第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 3.DVにおける分離政策のオルタナティヴのために ーリンダ・ミルズおよび修復的正義の視点

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理論/実践

DVにおける分離政策のオルタナティヴのために
―リンダ・ミルズおよび修復的正義の視点―

小西真理子


1 はじめに

DV(ドメスティック・バイオレンス)は親密な関係性を築いたカップルに生じる痛ましい出来事である。DVは時に暴力の被害者の生命を脅かすほどのものであるため、その対策では被害者の生命保護が最優先される。1970年代以降のアメリカにおいては、バタードウーマン運動に始まり、暴力をふるわれている女性が虐待的な関係性から分離することを推奨することで、女性たちの安全を確保してきた(Pennell & Francis 2005: 671)。日本においても2001年に施行された「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」(DV防止法)以降、加害者を被害者に接近させないための保護命令制度や、一時保護制度およびシェルターの充実・整備をとおして、被害者を加害者から引き離すことでDV被害者を守ってきた。子どもがいる場合は後に面会交流の必要性が生じはするが、DV問題発生当初においては、被害者と加害者との分離に焦点を当てることで問題解決が目指されてきた。
しかし、ここでDV被害者と加害者の分離政策のみに焦点が当たることによって、救済されるはずの被害者が、さらなる苦痛を感じてしまう場合が見受けられる。被害者のなかには加害者との分離を一切望んでおらず、別れずに暴力から抜け出す方法を知りたいと願っている者が存在する(あさみ 2010: 89-95)。別れることを望んでいなかった被害者たちは、分離を「強要する」援助政策に抵抗する。命の恩人であるはずの支援者たちを裏切り、次第に「加害者」のもとへ帰っていく者が後を絶たない(斎藤 1996: 66-78)。数々の研究によって、シェルターで保護されていた50から60%のDV被害者が、自身に暴力をふるっていた加害者のもとへ戻っていくという報告がされているのである(Peled et al. 2000: 9)。このような援助への抵抗が生じる理由の一つこそが、被害者が望まない場合においても、被害者と加害者の分離に焦点を置く解決方針のみが推進されている現状である。
内閣府男女共同参画局公表の「配偶者からの暴力に関するデータ」によれば、2002年以降、支援センターにおける相談件数は増加の一途をたどっており、2014年には102,963件もの相談が寄せられている。また、警察における配偶者からの暴力事案等の認知件数は、2001年以降概ね増加しており、2014年には59,072件に達している(内閣府男女共同参画局 2015a)1。他方、最高裁判所資料を参考に作成された、同じく内閣府男女共同参画局公表の平成26年度「配偶者暴力に関する保護命令事件の処理状況」によれば、DV防止法に基づく保護命令申告事件の新受件数は、2001年から2008年まで増加傾向にあったものの、2009年以降増減を繰り返しており、2014年は3,121件であった。つまり、配偶者暴力事案の「認知」件数と、DV防止法が活用されている件数には大きな差が見られる。また、同資料によれば、2001年から2014年度にわたって保護命令申立総数に対する(他庁への移送等を含む)取り下げ率は、15%前後となっている(内閣府男女共同参画局 2015b)。このような背景には、保護命令申告のハードルの高さやDV被害者に対する加害者からの脅迫等の理由があると考えられているが、一方、被害者が加害者のもとへ戻ることを選択し、自ら進んで事件化しようとしないという背景もあると考えられる。
アメリカでは、DV被害者が被害報告を撤回したり、裁判での証言を拒絶したりする例が多発しており、このような問題に対処するために1980年代よりミネソタ州のダルースやカリフォルニア州のサンディエゴをはじめ、いくつかの州でノードロップ政策(No-Drop Policy)が採用されるようになった。この政策下では、たとえ被害者が裁判所に出廷することや被告人に不利な証言をすることを望まなかったとしても、暴力の証拠が存在する場合には、検察官が事件の手続きを被害者の意志に関係なく進めることが許可される。この手続きによる要請を拒否した場合、被害者にペナルティが課せられることもある(Smith et al. 2001: 1-2)。この政策は、DV加害者が被害者に対して、子どもに危害を加えるなどと脅迫して被害報告を撤回させようとしている場合や、バタードウーマンシンドロームに特徴的であるように、DV加害者のもとで暴力に長年耐え忍んだため被害者が無力化してしまっている場合などにおいて、不当な理由から被害報告を撤回してしまう被害者を法的拘束力によって救うことを可能としている。しかし一方、このような政策の下では、分離のみが強調されるDV政策の問題点がさらに深刻化していると考えられる。日本においても、アメリカにおいても、DV被害者は加害者から離れることを望んで当然と考えられている傾向性は、加害者との関係性を継続するなかで暴力問題を解決したいと望む被害者に対して不快感を示しているし、現在日本の法律は、そのような被害者に対する対処のすべをもっていない。
本稿では、以上の問題意識をもったうえで、DVにおける分離政策のオルタナティヴについて考察を進めているアメリカのフェミニスト法学者リンダ・ミルズの研究を取り扱う。第一に、ミルズが指摘するDV被害者と加害者の分離のみを推進する現政策の問題点について論じる。ミルズは暴力問題を抱えつつも分離を望まない「暴力の受け手(被害者)」に焦点を当てて、彼女たちの主張が正当なものであることの論証を試みている。第二に、裁判所管轄にあるDV案件の次世代的な政策としてミルズが着目している修復的正義/司法(restorative justice)とその実践について概観する。第三に、ミルズが試みているような修復的正義のDV事例への適用に対する懸念の声を検討する。DVは親密な関係性を築いたカップルに生じるという特徴があり、そのような関係性にある被害者と加害者が面会することには独特の危険性があるのだ。これらの議論の検討は、DVに対処するにあたって分離政策を実施しつつも、その政策外のニーズをもつDV被害者を対象としたオルタナティヴな政策を導くため、ないし、そのような被害者のニーズが軽視されないための議論の基礎固めとなると考えられる。
なお、本稿は、男女カップルに生じたDVのうち、被害者が女性であり、彼女が分離を望まず、子どもがいない/子どもの問題に焦点が当たっていないケースを主に対象としている。典型的なDVとは、男女間の暴力問題を想起させるものであり、その被害者は女性であることが連想される。この先入観によって、同性愛カップルや男性被害者の問題などが不可視化されることは事実である。また、DVにおける分離対策の問題は、養育問題など、子どもがいるカップルにおいてさらに複雑化・深刻化することは明白である。しかし、本稿ではあえて同性愛カップル、男性被害者、子どもについて詳しく言及はしない。そうすることで、本稿から見えてくることは、多層的な問題を考慮せずとも、現在のDV政策における分離論には限界があるということである。

2 加害者との関係性切断を拒絶する被害者

ニューヨーク大学の暴力と回復センターの設立者であるフェミニストのリンダ・ミルズは、2008年の著書Violent Partnersにおいて、「女性被害者が支配的な虐待者の下で恐怖を抱きながら暮らしているという、現在語られているDV(domestic violence)概念は、今日暴力によってもがき苦しんでいるアメリカ人カップルのうち、ごく一部を表象しているにすぎ」(Mills 2008: xii)ず、現行の刑事司法システム(criminal justice system)は、一部の被害者の救済にしか貢献していないと主張する。過去30年にわたるフェミニストの努力によって、アメリカにおけるDV政策が驚くべき成果をあげてきたのは明白であり、数えきれないほどの女性が救われてきた。現在ではほとんどのアメリカの主要都市にパートナーの暴力から女性が避難するためのシェルターがあり、以前に比べて女性たちの安全が確保されている。しかし、ミルズによれば、現行のシステムが対象としているDV被害者は、ミドルおよびアッパークラスの白人異性愛女性であり、なおかつ、子どもをもっておらず、初めて警察に通報した時点ですでに虐待者のもとを離れる決心がついている者である。ミルズはこの条件と一致しない者、すなわち、分離政策に対するニーズ外にあるDV被害者たちのための新たな政策が必要であると考えた。
ミルズはViolent Partnersにおいて、特にパートナーのもとを離れることを望んでいない女性に焦点を当てて議論を展開している。ミルズによれば、警察に通報した女性は、必ずしも夫が逮捕されることを望んでいるわけではない。それどころか、多くの女性は、「彼女たちを傷つけたパートナーとの繋がりを切断することを望んでいない」(Mills 2008: xii)し、夫の逮捕に拒絶反応を示して加害者をかばうこともある。彼女たちの多くは、DV支援の標準化された「脚本に従う(follow the script)」ことを拒絶する。また、「親密な二人のあいだに生じる暴力は、ほとんど常にわれわれの許容しようとする範囲を超えた複雑さを有しており、多くの暴力的関係性は標準的な定義にはそぐわない」(Mills 2008: xiii)。しかし、支援者を裏切って加害者をかばったり、加害者のもとに戻ったりする彼女たちは、支援提供者からすれば恩知らずの被害者(ungrateful victims)であるし、彼女たちのそのような態度は、典型的なDV被害者の態度として、あるいは、バタードウーマンシンドロームによるものだと一様に理解されてしまう。
有名な実例として、元アメリカンフットボール選手のジム・ブラウンとその妻の例が紹介されている。1999年カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて、ジムは妻の車を破壊し、彼女を殺すと脅した。妻は近隣の家に逃げ、警察に通報した。オペレーターがこれまでにも夫の暴力があったかと確認すると、妻は「はい」と答えた。しかし、裁判において妻は証言を翻し、夫は自分を殺すと脅してはいないと陪審員に訴え、警察に通報したのは夫が浮気をしたと思ったからだと述べた。このように夫が投獄させられることによって証言を変えることは、多くのDV被害者に見られる。多くの妻にとって愛する夫が投獄され、罰せられることは受け入れがたいのであり、彼女らは夫が罰せられることよりも夫との関係性を守ることを選ぶのである(Mills 2008: 38-9)。
また、アメリカの刑事司法システムを経験したサラは、「システムは私を助けるためにそこにあるのだと思っていました……しかし、そうではなくて、最終的にシステムは私の最大の敵になってしまったのです」(Mills 2008: 40)と述べる。ある日サラは、夫のジェフともめたとき、興奮したジェフが飼い犬を叩き始めたので彼を蹴った。その衝動でジェフはメガネを落とし、よろめいてサラにぶつかった。そのときサラのメガネの淵が彼女に突き刺さり、目の近くを切ってしまい病院へ行くことになった。サラは看護師に、結婚して15年間このようなことは一度もなかったと伝えたが、この出来事は一時的なものではなく結婚生活のなかで生じたストレスによるものだと理解していた。サラは、病院側はカウンセリングを提供してくれるものだと思っていたし、それを望んでいた。しかし、彼女の前に現れたのは警察だった。彼女は、自分はバタードウーマンではないし、夫もバタラーではないと強く訴えたが、警察の一人に「次回は死ぬ可能性がある」と言われた。夫が逮捕されると告げられたサラは、夫は新しい仕事を始めたばかりで、翌朝出張に出かける必要があると訴えた。この仕事は経済的にも家族にとって重要なものであったため、二人はジェフの保釈金を11,000ドル払うことになった。数日後、暴力被害の主張者が、サラに連絡をとり、彼女に法的分離(離婚)を視野に入れてシェルターに避難することを勧めてきた。また同日に地方検事からも連絡があった。一連のやり取りの後、ジェフはバタラーのための治療を受けることになり、家族は治療プログラムのために16,000ドル支払うことになった(Mills 2008: 40-1)。地方検事も主張者も、サラとジェフのようなケースにおいて暴力の除去に成功することはほとんどなく、通常暴力は継続し、結局女性が夫のもとを離れるか、それとも死ぬかという最後を迎えると告げた。サラは、「私は自分では何も考えられないし話すこともできない被害者として扱われました。警察も地方検事も被害者主張者も、明らかに私のことを典型的なバタードウーマンとして見ていたし、そう理解されることで、私の行いも発言もすべて色眼鏡で見られていました……私がいくら自分の求めているものや家族が必要としているものについて訴えても、誰も聞いてくれませんでした」(Mills 2008: 41)と述べた。
ミルズはこのように現行のDV政策によってさらに苦しめられた、あるいは先入観をもってのみしか接してもらえなかった暴力の被害者たちを考慮した上で、以下のように述べている。

刑事司法システムは、この社会問題に立ち向かうための唯一の方法にはなり得ない。ほとんど無視されているが、けっして否定できない事実として、暴力的な関係性に巻き込まれているほとんどの人びとが関係性を終わらせることを望んでおらず、パートナーが刑務所に入ることをまったく望んでいない。彼女たちはただ暴力が止んでほしいだけなのである。目指すべき場所が、関係性を癒すことや、あるいは、さらなる暴力から彼女たちを解放することで人々をエンパワーすることであるのは明らかであるが、同様に、警察と法廷は観念的にこの目的と相いれないのも明らかなのである。(Mills 2008: 43)

 ミルズによれば、暴力をふるわれた女性たちは、夫のもとを離れることを拒絶したからといって、暴力の深刻さを理解していないわけではなく、むしろその暴力が再発するだろうということも知っている。しかし、それでも現行のシステムによって関係性を切断されるくらいなら、再度暴力をふるうであろう夫のもとに戻ることを選ぶ。したがって、暴力をふるう夫を逮捕するのとは異なる形式の援助により、被害者女性が暴力から逃れることや、暴力のサイクルを断ち切ることを可能とする新たな道こそ、彼女たちが求めるものであり、それを求める権利が彼女たちにはあるとミルズは考える。

3 DV案件のための修復的正義プログラム
―サークル・オブ・ピース―

ミルズは暴力問題の被害者が関係性の切断を望まないケースについて考察するなかで、修復的正義の理論と実践に注目するようになった。修復的正義の近代的モデルは、主に1970年代より行われた、カナダのオンタリオ州やアメリカのインディアナ州のメノナイト派の多くのコミュニティにおける実践が代表的なものであり、ハワード・ゼアによって広く伝えられた(Zehr 2002: 11)。ゼアはアメリカ社会が犯罪と正義を応報のレンズをとおしてみる傾向にあることを批判的に捉え、人びとの関係性を考慮した修復のレンズから犯罪を考慮する必要性を論じた。従来の応報的正義/司法(retributive justice)では、「犯罪は、国家に対する侵害であり、法律違反と罪責によって定義づけられる。正義/司法は、体系的規則に従い、加害者と国家との争いのなかで、責任を決定し苦痛を科する」。一方、修復的正義/司法では、「犯罪は、人びとや関係性に対する侵害である。犯罪は物事を正すための責務を生み出す。正義/司法は被害者、加害者、およびコミュニティと関わりつつ、回復、和解、自信を促進させる解決策を追求する」(Zehr 1990: 181)。修復的正義は、被害者と加害者の対話、調停サークル、ファミリーグループ・カンファレンスなどの実践によって展開され、応報のレンズからは導き出せない関係性の修復を実現する。
ミルズはDVを扱う修復的正義の理念からなるサークルとして、自身も設立者の一人であるサークル・オブ・ピース(Circles of Peace/Ciculos de Paz: もともとは、Constructing Circles of Peace/Construyendo Ciculos de Pazと呼ばれていた)の調査を進めている。サークル・オブ・ピースは、修復的正義の理念に導かれたサークルの手法が適用された、アメリカ初の裁判所委託によるDV治療プログラムの一つである(Mills 2008: 224; Mills, Barocas & Ariel 2013: 70)。このプログラム発足のきっかけは、同じくこのサークルの設立者であるアリゾナの裁判官メアリー・マーリーが、ミルズの著書Insult to Injuryを読んで感銘を受け、ミルズに連絡をとったことであった。志を同じくした二人は、アリゾナ州ノガレスの50人のコミュニティリーダーと面会し、加害者更生プログラム(batterer intervention program)のオルタナティヴになりうる、この地域に適したサークルプログラムの発足のために努めた。ノガレスには、ラテンアメリカ系のカトリック教徒でメキシコと密接な関係をもつ者が多く、ノガレスの家族は常に一緒に過ごす傾向がある。彼らにとって離婚することや、家族が一日や二日以上離れることは好ましくない。したがって、家族分離が根付いていないノガレスのコミュニティにおけるニーズに合ったプログラムが求められていた(Mills 2008: 223-4)。このニーズを考慮することで、ミルズとマーリーは、既に形成されていたピースメイキング・サークル(Peacemaking Circles)モデルをもとに、2004年にサークル・オブ・ピースを設立した(Mills, Maley & Shy 2009: 147; Mills, Barocas & Ariel 2013: 70)。このプログラムは、Andrus Family Fund、Arizona Foundation for Women、Arizona Community Foundationの支援によって成り立っており、2008年3月にはハーバード大学ケネディスクールにおけるアッシュインスティチュートによって「政府におけるトップ50のイノベーシィン」に選ばれた(Mills, Maley & Shy 2009: 129)。
プログラムは、裁判所管轄のもとDV犯罪で逮捕された人が受けることができ、通常、全26週から52週で行われる。プログラムにおいて、加害者は「自発性を有し、支援を必要としている志願者(applicant)」、被害者や他の全ての支援者たちは「参加者(participant)」と呼ばれ、「被害者」や「加害者」というレッテルを張らないようにしている。参加者はサークルに参加するかどうかを選ぶことができる(Mills 2008: 223)。プログラムには当事者の他に、サポーター、このプログラムのために訓練され認可されたプロのファシリテーター、コミュニティのボランティアが参加し、家族における暴力の歴史について対話したうえで、そこに有益な変化をもたらすことが目標とされる(Mills, Maley & Shy 2009: 129)。「裁判長が保護観察局の情報を精査したうえで加害者をプログラムに委託すると、コーディネーターはプログラムに参加予定のメンバー全員との面談を行う。コーディネーターは、この面談をとおして、このケースがプログラムに適切かどうかを判断する。コーディネーターがそのケースをサークルにふさわしくないと判断した場合、事件は裁判所に差し戻される。コーディネーターが適切と判断した場合、再度参加者メンバーの審議などがされたうえでサークルが開催される(Grauwiler et al. 2007: 586-93)。」
ミルズはこのプログラムの実例として、メネンデス家の事例を紹介している(Mills 2008: 227-38)。ロベルト・メネンデスとエレナ・メネンデスは結婚して20年の夫婦で、彼らには4人の子どもたち(14歳、10歳、6歳、3歳)がいた。2005年の夏まで全く逮捕経験がない二人であったが、その夏の夜、ロベルトは予測不可能で驚くほどに暴力的になった。その夜ロベルトは、トラック運転手である友人のジュアンと先に帰宅していた。エレナはジュアンのことをあまりよく思っておらず、彼が夫と若い女性のいるレストランなどで飲み歩いていることから、彼が夫に悪影響を与えていると考えていた。ジュアンの帰宅後、エレナはロベルトに「低俗な人間」と友情を築いていることに抗議し、その後、夫のことを無視し始めた。妻に無視されることで不満が増幅していったロベルトは、ビールを何杯も飲んで完全に正気を失ってしまった。警察の報告書によれば、彼はハンマーでダイニングルームのテーブルや椅子を壊した。それを見たエレナは、壊れたテーブルの脚を植物に向かって投げつけ、ポットを粉々にし、植物を根こそぎむしり取った。恐怖にかられた子どもたちの一人が警察に通報したことでロベルトは逮捕され、エレナは子どもたちがいる家に残ることになった。
この事件の数週間後、彼らはマーリー裁判官の法廷に訪れた。法廷においてロベルトには、彼が参加すべきプログラムとして、バタラーの回復プログラムと、家族全体が参加できるノガレスの新しいプログラムであるサークル・オブ・ピースとの二つの選択肢が与えられた。エレナも同意する形で、ロベルトは後者を選択した。メネンデス家のサークルは、ロベルトとエレナ、看護師、ソーシャルワーカー、ロベルトとエレナそれぞれの信頼できるサポーター、ノガレスのコミュニティメンバーのボランティアによって、1回約2時間で行われた。サークルでは、専門家たちによるケース分析(ダイニングルームは家族の象徴であり、ロベルトはそこを破壊することで家族を破壊しようとした等)、当事者たちの真意の告白(ロベルトはエレナにもっと自分のことを気にかけてほしいと何カ月も思っていたし、エレナはロベルトが働いているあいだに寂しい想いをしていた等)、周囲の者による当事者に対する理解の表明をつうじて、当事者同士の関係性の修復や相互理解が目指された。
このサークルは刑事司法プログラムに位置付いているため、基本的に開催地はコミュニティに属する場所で行われるが、必要があると考えられる場合には、当事者の自宅で開催されることもあった。このケースの場合も、第20回目のサークルが自宅開催され、その時は幼い子どもたちもサークルに参加した。たとえば、警察に通報した10歳の子どもは、ただ暴力的な父親を止めたかっただけなのに父親が警察に連れていかれてしまったことで、騒動のときよりさらに苦しみ、兄弟たちにも責められ、自分こそが最悪のことをしてしまったと感じていると告白した。兄弟たちは、今ではその子が正しいことをしたと理解していると伝えた。また、夫婦が上手くいかないと、母親が父親を無視し、無視された父親が子どもに母親のもとへ行かせて自分と会話するよう促させることが習慣化しており、それが子どもを傷つけていることも分かった。ロベルトとエレナは子どもたちの気持ちを理解し、彼らに謝罪した。このような修復的正義の理念からなる裁判所管轄のプログラムをつうじて、DV関係を取り巻く人びとは、法に取り締まられながらも分離を推奨されるのではなく、関係性の回復を目指すことができる。

4 DVと修復的正義への論争

修復的正義は、犯罪被害者と加害者の関係性修復を目指す理論と実践について探求してきた。ミルズらはこの理論をDV事例に適用してきた。しかし、これまで修復的正義のプログラムでは、女性への暴力問題や児童虐待の取り扱いが控えられる傾向にあった。日本において、NPOによる修復的正義実践団体である関西被害者加害者対話支援センターではDVや児童虐待の事例は原則として除外されているし(平山 2010: 70)、そもそもDVに修復的正義のプログラムは適用されていない(宿谷 2010: 66)。ゼアは、「修復的正義モデルの実践は、DVのような事態において注意深い安全策を講じないで適用してしまうと大変危険なものになりうる」(Zehr 2002: 38-9)と述べている。彼が懸念するように、修復的正義のDV案件の適用は、多くの研究者によって吟味・批判されてきた。ミルズはその批判を大きく三つに分類している。
第一に、修復的正義は、DV被害者と加害者の深刻な力の格差を一層強化するという批判がある。両者のあいだにはそもそも力の不均衡があるため、ミーティングをつうじてDV加害者は被害者を責めたり、心理的に虐待したりするかもしれない。その結果、被害者はさらに脆弱になり、被害者の安全が損なわれる恐れがある(Koss 2000: 1338; Daly & Stubbs 2006: 17)。また、虐待者がミーティングにおいて、すぐには他者に分からないような仕方で巧妙に被虐待者を欺く場合が予測される。DVは通常、加害者による虐待行為と謝罪の繰り返しによって特徴づけられており、加害者はパートナーや他者を欺くための謝罪の術に長けている(Stubbs 2002: 58)。したがって、ミーティングにおける虐待者の謝罪や改心的発言を信用することには危険が伴う。サークルにおいてはよき振る舞いをしていた加害者が、ひとたびパートナーが家に帰ってくると、再び暴力をふるい始めるかもしれないのである(Mills, Maley & Shy 2009: 132)。
一方、修復的アプローチ(特にファミリーグループ・カンファレンス)の視点から見れば、ソーシャルワーカーや警察よりも、拡大家族やコミュニティメンバーのほうが、家族内の力の不均衡が乱用されたときに介入するよりよい立場にいる。そのような存在がDV加害者の身近にいる場合は、彼らこそが暴力に対する不断の監視を行い、暴力が生じた際に虐待者に強制力を行使し、被虐待者を保護する役割を担うに適している(Braithwaite & Daly 1994: 193-4)。すなわち、従来の刑事司法システムに携わる人びとよりも、修復的正義の理念にもとづくプログラムに参加するメンバーのほうが、DV加害者の真意を見抜く能力があり、彼らはプログラム終了後もプログラムの効果を継続的なものにしてくれる。したがって、プログラムをつうじて、家族やコミュニティ内で被虐待者は守られる立場になるのである。さらに安全が十分に保障される場所で実践される状況に限って、女性への暴力に修復的過程は適用されうると指摘されている(Pennell & Koss 2011: 196)。このことからも、修復的正義のDV適用にあたっては、プログラムを実施する側が安全性への配慮を注意深く行っていることが分かる。
また、ミルズらは、サークル・オブ・ピースの調査から、加害者矯正プログラムによって矯正されたDV加害者と、修復的正義のプログラムで矯正されたDV加害者の再犯率には大きな差がないため、後者が無意味だという伝統的見解は間違っているとも反論している(Mills, Barocas & Ariel 2013: 65)。
第二に、修復的正義はDV被害者に責任とプレッシャーを強いるという批判がある。修復的正義は謝罪と赦しを重視しているため、被虐待者は虐待者を赦し、和解するようにプレッシャーを与えられてしまう(Stubbs 2002: 58-60)。また、被害者のなかには、効果的に自身の利益を主張する能力がない者や、加害者との面会に嫌悪感を示して国家の介入を求めている者がいる。このような被害者に対して修復的正義は、直接加害者と面会して和解のために話し合うべきという負荷を与える(Koss 2000: 17)。この批判は修復的正義一般へのものといえるが、DV被害者と加害者が親密な関係性にある/あったことを考えれば、ここで指摘されている被害者に生じるプレッシャーはより強烈なものであると考えられる。
この批判に対してミルズは、サークル・オブ・ピースは、分離も含み、カップルのための新たな解決策を見つけることを試みているのであり、必ずしも和解のみを目指しているわけではないと主張する。サークルに参加したカップルのなかには、はじめはお互いのもとに留まるという選択をしていたが、ミーティングをつうじて考えを改めて離婚を決断した者もいる。ミーティングに参加する者たちは、関係性を修復するのみならず、できるだけ温和に関係性を終わらせるためにもサークルを活用することができる。親密な関係性における暴力に対する修復的アプローチの核心にあるものは、癒しであり、和解や赦しではないということを忘れてはならない(Mills, Maley & Shy 2009: 135-6)。
第三に、修復的正義は、DVが私的な問題として再び取り扱われることを助長すると指摘されている。この批判は強烈なものである。フェミニストたちは、従来家庭内で隠ぺいされてきた男性の暴力が社会的な問題であると訴えてきた。この訴えが社会的な声をもつことで、親密な関係性における暴力問題は犯罪化され、処罰されるようになった。修復的正義は、DVを特定の個人や家族の問題として捉えている側面がるため、このようなフェミニストたちの仕事を無効にしてしまう恐れがあるのだ(Curtis-Fawley & Daly 2005: 625-6)。また、フェミニストたちの声を受け、国家はDVを犯罪として取り締まることで、そのような行為がコミュニティ規範に違反することを認めてきた。修復的正義は、個人の声を重視することで、国家が法的拘束力をもってDVを規制することを放棄させようとする。このことは、政府にはDVに対する責任を担う必要がないといった結論を導きかねない(Mills, Maley & Shy 2009: 136)。
これに対してミルズは、刑事司法システムが社会的な声だけに耳を傾け、被虐待者が虐待者を罰することを望む場合にのみ機能するという前提こそが見直されるべきであると考える。彼女によれば、修復的正義は刑事司法システムと断絶したものではなく、むしろ近い関係にある。たとえば、サークル・オブ・ピースにおいて、プログラムに参加する犯罪者は地方裁判所から委託されるし、サークルの詳細は裁判官に報告しなければならない(Mills, Maley & Shy 2009: 136)。修復的正義は、刑事司法システムを放棄しているというよりむしろ、既存のシステムにオルタナティヴな視点を付与することで、特定の家族や個人の問題にも国家の管轄下で対処しようとしているのである。

5 今後の課題

本稿では、ミルズの議論を吟味することで、DVにおける加害者と被害者の分離のみを強調する政策の限界と、分離以外の新たな政策に対する考察を行ってきた。前述の批判から、DV案件の修復的正義への適用については慎重に検討する必要があることが分かる。しかし、ミルズが指摘するように、アメリカにおける修復的正義の実践の考察は、DVにおける分離以外の解決方法について一つのモデルを検証し、分離政策に対するオルタナティヴを実現するための一つの道筋を示すだろう。
そのために議論すべきこととして、本稿をつうじて以下の課題が浮き彫りになった。まず、ミルズが挙げたDV事例からも分かるように、修復的アプローチに適しているDV案件は、被害者の生命がただちに危険にさらされているような緊迫感をもったものではないように思われる。宿谷も、DVの初期段階、すなわち、DVが深刻化する前は修復的正義のプログラムが有効であり、DVがすでに継続・深刻化している場合には、「やはりまず被害者と加害者を引き離すことが大前提とされなければならない」と述べている(宿谷2010: 65)。ミルズの事例は、アメリカでは逮捕・処罰の対象になる。しかし、DV防止法による国家的な介入において「生命の危険」の有無が問題となる日本において、ミルズの事例は、(警告の対象になることはあるが)法的処罰の対象となるよりも、むしろ社会福祉や臨床心理の管轄において対処されることが多いであろう。前述したように、日本においてはDV案件に対して修復的正義の実践はいまだ適用されておらず、除外されてきた。このことからも、アメリカと日本の制度の比較検討を十分に行ったうえで、日本におけるDV制度の考察を行わなければならない。
次に、上記のことからも明白であるが、修復的正義においては、DV加害者は処罰され更生を促される「犯罪者」というだけでなく、暴力をやめられないため治療を必要とする「病人」として扱われている側面をもつ。加害者はお金を払って治療プログラムに参加するのであり、被害者のなかには、この支出こそが罰であると考える者もいる(Mills, Maley & Shy 2009: 137)。このことは加害者更生プログラムにもいえることであるが、加害者を取り巻く関係性も修復の対象としている家族カンファレンスやサークルの手法は、臨床心理的領域における家族療法を彷彿させる。このように司法制度のなかに臨床心理的領域の治療問題を内在させることの是非に対しても議論を要するであろう。
最後に、DV案件への修復的正義の適用は、男性優位からなる異性愛主義を助長していると捉えることもできる。この適用が、DVを社会的問題から私的問題へと後退させてしまうという批判からも明らかであるように、暴力をふるわれても虐待者のもとに戻り、虐待者や虐待者との関係性を治療/ケアすることを望む女性の在り方を是認することは、バックラッシュにつながるともいえる。ミルズが自身をフェミニストであると認識していることからも明らかなように、ここには異なる層にあるフェミニスト同士の深刻な衝突が存在する。この衝突自体の分析も重要な論点である。以上の課題に取り組むことで、DVにおける分離以外の解決策に対するさらなる考察を行っていきたい。

[付記]
 本論文は、平成26年度JSPS科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。

[注]
1 認知件数とは、配偶者からの身体に対する暴力又は生命等に対する脅迫を受けた被害者の相談等を受理した件数である。2014年1月3日以降、生活の本拠を共にする交際(婚姻関係における共同生活に類する共同生活を営んでいないものを除く)をする関係にある相手方からの暴力事案についても計上している。

[文献]
あさみまな, 2010, 『いつか愛せる―DV共依存からの回復[新版]』朱鳥社.
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生存学研究センター報告

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