第2部 生存を脅かす秩序 4 自ら命を絶つ者は不幸でなくてはならない ―突然死した者を自殺者と同定する過程をめぐる規範的秩序と実践

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生存を脅かす秩序

自ら命を絶つ者は不幸でなくてはならない
―突然死した者を自殺者と同定する過程をめぐる規範的秩序と実践―

藤原信行


博愛主義者たちへの忠告がある。本当に自殺の件数が減ることをお望みならば、十分に反省された、平静な、不確実さから解放された意志をもって命を断つ者しか出ないようにしたまえ。自殺を損ない、惨めな出来事にしてしまう恐れのある不幸な人々に自殺を任せてはならないのだ。いずれにせよ、不幸な者の方が、幸福な者よりも遥かにたくさん存在するのだから(Foucault 1979=1987: 186-7; 下線引用者加筆)

はじめに

1990年代後半のある日、一軒家に1人で住んでいた瀬戸畑さん(仮名:死亡時50歳代、岩手県在住、無職、女性)が遺体で発見された。筆者は2006年3月、彼女の叔母のひとりである段ノ岡さん(仮名:2016年3月現在で80歳代前半、岩手県在住、女性)にインタビュー調査―録音謝絶ということで、記録は簡単なメモを取ることができただけであった―を実施した。そこで段ノ岡さんから、瀬戸畑さんの死にかかわる以下の興味深い点をお聞きすることができた(彼女の語ったことが〈真実〉であるかどうかは、現在では確認しようがないが)。
警察は瀬戸畑さんの死因を自殺と断定した。しかし以下、とくに(1)(2)をみるかぎり、少なくとも素人目には自殺以外の他の死因も大いに疑いうる事例ではあった。ではあるが、親族たちは誰一人として、彼女の死因が自殺であることにに異議を唱えたりはしなかった。

(1)‌ 瀬戸畑さんの遺体の頭部には、自傷や偶発的事故では生じえないと思われる、頭蓋骨を貫通する刺傷があった。ただしその傷は死亡前からあったのか死後になってからなのかはわからない。
(2)‌ 頭部を刺傷するのに用いられたはずの凶器は発見されなかった。しかしそれを持ち去ることのできるような、もしくはその刺傷の加害者たりうるような第三者が外部から侵入した形跡もなかった。
(3)‌ 頭部の刺傷が直接の死因ではなかった(死因は頸動脈の切断による失血死)こと、遺書が遺され形見分けをしようとした形跡もあったことから、警察は瀬戸畑さんの死因を自殺と断定した1。

では、他の瀬戸畑さんの親族は彼女の死をどのように理解し記述しているのだろうか。幾人かの親族にインタビューを打診したものの謝絶され、2006年7月、ようやく彼女の義理の姪(甥の妻)にあたる北ノ口さん(仮名:2016年3月現在で60歳代後半、岩手県在住、農業〔インタビュー時は団体職員〕、女性)に応じていただいた。北ノ口さんには事前に、(後述する仲介者を介して)段ノ岡さんへのインタビューで知ることとなった上記(1)から(3)を事前に伝えた。それにたいする北ノ口さんからのさしあたりの回答は「瀬戸畑さんの死は自殺である」というものであった。「〔瀬戸畑さんは〕いろいろ大変だったから」というのがその理由である。ならば、上記のような死因断定の不確実性(uncertainty)を減じ(意地悪く言えば、無視することを可能とし)、瀬戸畑さんを自殺者として同定(identifying)せしめるような「大変だった」こととはなんだろうか。
本稿は、主として初期のエスノメソドロジー、とくに成員カテゴリー化装置の使用にかんする知見を援用し、「自殺の常識的な理論化」、すなわち〈自殺者らしい生活史の構築〉と〈(自殺者という)カテゴリーの執行〉―いずれも適切な諸〈動機〉2の付与が不可欠であるし、動機の適切さはそれらの適切さによって支えられもしている―によって、自殺者として彼女を同定していく実践に着目して北ノ口さんへのインタビューデータを検討していく。そのうえで、〈不幸な人びと〉の突然の死を合理的に自殺と記述できること―他の死因として記述していく可能性を排除・抹消する―の帰結について、考えてみたい。

1 自殺動機の付与、自殺者らしい生活史の
構築、自殺者というカテゴリーの執行:自殺の常識的な理論化

エスノメソドロジストのクルター(Coulter, J.)は、ある特定の行為を遂行するに値する動機を付与すること、特定の人物の生活史を構築すること、そして当該人物への特定の成員カテゴリー(membership categories)3を執行することとは、互いに互いを支えあう論理的関係にある―ようするに、そのような関係にあるような状況/文脈においてはじめて、動機や生活史や成員カテゴリーはようやく意味あるものとなる4―と指摘する。

特定の生活史をもつ人物が、ある行為を完遂するに値する動機をもっている、とわかったとする。すると、その動機が付与されることで、具体的な意味と適切さを与えられた特定の成員カテゴリーと類型のもとにある生活史が暗黙のうちに、ないしは明確に発見可能なものとなる(Coulter 1979: 56=1998: 112; 訳文一部改変)

生活史や動機を「もつ」「もっている」「発見可能になる」という表現からは、いかにもあらかじめ存在したそれが正確に/不正確に見つけだされるという状況を想起されるかもしれないが、「具体的な意味と適切さを与え」るいとなみが不可欠である以上、それは人びとの言語を用いたさまざまな実践によって構築され達成されたものにほかならない。
このことは、自殺(者)をめぐる動機の付与、生活史の構築、成員カテゴリー執行においても変わりはない。エスノメソドロジストのアトキンソン(Atkinson, J. M.)によるDiscovering Suicide(1978)は、イングランド・ウェールズの検死官(coroner)5、目撃者、そして新聞記者たちが、突然死した者を自殺者として同定してゆく過程、すなわち人びとが実践する自殺の「常識的な理論化(common-sense theorizing)」にかんする研究である。彼は、検死官たちや目撃者、新聞記者たちによる同定のやり方には差異がないことに着目する。検死官と、目撃者や新聞社関係者といった人びとでは、目的が異なるにもかかわらず(この点については本稿6.2で検討する)、同じやり方で突然死した者を自殺者と同定していたのだ。
以下はアトキンソンが紹介している検死官による記録の抜粋のうち、一番長いものの引用である。検死官たちは「遺書(Suicide Notes)」「死の様式(Modes of Dying)」「死の場所と状況(Circumstances of Death)」「生活史上の諸要因(Biographical Factors)」というアイテム―彼は明言していないが、語彙としての動機といえるだろう―を駆使して自殺動機を付与し、「自殺者らしい生活史(typical suicidal biography)」を構築し、そして自殺者という成員カテゴリーを執行していた(Atkinson 1978: 140-1)。以下の抜粋を見るかぎり、彼/彼女たちは上述の過程において、法医学上の所見よりも、たとえば比較的長期にわたる健康上、職務上、人間関係上の諸要因といった生活史上の出来事をとりわけ重視していた。自殺の常識的な理論化とは、こうした常識的な諸知識を用いて適切な動機を付与し、生活史を構築し、成員カテゴリーを執行したうえで、それぞれの適切さを他が支えるような関係のもとに編成していくことに、ほかならない。

検死官による記録の抜粋3
故人の男性は身体の疾患はなかったが、いつも抑うつ的な感じであった。生母は彼が6歳のときに離婚して彼のもとを離れ、その後再婚、父親は〔彼を捨てて〕故郷に戻ってしまった。少年時代、彼は12の異なる里親のもとを転々とした。
彼は〔成人すると〕、陸軍で自身のキャリアを切り開いていった。1967年6月に除隊するまでのあいだ、彼は複数の国々で軍務に就いた。よい再就職先を得られたにもかかわらず、彼は民間での安定した生活を築くことに失敗した。しばしば、彼は最短で1日、最長で1週間ほど、自宅から姿を消した。1969年の暮れに、彼は10週間のあいだ病院で治療を受けるため入院する―治療が功を奏し状況が改善されていたにもかかわらず、彼は主治医による再入院の指示を拒絶した。
1970年3月31日月曜日、彼はイライラしていた。翌朝午前7:55に彼は職場から離れ、自宅には二度と戻らなかった。彼はその日の仕事に一旦出勤したのだが、〔飛び出してから〕昼食の時間になっても戻ってこなかった。1970年5月6日日曜日に、彼はX町の三箇所で親友と一緒にいるところを目撃されたのだが、当の親友は故人を家と職へ復帰させることに成功したと考えていたようだ。1970年5月7日月曜日正午ごろ、ブルストンの農家であるバーレイさんは、彼の農地にある道路から少し離れたところに駐車している車を目撃した。その日の午後3時ころにその車が当該箇所の向かいに駐車されていたとき、彼はそのあたりの農地を〔自殺の〕下調べのために検分していた。
彼はフォルクスワーゲンがアイドリング程度にエンジンを起動させ、煙を噴き上げているのを目撃した。故人は運転席に腰掛け、そしてドアに崩れるようにもたれかかった。バーレイさんが煙を噴き上げるその車を発見した。バーレイさんは車から彼を引き出し蘇生措置を行ったが、彼が意識を取り戻すことはなかった。バーレイさんは警察と救急車を呼んだ。故人はX町の病院に搬送されたが、同日午後8時30分にそこで亡くなった―ディーン医師が確認した。ディーン医師はそこで彼の死亡を確認した。その車の燃料タンクには、2ないし3ガロンのガソリンが残っていた。長いプラスチックの管がセロテープで排気管に固定され、車の窓の隙間に挿し込まれていた。故人が座っていた席の前には、「マリーとアンに神の祝福あれ」との書き置きが遺されていた。

日付検死官のサイン
(Atkinson 1978: 134-5; 〔〕内引用者加筆)

アトキンソンがインタビューしたこの担当検死官は、上記の事例について「母親との関係をめぐる幼少期における故人の混乱した状況を読んで『それはきわめて重要な点だ』と注目していた」うえに、軍の生活に慣れて市民生活への適応が難しくなった元兵士たちの事例を一般化し「元兵士が自殺という形で生を終えることはちっとも珍しいことではない」と言及していた(Atkinson 1978: 135)。さらにこの担当検死官はアトキンソンにたいして「古典的なパターンがあるんだよ―壊れた家、兵役からの逃亡〔もしくは除隊〕、ノイローゼ(nervous breakdown)、不安定な就労、家族の絆の欠如―より明快なのはどれかねぇ、と語ってくれた」(Atkinson 1978: 135; 〔〕内引用者加筆)。残り2つの抜粋についてもアトキンソンは同様に、死の場所や状況であったり、死後の司法解剖の所見に触れてはいるが、それ以上に「個人の生活史」「死の直前に起こったこと」に多く筆を割き、しかもそれらが記述されるうえで注目されているのが「個人がなんらかの類の『トラブル』を抱えている」点である、と指摘している(Atkinson 1978: 132)。そして「これらの記述は、他の目撃者による証言の読解に先立って、死因は自殺であるとの評決(suicidal verdict)に大いに役立った」という(Atkinson 1978: 132)。
このような、法医学的所見よりも故人の生活史を重視して自殺か否かを判断する検死官のやり方は「それらの〔自殺にかんする常識的な理論化の基盤となる〕証拠は〔中略〕目撃者の推論、さらには―当然のことであるが―新聞報道でも提示されるたぐいのもの」とアトキンソンは指摘する(Atkinson 1978: 171; 〔〕内引用者加筆)。自殺者としてふさわしい動機が付与でき、自殺者としてふさわしい生活史を構築できるような死者にたいしては、検死官であろうがその他の市井の人びとであろうが、自殺者という成員カテゴリーを疑問も躊躇もなく執行してしまう点において、差異はないのだ。目指すところはそれぞれ異なるにもかかわらず、である。さらに言えば、こうした常識的な理論化のやり方は、検死官や目撃者やマスコミ関係者、さらにはまさに自ら命を絶つかどうか決断しようとしている人びと(individuals who commit suicide)に参照されることによって再生産され、より確かなものとなっていく(Atkinson 1978: 145, Figure 6.6.1)。社会学者や精神科医が「社会的孤立」や「抑うつ」を自殺の主因として強調することを介し、そうした常識的な理論化の再生産過程に寄与していることも見逃せない(Atkinson 1978: 169-71)。
この一連の常識的な理論化の過程は「個人の生活にあるときトラブルが起こり、それが“悪化”してついに自殺に至る、という筋書きにそって進められる」(中河 1999: 85)と要約できる。ありていに言ってしまえば、死者を典型的に不幸な人物として記述していく、ということだ。したがって、死者が生前幸せだった、ないしは積極的に生存を志向していた、と言いうるような証言/証拠があった場合、死者の自殺者としての適格性に疑念が生じる(Atkinson 1978: 141-2)。以下は検死審問([coroner's] inquest)のやりとりの紹介である。以下2つの事例においても、やはり法医学的な所見は重視されず、もっぱら故人の生活史が評決の決め手となっている。

事例1:ある85歳の未亡人が、彼女自身が所有するコテージ―夫と死別してから一人で暮らしていた―のキッチンでガス自殺を図っているのが発見された。ラグマットとタオルがドアの下と窓枠の隙間に詰め込まれていた。ところが検死審問で、彼女のことを知る何人かの人たちが、彼女がいつも幸せそうで快活に見えたと証言すると、担当検死官は、ガス栓が開いていたことを示す証拠がないとして死因不明(open verdict)の評決を下した(Atkinson 1978: 141)。

事例2:ふだんは両親と決まった日時に買い物に出かけていた17歳の高校生が、どうしたことか彼がまさに亡くなった日にかぎってそれを拒絶し、家に1人でとどまった。両親が戻ってくると、彼は階段の踊り場の手すりにロープをかけて首を吊っていた。ここ2年ほど、彼はうつ病のため定期的に精神科医による治療を受けており、それだけでなく、学校を退学してからの彼の言動が〔周囲の〕心配の種だったのは周知のことだった。検死審問においてある証人が、彼ともう一人の男の子が近いうち休日に一緒に登山する計画を練っていて、しかも彼が亡くなっているのを発見したとき、登山ガイドブックが故人のベットで開かれたままの状態で発見された、と証言した。死因不明の評決が下された(Atkinson 1978: 142; 〔〕内引用者加筆)。

事例1についてアトキンソンは「この事例はどうみても明確に自殺といえたのだが〔中略〕故人が明らかにどうみても幸せそうだという証言が出るなり―幸せであるということは自殺を企図することとは相容れない―その検死官からすれば、自殺という評決を下さない方向に向かう十分な疑いが生じざるをえなかった」(Atkinson 1978: 141)と指摘する。事例2については「すべてが自殺であることを指し示している〔中略〕しかしながら、別の解釈の可能性、すなわち故人が山登りの練習をしていて、たまたまロープが首に引っかかって死んだ、ということが浮上すると〔中略〕彼ら彼女らは、双方の証拠をもって自殺にせよ事故死にせよ首尾一貫してどちらかと判定するモデルを確立できない」(Atkinson 1978: 142)と述べる。繰り返すが、このように、死者が生前幸せだった、ないしは積極的に生存を志向していた、と言いうるような証言/証拠があった場合に、死者の自殺者としての適格性に疑念が生じる。換言すれば、自殺の常識的な理論化において、そういった証言/証拠が活用可能となることは、自殺という行為を遂行するに値する動機を付与すること、自殺するにふさわしい生活史を構築すること、そして当該人物への自殺者というカテゴリーを執行することの適切さ、およびそれらが互いに互いを支えあう関係にある状態を、一挙に瓦解させてしまうという帰結をもたらす6。まるで〈自ら命を絶つ者は不幸でなくてはならない〉という規範的な秩序が貫徹されているかのようだ。
では、北ノ口さんは、「いろいろ大変だった」という瀬戸畑さん―(繰り返すが、あくまで段ノ岡さんの語ったところによれば、だが)ほかの死因もありえた―を自殺者として適切に同定していくにあたって、どのように常識的な理論化を実践していったのだろうか。アトキンソンは主に検死官の実践を検討していたが、本稿では以下で述べるように遺族(親族)の実践を検討する。このちがいゆえに、本稿ではアトキンソンが自殺をめぐる常識的な理論化を検討するにあたって顧慮しなかった点にも言及することになるだろう。

2 インタビュー調査について

筆者は2006年7月、自死遺族北ノ口さん(仮名:2016年3月の段階で60歳代後半、岩手県在住、農業〔インタビュー当時は団体職員〕、女性)に構造化されないインタビューを2時間半実施した。また、2014年5月に再インタビューを1時間実施している。インタビューには、報告者と北ノ口さんのあいだを取りもっていただいた西寿さん(仮名:2016年3月の段階で60歳代後半、岩手県在住、農業、女性)も同席している。
北ノ口さんは亡くなった瀬戸畑さんの義理の姪にあたる方である。1990年代後半から2000年代前半にかけて、民生委員を務めていたこともあった。彼女は、会社を辞め出生地に戻ってきた瀬戸畑さんの身の回りの世話、具体的には食事と洗濯を担っていた(入院時は除く)。北ノ口さんへの1回目のインタビューに際し、筆者は段ノ岡さんへのインタビューで知った興味深い点について、あらかじめ西寿さんを介して伝え、回答を求める形を取った。2回目のインタビューの際は、1回目のトランスクリプトを読み返し、不明な点を尋ねる形になった。
亡くなった瀬戸畑さんは、1940年代前半に岩手県Q地区で比較的裕福な農家の末子として生まれ、高校卒業後、県庁所在地近郊の会社に事務員として勤務していた。亡くなるおよそ2年前にその会社を事実上リストラされ失職する。失職直後に新興宗教に入信、その後精神疾患(おそらくはうつ病)を発症する。発症後は精神科へ入院していた期間を除いて、Q地区の実家で親兄弟とともに暮らしていたが、亡くなる半年ほど前から実家の近くに建設された一戸建て住宅をあてがわれ、そこで暮らすようになった。1990年代後半に自宅で自ら命を絶つ。享年50歳代前半であった。
瀬戸畑さんが高校までを過ごし、かつ失業してから亡くなるまで暮らしていた岩手県Q地区は、県中部の平野部の山間部にほど近い場所で、1970年ごろから商業地および郊外住宅地として整備が進められてきた。県庁所在地周辺の事業所には自動車通勤が可能な立地のうえ、地区内にも比較的多くの事業所が存在するため、岩手県内では事務職も含めて比較的雇用に恵まれた地域である。人口の高齢化こそ進展しているが、現在のところ人口流出は顕著な形ではみられない。

3 自殺者らしい生活史上のエピソード(1):リストラ

瀬戸畑さんは亡くなる2年前、精神疾患のため実家に連れ戻された。

(2006年のインタビューからの引用1)
北:私‌、〔実家から婚家に〕嫁に行ってから、あの、嫁に行ったら、もういなかったんですよ。もう〔瀬戸畑さんは就職して〕一人暮らししてて。
筆:はい、はい。
北:だ‌から、一緒に生活したっていうのは、その、精神異常になってから、だけなんです。
筆:はい。
北:うん、で。
西:結局精神異常になって、ウチ〔実家〕に来て、戻って来たんだぁ。
北:連れて来たんですよ。

瀬戸畑さんは精神疾患を発症したため、実家に連れ戻される。また発症する少し前に、勤め先を実質的に「リストラ」されたという。

(2006年のインタビューからの引用2)
北:あ‌のねぇ、う、うーん、もとをただせば、あのー、会社、に勤めてたんですけど〔コーヒーを飲みながら話す〕。
筆:はい。
北:あの、歳だから。
筆:はい。
北:転勤になったんですよ。□×●〔地名〕のほうに。
〔中略〕
北:そ‌の、□×●〔地名〕に転勤、あの、□×●〔地名〕のほうに転勤になったけど、やっぱり歳だから行きたくないっていうことで。
筆:はい。
西:結局、リストラみたいだったんだよね。
筆:あー。
北:う‌ん、で、結局〔会社側はもともと瀬戸畑さんに〕辞めてほしいから、こう〔田舎に〕飛ばしたんだけど、それで、辞めたんです。

しかし北ノ口さんは、リストラが瀬戸畑さんの自殺動機とは考えていなかった。この地域では、彼女くらいの年齢の女性は、家業(農業)手伝いかパート勤務が一般的であり、正社員でいることのほうが異例であったからである。もし若い頃に正社員であったとしても、瀬戸畑さんが解雇されるくらいの年齢であれば皆辞めている、とも付け加えた。ゆえに、北ノ口さん(と西寿さん)は、正社員をリストラされた50代女性の述部、すなわち論理的に結びつきうる権利義務/活動として、自殺を期待していなかったということになる。

(2006年のインタビューからの引用3)
西:農‌協の人だぢだって、はぁ、自分でさぁ、とっても若い人だぢが入ってくるし、私はとってもダメだがらって、その歳ぐらいには辞めでるよ、やっぱり、農協の人だぢも
北:そう、その前に辞めてますからね。
西:ねぇ、うん。
筆:じゃあ、その人たちは、辞めた人たちは、どうしてるんですか?
西:いや、また勤めだりはしてるけどさ。
筆:そんなに簡単に勤め先が見つかるものなんですか?
北:どうなんだかね。
西:いや、ほんだねぇ人だぢは、はぁ、家に居たりしてる、家に居でる。
北:男の人は家に居ますよね〔農作業に従事しているということ〕。
筆:へぇー。
西:女‌の人も、まあ、それごそ、〔街の〕近ぐの人は、いろいろほら、ツテがあるがらだが、稼んでるけど、あとの人だぢは辞めれば、家にいるねぇ。んでも〔そういう〕家は、ほとんど農家どがの人だぢだがら〔農作業に従事している〕。

(農作業=家業手伝い以外の)50代女性たちの自明視されている勤め先は、非正規雇用であった。

(2006年のインタビューからの引用4)
北:パートのおばさんで、掃除のみとかだったらあるんでしょうけどね。
筆:ああ、レジ打ち。

ただし、リストラされたことは、自殺にいたる次の段階(にして最大の要因)の、宗教団体への入信と没頭の引き金要因にはなった、と位置づけられている。

4 自殺者らしい生活史上のエピソード(2):宗教団体への入信

「リストラ」された直後、瀬戸畑さんは知人の勧誘である宗教団体(名称不明)に入信する。

(2006年のインタビューからの引用5)
北:うん、それで、仕事辞めて、なんか、知ってる人に宗教を。
筆:はい。
北:勧められたみたいなんですよ。
筆:はい、はい。
北:そ‌の宗教で、なんか、狂った〔*精神疾患を発症増悪させた〕みたいなんですよ。
筆:そうですかぁ。
北:のめり込んじゃったみたいで。
筆:あぁ。
北:うん、だからそういう。
筆:あぁ、カルト〔教団〕。
北:本とかね、テープとか、あったんですよ。変なね。

その宗教団体に入信したのは、「リストラ」されたうえに、思うような再就職先が見つからなかったためだという。

(2006年のインタビューからの引用6)
北:そ‌れで、なんか、なんで宗教に入ったかわかんないんだけどね、やっぱり、いろいろなにかしたいと思って。なんか、わ、結局は、あの、〔リストラ後の瀬戸畑さんは〕事務関係がいいっていうことで。
筆:はい。
北:望‌んでたみたいだけど、やっぱり50なんぼだと、事務関係〔の正社員〕なんか、取らないんだもんね。
西:取らねえんだぁ。
〔中略〕
北:な‌んか、事務、必ず事務じゃないとダメだみたいな感じだったみたいですよ。
筆:はい。
北:う‌ーん。それで、その、友達かなんか〔の勧誘〕で、宗教に入ったのかな、うーん、それで、〔ためらいがちに〕入って、おかしくなったのだと思いますよ。なんか、うーん。

そして北ノ口さんは以下のように述べ、その宗教団体へ入信したことが、瀬戸畑さんが精神疾患を発症した直接の原因になったと主張する。

5 自殺者らしい生活史上のエピソード(3):精神疾患

瀬戸畑さんがその宗教団体に入信してすぐ、彼女の住むアパートの家主から実家に連絡があった。家主は彼女の挙動が怪しいことを告げ、対応を求めた。北ノ口さんたちがそのアパートに赴いてみると、挙動もさることながら表情も〈異常〉なように思われたという。それがきっかけとなり、彼女は精神科病院で診察を受けたうえで、実家に連れ戻された。

(2006年のインタビューからの引用7)
北:うん、突然ね、電話が来て、大家さんから。
筆:あ、はぁ。
北:「〔‌瀬戸畑さんが〕おかしいですよ」って言われで。行ってみたらね、もう、ど、ウチの中にも入れ〔てくれ〕ない。なんぼ〔ドアを〕叩いでもなにしてもねぇ。
筆:はい。
北:う‌ーん、びっくりしてねぇ。でも、まず、見なきゃないと思って行ったら、もう、ん、もう、普通の人じゃないの。〔1秒沈黙〕怖い顔して。
筆:あ、はい。
北:び‌っくりさせられたの。もう、眼が、爛々としてねぇ、〔声を大きくして〕もう、鬼みたいな顔になっちゃってて。びっくりしましたったよ。で、「もうダメだ」って、おばあちゃん〔*北ノ口さんの実母〕と二人で〔話し合って〕、「まず病院に連れてこう」っていうことで、病院に連れてって。
筆:はぁ。
北:う‌ーん、まず、検査してもらって。検査して、なんていうのは、普通の病気じゃないからね。
筆:はい。
北:時間かかるので、うーん、△△病院に連れてって、精神科の方に。
筆:はい。
北:う‌ん。それで、ちょっと診に行って、で、ウチ〔実家〕の方に帰ってきたんです。

しかし、北ノ口さんは瀬戸畑さんの具体的な病名(診断名)を知らされることはなかった。2006年7月の段階では、うつ病―公的な自殺対策において自殺の主因とされ、その〈正しい〉知識と、周囲の人たちが取るべき〈正しい〉対応の普及啓発が図られていた―ではないと述べていた。北ノ口さんはインタビューの少し前まで民生委員としてそういった知識を学習し、普及啓発に携わっていたのだが。

(2006年のインタビューからの引用8)
筆:は‌い。〔1秒沈黙の後〕で、すいません、その、し、結局病名はなにか、診断?
北:病名は、え、私、聞かなかったんだけど、なんなんだろうねぇ。
西:な‌んっていうの?発狂するっていうごどだえんじぇなぁ。なんの、なんの病気だ?そういうのは?おかしくなってさ?
筆:うーん、またそれもいろいろあるので。
北:あぁー。
〔中略〕
北:病名はなんなのかなぁ、そこまで聞かなかったもんだもんねぇ。
西:んだって、結局、そういうのになるど、うつ病とも違うよね。
北:〔瀬戸畑さんは〕うつ病じゃないよね。

しかし2014年の2回目のインタビューにおいて、北ノ口さんは瀬戸畑さんについて、その言動からうつ病だったと明言した。

(2014年のインタビューからの引用1)
筆:入‌退院を繰り返していたということなんですけれども、あの、診断名とかは。病名は。
北:診断名、病名は、私、わかんないですけど、なんでしょうね。
〔中略〕
北:〇‌□病院に行ってたんですけどね、と、とにかく、あの、季節の変わり目になると、起きるんですよ。あの、春先とか。
筆:あ、はい。
西:ああ、よく言うよね。
北:春先はとくに。うん、なんか、様子がおかしい。もう、戸も閉めっぱなし。
西:はぁ、ひきこもりみたいな。
北:うん。
筆:はい。
北:全‌然ご飯も作らないで。あの、ほら、食材取ってあげてたったんですよ。でも食材も、食べ、なんにも食べないし、食べたくないし作りたくない、お風呂にも入りたくないって。なにもしたくない。だから、うつ、うつみたいなものですねえ。
筆:あ‌あ、季節性のうつ、うつ、あぁ。統合失調症とか精神分裂病のような感じでもなく。
北:なんだか、そういう感じでしたよ。

挙動に問題ありということで瀬戸畑さんは実家に引き取られたが、その後毎春に症状が悪化したという。

(2006年のインタビューからの引用9)
北:すごくね、いいときはいいんです。普通。
〔中略〕
北:で‌もねぇ、ちょっとそういう風になると、もう部屋から出ない。カーテンも開けない。お風呂にも入らない。洗濯しない。なにもしない。
筆:は、はい。
西:一緒に暮らしてらったの?
北:一緒に暮らしたんです、何年だったか。
筆:それで、そういう状況が何日ぐらい?
北:そ‌れがねぇ、あの、必ず春にね、あ、こう、若葉がこう、なるあたりになると、出、なるんです。必ず。
西:な‌んか、そういうこと聞くねぇ、ほんに。そういう、病気の人って、そういう風な周期があって。
北:は‌ぁ、時期になると必ず、あ、もう「そろそろなるな」と思うと、本当に、なるんですよ。もうねぇ、そういう風になるとわかるんですよ。部屋から出てこなくなるの。顔も洗わなくなるの。
筆:はい。
北:「おばちゃんご飯だよ」って言ってもね、出てこなくなるの。

そこで北ノ口さん一家は、症状の〈悪化〉した瀬戸畑さんを近くの精神科に入院させた。しかし、〈寛解した〉とされ、4ヶ月ほどで退院させられる。その後瀬戸畑さんの病状は少しずつ悪化する。

(2006年のインタビューからの引用10)
北:そ‌れがねぇ、何、うーん、それ、だから、そうなると病院に連れて行きますよね
筆:はい、はい。
北:そ‌して、やっぱりねぇ、4ヶ月くらい入院してきます。そして、自分で「良くなった」って言って、帰る、帰って。それの繰り返しです。だからいっつも春先になると、病院に行って、入院して。
筆:そ‌れで、自分で良くなったって言って帰ってくるなんていうことが、できるものなんですか?
北:う‌ん、なんかねぇ、そう言うんですよ。そしてね、病院って、なんかそうですっけよ。
〔中略〕
北:あ‌の、〔瀬戸畑さんに〕付き添って〔精神科に〕行くとね、すんごい話するんですよ。「ほら、どこも悪くない」みたいな感じ、で言ってくる。だったら先生もほら、先生ったってわかんないんだもんね、本当に。
西:んだがらなはぁ、何して出るのでねぇ、検査して出るものじゃないがらね。
〔中略〕
北:そ‌う、そう思いますっけよ。うん、んだけど、来たいって言うのにね、邪魔されないから、うん、ウチで連れて来て、何年か看て、世話したの。んでもね、すんごくいい、いい、良くなってね、ご飯支度もしてくれたり、してくれたり、したときもあったんですよ。
筆:はい、はいはい。
北:うーん、でも、やっぱり、だんだんと〔症状は悪化して〕。

北ノ口さんは、瀬戸畑さんの精神疾患にともなう予期しない言動(自傷?や徘徊?)を、その宗教への信仰(没入)と密接不可分なものと位置づけている。

(2006年のインタビューからの引用11)
北:や‌っぱり宗教だからねぇ、ウチにきたときもねぇ、常に拝んでるの。こう、逆さっこになって。だから、顔が盛っこになる7くらい、こうやって拝んでるの。
筆:床に顔を打ちつけたり、押し付けたり、されるんですか?
北:う‌ん、うん、そうそう、こうやってね。で、あとはねぇ、外の田んぼに行ったりしてね。畦〔*「くろ」と言っていた〕に行って。「あんたたちのおばちゃん田んぼでしゃがんでるよ」って〔近所の人たちに〕言われて。何回も探しに、探したったの。顔がこんなになるくらいね、一生懸命ずーっと拝んでるの。拝んでるのだか、心でどういう風にしてるかわかんないけど。

その宗教団体への入信・没入と精神疾患とを(未分化に)語る〔この節で言及した〕部分が、北ノ口さんによる自殺の常識的な理論化の実践における中心部分となる。

6 転居・遺書・形見分け、そして死

6.1 瀬戸畑さんの死をめぐる常識的な理論化の達成
瀬戸畑さんは実家に連れ戻されてから1年半後、隣に新築された家に引っ越す。ただ彼女のケアを考えてのことではなく、もっぱら遺産相続上の都合によるものであった。

(2006年のインタビューからの引用12)
北:そ‌の、〔瀬戸畑さんが〕私の世話になるのが、かわいそうだって言って、隣に家建てたんですよ。
西:あ、自分で?自分のお金で?
北:あの、きょうだいが。
報:お金を出しあって?
北:建‌てろって言ったかなんか。結局おじいさんが亡くなった遺産相続みたいな感じ。

転居からおよそ半年後、冒頭で述べたように瀬戸畑さんがそこで遺体となって発見された。彼女の居宅を捜索したところ、遺書が発見される。北ノ口さんは直接その遺書を読んだわけではないが、親族から伝え聞いたその内容から、瀬戸畑さんの自殺の原因はその宗教団体を強く信仰したせいだ、とより強く確信したという。

(2006年のインタビューからの引用13)
北:遺‌書みたいなのはあったっては言うんですっけ。なんかねぇ「神様が迎えに来るから」って。やっぱり、宗教ですよねぇ。
西:んだよねぇ。
筆:うーん。
北:「神‌様が迎えに来たから、行きます」みたいなことを、書いてあったみたいですよ。もう私は見なかったけど。

さらに遺書のほか、親族や特定個人にあてた、形見分けの品々も発見される。

(2006年のインタビューからの引用14)
北:そ‌れでね、やっぱりなにかあったのか、なんかね、みんなに、うん、あの、名前でね、袋にハンカチとかね。
〔中略〕
西:あやぁ、んだば〔死ぬ〕支度してらったえんか?
筆:えー。
北:うん、おかしい、お茶碗とかね。みんな名前書いてこう、置いてましたよ。
筆:あの、名前というのは。
北:きょうだいとか。
西:あげる人の名前。
北:あげる人の名前とか。
筆:あぁ、はいはいはいはい。
北:だから、やっぱり、なにか
西:はぁ、ねぇ
北:察していたのかもしれないね

また、遺書は異なった時期に複数書かれており、特定の親族に当てた訓戒のようなものもあった。

(2014年のインタビューからの引用2)
北:ウ‌チの叔母の場合は、手紙、書いてたみたいですよ。私、見なかったんですけど。
西:うん、うん。
北:ウ‌チの旦那と、おじいちゃん〔=瀬戸畑さんの実父〕とおばあさん〔=瀬戸畑さんの実母〕にね、うん。
〔中略〕
北:は‌ぁー。なんかね、あの、ハンカチと、手紙と、後から出てきて。片付けててね、出てきたんですよ。
〔中略〕
西:ん‌でも、まず、書いたってことは、その気があったんだよね、いづかは、っつうのが。
北:で‌も、遺書みたいな感じじゃなくて、なんか、あの、ウチの旦那はほら、甥っ子になるから、「お前はこうなんだから、こうなんだから、こうしなさい」みたいな、みたいなことを、書いてたみたいですね。

遺書執筆や形見分けのような死の準備は、突然の死を自殺と確定するうえで重要な証拠とされている(Evans & Farberow 2003=2006: 57)。自殺の常識的な理論化における重要なアイテムになるのだ。
リストラにはじまり、宗教団体入信・精神疾患発症を経て、準備(形見分け・遺書執筆)をしたうえで自ら命を絶ったという〈不幸に満ちた〉自殺者らしい生活史が構築され、あわせてそれらが自殺動機として適切に付与される。そして、瀬戸畑さんの死因が(他でもなく)自殺であること―自殺者という成員カテゴリーの執行―が適切なものとなる。こうして瀬戸畑さんの死(自殺)をめぐる常識的な理論化が、ひとまず達成される。

6.2 自殺の責任帰属をめぐる対立:アトキンソンが射程におさめきれなかったこと
ただ、北ノ口さんは、アトキンソンが述べたような自殺の常識的な理論化では射程におさめられないエピソードも語っていた。それは、自殺の責任帰属をめぐる近親者・関係者のあいだでの対立である。
上記6.1で言及した家の新築と転居であるが、実は北ノ口さん夫妻は家を新築し、そこに瀬戸畑さんを転居させることに一貫して反対しつづけていた。ケアや見守りに支障が出ると考えたためだという。実際、そこに転居したことは、自殺企図の阻止や、死後の発見を遅らせる結果になったと述べている。

(2006年のインタビューからの引用15)
北:隣‌に家建てたんです。うちら〔夫婦〕は、もう、そういう人には家建てても、一人ではダメだよって言って、言ったんだけど。
筆:はい。
北:で‌、隣に家建てたから、その、自殺したときなんかはね、〔すぐには〕わからないでいたの。一緒に暮らしてなかったから。
さらに瀬戸畑さんの死後、北ノ口さんの夫が家を新築することを主導した親族の責任を追及し、非難した。そのため非難された親族との関係が長期間にわたって険悪なものとなった、という(インタビュー時点では関係は修繕されたようであるが)。

(2006年のインタビューからの引用16)
北:そ‌れで、お父さん、ウチの旦那がね、〔瀬戸畑さんのような〕ああいう人が一人でいても、ダメだって言ったもんだから、〔義理の叔父は〕それが良くないって言ってね。
西:今度はね。
北:お‌父さんとも、すっかり、絶交みたいになっちゃってね。その、叔父さん、何年かくらいウチに来なかったんですよ。叔母さんも。その二人のね、言った叔母さんと叔父さんは。10年か何年、仏さん拝みに一切、ウチに来なかったの。
筆:あぁー。
北:うん、で、今は、今は来ます〔笑う〕。

アトキンソンが責任帰属の問題まで射程を伸ばし得なかったことは、自殺の社会学的研究としては不十分であるとすでに指摘されている(藤原 2012a: 70)。しかしそうした不十分さは、彼が主として検死官による自殺の常識的な理論化―突然死した者への自殺(者)としてふさわしい動機の付与、そうした人にふさわしい生活史の構築、そして自殺者というカテゴリーの執行―に主として焦点を当てていたゆえであろう。検死官にとっての自殺の常識的な理論化の目指すところは、あくまで死因の確定(自殺か、さもなくばほかの死因かをはっきりさせる)にあり、誰に責任があるのかを追及することではないから(西阪 1997: 29)。しかし市井の人びとの近親者・関係者によるそれは、責任帰属を否応なく帰結することとなる(西阪 1997: 28-9)。
ではどうして市井の人びとによる自殺の常識的な理論化は責任帰属をめぐる対立を惹起するのか。それは、ある人に適切な自殺動機が付与され、自殺者としてふさわしい生活史が構築され、そして自殺者という成員カテゴリーが執行されることは、たんに彼/彼女を自殺者として同定する(死因を自殺と断定する)にとどまらず、規範的にその人の死に責任を負う位置にあるべき特定の人物(死者とペアとなる成員カテゴリー)も措定され、彼/彼女が自殺を予防/促進するために期待できる述部(本稿註3を見よ)も参照可能となり、その結果自殺の予防/促進のために何をした/しなかったかも査定できるようになるからである(藤原 2011)。
したがって、叢生から今日にいたるまでのエスノメソドロジー、とりわけ成員カテゴリーの使用にかんする諸研究の成果を参照し、アトキンソンによる自殺の常識的な理論化をめぐる研究の射程を責任帰属にかかわる対立にかかわる実践まで延伸することをつうじて、より統制の取れた記述を可能とすること、それが今後の研究上の課題ということになるだろう(し、今日にいたるまで筆者が悪戦苦闘しているところでもある)8。

7 おわりに

北ノ口さんは自殺の常識的な理論化―繰り返しになるが、突然死した者への自殺(者)としてふさわしい動機の付与、そうした人にふさわしい生活史の構築、そして自殺者というカテゴリーの執行からなる―を彼女なりのアイテム(知識・情報・推論)を駆使して実践し、叔母である瀬戸畑さんを自殺するに値する不幸な人として同定してみせた。しかもその実践は、死の責任をめぐる対立という、アトキンソンが想定していなかった段階にまでおよぶものであった。近親者や関係者の自殺に直面した人びとは、どのようなアイテムを駆使するかはともかくとして、まさに彼女のようなやり方で常識的な理論化を実践していくわけだが、そうした実践の積み重ね(再生産)の帰結を雑駁ではあるが指摘して、本稿を締めくくりたい。
〈不幸な人びと〉の突然の死を、まさに彼女がそうであったように、常識的な理論化を実践することをつうじて、かくも合理的に自殺と記述できてしまうことは、もしかしたらありえた、別の死因として記述するとか、仮に自殺だとしてもあるほかの責任帰属の宛先を措定する可能性を抹消してしまうかもしれない。こんなに不幸だったのだから(いろいろ疑わしい点があるにせよ)自殺に違いないとか、不幸な人が自殺したのだから、不幸の原因を惹起したであろう(もしくは不幸なその人を適切にケアしなかった)身近な人が彼/彼女の死に責任を負うべきだ、といった(しばしばよこしまな動機―たとえば死の責任の転嫁―が付与可能となるような)推論が安直にまかりとおってしまことにもなる。そうした常識的な理論化の〈悪用〉は、現に過労自殺における責任帰属をめぐる争いにおいて、加害企業側や(本来被害者遺族を守るべきはずの)行政側によっておおっぴらに実践されていることだ(熊沢 2010)。
くわえて、そうした自殺の常識的な理論化の実践(とその再生産)は、フーコーが皮肉ったような、不幸な者を自殺へと駆り立てることの〈教示(instruction)〉たりえる。本稿1でも言及したように、それを実践する〈人びと〉には、まさに自ら命を絶つかどうか決断しようとしている人びともふくまれている。彼/彼女らも、利用可能なさまざまなアイテムを駆使して常識的な理論化を実践し、自らを命を絶つに値するほどに不幸な者として同定可能か、試みることができるからだ(同定できたならば、適切な動機と生活史を手に入れることができる。そして自ら命を絶てば、自殺者という成員カテゴリーを自己執行できる)。
ならば、ある特定の不幸と自殺との論理的な結びつきを絶つことができれば、現に起きている常識的な理論化の悪用に起因する自死遺族らの困難であったり、フーコーが皮肉ったような事態であったりを大いに抑止できるのかもしれないし、〈幸福な者〉があえて自ら命を絶つことを選ぶようになるだけかもしれない。実際に、特定の不幸の一例である「いじめ」と自殺との論理的な結びつきを断ち切ることの必要性とその方途を明快に指摘した論考はすでにいくつか存在する(北澤 2012; 間山 2002)。このような、自殺と不幸の論理的な結びつきを断ち切る試みそれ自体は、積極的に推進されるべきことかとは思われる。とはいえ以下の点は申し述べておく必要があるだろう。自殺と不幸の論理的な結びつきを絶つことはよいにしても、自殺以外の方法で不幸を強いるしくみに抗議し、そこから抜け出す方途がないのであれば、それはたんに不幸な生を強要するだけになる、ということも(もちろん上記の論者たちは、そのあたりも抜かりないのではあるが)。ならば、自殺とその抑止であったり、自死遺族が直面するさまざまな困難をめぐる「意味づけの葛藤に目を向ける〔中略〕文化の解剖学を通じて、私たちにとってより受け入れられ易い文化のあり方の選択肢を探すこと」(中河 1986: 145)、敷衍すれば、自殺と不幸の論理的な結びつきを絶つ方途と、不幸な生への抗議/そこからの離脱方法の双方を〈あくまでデータに即して〉考えていくこと、これらが人文社会諸科学に求められているのではないだろうか。6.2で述べたように、成員カテゴリーの使用にかんする諸研究の成果を参照したエスノメソドロジー的な研究は、そのための有望かつ適切なやり方であるだろう。


1 ただ、筆者がこれまで自死遺族にインタビューを行ってきた感触では、今回言及した段ノ岡さんの語ったものもふくめて、本当に警察が遺族たちが語った諸事例で検視を実施したかどうか、疑問が残る。遺族たちは検視が実施されたと語るのだが、実際に行われたか否かを判断するに足る程度にそれらの詳細を語ることのできた人はいなかったからだ。本稿の関心からすれば〈実際に〉検視が行われたかどうかは問題とはならないのだが、別の関心から自殺現象や自死遺族の語りに着目する人たちにとって、それは大きな問題であるだろう。
2 本稿において、〈動機〉とは「ある状況に置かれた行為者や他の成員にとって〔中略〕社会的・言語的行為にかんする問いへの、疑問の余地のない回答」(Mills [1940]1963: 443=1971: 347)としての、動機外在論に立脚する「動機の語彙(Vocabularies of Motive)」を指す。人の心の奥底に存するとされている行為の心的駆動因では断じてない。動機外在論という点については、エスノメソドロジーも同様の見解である。
3 成員カテゴリーとは「人びとを記述するのに使用できるタイプないしは分類」であり、「『母親』であるとか『政治家』であるとかいったカテゴリーはすべてこれに入る」(山田2001: 197)。
  それぞれの成員カテゴリーは、アプリオリに期待される(できる)活動としての「カテゴリー付帯活動(category-bound activities)」(Sacks 1972: 335-8)、ないしは「ある成員カテゴリーが付与されれば、それにもとづいて慣習的に想起される活動、権利、義務、知識、能力等々」である「述部(predicates)」(Hester & Eglin 1997: 5; 山田2001: 199)をともなっている。たとえば〈自殺者〉ならば、身辺整理をしていたにちがいないとか、生前さまざまな不幸が重なっていただろう、といった具合である。
  さらに各成員カテゴリーは、なんらかのカテゴリー集合(たとえば〈家族〉)のもとにあり、同一集合内の他の成員カテゴリー(たとえば〈父〉〈母〉〈姉〉〈弟〉〈飼い猫のピーちゃん〉)とペアを構成する。
4 (動機の付与や生活史の構築や成員カテゴリーの執行もふくむ)あらゆる実践は状況に埋め込まれて組織されており、そのかぎりにおいて意味をなすものである。だから実践やその構成要素を当該状況/組織から切り離して検討しても、実践そのものの理解には一歩も近づかない。デュルケーム(Durkheim, É.)が社会的事実について合金や化合物の比喩で説明したことを想起してほしい(Durkheim [1895]1960=1978: 30-2)。この註で述べたような視座をより厳密かつわかりやすく解説しているものとしては、前田泰樹の論考があるので参照のこと(前田 2007)。
5 イングランドおよびウェールズの検死官は、司法府に属する地方公務員で、変死体の死因の究明(司法解剖への立ち会いも含む)を行う。1996年の調査によれば、検死官は148人存在し、そのほとんどが〈男性〉かつ〈法曹資格所持者〉で〈パートタイム〉であった(福島 2003: 298-9)。この検死官制度は、シップマン医師による患者の大量殺人を発見できなかったことをふまえ、2009年に改正があった(岡久 2009)。なお、イングランドとウェールズにおける「検死(autopsy)」は、調査により長い期間をかけ、司法解剖が要求される頻度も高いうえ、場合によっては陪審員による評議がある点で日本における「検視」とは異なる(福島 2003)。
6 ゆえに、近親者の突然の死は自殺ではないと主張する際には、死者が生前幸せだった、ないしは積極的に生存を志向していた、と言いうるような証言/証拠を挙示するのが適切となる(藤原 2012b)。
7 腫れあがる、ということ。
8 論旨と紙幅の関係で詳述することはできないが、アトキンソンの研究において成員カテゴリーの複数執行についての指摘がない点も、筆者にとっては不十分だと思われる。サックス(Sacks, H.)は一人に複数の成員カテゴリーを執行すること自体は禁じられてもいないし不可能でもないが、一つで十分だとしている(Sacks 1972: 333)。しかしワトソン(Watson, R. D.)が指摘するように、たとえば「黒人のシスター/ブラザー」「白人の男性」といったような、成員カテゴリーの複数執行が特定の状況ではむしろ適切ではないかと考えられる(Watson 1983: 37-9=1996: 113-4)。本稿で引用したアトキンソンの事例のなかだけでも、1人の故人にたいして「自殺者」だけでなく、「退役軍人」とか「未亡人」とか「高校生」といった成員カテゴリーが同時に執行されているし、北ノ口さんにしても瀬戸畑さんにたいして「失業者」「信者」「患者」といった成員カテゴリーも執行している。こうした、成員カテゴリーの複数執行にかかわる実践、およびそれが適切となるような状況の探求も、今後の課題である。

文献
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Evans, G. & N. L. Farberow, 2003, The Encyclopedia of Suicide, New York: Facts on File. (=2006,高橋祥友監修/小川真弓・徳永優子・吉田美樹訳『自殺予防事典』明石書店.)
Foucault, M., 1979, "Un Plasir si simple," Gai Pied, avril 1979. (=1987,増田一夫訳「かくも単純な悦び」『同性愛と生存の美学』哲学書房,184-190.)
藤原信行,2011,「『医療化』された自殺対策の推進と〈家族員の義務と責任〉のせり出し―その理念的形態について」『生存学』3: 117-32.
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福島至,2003,「被拘禁死亡に関する検死手続の構想―イングランド・ウェールズ検死制度を手がかりに」『法律時報』75(13): 298-303.
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北澤毅,2012,『「いじめ自殺の社会学」―「いじめ問題」を脱構築する』世界思想社.
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前田泰樹,2007,「見る」前田泰樹・水川喜文・岡田光弘編『ワードマップ エスノメソドロジー―人びとの実践から学ぶ』新曜社,210-6.
間山広朗,2002,「概念分析としての言説分析―『いじめ自殺』の〈根絶=解消〉へ向けて」『教育社会学研究』70: 145-63.
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Sacks, H., 1972, “On the Analyzability of Stories by Children,” J. J. Gumperz & D. Hymes eds., Directions in Sociolinguistics: The Ethnography of Communication, New York: Holt, Rinehart & Winston, 325-45.
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山田富秋,2001,「成員カテゴリー化装置分析の新たな展開」船津衛編『アメリカ社会学の潮流』恒星社厚生閣,189-210.

〈付記〉本稿には、日本学術振興会の科学研究費助成事業(若手研究(B)代表者・藤原信行:研究課題番号26780292)の成果の一部が含まれています。また本稿は、日本学術振興会の科学研究費助成事業(基盤研究(C)代表者・中河伸俊:研究課題番号22530515)により実施された「社会構築主義の再構築プロジェクト研究会」の2011年度第2回研究会合プログラムでの自由報告「自死遺族による『不幸のレトリック』の実践と死因にたいする疑問の隠蔽」を、追加調査を実施のうえ大幅に加筆修正したものです。報告の機会および出張旅費を与えてくださった、中河先生をはじめとする研究会メンバーの皆様に感謝します。

生存学研究センター報告

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