第Ⅱ部 思考 ーフェミニズムをめぐる論考 ■理論/実践 2.フェミニズムとフィールドワークーアメリカ合衆国のシングルマザーと児童福祉

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理論/実践

フェミニズムとフィールドワーク
―アメリカ合衆国のシングルマザーと児童福祉―

中川志保子


1 はじめに

本稿では、自分の研究とまたそのために行った「フィールドワーク」経験を検討することによって、フェミニズムとフィールドワークについて考察する。まず、博士論文「アメリカのシングルマザーと児童福祉―1990年以後の福祉再編について」(Single Mothers and Child Welfare in the US: Post-1990 Welfare Reforms)(仮題)の内容を概観し、次にそのために行った「フィールドワーク」経験について述べる。最後に、フェミニズムとフィールドワークについて考察する。本稿はフェミニズム研究会にて(2013年12月22日、立命館大学に於いて)報告した原稿であり、一部加筆修正を加えた。フェミニズム研究会で報告の機会をいただき、またコメントや多くの助言をいただいた。ここに研究会参加者、特に事務局の方々、コメンテーターの金友子さん、山口真紀さん、ファシリテーターの堀江有里さんに感謝の意を表したい。

2 アメリカのシングルマザーと児童福祉

ジェンダー間の関係やジェンダー構造は社会福祉政策によって長い間規定され続けている。1990年代のネオリベラリスト的な福祉国家の再編成によってワークフェア的傾向が生み出され、その再編成によって、日常的に行われるケア労働などの社会的再生産労働が周縁化され、一方で雇用に重点が置かれるようになった。アメリカ合衆国では、1996年に導入された貧困家族一時扶助(Temporary Assistance for Needy Families: TANF)によって、補助のための権利付与は撤廃され、補助は条件的なものとして位置づけられるようになった。そして就労を目指し、就労するために努力することが法的に強制されるようになった。そのため、1935年から要扶養児童家族扶助(Aid to Families with Dependent Children: AFDC)によって保証されてきたフルタイムのケア提供者としての権利を多くのシングルマザーが失うことになった。時を同じくして、1990年以降、アメリカ合衆国では児童福祉制度が拡大し、主に母子家庭に(Slack et al. 2003: 518; Paxon and Waldfogel 2002)、特に「非白人」1の母子家庭(Roberts 2002)に影響を及ぼしている。1985年から2000年にかけて里親によってか、または児童養護施設で育つ子どもの数は倍増した(Swann and Sylvester 2006: 309)。また、児童福祉が介入する世帯の多くが福祉を受給する世帯と重なっていることが指摘されている(Courtney et al. 2005)。
1996年以降、福祉改革に関する評価は膨大になされているが、福祉改革と児童福祉改革との関係性、特に福祉改革と児童保護サービスChild Protective Services(以下、CPS)との関係性についてはあまり分析がなされていない。また、これらの改革に応答する社会運動と双方の福祉サービス領域(福祉と児童福祉)がどのように関わってきたのかについてもあまり分析がなされていない。政策決定は、(たとえば「依存」の問題や、福祉の負担不可能性などの)現存する福祉言説によってもたらされ、また異なって位置づけられている政治的アクターによって競われるものである(Nakagawa 2009)。児童福祉の文化的な意味づけに関するその他の言説は、統治的実践として、特にシングルマザーの生活を規定しながら、政策決定過程や政策実行過程を通して、どのように発明され、確固たるものとなり、そして具現化されたのだろうか。博士論文の第一の研究課題は、どのように1990年以降の福祉と児童福祉両方のサービスの再構成を物理的、表象的側面の変化がともに形作ったのかという点である。
博士論文の第二の研究課題は、母親たちがどのようにこれらの改革に応答してきたのか、という点である。特に、児童福祉サービスの1990年以降の再編成に対する母親たちの運動はどのような性質のものであるのか。博士論文では、児童の「福祉」と親の児童「虐待」について、CPSと母親たちとが異なる見解を持つ点を注意深く精査する。その理由は第一に、「ほとんどの児童虐待ケースが親のネグレクトに由来」し、「ほとんどのネグレクトケースは、子供のケア不足のような経済的困窮の結果としての親の態度に絡んでいる」(Roberts 2002: 34)からであり、第二に、児童福祉サービスが介入する世帯の特徴として不均衡に影響しているとみられる要因が三点あるからである。それは、貧困、人種、そして母子世帯である。私の博士論文の第三の研究課題は、特にワークフェアを通して貧困の犯罪化を強化するアメリカ合衆国の文脈において(Wacquant 2009)、このCPSと母親たちの間にある児童の「福祉」、「ネグレクト」の定義に関する争点の物理的、表象的な含意を探ることである。
先行研究のいくつかは、福祉改革とそれに付随する様々な要因(たとえば、義務的労働要請、低賃金労働、親の経済的状況、家庭内暴力、家庭や学校の不安定性、児童福祉改革、民営化など)と、児童福祉、親による虐待、そして児童保護介入、との関係性について調査しているが、たいていそれらは、フェミニスト分析を方法論、認識論的中心には置いていない。さらに、福祉改革と児童福祉に関する以下の重要な三点に取り組む実質的研究はいまだまれである。その三点とは、第一に、現在の児童福祉制度全体を把握する構造的分析、第二に、児童福祉サービスに関与した貧困な母親たちの視点と経験、第三に、児童福祉サービスに関する社会運動や活動、である。これらの三つの交点を批判的フェミニストの観点から検討することによって、この博士論文は、シングルマザーたちの、彼女たちの変革への行動をも含む、CPSに関する経験が、1990年以降の福祉再編にどのように関係しているのかを特に問うものである。
シングルマザーの身体は、「よい」母親像や黒人「病理」といったような社会福祉言説を決定するための抗争の場であると同時に、黒人女性の身体の商品化や母親たちを子どもから物理的に引き離すなど、社会福祉政策を物理的に実施する場でもある。博士論文では、福祉改革とCPSの関係性に特別な焦点を置きながら、シングルマザーたちの経験が社会福祉政策によってどのように形作られたのか、そしてまた社会福祉政策がシングルマザーたちの経験によってどのように形作られたのかを調査する。それによって、第一に、社会福祉改革とCPSの変化によってシングルマザーたちにもたらされた一連の物理的効果を明らかにしたい。また、ナンシー・D・キャンベルによれば、「政策とはその政策を生み出す文化に埋め込まれており、統治の一文化的実践として見られるべきである」(Campbell 2000: 7)。それを踏まえ、第二に、福祉改革とCPSの変更が実施される過程を通して、何が文化的に(再)配列され、争われたのか、そしてどのようにそれら両方が(特に貧困で「非白人」の)シングルマザーたちに影響したのかを分節化したい。
アメリカ合衆国の福祉制度は、歴史的に、フェミニズム運動、福祉/反貧困運動の両方を形作ってきた。国家と世間に応答し、交渉しながら、これらの運動は、それぞれの目的を達成するために、貧困で「非白人」のシングルマザーを周縁化し、排除するというやり方に方向づけられてきた。1910年代と1920年代には、母性主義運動は、母親年金を主に白人の寡婦のための貧困救済として要求した(Ladd-Taylor 1994)。1960年代と1970年代の福祉権運動は、黒人女性の選択を保証しようとするその要求がゆえに、運動の力とインパクトを失うことになった(Kornbluh 2007)。そして、白人女性の主要運動組織もまた福祉権運動において人種的分裂を避けるのに失敗した(Nadasen 2002: 291-3)。つまり、福祉/反貧困運動とフェミニズム運動は、人種や結婚のステイタスにかかわらず、福祉権を女性の権利として達成するのに失敗したのだった(Nakagawa 2012)。
このように福祉権/反貧困運動における女性の権利を退けるような傾向はまた、児童福祉サービスに対する社会運動や活動に対する現在の政治的、そして公共の無関心につながっている。ウィスコンシン州ミルウォーキー市にある「ウェルフェア・ウォーリアーズ」や、ペンシルバニア州フィラデルフィア市にある「すべての母親は働く母親ネットワーク(Every Mother is a Working Mother Network)」などの福祉権運動団体かつシングルマザーの運動団体は、母親たちがネグレクトや虐待を行ったという証拠の提示や、母親たちに対する公正なヒアリングなどの、適正な法手続き(たいていの場合守られていない)を行うようにCPSに対して要求している。これらの運動組織や、アメリカ裁判協会(American Bar Association)のロビー活動によって、アメリカ合衆国下院議員のグエン・ムーアが、「児童福祉の個々のケースに関して親や法的保護者に法的代理人を提供するための州裁判所への資金提供」のための法案(2011年、親の法的代理人の質を高めるための法律)を2012年に下院に提出したが、成立しなかった(H.R. 3873, 112th Cong. 2012)。福祉改革の影響とCPSによる日常生活への干渉というシングルマザーたちの経験を考察するために、この博士論文は母親たちの運動の一貫した調査に基づくものである。
主要な理論分析枠組として、批判的フェミニスト政策分析を用い、また反人種差別的フェミニズムによる洞察もそこに加える。第一に、批判的フェミ二スト政策分析、特に、ナンシー・D・キャンベルが、フーコーの統治的心性概念を物理的、言説的統治実践へと変化させた、「統治する心性」概念を用いる(Campbell 2000: 51-2)。この概念は「その権力を表象的、物理的使用域から強制的に導き出す。それらは、公共政策の議論と結果を形作る文化的形成過程である」(Campbell 2000: 50)。従来の政策分析とは異なって、批判的フェミニスト政策分析は、キャンベルが「統治する心性」(Campbell 2000: 8)と呼ぶ文化的な想定に焦点を当てることで、政治的排除、社会的孤立、経済的周縁化の構造を考察するものである。ジェンダー、セクシュアリティ、階級、人種‐民族形成に関する隠された文化的想定は、政策決定過程とその履行を形作るだけではなく、これらの政策過程がまた、特に、福祉受給者や児童福祉サービスを受ける人々の特徴を具体化し、福祉受給や児童福祉サービスを受けることの意味づけ、政治的重要性、推定される受給率や児童福祉に関する統計をコード化することによって、文化的に特殊な想定を「真実」へと変更するための重要な場のひとつである(Campbell 2000: 8)。つまり、シングルマザーの社会福祉政策に関する経験こそが、ジェンダー、セクシュアリティ、階級、人種‐民族形成の「真実」を決定するのである。キャンベルのアプローチを用いることによって、政策過程とシングルマザーの経験の相互作用を表象的、物理的次元において考察することが可能となる。また、社会福祉政策は資本蓄積と社会的再生産との間の齟齬(Bezanson 2006)、つまりケア労働に対する女性の責任とその結果として現れる「依存」(Mckeen 2003: 13)または貧困の問題、を和らげるものであるため、フェミニストは女性に親和的な政策のあり方を模索してきた。これらの研究も、福祉再編とジェンダー的差異との間の関係性を分析するために用いる。
第二に、反人種差別的フェミニズムによる洞察を私のフェミニスト政策分析に加える。特に、アメリカ社会福祉政策における人種差別批判をこの博士論文の中心課題とする。人種は、アメリカの福祉政治に特徴的な効果を与え、社会福祉政策のための重要な制度化ツールとして使われてきた。ルソーは規制的な再生産に関する政策が、黒人女性の再生産に関連する否定的な社会的レトリックを生み出し、ネオリベラルな時代において「黒人の再生産はますます非難され、効果的に犯罪とみなされるようになっていることを指摘している(Rousseau 2009:174-6)。またシュラムも、「『黒人の福祉の女王』は中産階級の白人男性の徳を正統化するために『他者』が必要であったがゆえに構築されてきた」(Schram 2002: 172)と主張する。これらを応用して、社会と市民権を人種差別的、性差別的、階級抑圧的なものに決定するために、児童福祉における明らかな人種的格差は「非白人」の母親たちの再生産の権利(市民権の一つであるはずの)を国家が否定する必要性があることと関連していることを指摘する。
研究方法は、インタビュー、言説分析、二次資料調査を用いる。一次資料として第一に、児童福祉制度に関与したか、(もしくはかつ)福祉を受給したことのある母親たち、その支援者16人に行った対面インタビューをナラティブ・アプローチを用いて分析する。第二に、1990年から2010年までにウェルフェア・ウォーリアーズの季刊新聞で報告された、CPSによって子どもが取り上げられた過去のケースを調査し、言説分析する。第三に、政策文書の言説分析を行う。二次資料としては、アメリカ合衆国の歴史、法律、政治、社会運動、批判理論について広範に批判的読解を行う。
これらのための資料収集は、2013年6月から7月までのウェルフェア・ウォーリアーズへのフィールドワーク調査旅行の間に行った。ウェルフェア・ウォーリアーズは、ウィスコンシン州ミルウォーキー市に1986年に設立された、貧困な母子家庭のためのNPOである。ウェルフェア・ウォーリアーズは、季刊新聞の発刊、母親電話相談サービス、月例会議を行い、母親と子供のためのイベントや数多くのデモ行動を組織化してきた。寄付金、助成金、季刊新聞の定期購読費、自らの資金調達イベントによってその資金は賄われている。そのミッションは以下のように述べられている。「私たち自身の組織とメディアによって貧困な母親たちのための声を生み出すことに取り組む。路上での活動、権利擁護活動、そして私たちの新聞である『マザー・ウォーリアーズ・ボイス』を通して、全ての子どもが18歳になるまで支援を受けられるよう保証する連邦プログラムを創設するために闘う。『母親業は仕事である』こと、そして母親業はコミュニティによって、そしてまた職場において、賃金を支払われ、優先されなければならないことをすべてのコミュニティが認識するまで私たちは教育を行い、扇動する。『福祉改革』によって生じた荒廃に対して私たちは積極的に抗議を行う」(Welfare Warriors n.d.a)。
ウェルフェア・ウォーリアーズの創始者のひとりであり、ディレクターであるパット・ゴーエンズとは個人的な付き合いがあり、2007年にもウェルフェア・ウォーリアーズに、しんぐるまざーず・ふぉーらむの代表の赤石千衣子さんとともに訪れた。ウェルフェア・ウォーリアーズのマゴッド・プロジェクト(MaGoD: Mothers and Grandmothers of Disappeared Children姿を消した子供たちの母親と祖母)の現在と過去の参加者たちにインタビューを行った。このプロジェクトは、「社会福祉サービスによって子どもを違法に取り去られた母親たちに支援と法的擁護を提供するために1992年に創設された。このプロジェクトはまた、愛する家族、兄弟姉妹、そして母親から不必要に子どもを取り去ることを政府に許可するような実践や法律を変えようと働きかけるもの」である(Welfare Warriors n.d.b)。このプロジェクトは、毎週金曜日にミーティングがあり、私も滞在中は出席した。さらに、滞在中はウェルフェア・ウォーリアーズで働くことができ、児童法廷に母親たちの支援者として付き添ったり、ある母親のために刑事法廷と更生施設にも行ったりした。また、CPS側である、ミルウォーキー市児童福祉局(Bureau of Milwaukee Child Welfare: BMCW)、そしてその私的なパートナー代理店の三大請負企業(Integrated Family Services, Children’s Service Society Wisconsin, St. Aemilians)も訪れた。


3 ウェルフェア・ウォーリアーズでのフィールドワーク

ウィスコンシン州の児童福祉制度はアメリカ合衆国の中でも高度に民営化されている。たとえば、ミルウォーキー市児童福祉局は(民間から児童虐待またはネグレクトの疑いのあるケースに関する受付を行う)アクセス業務と、最初の査定業務のみを行う。その他の全てのサービス(ケースの割り当てや配備、集中的家庭内サービス、継続的なケース・マネージメント、スタッフの養成と里親養成、家内仲裁、支援サービス、親族関係によるケア、生活独立支援)は、外部委託された民間企業によって提供されている。ウェルフェア・ウォーリアーズは、毎年の国際女性記念日にミルウォーキー市児童福祉局「帝国」の写真撮影バスツアーを行っており、「一万二千五百ドルの資金によって、850人の児童福祉局員と民間スタッフ、169の民間代理店とセラピスト、98人の法律家が賄われ、毎年2774人の子どもたちが、証明されていない虐待やネグレクトの申し立てによって母親から隔離され続けている」(Welfare Warriors 2009)ことを問題化している。
6月8日、ひとりの母親がマゴッド・ミーティングにやってきた。彼女は、白人、19歳で、高校を卒業したばかりである。CPSが彼女の六か月の双子の女の子を取り上げた主要な理由は、第一にその母親の叔母がCPSに電話通報したこと、そして第二に一人の女の子の背中に見つかった青あざであるが、この青あざは彼女の母斑であるらしい。第三に、家庭内暴力がそれを目撃する子どもに与える多くの問題(母親による子どもの保護の失敗とみなされる)に関する統計と研究が、彼女の子どもを保護する理由を書いた法的文書(Children in Need of Protection or Services: CHIPS Petition)には山ほどひかれていたが、彼女の子どもはまだ6か月である。彼氏は28歳で、催涙ガスとフライパンを使って彼女(母親)を虐待した。その母親の両親は彼女とその乳児たちと一緒に暮らすことを承諾したが、CPSはその母親の父親の犯罪履歴を発見し、それは実際には虚偽であったが、それとともに、両親の家にはごきぶりがいることを理由にして、彼女が両親の家に暮らすならば双子を返すことはできないと主張した。彼女は、双子を取られた後に福祉が止まったため、仕事を探している最中であったが、CPSは双子のために二部屋寝室がある家を彼女自身が用意できなければ双子は返せないと主張した。ミーティングの間、彼氏はウェルフェア・ウォーリアーズの外で自分の車の中で待っていた。彼女はウェルフェア・ウォーリアーズの事務所に彼の車で来たのだった。彼女は自分の携帯電話は持っておらず、必要なときは彼氏の携帯電話を使っていた。自分の財布さえ所有していなかった。このミーティングを最後に、彼女から一度も連絡はなく、彼女を捕まえて話すこともできなかった。ただようやくたどりつくことのできた彼女の友達から、彼女がその彼氏の家に戻ったことを聞いた。彼氏の家に戻ったということは子どもを諦めたということである。しかし、無職・無収入で19歳の彼女に他の選択肢があったのだろうか。むしろCPSが両親との同居の道を遮り、虐待する彼氏と暮らす道を敷いたのではないか。
CPSは父親またはパートナーの暴力が母親に限られていて子どもに直接的な暴力がない場合でも、家庭内暴力を母親から子どもを取り上げる理由として頻繁に使っていた。しかし、CPSは暴力をふるう側には一切の関与はしない。暴力をふるう男をパートナーとして「選び」、一緒にいることを「選ぶ」、その女に「問題」があるからである。しかし、福祉改革後AFDCがなくなってしまったため金銭的に暴力をふるう男と一緒にいる「選択」をせざるをえない母親は増えているはずである。そしてCPSのそのような介入傾向の結果として、虐待を受けている母親たちはCPSに子どもを取られるのを恐れて、警察に虐待を報告することもできなくなるという状況に陥っている。そのため、パットはCPSを「虐待者の友達(Friends of Batterers: FOB)」と呼んでいた。暴力的なストーカーである元パートナーのせいだけで子どもをCPSに取られたある母親は、子どもの面会は監視付きという条件だったのに対して、その暴力的な父親の面会は監視なしであり、CPSは彼に子どもたちの養育権を取る提案さえした。
7月17日、別の母親に付き添って児童裁判所に行った。彼女はアフリカン・アメリカン、19歳である。彼女の長女は、彼女が16歳で養護施設にいるときにCPSによって取り上げられた。彼女と喧嘩をした養護施設の他の少女がCPSに通報し、CPSは彼女が長女を口頭で虐待したと主張した。結果的に彼女は長女の養育権を失い、父親が養育権を得たのだが、まだ制度の中で彼女のケースは閉じられていなかった。彼女の二人目の娘は出産直後に病院でCPSに取り上げられた。CPSは次女も虐待を受ける可能性があると主張した。(長女のケースの)法廷当日、彼女は、もし長女のケースが閉じられたならばCPSは次女を里親のもとに保護する理由が何もなくなり次女を彼女に返さざるをえなくなるのではないかと期待しまた困惑していた。児童裁判所はダウンタウンからかなり離れたところにあり、私たちは一時間かけてバスを二本乗り継いで行かなければならなかった。午前8時45分に私たちは出発した。長女の父親もやってきた。法廷は午前10時半にやっと始まった、と思ったらたった5分にも満たずに終わった。父親の養育権を証明するためのひとつの文書が違法なものであったため、裁判は7月30日に延期されたのだった。彼女自身の弁護士は現れもしなかった。州によって公的弁護人が母親たちには割り当てられているが、この弁護士たちは常にCPS側についている。しかし、ほとんどの母親たちに私的な弁護士を雇う経済的余裕はない。むしろ、私的な弁護士を雇う余裕がない貧困な母親にしかCPSは介入していないと言える。五分の法廷の後、また一時間バスを乗り継いで私たちは家に帰った。この一連のプロセスそのものがCPS側の意図するものなのではないかと感じた。法廷はただ彼女に文書が足りないことを電話すればよかっただけで、そうすればダウンタウンからはるばる裁判所に来る必要もなかったのである。また、彼女の弁護士は知っていたから来なかったのではないかと思った。知っていたにもかかわらず彼女に知らせず、自分だけ現れなかったのではないか。また、児童裁判所はわざとダウンタウンから遠い郊外に貧困な母親たちを嫌がらせるために作られたのではないかとも思った。児童裁判所に無駄に行くというこの物理的な過程は、母親たちに無力な気分を味わわせ、彼女たちを当惑させ、鬱にさせるために十分に機能している。
この母親は、ウェルフェア・ウォーリアーズの忠告に従って、次女がCPSに取り上げられて以来ずっと陪審裁判を要求している。法律上、州政府は子どもを取り上げた30日以内に、母親に対する虐待またはネグレクトの申し立てを証拠づけるために陪審裁判を開かなくてはいけないことになっている。また、その陪審裁判において初めて裁判官が司法権を持つかどうかが決まる。陪審が虐待かネグレクトを証明する十分な証拠があると決定した場合にのみ、陪審が裁判官に司法権を与えるのである。司法権を得た後はじめて裁判官は法的に母親たちに子どもを取り戻すために必要な条件の命令を出すことができる。しかし、CPSはこの陪審裁判の権利を母親たちに決して提示せず、母親たちが陪審裁判を要求した場合にでさえ、それらは開かれないか、遅らされるというのが常態化していた。その代りに、「(児童法廷では)毎回の『ヒアリング』で母親に関する悪口や噂話を行う。その『法的』処置は秘密裡に行われ、母親たちを(法廷内での)集団的いじめにさらすことを強制する。そしてこの秘密主義が、これらの法的処置を貫く違法行為の温床となる」(Welfare Warriors 2009)。裁判官、ケースワーカー、検察官、子どもの弁護士はぐるになって司法権も無いのに母親たちに子どもを取り戻すための義務的条件を命令する。それらの条件には、監視付きの面会、精神分析、育児クラス、養育クラス、DVクラス、怒りの処理クラス、アルコールと他の薬物クラス、個人的セラピー、家族セラピー、薬物セラピー、育児補助者、そしてケースワーカーや面会監視人、育児補助者とのグループ・ミーティングなどがある(Welfare Warriors n.dc: 2)。母親たちの弁護士もただそれを受け入れるだけだ。このような方法で、児童福祉制度と委託先の民間企業は州から資金を調達するという構造ができあがっている。そのため、CPSは(母親から子どもを取り上げるのに比べて資金を生み出さないため)ホームレスの子どもを保護する動機さえ持たない。7月30日、法廷はこの母親の陪審裁判を12月に行うことを決定した。なぜなら、彼女のケースワーカーの一人が育児休暇を取ったためである。つまり、この母親は乳児を早くとも12月までは決して取り戻すことはできないということである。乳児は12月には10か月になるが、州はまだ一度も彼女の虐待またはネグレクトを証明していない。このような児童裁判所による違法手続きは、この母親が貧困であるため私的な弁護士を雇うことができないということが前提にある。彼女は貧困で、若くて、アフリカン・アメリカンであり、養護施設の出身であるため、児童福祉制度にとって容易な標的なのである。そして、特に乳児の里親になりたいという需要は、10代の子どもに比べて大きく、また政策によって促進されている。
さらに、ウェルフェア・ウォーリアーズによれば、「子どもたちは、自分の家よりも、里親、または養護施設において他人からの方がより頻繁に、強姦、暴行、殺害されやすい。子どもたちはまた、自分の家よりも、里親、または養護施設において他人からの方が口頭で、感情的に、もしくは精神的に虐待されやすい」と主張する(Welfare Warriors n.d.c: 2)。多くの母親たちが、面会交流時に撮った、里親のもとまたは養護施設にいる自分の子どもたちの身体的虐待の写真をケースワーカーに見せているが、ケースワーカーは常にそれには関与していなかった。むしろ一人の父親は写真を見せた後に面会交流が打ち切られてしまい、里親に虐待されていた娘を大変心配していた。2008年には、13か月の男の子が里親によって殺害され、その契約請負企業であったラカーザは一千百万ドルの州の児童福祉契約を打ち切られたが、その後ラカーザは名前をIntegrated Family Servicesに変更しただけで、現在も三大契約請負企業の一つであり続けている。
7月31日、彼女の法廷の翌日、私のミルウォーキー滞在最後の日に、ウェルフェア・ウォーリアーズは建設中で完成間近の児童福祉局本部の新しいビルの前で抗議活動を行った。パット、彼女、そして私のルームメイトであったもう一人の母親が「児童福祉局―法的児童売買者の将来の家」という横断幕を持って、「貧困者に対する戦争をやめよ」というシュプレヒコールを三時間程度行い、ちらしを配った。私は泣きたくなったけど泣かないように努めた。正直に言って、家に帰れること、ここから逃れられること、この黒人貧困地域にこれ以上住まなくていいこと、私にもし子どもができたとしても私はCPSにおびえる必要がおそらくないこと、全てが嬉しかった。そして、私は私の持つ階級的特権をまざまざと実感したのである。私たちはたとえ実際にはお金を持っていなくても階級的特権を持つことができるのである。そもそも私はシングルマザーであった自分の一人の先生から、私自身はシングルファーザーに育てられたからこそ行きたい大学や大学院に行けるのであり、私はラッキーなのだと言われたことが、母子家庭の貧困問題と社会福祉政策に興味を持つことに繋がった。ラッキーとは何か、もし私がシングルマザーに育てられていたらアンラッキーだったのかと考え、運ではなく母子家庭を貧困に陥れる社会構造を研究するようになった。しかしながら、あの時、私は本当に先生のあの言葉を理解できていたのだろうか。これまでたくさんの貧困にさせられたシングルマザーたちに出会ってきたが、私は本当に彼女たちの言葉や語りを理解できていたのだろうか。私はごく単純な理論、貧困であるということは女性にとってより多くの暴力と強姦を意味する、ことすら分かっていなかった、それくらいナイーブであった、そして自分の特権に気づいていなかった自分に直面していた。私は自分自身の修士論文では、福祉政策に関わる全ての国会議員が福祉受給者の生活を経験することを政策提案として挙げていたのだが、それが必要だったのはまさに自分だったことに気づいたのである。階級的特権に罪悪感を覚えながらも、しかしそれでも、自分はミルウォーキーから去ることができることに心底安どしていた。
しかし、トロントに帰ってきた後も、私は悲しく、そして混乱している自分がいることに気付いた。一人一人の母親の苦しみが忘れられないというだけではなくて、私自身がこの児童福祉制度の問題と母親たちから自分自身を切り離せないでいた。この問題と母親たちから距離を取ることができないでいた。ある特権を持つ私とそうでない彼女たちが共有するものとは何だろうか。そして私の特権が私に与えているものとそうでないものとは何なのか。

4 フェミニズムとフィールドワーク

ウルフによれば、「フィールドワークにおけるフェミニストのジレンマは、研究者にとって矛盾した、困難かつ和解不可能なポジションをもたらすことが多く、権力を中心に展開される。実際に、フィールドワークとフィールドワーク後の過程のあらゆるところで、権力次元がはりめぐらされており、それが多くのフェミニスト研究者に深刻なアイデンティティ・クライシスをもたらす」(Wolf 1996: 1)。もともとフェミニストは権力を持つことに慣れていないし、権力を持つことに警戒心がある(Wolf 1996: 36)。しかし、ステイシーは「フェミニストは自分が権力を持つということを認める必要があるだけでなく、自分がまた権力を欲するということも認める必要があると主張する(quoted in Wolf 1996: 36)。そもそも「フィールド」とは何を指すのだろうか。「フィールド」の構築についてキャッツは以下のように問う。「『研究』と毎日の生活の境目はどこなのか?『フィールドワーク』とフィールドワークを行うことの間の境目、『フィールドであるもの』とそうでないものの境目、『学者』と研究対象者の境目はどこにあるのか?」(Katz 1994: 67)。私たちは、「ホーム」と「フィールド」という二元論をまず問題化すべきであり、また「ホーム」と「フィールド」が経済的、政治的、文化的にどのように相互依存しているのか(Wolf 1996: 36)、そして自分の欲望がどのように「フィールド」に関わるのかを考察する必要がある。
フィールドワークに関するフェミニストの議論は、研究者と研究される側との不平等な権力関係に主に焦点があてられてきた。フェミニズム言説に携わるからといって、特に日常の研究実践が物理的に不平等な状況におかれている場合、フェミニストがその研究対象者を搾取しないとは限らない(Wolf 1996: 21)。たとえば、研究者による情報提供者の生活への侵害や介入、研究者による情報提供者の私的な感情や物語の横領、研究される人々の発表や表象における研究者の占有的な位置などに議論の焦点がこれまであてられてきた(Hsiung 1996: 132)。しかし、シウンはフィールドワークの中で、性差別主義がどのように自分や情報提供者、そして環境に機能し、かつフィールドワーク自体、研究自体にどのように影響するのかを問い、権力関係はもっと複雑なため、権力関係を二元的に見てしまうことは、ジェンダーの相互作用を通して権力構造がいかに構築され、争われているかを見逃してしまうことになると指摘している(Hsiung 1996)。
このシウンの指摘を踏まえて、フェミニズムとフィールドワークに関して権力をめぐる二つの論点を特に指摘したい。第一に、フィールドワークはアカデミアの構造に影響を受けるという点である。まず、「フィールドワークの意味づけは学問領域に特化していて、異なる学問領域の歴史に深く結びついている」(Wolf 1996: 7)。フェミニスト研究者は、研究対象者との関係性をできる限り平等化しようとするが、それは研究者のポジショナリティやロケーショナリティを変容させるわけではない(Wolf 1996: 35)。そしてそのポジショナリティやロケーショナリティはアカデミアの構造と深く結びついている。たとえば、研究結果がどのように受け入れ可能かを誰によって評価されるのか、研究の進展状況はどのように評価されるのか、どのように「理論」が理解されるのか、どのように博士号が授与され、またテニュアが認められるのか、そしてどのように女性学が見られているのか、などである(Wolf 1996: 3)。どのような研究テーマを選び、そのような研究を行う利益、または「コスト」と懲罰に意識的になるべきだとウルフは主張する(Wolf 1996: 37)。研究テーマは、その後のアカデミアにおける学位や昇進に直接的に結びついており、フェミニストの苦労の多くはフィールド上でというよりも、アカデミアの中でといえるかもしれない(Wolf 1996: 37)。
たとえば、私は留学生として奨学金を受けるチャンスが他の生徒より少なく、今回のフィールドワークに関しては、大学院と教学補佐をしている組合からもらえるフィールドワークに対する少しの資金でやりくりしなければならなかった。しかも、その資金は後からもらえるものでその額はフィールドワークの時点では不明のため、なるべく少ない出費になるように努めなければならなかった。インタビューの謝礼はフィールドワークに行く前は支払うつもりはなかったが、ミルウォーキーで暮らし始めた時点で、それは現実的ではないことに気づき、ひとり20ドルの謝礼を支払った。パットにも、なぜ皆が私の研究のためにただ働きしなければならないのか、と言われた。この謝礼によって確実にインセンティブが上がり、インタビューを受けてくれる人が増えたのは確かである。しかし、私がもっとよい奨学金を取っていて、ウェルフェア・ウォーリアーズに対して少なくとも金銭的にもっと貢献できたならば、また少なくとも家賃を浮かせるためにパットの家に滞在しなくてもよかったならば、私のフィールドワーク経験は大分異なっていたはずだ。しかし、日本人でしかもカナダに留学している私のような人しか、アメリカ合衆国にあるウェルフェア・ウォーリアーズに興味を持たないのも、構造的に理由があるのであろう。それでも私の学問的枠組み、特に女性学的理論枠組みは北米西洋的なものであるため、特に人種と階級に関して限界があるはずだ。
第二に、フィールドワークにおける(フェミニストの)人間関係に権力が介入せざるをえないことである。レインハルトは、フェミニスト研究者たちは共感や親密性を、友情と取り違えてはいけないと主張する(quoted in Wolf 1996: 20)。また、ステイシーは、多くのフェミニスト研究者が望むような研究対象者と近しくなることや、そのため操ってしまいかねないことは、むしろ実証的、抽象的、男権主義的なメソッドを用いる際よりもさらに大きい危険と搾取を研究対象者に与えかねないと指摘する。つまり、親しくなればなるほど、より危険が増すということである(quoted in Wolf 1996: 20)。今回のフィールドワーク経験を踏まえて、これは、フェミニスト研究者と研究対象者双方に言えると考える。ポジショナリティは関係的なものであるため、研究対象者も権力を研究者に及ぼす。私の場合、今回のフィールドワークにおいてパットとの友情関係は大変難しいものであり、また研究に大きく影響した。多くの要因が作用した。私の研究がウェルフェア・ウォーリアーズ、特にパットにかなり依存していること、私がアメリカ人ではなく日本人であること、アメリカ合衆国においてESL(English as a second language)であること、私が一介の大学院生でしかないこと、しかし私がパットや他のウェルフェア・ウォーリアーズに関わるほとんどの人より階級的特権とより多くの金銭と資源を持つこと、最終的には私の研究であること、私たち二人ともがフェミニストとしてアイデンティを持っていること。たとえば、フィールドワーク中に二回、私はシカゴの音楽フェスティバルに一人で息抜きに行き、そのうちの一回はトロントからパートナーが来てくれて一緒に過ごした。しかし、私はパートナーが来ることを誰にも伝えることができなかった。シカゴに遊びに行くことができるだけでも後ろめたく思っていた。しかしこれもまたフェミニストに共通する経験のようだ。フェミニストのフィールドワーカーは結婚のステイタス、国籍、民族的/宗教的背景、離婚や以前の結婚について、そして階級的背景などを時に偽ってきたことが指摘されている(Wolf 1996: 11)。ウルフによれば、「たいていの場合危害はあまりないのだが、共感という絆を作ろうとする研究対象者をだますという罪悪感がフェミニスト研究者をかなり苦悩させる」(Wolf 1996: 11-2)。嘘をつくという行為が、関係性を平等化し、友情関係をつくろうとするような、よりフェミニスト的なフィールドワークに対するアプローチに対して直接的に矛盾するからである(Wolf 1996: 12)。
それでは、どのようなスタンスが、フェミニストがフィールドワークを行う場合に求められるのかについて最後に述べたい。明示的であってもそうでなくても社会科学研究とは政治的なものであり、しかしこの状況こそが関与と表象の政治を分析するためのスタート地点を確立するとコバヤシは主張する(Kobayashi 1994: 76)。つまりコバヤシによれば、「権力と権威を持つ私たちのポジションが研究を行う権利を否定するかどうかを問うのではなく、むしろ、私たちの特権を社会的目的のためにどのように使うのかを問うべきである」(Kobayashi 1994: 76)。そして、批判的な自己の内省こそが、学術研究者に学術的批判とともに社会変革のためのたたき台をもたらすのであり、それら両方を合わせるための正当性を確立するとコバヤシは主張する(Kobayashi 1994: 78)。これを如実に表しているのが、丸山の研究であり、彼女の研究スタンスである。日本における女性ホームレスの研究を行う丸山は、女性野宿者の話を聞いていくうちに、話の中の矛盾や断片的なエピソードに突き当たる(丸山 2013)。以下長くなるが、引用する。

女性たちが野宿生活に至るまでの理解しやすいストーリーを組み立てること、女性ホームレスというひとつの集団として共通点を指摘すること、社会構造の犠牲者なのか主体的に自らの生を生きているのかを判断することは難しいように思われた。むしろ、そのように理解したいと考える私自身に問題があるのではないか、私はしだいにそう考えるようになっていった。彼女たちは、私にとって合理的に理解可能な、今ある研究枠組みに回収される生を生きているわけでない。そのような人間像しか想定できないことの方が問題にされなければならないのだろう。そしてそうした人間像しか想定できていなかったからこそ、合理的には理解することが難しいと感じる女性野宿者のような存在の在り方が、これまでの研究から排除されてしまったのではないか。そうだとすれば、ここでなにが排除されてしまったのかを問い、別様の人間の理解可能性を考えることが必要なのではないか、そうでなければ、女性野宿者を描こうとする本書の試みによって、従来のホームレス研究が女性を排除してきたのとまったく同様に、またさらなる排除を生みだすことになってしまう。これこそが、女性ホームレスを対象とする本書が最終的に取り組むべき問いだと考えた。(丸山 2013: iv-v)

つまり、丸山の批判的な自己内省によって、合理的に行為を選択する主体を前提とするこれまでの研究枠組みと、野宿者の抵抗の姿や主体性を見たいという研究者の欲望、それらの中にこそ、性差別主義が含まれていることが暴かれ、「主体性や合理性の残余としてあるネガティブなものが、伝統的に女性に押し付けられてきたことの結果として、女性に顕著にみられるような事柄として現れている」(丸山 2013: 202)ことが理論的に明らかにされると同時に、社会変革へとつなげられている。
「自分の研究対象者が自分の研究の一部だというのではなく、自分が彼女たちのプロジェクトの一部である」(Kobayashi 1994: 78)。「他の人々の闘いを自分の研究の基礎に使うのではなく、自分の研究を自分が一部となっている闘いのための基礎として用いる」(Kobayashi 1994: 78)。このようなスタンスこそが、フェミニストがフィールドワーク、そして研究を行う上で必須となるはずだ。そしてそのようなときに、女性の解放と自己の解放が繋がるときが訪れるのではないだろうか。

5 おわりに

本稿ではフェミニズムとフィールドワークについて考察した。そして「フィールド」と呼ばれる場での権力関係を自己内省することが、特に自分の持つ特権と「フィールド」で研究対象である事象と人々がどのような権力関係にあるのかを批判的に考察することで、知の規範を脱構築し、女性解放により近づくために必要であることを明らかにした。とはいえ、フィールドワークによって巻き起こった自分自身の感情がすべて消化されたわけではない。それでも、私はインタビューに答えてくれた人たちにずっと支えられている。
[注]
1 「非白人」というカテゴリーはそれ自体に問題があるが、日本語の便宜上この報告ではこのカテゴリーを用いる。英語ではracialized people(人種化された人々)を用いる。

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