく家族のその後の変化や季節の挨拶をとおしてドナーとの絆を感じることができるのです。これからもこの絆を大切にしていきたいと思います。

14.これからも書き続けることが、研究者としての使命

本研究の私の立ち位置は、患者から頼まれたわけではないけれども、問題解決のミッションを引き受けた当事者であるため、リタイアした看護師であっても看護師としての義務を遂行する立ち位置にあると思っています。インタビューから得られたデータは、全部使って描けたわけではありません。公開できなかった事例は匿名性を保ったうえで何らかの形で社会に提供できる方法を考えたいと思っています。また脳死肝移植が多いなかでの海外の生体肝移植事例と、海外とは対照的な日本の生体肝移植事例との比較も必要だと思っています。
さらにドナーの肯定感や否定感は年月という時間の経過とともに変化することがわかりました。変化する理由は、レシピエントが生き延びて元の生活にもどることができれば、ドナーの多くは肯定的に受けとめることができますが、家族や親族との関係性がこじれたり、医療者に不信感をいだいたりするような対応を受けると否定的になることがわかりました。このような関係性がどのように変化していくのか、しないのか、その後も事例を追っていきたいと思います。
一方、レシピエントはドナーに感謝とともに負い目をもって生きています。レシピエントは移植すれば治ったのではなく、その後も生涯にわたって免疫抑制剤をのみ、通院検査が必要です。それには移植施設と地元病院の連携が必要です。
ですが、医療関係者と、ドナーやレシピエントや家族の関係性がドナーの意味づけに影響をおよぼすことがわかりました。そのとき医療関係者はどのような支援をすればいいのでしょうか、その後の時間の経過とともに変わると思われるため、その経過も追っていくつもりです。
レシピエントは移植した肝臓が悪くなれば再び移植が必要です。現代医学では移植以外に助かる方法がありません。その時にレシピエントや家族はどのような決断をするのでしょうか。
ドナー経験は1回性です。2回も3回も家族がつぎつぎとドナーになって生体肝移植を受ける事例もありますが、運良く脳死肝移植が受けられる場合もあります。そのときレシピエントや家族はどのような決断をするのでしょうか。また移植をせずレシピエントが終末期となったとき、ドナーや家族はどのような感情を持つのでしょうか。その結論は、ドナーもレシピエントも終末期まで追っていかないと答えは得られません。このような理由から私は彼らの心に寄り添ってこの研究を続けていきたいと思っています。


1 ‌1事例ごとにデータ産出と分析をおこない継続的比較分析をして理論を作る方法。
2 メルロポンティなどの現象学の理論を用いて対象者の現象を読み解く方法。
3 対象者の経時的な変化などを調査、観察して記述していく方法。

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