まえがき:理論と経験的記述をめぐる〈雑感〉から

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まえがき:理論と経験的記述をめぐる〈雑感〉から


藤原信行・中倉智徳

この論集は、立命館大学生存学研究センターの「若手研究者研究力強化型」の支援(2015年度)を受けた「規範×秩序研究会」(以下「本研究会」)のメンバーによる、「生存の現代史」「生存のエスノグラフィー」「生存をめぐる制度・政策」「生存をめぐる科学・技術」と向き合ううえで不可避な〈理論と経験的記述〉との関係についての、いささか両義的な感覚を意識しながら書かれた論考の集成である(成立から2013年までの本研究会の経緯については、『生存学研究センター報告21 生存をめぐる規範』の「まえがき」1を参照されたい)。
アメリカ社会問題学会(The Society for the Study of Social Problems)の学会賞にその名を冠せられている社会学者のミルズ(Mills, C. W.; 1916-1962)は、親友に宛てた手紙のなかで、未知なる対象を探求するような状況のもとでは「理論は空高く飛び立つための飛行機であって、けっして錘つきのブーツなんかじゃない」と、理論の効用をユーモラスに指摘している(Geary 2009: 37)。実際に、対象はなにであれ学術的な探究を志す者にとって、彼/彼女自身の自明なものの見方・考え方から距離を取ることを可能とするような翼たりうる―言い方を変えれば、爾後の結果により改変・破棄の可能性に開かれているにしても、さしあたりのナビゲーションになるような―広い意味での〈理論〉がなければ、その試みは学的にも政治的にも惨憺たるものを帰結するほかないであろう。ミルズ自身の社会病理学者批判論文(Mills [1943]1963=1971)やフリードソン(Freidson, E.; 1923-2005)の「常識的個人主義(common sense individualism)」批判(Freidson 1970: ix-x, 59-69=1992: ii-iii, 54-64)を知る人であれば、そのことは容易に想起できるはずだ。
とはいえ他方で、いくら理論が大事であるからといってそこに内閉してしまい、人びとの実践と乖離してしまう―誇大理論に限らず、規範理論であろうが、どんな水準の〈理論〉であろうが、注意せねば必ず陥る―のでは、「〔現に人びとによってなされている〕日常生活における諸行為に課せられた制約を無視し」た「〔頭のよい人たちの〕知的遊戯(playful thought)」(Schulz & Luckmann 1983: 58; 〔〕内引用者加筆)に堕していると論難されても仕方ない。社会学者のマートン(Merton, R. K. ; 1910-2003)が言うところの「中範囲の理論」(Merton [1949]1957=1961)が象徴しているような、理論と経験的な記述が互いに互いを支えあう関係は人文社会諸科学にとって理想ではあるのだろうが、なかなか難しいようだ。
この論集の執筆主体である本研究会にとっても、本研究会を物心両面で支援していただいている「生存学」にとっても、理論と経験的な記述との適切な関係の保ち方は、回避することができないしすべきでもない一方で、非常に困難な課題として立ちはだかっているように思われる。ここ2年ほどのあいだに本研究会がセンターの支援を受けて主催、ないしは主としてかかわったシンポジウムである、2014年2月に小宮友根先生を招聘して開催された「ジェンダー研究の新機軸―エスノメソドロジーからのアプローチ」2、2014年9月に田村哲樹先生を招聘して開催された「デモクラシーと福祉の規範理論」3、2015年2月に盛山和夫先生を招聘して開催された「社会学と規範理論のあいだ―公共社会学の再検討」4は、あえてそのような困難に向き合っていった歴史でもある。
本研究会のメンバーが属するディシプリンはもともと多様であったが、現在は以前にもまして多様となっている。倫理学、生命倫理学、視覚文化論、心理学、経済学、経済哲学、政治学、政治哲学、被害者学、社会思想史、社会学、歴史社会学、メディア論、社会福祉学、保健学、法哲学、法社会学……といった、一見すると対話不可能な異なるディシプリンを基盤とするメンバーが、とにもかくにも決定的な断絶に至らず議論―とくに本研究会では、生存学研究センターの助成を受け、虎の穴とでもいうべき(とにかく逃げ場がない)遠隔地での〈合宿〉で容赦ない議論を戦わせた―し、その結果を受けてまあなんとか建設的な結果が産出されている。こういったインターディシプリナリーな対話が成り立っていることは、学術研究に携わる者としてきわめて幸福かつ理想的なことであるだろう。本論集は、まさにそうした〈悪戦苦闘〉のなかで編まれたものである。
最後に、生存学研究センターの運営委員、および「若手強化型プロジェクト」の代表者として上記のような充実した研究環境を物心両面にわたって整備していただいたうえ、ときには兄貴分のような立場から対等なかたちでわれわれの議論につきあっていただいた井上彰先生に、心より感謝を申し上げます。このような研究会が今後も継続できることを祈願しながら。


1 本研究会のメンバーである大谷通高と村上慎司による「まえがき」は、以下のURLで全文閲覧できる(冊子も配付可)。
http://www.arsvi.com/2010/1403om.htm
2 概要については以下を参照。
http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/548
3 概要については以下を参照。
http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/593
4 概要については以下を参照。
http://www.ritsumei-arsvi.org/news/read/id/634

文献
Freidson, E., 1970, Professional Dominance: The Social Structure of Medical Care, New Brunswick: Aldine Transaction. (=1992,進藤雄三・宝月誠訳『医療と専門家支配』恒星社厚生閣.)
Geary, D., 2009, Radical Ambition: C. Wright Mills, the Left, & American Social Thought, Berkeley: University of California Press.
Merton, R. K., [1949]1957, Social Theory & Social Structure: Toward the Codification of Theory & Research, New York: The Free Press. (=1961,森東吾・森好夫・金沢実・中島竜太郎訳『社会理論と社会構造』みすず書房.)
Mills, C. W., [1943]1963, “The Professional Ideology of Social Pathologists,” I. L. Horowitz ed., Power, Politics, & People: The Collected Essays of C. Wright Mills, Oxford, London & New York: Oxford University Press, 525-52. (=1971,青井和夫訳「社会病理学者の職業的イデオロギー」青井和夫・本間康平監訳『権力・政治・民衆』みすず書房,407-25.)
Schutz, A. & T. Luckmann(translated by R. M. Zaner & D. J. Parent), 1983, The Structures of the Life World, vol. II, Evanston: Northwestern University Press.

生存学研究センター報告

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