第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 4.マイクロアグレッション概念の射程

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理論/実践

マイクロアグレッション概念の射程

金 友子


1 問題の所在

近年、ヘイト・スピーチが社会問題として注目されている。「ヘイト・スピーチ」という用語によってもたらされたインパクトは大きかったし、実際、なされていることの余りの酷さもあって、在日朝鮮人を主としてエスニックマイノリティに対する差別・暴力が問題として社会的に共有された。これは80年代の指紋押捺拒否闘争以来初めてではないかと思われる。しかし言葉のインパクトが先行してしまうと、これまでの差別と抑圧の歴史が見えづらくなってしまう。あの苛烈さは近年のことかもしれないが、差別はずっとあり続けて来た。ヘイトクライムといえる事件も数々起こっている。60〜70年代には朝鮮学校の学生が日本の学生から襲撃され、死亡や重症に至る事件が頻発した(東大法共闘編 1971: 218-37)。80年代以降、2000年代の初めにも朝鮮民主主義人民共和国に関連して何かあると朝鮮学校の女子学生の制服が切られたり、駅のホームから突き落とされそうになったり、唾を吐かれたりした(朝鮮時報取材班 1990)。
路上で堂々と差別的・攻撃的言動をおこなうことについて、法規制であるとかカウンター行動など、批判的観点から様々に議論されているが、見落とされがちな点として日常のレイシズムの現実がある(もちろんのことだが、これは上からのレイシズムによって強固に支えられている)。差別やレイシズムといった語彙では語りにくい、非常に微妙な発言や行為が、社会的マイノリティを取り巻いている。本稿では、そうしたマイノリティ集団が受けている日常的な抑圧を捉えるために、「マイクロアグレッション」の概念に注目する。下記の図は先入観や偏見、差別行為がどのようにしてジェノサイドに行きつくのかを示した「憎悪のピラミッドPyramid of Hate」1である。この図においてヘイト・スピーチが偏見によって駆動される「暴力行為」および「偏見による行為」に該当するとすれば、マイクロアグレッションが焦点を当てる日常的な差別・抑圧は、最下段の「先入観による行為」に該当する。この下段にある行為を許していると、そのうちジェノサイドにつながるというのがピラミッドのコンセプトであるが、もちろん各階層がそれぞれ人にダメージを与える。以下では、マイクロアグレッションの概念が成立した経緯、その形態と具体例、被害の結果などをDerald Wing Sueが著した『Microaggressions in Everyday Life: Race, Gender, and Sexual Orientation』(2010年)を軸にいくつかの関連研究とともに紹介したい。当初は日本で起っている事例への適用可能性を検討するつもりでいたが、今回はいくつかの点を示唆するに留まったことを最初に告白しておく。

表:憎悪のピラミッド(Pyramid of Hate)【省略】
(Anti-Defamation Leagueより)


2 マイクロアグレッションとは

2.1 概念成立の背景
マイクロアグレッションという用語は、1970年代に精神科医のピアース(Chester M. Pierce)2によって作られた造語である。ピアースは精神科医として人種主義が精神衛生に及ぼす影響を研究するなかで、黒人と白人のコミュニケーションの多くに、白人が無自覚に行う「けなしput downs」があることに注目し、これをマイクロアグレッションと名付けた。ピアースの作業と前後して、特に公民権運動以降の人種主義および偏見(bias)、差別の様態の変化を受けて形を変えたレイシズムを分析するさまざまな視点が提起された。社会は平等であるべきだという理念がある程度共有され(建前としても受け入れざるをえなくなり)、旧来のあからさまな人種主義は、公的に否定されるようになった。しかしながら長期にわたる差別と抑圧の歴史が突然消え去ったわけでは、もちろん、ない。差別や偏見は消滅したのではなく、見えにくくなった。
形を変えたレイシズムは、象徴的レイシズム、現代的レイシズム、暗黙のレイシズム、嫌悪的レイシズム(aversive racism)など、さまざまな名称が与えられ、研究の対象になってきた。これらの研究では見えにくくなったレイシズムがどのように行使されているかを明らかにしようとしたが、とりわけ重要な論点としては、人種主義を実践する人々の性向の変化である。旧来のレイシズムが保守主義的な人々によってなされていたのに対して、現代のレイシズム、なかでも嫌悪的レイシズムの視点が明らかにしたのは、平等主義者がレイシズムを実践するという点である。つまり、政治的にはリベラルで偏見がないと信じている平等主義の人々が持つ偏見を問題視し、彼ら・彼女らの否定的感情がどのように微細に、非直接的に表明されるのか、さらにどのように合理化されるのかを解明しようとした(Dovidio et. al. 2004: 4)。
2000年代に入ると「微細な侮辱subtle insult」、またビジネス界では「ミクロな不平等microinequity」、すなわち人種やジェンダーに基づいて、些細なジェスチャーや処遇の仕方などによってある人を軽視したり見下したりする行動が問題化された。しかしながらこうしたやりとりは広範で日常生活の隅々にまで広がっており、さらには無意識的な日々の会話においてなされるので、見過ごされるか、犯人の無垢さや無意識さをたてに言い紛らわされてきた。
こうした状況変化および人種主義・偏見に関する研究蓄積を背景に、とりわけ人種的少数者が人種主義によっていかにストレスを受け、心身の健康に害をもたらすのかを探求しようとした研究のなかで再度登場したのが「マイクロアグレッション」である。コロンビア大学教授のDerald Wing Sueが自らの経験および多くのインタビュー調査をもとに、ステレオタイプや偏見に基づく言動のうち、目に見えにくい、しかし受け手にダメージを与えるものをマイクロアグレッションとして定式化した。その定義は次のようなものである。

マイクロアグレッションとは、日々のありふれた言葉、行動、または環境の面での侮蔑的な行為で、意図的かどうかにかかわらず、有色人種に向けて彼ら・彼女らを軽視し侮辱するような敵対的、中傷的、否定的なメッセージを送る。マイクロアグレッションの犯人はたいていの場合、人種的/民族的マイノリティとの対話のなかでそうしたメッセージを伝えていることに気づかない。(Sue et al. 2007: 271)

研究者たちはこの、発し手と受け手の動的相互作用に注目し、主な方法としてインタビュー調査および言説分析を用いて意図と言葉の使われ方を分析、隠されたメッセージを読み込んだり、被害者への影響を探っている。あからさまではないレイシズムを概念化した試みはそれぞれに特徴的なレイシズムのあり方を描き出してきたが、マイクロアグレッションの概念はより具体的にレイシズムと抑圧を理解しようとする。McWhorter(2014)は、マイクロアグレッション概念の登場について次のように述べる。「変化が起こったのだ。私たちは、悪口を言ったり公的に排除したりすることよりも、何か小さく、甚大ではないような何かに向き合っているのである。これは、十字架を燃やすことから黒人に対して髪を触ってもいいかと聞くことまで、全部まとめて人種主義racismと呼ぶ(えてして乱雑かつ非生産的)よりはいいだろう」。

2.2 マイクロアグレッションの形態
Sue(2010: 28-41)は、マイクロアグレッションを三つの形態に分類している。
まず、「マイクロアサルト Microassaults」は、明示的な人種的性格付けで、相手を傷つけることを目的になされる暴力的な言葉や非言語行為による攻撃である。意識的に避けたり差別目的の行為もこの中に入る。たとえば、「ニガー Nigger」や「ジャップ Jap」といった蔑称で呼ぶこと、人種間での交際を避ける・避けさせること、黒人を前にして白人のみにサービスすることなどである。マイクロアサルトは、いわゆる古典的人種差別のうち、個人に向けられるものに近い。
次に「マイクロインサルトMicroinsults」である。無礼で気遣いのない言動で、個人の人種的出自やアイデンティティの価値を下げる。たいていの場合は自覚していないままに行われるが、有色人種に対する侮蔑のメッセージが込められているのが明らかな場合がこれに該当する。たとえば、就職の面接の際に、黒人の被雇用者に「もっとも能力のある人が職を得る」と言うことや、黒人の被雇用者が「どうやって就職したの?」と聞かれたりすることである。これらには①有色人種は能力が足りない、②マイノリティ集団のメンバーとして、(技術や能力ではなく)アファーマティブアクションか何かで就職したのだろう、というメッセージが織り込まれている。また、マイクロインサルトは言語を使わなくても行われる。白人の教師が黒人学生にお知らせを伝えなかったり、白人の上司が黒人の部下と話す時には上の空で目も合わせないとか、背を向けるとかいった行為である。この場合、黒人の側には、「あなたのアイデアや貢献は重要ではない」というメッセージが伝わる。
最後に、「マイクロインバリデイション Microinvalidations」である。排除、否定などの言動を指し、有色人種の考え、感情、経験している現実を無化する。この種のマイクロアグレッションもまた非意図的か、意図されていたとしても心の片隅で少しだけ、という場合が多い。たとえば、アメリカ合州国で生まれ育ったアジア系アメリカ人が、英語が上手いとほめられることや、どこで生まれたのか何度も聞かれることである。これらは彼・彼女がアメリカ文化を身につけて育ったことを否定し、永遠によそ者扱いしかされないことを伝える。また、黒人が「色なんて関係ない」であるとか「私たちはみな人間だ」と言われることもこの事例に該当する。これらの言葉は彼・彼女の人種および文化に関連した経験を否定し軽んじることになる。ラテン系カップルが、レストランのサービスが悪かったと白人の友人に言ったら「そんなの考えすぎだ」「そんなせせこましい」と言われることも、人種に関連する経験を無化し、その重要性が顧みられない事例である。

表:人種的マイクロアグレッションのカテゴリーと関係図(Sue 2010: 29 Figure 2.1)【省略】


このうち、旧型人種主義に最も近いマイクロアサルトは、犯人の差別の意図が明らかであり、目に見えるかたちで行われるため、被害者も対処がしやすいが、マイクロインサルト、マイクロインバリデイションは犯人に自覚がないことと、意図せずしてバイアスを表明してしまうので、対処が難しい(Sue 2010: 31)。Sueが主眼としているのはこの後者二つの形態である。
どの少数者集団も多かれ少なかれ共通したマイクロアグレッションに遭遇するが、こまかく事例を見ていくと、集団によって遭遇する形態と隠れたメッセージは異なる。性的少数者はよりあからさまなマイクロアグレッション(マイクロアサルト)を受けやすく、人種的少数者のなかでもアジア系アメリカ人やラテン系アメリカ人は「わが国の異邦人」扱いを受けることが多く、黒人は「犯罪者視」されることが多い。また、女性はとりわけ「性的対象化」という独特なマイクロアグレッションを受けやすい。
これらの複合差別的視点(Intersection)については、Sueらの研究成果を受けて、現在、さまざまな社会的少数者集団に特化したマイクロアグレッションの研究がおこなわれている。Morares(2014)は、大学生活においてアフリカ系アメリカ人の男子学生と女性学生がそれぞれどのようなマイクロアグレッションを経験するのかを、インタビュー調査によって明らかにしている。それによれば、共通して低階層の地域や文化と結び付けられたり、身体能力が高いとみなされている。男子学生の場合、スポーツをしないにもかかわらずスポーツ選手であるとか特定のスポーツ(バスケットボールやアメフト)に詳しいことを期待されること、犯罪者視されること、性的に攻撃的であるとみなされることなどの事例がある。女子学生の場合、ダンスが得意であるか、性的に軽いとみなされるなどの形であった。Endo(2015)は初等・中等教育機関で教員であるアジア系アメリカ人女性を対象としたインタビュー調査を行い、アジア系アメリカ人は全般的に高学歴エリート階層のモデルマイノリティと思いこまれているために差別の経験に対する研究が少ないこと、さらに実生活でも差別を受けていないと考えられていることに反論し、実際には人種的マイクロアグレッションを経験していることを明らかにした。なかでもアジア系女性に特有なマイクロアグレッションの形態として、ほめ言葉的なものが多いこと、「文化」の担い手として伝達者役割を課せられることなどがある。これらはアジア系女性に対する「異国的、従順、家庭的、セクシー」といったステレオタイプを反映している。

2.3 具体例
具体的にはどのような言動がマイクロアグレッションに該当するのか。Sue(2010: 32-4)は、インタビュー調査で明らかになった事例をテーマごとに分類し、それぞれのマイクロアグレッションの具体的内容と隠されたメッセージを整理している。

表:人種・ジェンダー・性的指向に関するマイクロアグレッションの例【省略】

そのほか、以下、Sue(2010: 14-5)が挙げている事例を紹介する。

●‌レズビアンの患者がカウンセリングを受けるなかで、嫌々ながらも「女性に興味がある」と自分の性的指向を打ち明けた。セラピストは異性愛者の男性だった。セラピストは、彼女の告白に対して「昔、犬に興味があるという患者がいた」というエピソードを紹介してショックを受けていないことを伝えた。(隠れたメッセージ:同性愛は異常で獣姦と同類だ)
●‌盲人の話では、人が自分に話しかけるときに、たいていの場合声を高めるという。優しい看護師でさえ、彼が薬を飲むときに何がどこにあるのか示してくれるのだが、ほとんど「怒鳴っている」状態である。彼は「そんなに大声で話さないでください。よく聞こえているから」と答えた。(隠れたメッセージ:障害のある人はすべての点において機能不全である)
●‌近所の人はフレンドリーでユダヤ教徒に「メリー・クリスマス」とあいさつする。(隠れたメッセージ:みんなキリスト教徒)

どれも(アメリカ)社会で広く浸透している人種やその他マイノリティ集団に対するステレオタイプや偏見、それらに基づく期待などがベースとなっていることがわかる。そして対象となるマイノリティ個人(集団)が、その社会にとってよそ者であり、劣った者であり、異常な存在であるということを(再)確認させる。以上の事例は、そのひとつだけをとれば無害か無垢な言動にみえるが、受け手にとっては有害である。というのも、心に傷を負わせ、あるいは不均衡を生みだすからである。及ぼす効果の点でいえば、旧型の人種主義(個人に向けられるもの)とあまり変わりはないといえるのではないか。

3 マイクロアグレッションが明らかにしたこと

レイシズムは見えないものに、かすかなものに、より非直接的なものに、その表現形態を変えており、自覚のないレベルで行われており、見えないやりかたで(人を)抑圧している。第一に、マイクロアグレッションが捉えるのは、まずこの「可視的ではない」(Sue 2010: xi)という点であり、まさにそこにパワーがある(同: xv)。すなわち、極端な差別主義者(たとえばKKKのような)が最も大きなダメージを与えているわけではない。いわゆる旧式の人種主義や性差別主義が最も人を傷つけているのかというと、そうではなく、現代的な形態の人種主義、象徴的な人種主義、人種的嫌悪、そしてマイクロアグレッションなど、新たな形の人種主義も人を傷つけているのである。
第二の意義は、行う人がたいていの場合、無意識であるという点に着目したことである。私たちはみな個人的に、あるいは制度的に、人種やジェンダー、性的指向に関するバイアスが存在する社会の中で社会化される。また、それらのバイアスは世代によって受け継がれてきたものであり、制度や社会が保持し続けてきたものであり、それを受け継ぐことから誰も逃れられない。
第三に、少数者集団にとっては連続していて(constant)、継続的である(continuing)(Sue 2010: 6)。一つ一つは小さいが、暮らしの中でずっと続くことで害は蓄積していく。
第四に、意義というべきか、マジョリティ(アメリカでは白人)には理解しがたい、あるいはできないことを明言した点である。無自覚に行われるということ自体ですでに、わかっていないと言っているようなものではあるが、マジョリティは何がマイノリティを傷つけているのか理解できないうえに、傷を過小評価する。これは、マジョリティとマイノリティの間のジレンマとして表現される(後述)。

3.1 発し手と受け手の認識上の、あるいは受け手の心的ジレンマ
Sue(2010)は、人種的マイクロアグレッションをめぐって、発し手と受け手のあいだに心理的ジレンマが生じると主張する。それは人種にまつわるリアリティが異なるからである。(理解できない、しにくい、されにくい)
▼ジレンマ1:人種に関するリアリティの衝突
マイクロアグレッションを行ったのか? それとも受け手がその行為を誤認したのか? 人種に関するリアリティは、有色人と白人とで異なっている。
▼ジレンマ2:無意識のバイアスが表現されるときの不可視性
マイクロアグレッションの犯人は、通常、自分には人種的バイアスはないと信じて行動している。ここに大きなジレンマがある。誰がマイクロアグレッションが起こったと証明するのか? さらに重要なことに、犯人にどう気付かせるのか? ある状況で人種的偏見による行為があったかどうか確定する最も正確なやり方は、「権力」を享有している者ではなく、権力から最も遠く離れた人々の物差しを使うことである。
▼ジレンマ3:人種的マイクロアグレッションの極微の危害の認識
マイクロアグレッションの行為に直面したとき、犯人は通常、受け手が過剰反応しているとか、敏感すぎるとか、心が狭いと考える。ふつう、白人はマイクロアグレッションのような出来事を、取るに足らないものと考え、有色人種は白人や他の有色人種に「そんなことに時間と労力を費やすな」「ほおっておけ」と勧められる。しかしながらマイクロアグレッションは人種に関して否定的な雰囲気をつくりだし、自己疑念を抱かせ、ストレスと孤立感を与える。マイクロアグレッションは、一見、悪気がなく、重要視されないが、その影響は劇的である(心の健康、ヘルスケアや教育、雇用の不平等)。
▼ジレンマ4:マイクロアグレッションへの反応―金縛り状態(Catch-22)3
マイクロアグレッションが起こったときに、受け手は通常、キャッチ22状態になり、その場での反応は疑問の連続になってしまう。「自分の受け止め方は正しいのか?」「相手は何か考えがあってそうしたのか、それとも意図せざる軽蔑?」「どう反応すべきか?」「だまってやきもきするか、立ち向かうべきか?」「立ち向かったらどうなる?」「このことを話題にして、証明できるか?」「苦労してまで言う価値があるか」「ほおっておくか」などである。
キャッチ22への反応として、第一に、有色人種は多面的な葛藤を抱える。まず、マイクロアグレッションが起こったのかどうか判断しなくてはならない。有色人種はそれまで経験してきた現実に依拠して、さらには多様な状況で経験してきたことを合わせて考える。有色人種は、点を線につなげることでそれが一貫性のないものではないことに気づく。白人は一回性の事故とみなしてバイアスのパターンがあることに気づかない。この気づかなさは、自分の道徳性を信じていること、さらには良い人でありたいがゆえに自らが差別をしたことは否定する。
第二に、マイクロアグレッションへの反応の仕方は、犯人だけでなく受け手の側でも一人ひとり違う。怒りを抱えたまま何もしないことにする、というのが一つの例である。この反応が出るのは、受け手が①マイクロアグレッションが起こったのかどうか確信がない、②どう反応するべきか当惑する、③「そんなことをしてもしょうがない」と合理化する、④否認により自己欺瞞に陥って「なかったことにしよう」とする、⑤結果を過大評価する、⑥発し手を救ったりかばったりする、からである。反応しないことに対する説明は有色人種にとって妥当性はあるだろうが、何もしないことは潜在的には精神に害を与える。というのも、自分が経験した現実を否定することになり、自分をだましているという感覚に対処せねばならず、あるいは心理的・肉体的な犠牲をはらって鬱積した怒りとストレスに対処せねばならなくなるからである。
第三に、怒りを表明することややり返すことは、有色人種にも否定的な結果をもたらす。人種に関して敏感すぎるとか、病的であるといった非難を受けるだろうし、感情的に爆発することはマイノリティへのステレオタイプを強化することになるからである。こうした場合、その場で鬱積した感情を解き放つことでいくらか気持ちは収まるが、現実的には何も変わらない。まとめると、キャッチ22状態は「やり返しても黙っていても、馬鹿をみる」となる。
Sue(2010: 42-23)が提示している彼自身の経験は非常に興味深い。彼がアフリカ系アメリカ人の同僚と小型の飛行機で出張に出かけた時のことである。飛行機に一番乗りした彼らは席がすいていたので、前の方に座ってもいいかと乗務員に聞いた。白人女性の乗務員は、好きな所に座ってよいと言い、彼らは前の方に座った。一番最後に乗って来た白人男性に乗務員が好きな所に座ってよいと伝えると、彼らはSueらのすぐ前の席に座った。飛行機が離陸する直前、乗務員は機内を見まわし、Sueとその同僚に、機体の重さのバランスをとるために後方の席に移動するよう伝えた。Sueらは後ろに移動したが、違和感が残った。「なぜ自分たちだけが移動するよう言われたのか」「なぜ白人三人組は移動しろと言われなかったのか」「自分たちの人種のせいか?」「人種は関係なく、たまたま自分たちだっただけか?」「気にしすぎか?」という疑問が頭をめぐり、彼(と同僚)は人種にまつわるこれまでの経験に照らして、「乗務員は自分たちを二級市民扱いした」と結論付けた。怒りがわき、動悸が激しくなり、我慢できずにそれを伝えると、乗務員は「そんなことで責められたことはこれまで一度もない。なんてことを言うんだ。人種なんて気にしていない。機体のバランスをとるために移動してもらっただけだし、プライバシーを守れる余裕のある席を提供したかっただけだ」と声を荒げた。彼女には彼女なりの合理的理由があり、Sueは結局、自分は間違っていたのだろうかと悶々とするはめになった。
Sue自ら分析しているが、ここには、白人である乗務員と有色人である彼自身の心的ジレンマが現れている。二人は状況を別様に捉えており、その捉え方には各々の人種にまつわる経験が反映されている。乗務員は人種が人生に影響を及ぼしたような経験はなく、アジア系アメリカ人のSueは、これまでにも似たようなことを経験しており、その延長線上で事件を受け止めている。Sueはまず自分を疑い(ジレンマ1)、訴えるものの乗務員との現実認識のギャップを知る(ジレンマ2)、乗務員はおそらく、些細な出来事としてしか認識していないだろうし(ジレンマ3)、しかしSueは怒りの感情とともに動悸が激しくなるのを感じる(ジレンマ3)。迷いながらも訴えてみるが結局伝わらず、後味だけが悪い(ジレンマ4)。とりわけ、第3のジレンマは、被害を無化することで二次被害を生むことにもなる。

3.2 どのような被害か ―精神的・肉体的・社会的・文化的
上記でも多少言及したように、マイクロアグレッションそのものは悪意なしに行われるが、受け手の側には精神的・肉体的被害を与える。Sue(2010)は自らの研究分野もあって、とりわけ精神的ダメージに焦点を当て、マイクロアグレッションがどのようなストレス要因になるのかを詳述している。周縁化された集団は、一つの文化が支配的であるような社会で生きねばならず、このことはマイノリティを社会の逸脱とみなす。他方で(ステレオタイプ的な)文化の担い手としての適合を強いられる。加えて常時偏見と差別にさらされており、このことは健康に大きく影響する。第一に生物学的影響である。血圧上昇や動悸が激しくなったり、ストレスが免疫システムに変化をもたらすことで病気にかかりやすくなる(97-9)。また、人種主義、性差別主義、異性愛主義は心理的適応、個人の幸福や自尊心、メンタルヘルスに影響を及ぼす。とりわけマイクロインサルトとインバリデイションは有害で、精神疾患や鬱を招く(99)。第二に、ストレス要因がもたらす認知への影響である。マイクロアグレッションが起こると、その受け手は出来事を理解し意味づけようとする。その際、マイクロアグレッション自体が曖昧に行われるので、受け手は解釈に悩む。たとえば数学の授業でアジア系アメリカ人の学生が、「君らは得意だろう」と問題を解くよう教員に指されたとき、学生は、「これはほめてるのか、スレテオタイプか」と悩む。解釈で悩み、反応すべきかどうかで悩み、反応したさいの結果がどうなるかについて悩むことには多大なエネルギーが費やされる。そのことでまた、やるべき課題に注ぐべきエネルギーがそがれ、問題解決や学習の能力が低下してしまったり(100-1)、ステレオタイプを強化してしまうというプレッシャーによって能力を発揮できなくなったりする(102)。最後に、具体的な対処行動をとるかとらないかなど、行動への影響がある。対処行動をとらなかった場合にはストレスとなり、対処行動をとっても(支配文化への)過度な適応や状況の悪化を招くこともある(103-5)。また、レイシズムの歴史からマジョリティに対して疑り深くなり良好な関係が結べない、常に怒りを抱えている、人生に希望が持てずに鬱や自死を選択するといった行動面への影響がある。
その他の研究からもメンタルヘルスへの悪影響は報告されているが(たとえばHuynh 2012など)、敵対的かつ侮蔑的な職場・学内環境の造成・維持、ステレオタイプの恐怖を永続化、身体への悪影響、社会的集団のアイデンティティを貶めるサインが社会の隅々まで深くしみわたる、仕事の生産性と問題解決能力を低下させる、といった被害が調査されている(Sue 2010: 51-2)。
マイクロアグレッションそのものもストレス要因であるが、存在そのものが否定される場合、それを訴え、闘うことには多大な代価が強いられる。アイデンティティへの攻撃を防ぐために労力を使うことになるうえに、闘うとトラブルメーカーとみなされたりもする。報復として教育の場では成績を下げられたり、職場では不適切な待遇を受けたりというリスクもあるかもしれない。
自尊心の低下により行動範囲が狭められ、また、「ここにいるべき人ではない」という想定を常に突きつけられること、支配文化がそのように想定していること自体によって、教育、雇用、健康の機会へのアクセスが狭まり、生活の質の低下、生活水準の低下を招くことにもなる。

4 おわりに
―日本社会の「抑圧」を捉えられるか?―

レイシズムや差別といった語彙では語りにくい、非常に微妙な発言や行為が、在日朝鮮人を取り巻いている4。マイクロアグレッションという概念は、見落とされがちな日常のレイシズムの現実に言葉を与えてくれるように思う。「日本語うまいですね」「日本人みたいに見えますね」(どうやら褒め言葉らしい)や、「留学生ですか?」「いつ日本に来たんですか?」など、筆者が自己紹介するとよく言われる台詞である。これらの発言に悪意はないだろうし、単に会話を続けるため、あるいは他者への関心からなのだと思う。しかしこれらの発言は、「あなたはよそ者」「日本には日本人しかいない」という前提をもとになされている。
マイクロアグレッションは「うまく言えないもやもや」に目を向けさせ、「あれは何だったんだ」という問いに、「それは攻撃だった」と言葉(答え)を与えてくれる。また、過剰に敏感だと思われていたことや、見過ごされてきたことに対して、それらは過剰でも過敏でもなく、生きている現実の違いが認識のギャップを生んでいるのであり、そもそも問題である、といえる力のある概念である。「差別」と言えるか微妙な事例を捉えるのに適しているように思われる。
ヘイト・スピーチが社会問題化したことを背景に、ヘイト・スピーチを在日朝鮮人はどのように受け止めているのか、いくつかの調査が行われた。そのうち私の目を引いたのは、在日コリアン青年連合(KEY)が発刊した『在日コリアンへのヘイトスピーチとインターネット利用経験などに関する在日コリアン青年差別実態アンケート調査報告書』(2014)5の自由記述回答であった。この結果を分析するなかで、「あからさまな差別=法律・制度から市民社会での露骨な不平等とは直ちに言えないものの、在日コリアンの青年が在日コリアンであるがゆえに経験する特有の疎外状況」として「差別未満」というカテゴリーを設けている(51)。例をあげると次のようなものである。

30代男性「一番傷ついたのは無理解。「なんで日本にいるの?」「なんで韓国語しゃべれないの?」と聞かれていくら説明してもそもそも聞いていない。理解する気がない。もし日本の植民地支配について批判すれば「じゃあ韓国帰れ」などと言われる」(KEY 2014: 28-9)。
20代女性「信頼していた人に在日であることを話しても、「あなたはあなた。そういうことで関係が変わったりしない」と言われ、理解されていないと感じた。」(KEY 2014: 29)
20代女性「中学生のとき、チマチョゴリで通学時に、日本人(と思われる)女性に嫌悪の目で見られた。」(KEY 2014: 31)
30代男性「ヘイトスピーチがいかに問題かを強く主張したときに、知人の日本人に、「考えすぎだ」「そこまでの問題ではない」と言われただけでなく、「朝鮮人はすぐにそういうふうに悪い方へ悪い方へと考えるから」と言われた。」(KEY 2014: 31)
20代女性「日本人の友達がほとんどだが、ヘイトスピーチの話をしても「そんな人おかしい人達のあつまりやから気にするな。あなたは日本で育ったのだから日本人とかわらない」と言われる。私を守るために悪気なく言っているのは分かるが私は日本人ではないし、現状を理解できてないように感じ、悲しい。」(KEY 2014: 31)

マイクロアグレッション概念が生みだされたアメリカとは歴史性もマイノリティの置かれた位置も異なる。しかしたとえば、事例としてよく取り上げられる、「わが国のよそ者/異邦人」と見なされるというのは、在日朝鮮人にはとても当てはまる。もちろん、何代住んでも自動的には日本国籍を取得できない在日朝鮮人と、国籍取得において生地主義をとっているので二世代目以降はアメリカ国民になるアメリカの移民とでは全く置かれている状況が違う。アメリカにおける人種にかかわるマイクロアグレッションは可視的なマイノリティ(アフリカ系、アジア系、ラテン系など)に対するもので、在日朝鮮人の日本における不可視性(一見して区別がつかない、という意味で)を考慮すれば、マイクロアグレッションは別の現れ方、経験のされ方をするだろう。マイクロアグレッションと複合差別intersectionについても多くの実証研究がなされている。今後、検討を経て何らかの適用可能性を探りたい。

[付記]
 本研究はJSPS科研費(基盤研究(C)、研究課題番号25511018、「文化・社会運動研究における『アイデンティティの政治』の再文脈化」による研究成果の一部である。

[注]
1 アメリカの団体「The Anti-Defamation League」および「Survivors of the Shoah Visual History Foundation」が作成し、教育用に配布している。当初、ADLで作成した「A WORLD OF DIFFERENCE」のカリキュラムの一部で、USC Shoah Foundation Instituteが制作したビデオ証言集とともにジェノサイドと偏見について学ぶ人権学習教材として構想され、1995年11月16日の国連寛容デーに合わせて作成された。
2 1927年生まれ。ハーバード大学医学大学院で精神科名誉教授、同大学教育学部名誉教授。
3 Catch-22 situationとは、矛盾する規則・状況による金縛り状態、不条理な状況,ジレンマを指す。米国の小説家Joseph Hellerの同名の小説(1961)の軍規から、狂気なら戦闘を免除されるが、狂気の届を出すと正気と判定されるので、どのみち戦闘参加となるという描写がもとになっている。(プログレッシブ英和中辞典より)
4 もちろん、公務就任権と当然の法理の存在、朝鮮学校の高校無償化対象除外など、公的差別は続いている。
5 在日コリアン青年連合(KEY)と東洋大学教授の井沢泰樹が2013年6月から2014年3月までに10〜30代の在日コリアン(日本に在住する朝鮮半島にルーツを持つ者)を対象に実施したアンケート調査。

[文献]
朝鮮時報取材班,1990,『狙われるチマ・チョゴリ ―逆国際化に病む日本』柘植書房.
Dovidio, John F. and Samuel L. Gaertner, 2004, “Aversive Racism,” Advances in Experimental Social Psychology, 36: 1-52.
Endo, R., 2015, “How Asian American Female Teachers Experience Racial Microaggressions from Pre-service Preparation to Their Professional Careers,” The Urban Review, 47(4): 601-25.
Forrest-Bank, Shandra, Jeffrey M. Jenson & Shannon Trecartin LMSW. 2015, “The Revised 28-Item Racial and Ethnic Microaggressions Scale(R28REMS): Examining the Factorial Structure for Black, Latino/Hispanic, and Asian Young Adults,” Journal of Social Service Research, 41(3): 326-44.
Huynh, Virginia W. 2012, “Ethnic Microaggressions and the Depressive and Somatic Symptoms of Latino and Asian American Adolescents,” Journal of Youth and Adolescence, July, 41(7): 831-46.
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生存学研究センター報告

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