第二部 生殖技術 指定質問とディスカッション

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指定質問者1:利光惠子
 私は、これまで、出生前診断のひとつである受精卵診断(着床前診断ともいいますが)の日本への導入をめぐる論争の歴史について研究してきました。今日は、お二方の先生に、とても興味深いお話を聞かせていただきまして、本当にありがとうございます。まず、八代先生に3 項目の質問を、次に柘植先生に1 項目の質問をさせていただきたいと思います。
 八代先生への質問
 1)再生医療の生殖領域への応用
 ・否応なく組み込まれる優生的選別について
 まず、再生医療の生殖領域への応用についてです。今日の講演でもご説明いただきましたように、体細胞のリプログラミングによるiPS 細胞の作成、及びiPS 細胞からのさまざまな細胞・組織への分化に関する研究の進展によって、生命あるいは生命現象を一定程度コントロール可能なものとみなす傾向が強まっているように思います。再生医療の生殖領域への応用を考えるときに、このバイオテクノロジーによる生殖のコントロールを認めるのかどうか、あるいは、どこまで認めるのかというのが大きな問題になるのではないかと思います。
 八代先生が、今日のご講演の中でも、あるいは、御著書『増補 iPS 細胞──世紀の発見が医療を変える』の増補1 の中でも述べておられますように、iPS 細胞の医療への応用に際して、安全なiPS 細胞を作成し目的細胞への確実な分化を得るためには、遺伝子導入法の改良や安全な細胞株を選抜するためのスクリーニング法の研究などの様々な試み、すなわち、徹底した品質管理が行われる必要があります。これらが生殖領域に適用される場合にも、同じように、iPS 細胞から生殖始原細胞、次いで生殖細胞を作成して受精させ、不妊症を克服する医療として成立させるためには、技術的な面からのみ考えましても、遺伝子操作とか形態的・遺伝学的な選別というのが繰り返されることになると考えられます。そのような厳しい品質管理の中では、例えば障害や病気といった属性を持って生まれること、あるいは遺伝学的な多様性を持つものの誕生そのものが否定されるのではないでしょうか。このようにiPS 細胞を用いた生殖の倫理上の大きな問題のひとつは、生殖細胞作成、受精、誕生というそのプロセスの中に、否応なく優生的な選別が組み込まれることだというように考えますが、この点について八代先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
 ・誕生する子どもの視点から
 誕生する子どもの立場からになるのですが、八代先生は御著書の増補2「生殖の領域と倫理──ゆらぐ生命の『かたち』」という項目の中で、精子や卵子をつくれない人がiPS 細胞の技術を用いて精子や卵子を作成し子どもを持ちたいと思う願望を退けることを、「不条理」というふうに表現しておられます。不妊のカップルのそのような願望を否定はしませんけれども、再生医療を生殖の領域に用いる際に、一般の疾患治療に再生医療を用いる場合と大きく異なるのは、新たな人の誕生につながる点だと考えられます。その生まれてくる子どもの立場から考えますときに、「生殖細胞以外から生み出されること」というのは、その生まれてくる子ども達に何らかの影響をもたらすものでしょうか。例えば、生物学的あるいは医学的な観点から考えて、彼らの生存に何らかの影響が出るということがあるのかなと思ったりもするのですが、その辺のところについて教えていただきたいと思います。
 あるいは今日の柘植先生の話の中で、文化的、社会的な影響というお話もございましたけれども、八代先生がその点についてお考えになっていることがございましたら教えて下さい。

 2)体細胞提供者へのインフォームド・コンセント
 大きな項目の2 つ目です。体細胞提供者へのインフォームド・コンセントについてです。八代先生は、再生医療や幹細胞研究に関する倫理的・社会的問題について、ネガティブなこともポジティブなことも伝えて議論を重ねることこそが、再生医療が根づいた社会を実現する近道だと、御著書の中にも書いておられます。そしてその具体的なあらわれとして、iPS 細胞の作成・利用に先立って、細胞提供者に対して適切な説明を行いインフォームド・コンセントを得ることの重要さを強調しておられますが、動物性集合胚や生殖細胞の作成の可能性については、具体的に、どのようなインフォーム・ドコンセントが実施されるのでしょうか。
 例えば、今日もキメラ豚ということで「動物性集合胚」について説明していただきましたけれども、一般の人々が細胞を提供する際に、ただ単に、「動物性集合胚を作成する可能性があります」というふうに聞かされたとしても、実際に何が行われるのかを具体的にイメージするのは非常に難しいと思うのです。でも、事実に基づいた懇切丁寧な説明を受ければ、例えば、動物の胚に人のiPS 細胞を注入して得られる動物性集合胚では、注入されたiPS 細胞は目的とする臓器にのみ分化するのだろうか、注入するのが多能性を持つiPS 細胞なんだから他の組織とか臓器にも分化して散らばるということはないのだろうかというような疑問をもつ。そうすると、生まれてくる動物個体にヒト性、この場合、提供者にとっては本人性ということになると思うのですけれども、その本人性というのはどれぐらい含まれているのだろうか、といった素朴な疑問が出てくるように思うのですけれども、そういうことについてはどういう説明がなされるのでしょうか。
 また、ES 細胞の場合には個人を完全に識別できないような匿名化(連結不可能匿名化といわれているそうですけれども)がされているのだけれど、iPS細胞の場合には提供者の個人情報との連結可能性が保持されていると聞いております。そうしますと、iPS 細胞からヒト組織・臓器や生殖細胞が作成された時点で、改めて提供者の個人情報にさかのぼってアクセスする可能性も出てくるのかなと思うんですけれども、そういうことについてはどのような説明がなされるのでしょうか。
 3)再生医療についての科学研究政策の枠組み
 大きな項目の3 つ目、再生医療についての科学研究政策の枠組みについてです。八代先生も述べておられますように、そもそも山中先生へのノーベル賞は再生医療に対して与えられたものではなく、「成熟した細胞を多能性へ再プログラムする方法の発見」という基礎科学としての生物学上の功績に対して与えられたものです。にもかかわらず、現在、日本におけるiPS 細胞研究に対する期待は、再生医療の実現、あるいは創薬研究の実用化、産業化ですね、そういう方向に大きく傾いています。国レベルでも「再生医療の実現化ハイウェイ」の実施や臨床研究への早期移行を目指す「iPS 細胞研究ロードマップ」の策定というように、生物学的な基礎解明研究は後回しにして、そうしたバイオ産業の振興に直接つながるような研究により多額な研究費が出される傾向にあります。今年6 月に閣議決定された「日本再興戦略」の中でも、「戦略市場創造プラン」として、「再生医療の実用化」や「臨床研究・治験への迅速な導出」、「創薬への活用、新規産業の創出」が大きく取り上げられています。そうした状況の中で、見落としてしまう点、あるいは意図的に無視せざるを得ない点はないのでしょうか。基礎科学的な探求がおろそかになることで、起こりうる弊害はないのでしょうか。再生医療、特にiPS 細胞研究のあるべき科学研究の政策の枠組みについて、基礎科学出身の八代先生に、率直にお伺いしたいと思います。
柘植先生への質問
 1)人の身体経験を切り離さないということ
 次に、柘植先生に質問です。今日のご講演の中でも、患者あるいは病者である経験についてお話くださいましたけれども、御著書『生殖技術──不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすか』の「第1 章 卵子・胚・胎児の資源化──何が起きようとしているか」の中で、「卵子・胚・胎児の資源化がもたらす女性の身体の管理に対する抵抗手段のひとつは、技術の有用性や正当性、倫理性について論じる際に、女性の経験を切り離さないということである。卵子・胚・胎児が体外に存在するに至った不妊治療、病気または性別再指定手術のための卵巣切除、流産や人工妊娠中絶などの経験とその思いについて常に思い起こすことである」と述べておられます。この女性の身体の管理に対する抵抗手段の一つとしての「女性の経験を切り離さない」ということの重要さには、私も非常に強く同意するものです。
 一方、このiPS 細胞研究もまた、人の細胞の資源化、あるいは細胞を提供した人の身体の品質管理をもたらすと考えられますが、その際に、「人の身体経験を切り離さない」ということは、抵抗手段としてどういうふうに有効になるのか、柘植先生のお言葉でお聞きしたいと思います。質問は以上です。よろしくお願いします。
指定質問者2:坂井めぐみ
 立命館大学大学院の先端総合学術研究科3 回生の坂井めぐみと申します。今日は八代先生、柘植先生にご質問させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。まず自分の研究について少しご紹介させていただきたいと思います。私は再生医療研究に当事者団体がコミットするというのはどのような意味を持つのかという問題意識のもと、日本せきずい基金という再生医療研究を推進する脊髄損傷当事者団体を研究対象とさせてもらっています。せきずい基金と再生医療の歴史の交差に焦点を当て、そこにおける当事者の位置を捉え直し科学研究と市民の相互作用という観点から、日本の再生医療研究はいかに進展してきたのか、あるいはいかに形成されてきたのかを実証的に分析しています。当事者団体の動向を通して、再生医療研究の実態を明らかにすることを目的としています。今は臨床試験への当事者団体の関与について調査を進めています。
柘植先生への質問
 1)患者のもつ「治す希望」と新自由主義
 それではまず、柘植先生の方からご質問させていただきたいと思います。柘植先生のご著書の『生殖技術──不妊治療と再生医療は社会に何をもたらすのか』の中の「再生医療の『倫理』問題」の章に書かれているのは、ES 細胞には人の胚を壊して作製させることの倫理的問題や移植後に免疫拒絶反応が生じる懸念がある。体細胞クローン技術を用いたES 細胞は、これらの問題を解消するが、研究に必要な卵子は誰が提供するのかが問題化する。それでは、体細胞への遺伝子導入で作製されるiPS 細胞は倫理的なのかというふうに問われております。その中の94 ページですけれども、引用させていただくと、「国家間の熾烈な科学技術競争、知的所有権の先取争いを背景に、人体の資源化を推し進めている新自由主義と先端医療研究についても議論される必要がある」。また同じく94 ページに「病気や障碍を治すことを、個人の選択に見せかけながら、それを楯に国家と産業が研究を進め、利益を獲得する。その一方で病気や障碍がある人に治すべきだという意識を植え付ける」というふうに述べておられます。
 ここからが私の質問です。その上で再生医療がなぜ必要かと問い、筋ジストロフィーの青年の語りに言及されています。先ほどのご講演のときにもおっしゃっておられましたが、その筋ジストロフィーの青年の語りというのは、障害を持った状況でどう自分らしく生きるかが重要であるというような語りです。ここからは障害者が非医療的にインペアメントを受け入れ、ディスアビリティ改善のために社会に働きかけるようなモデルが想定されます。しかし、障害学においても、インペアメントによる不都合さや痛み、苦痛というものは社会的に構成されないことが言及されています。病や障害の患者団体が、社会保障を求める運動と同時に、生きるために自ら技術を引き寄せる運動や医療研究推進の運動をするという事例があります。柘植先生は、治療を期待する人々が「研究推進の旗振り役にされてきた」というふうに、93 ページで表現されておられます。しかし、例えば私が研究対象としている脊髄損傷当事者団体でありますと、再生医療研究の情報収集・提供や、国内外の研究者との関係構築ということをしていて、その中で臨床試験計画にも関わっています。臨床試験計画に主体的に関与することで、研究デザインを変容させたというようなこともありました。また、2012 年度の厚生労働省難治性克服研究事業の横断的研究分野では、「患者及び患者支援団体等による研究支援体制の構築に関わる研究」というカテゴリーが設定されました。この採択された7 件のうち2 件は、疾患を実際に持つ当事者である患者団体代表が研究代表者であり、その他の研究班でも患者団体メンバーを研究協力者として迎えています。その1 つにALS の患者会があります。これは中島班・橋本班というのですが、2012 年の12 月2 日にこの中島班・橋本班合同の研究報告会が開かれて私も参加させてもらいました。この患者会は科学者を動かし、意思伝達装置の開発を促す活動というのをされています。この報告会の最後には、ロボットスーツであるHAL のセンサーを意思伝達装置のスイッチとして応用する公開実験というのが行われました。ALS で自分の意思を伝えることができない人にとって、脳波でパソコンを操作する技術というのは福音になると思います。そのときに、関係者の方が「科学者を動かすのは患者です」と言った言葉がすごく強く印象に残っています。これを踏まえて、それでは患者の持つ治す希望というのは、新自由主義に回収されるものなのでしょうかということをお伺いしたいと思います。これが1 つ目の質問です。
 2)ES 細胞研究の科学的な必要性と再生医療研究に対する線引き
 2 つ目は、同じくテキストの中の「卵子・胚・胎児の資源化」の章からです。ここでは、体外受精技術は、女性を研究材料の供給源とする扱いを正当化した。女性の卵子、廃棄物とみなされる「余剰胚」、同じく廃棄される死亡胎児は再生医療の材料になる。「棄てられるもの」という認識が、これらを資源とみなすことに一役かっている。身体の材料化・資源化は、やがてこれらの品質を要求するようになる。つまり女性の身体を管理することになるということが述べられております。その中の41 ページですけれども、卵子や胚、胎児の資源化がもたらす女性の身体の管理に対する抵抗手段の1 つは、「技術の有用性や正当性、倫理性について論じる際に女性の経験を切り離さないことである」というふうに述べられています。
 ここからが私の質問です。女性が提供する身体の一部というのは、女性の経験と切り離されることで資源化されます。技術革新や研究推進側からみると「余剰胚」の認識の低さ、あるいは女性の経験と切り離された卵子や胚というのは使いやすく、資本主義の論理からそれを称揚する社会も都合がよいと思います。柘植先生は、このような一面的な技術の展開自体に疑問を投げかけるものでもあると思います。iPS 細胞研究については、女性の身体を直接関係させるということはありませんが、もしiPS 細胞研究に問題があるとすればそれは何なのでしょうか。
 例えば現在の再生医療研究は、iPS 細胞が細胞の生成における倫理問題がないことを根拠に国家的に推進され、iPS 細胞研究に偏っている状況というのがあると思います。しかし、科学技術的には、iPS 細胞研究においてES 細胞研究は不可欠で、また胎児組織研究も並行して行われるべきであるというように八代先生もご著書の中でご指摘されていると思います。それでは柘植先生は、ES 細胞研究の科学的な必要性やiPS 細胞研究のみに資金も注目も集中しているという今の状況をどうお考えになるのでしょうか。iPS 細胞研究に集中しているということに肯定的かどうかということをおうかがいしたいと思います。
 また、再生医療研究に対して、許容できるあるいはできないという線引きを、どこで行っているのかということもお聞きしたいと思います。女性の経験が十分に考慮され、技術を希望し推進する社会という偏りを認識した上で、iPS 細胞研究のみに偏る状況をどのようにお考えになって、再生医療技術自体をどう捉えるのかということをお伺いしたいと思います。これが2 つ目の質問です。
 3)技術に対する患者の両義的な思いや肯定的な面
 これから3 つ目の質問です。生殖技術・再生医療技術「問題」を「リスク」と捉えると、柘植先生は生殖技術・再生医療技術のリスクを強調されており、それが技術の基本的な性質であるとおっしゃっているように見えます。しかし、患者はリスクの捉え方に差はあるにせよ、ある程度リスクを認知した上で、例えば不妊治療を受けることを選択するということがあります。これはインターネットの普及でリスク情報も入手しやすくなったこと、また情報公開が進み体外受精の成功率の低さもわかるようになったということもあります。また、不妊治療経験の当事者の声というのが、柘植先生の他のご著書などを通して可視化されてきたということもあると思います。このように、リスクを認識していても苦悩を経験するということはあると思われますが、不妊治療によって子どもを授かり、それがその人の人生にプラスになることということもあると思います。このような技術への患者の両義的な思いというものや肯定的な面は、柘植先生の技術評価のあり方にどのように反映されてくるのでしょうかということがお聞きしたいです。以上が、柘植先生への質問になります。
八代先生への質問
 1)ES 細胞研究、体性幹細胞研究を倫理的に正当化する根拠
 次に八代先生に質問させていただきます。八代先生の『増補 iPS 細胞──世紀の発見が医療を変える』の、「足を引っ張るES 細胞研究の遅れ、産業化のために必要な戦略」というところからです。ここにはアメリカではヒトES細胞や死亡胎児由来幹細胞を用いた臨床研究が進展しているが、日本ではヒトES 細胞研究は依然として行いづらく、胎児組織は指針の対象から外されたままである。多くの知見を積み重ねるためにはES 細胞研究が必要である。また、iPS 細胞研究の産業化のために必要な戦略として、患者の治療技術を迅速化する法整備、培養法や選択法、マーカーなどの基準の確立、iPS 細胞の質の高さの追求が求められるということを述べておられます。その中の242 ページに、iPS 細胞以外の他の分野の予算が増えていないことは、大きな目で見ればiPS 細胞研究の障害になってしまうと述べられています。また246 ページには、iPS 細胞のみに研究資金を供給することは全くの逆効果であり、ES 細胞や体性幹細胞などを含め周辺領域の研究支援を希薄化させない努力が必要となると述べられています。
 ここからが私の質問です。iPS 細胞研究を中心に国家プロジェクト化している現在の再生医療研究の偏りというのを技術面、産業面から指摘されていると思います。これは規制が強いという書き方をされていると思います。現在、技術的に連続性があるES 細胞とiPS 細胞は、細胞の生成時に胚を壊すか壊さないかの「倫理」で分断され、iPS 細胞研究を推進する根拠は、胚を壊さない意味の「倫理フリー」であると思います。それでは胚を壊す必要のあるES 細胞研究、また胎児の尊厳や女性の心身への配慮が求められる胎児組織研究などの体性幹細胞研究を、iPS 細胞研究と同様に再び再生医療研究の中心に据えるとしたら、何が倫理的に正当化できる根拠になるとお考えになるのかということをお聞きしたいと思います。これが1 つ目の質問です。
 2)iPS 細胞由来の生殖細胞研究がもつ科学的意義
 2 つ目は、同じくテキストの中の、「生命観を揺るがす新たな生殖細胞研究」というところからです。ここでは日本では2001 年の旧ES 指針において生殖細胞をつくる研究が禁止されていた。初めはiPS 細胞でも適用されていたが、2010 年の指針改正でインフォームド・コンセントを条件に生殖細胞の樹立が認められた。しかし、受精は禁止されているため、生殖細胞の機能を確かめることは不可能であるということを述べられています。その中の206 ページに、「(始原生殖細胞が)どのようにして精子や卵子になっていくのか、そのメカニズムは不妊治療研究とも深く結びつく」と書かれておられます。
 ここからが私の質問です。ヒトiPS 細胞が樹立された当時から、ヒトiPS 細胞の倫理問題というのは、生殖細胞に分化誘導できる可能性があることだと言われてきたと思います。現在では、ヒトiPS 細胞を用いた生殖細胞研究というのが始められており、不妊治療への応用可能性が意義として強調されています。ここには不妊治療を言わないと研究を正当化できないというところに問題があるとは思いますが、不妊治療を強調するということは不妊に悩む人にとっては福音であるといったことから、生殖細胞研究をしやすくする面がある。その一方で、ヒトiPS 細胞の生殖細胞研究が、不妊治療との関係においてのみ論点化され、同時に生殖細胞研究の多様な科学的意義について社会の正しい理解を促すことが、より難しくなるのではないでしょうか。このヒトiPS 細胞由来の生殖細胞研究が、不妊治療との関係においてのみ論点化するというのは、具体的に申し上げますと、ジェンダーの視点から生殖の医療化とともに不妊が治療対象となったこと自体を問い直す試みというのがあります。この立場からは、生殖細胞研究と不妊治療研究が結びつくことで不妊治療へ駆り立てる社会になることをどう考えるのか、あるいはiPS 細胞研究がそれを加速させるのではないかということが論点になると思います。しかし、これは本来のヒトiPS 細胞由来の生殖細胞研究の意味や意義から離れていくのではないかと考えます。それを踏まえ、ヒトiPS 細胞由来の生殖細胞研究を行う不妊治療だけに還元されない意味を、どのように社会に伝えていくのでしょうかということをお伺いしたいと思います。
 以上で柘植先生と八代先生への質問を終わらせていただきます。よろしくお願いいたします。
〈松原洋子(司会)〉坂井さんありがとうございました。それでは2 人の質問に対して、柘植先生からでいいでしょう。お答えをいただきたいと思います。そのお答えの後、全体の議論に入っていきたいと思います。それでは柘植先生からよろしくお願いします。
〈柘植〉とても深く読んでいただいて、今日の話もすごく深く理解して考えていただいた質問をありがとうございます。このお二人の質問にお答えするには1 時間ぐらい時間をいただきたいんですが、10 分でまとめるということなので、時間内でお話できることを。まず、利光さんのご質問と、それから坂井さんのご質問と重なっている部分がありましたので、それは一緒にして、まずそれから返答させていただきたいと思います。つまり、私が本に書いている「女性の経験を切り離さない」ということが、特に再生医療とか生殖技術が進んでいく中で、女性の身体の管理や資源化への抵抗手段だと書いたわけですけれども、それが本当に今後も、iPS 細胞などの発展に関しても抵抗手段として有効なのか、というご質問だと思ってお答えします。私がこの「女性の(身体の)経験から切り離さない」ことが抵抗手段になり得ると言ったのは、ES 細胞のときの卵子(胚)提供、それから生殖医療についての研究の卵子提供、つまり女性の身体から取り出された卵子が材料化される際に、その卵子というのはどこから来たのかということを考える人はほとんどいない。とにかく卵子を体外に取り出されて凍らされた状態で「材料」として、研究者の前に差し出されるということに関して、私は非常に反発した。具体的には、某大学の生殖医療に関する研究に受精卵を使ってもいいかについて検討する倫理委員会において、委員としてコメントを求められて、意見を述べたことがあります。基礎系の研究者、医療系の研究者どちらもいらしたんですが、やはりその目の前にある卵子をとにかく研究に使いたくてしょうがない、という雰囲気の中で私一人で抵抗したという経験があります。この人たちはどうして卵子が体外にあるのかということを考えてくれないんだろうかということです。たとえその女性が、卵子というものを必要じゃないと思っていたとしても、とにかく体外に取り出されているということ、その体外に出るまでの歴史というかどういった経緯があり、経験があるかということについて、つねに—または少なくとも女性の身体の他者からの管理に対して反対する人は—思いをはせる必要があると思っています。それが抵抗になるかと言われたら、確信はありません。でも、それが抵抗の力になるべきだし、そうなるにはそれだけの発言をする機会が女性に与えられるべきだと思います。例えば卵子提供の是非について議論されるときに、例えば授業でDVD とか見て学生と議論をするときに、卵子提供で子どもを持った人、あるいは、子どもを持てなかった人たちが描かれているのですが、卵子を提供した人が出てこないんです。卵子を提供した人はどういう人でどんな思いで提供したのか、もしくは「売った」のか、そしてその人の人生はどんなものなのか、というのが出てこない。実は私は卵子提供者には、少数の方にインタビューできたんですが、外国の方にですね。そして精子提供者も外国の方でほんの少しだけインタビューできたんですが、提供して大分時間が経ってからのインタビューだったんです。そうすると20 代で提供したときに考えていたことと、今30 代になって、ある方は50 代ぐらいになってらしたのですが、その方は精子提供だったんですが、50 代になって20 代のときの精子を提供したという行為を考えると、随分に浅はかだったというか、その提供の結果について考えていなかったという表現をされていました。卵子提供をした方たちはまだ20 代、30 代の方だったのですが、そのことに対して、人の役にたったということでやってよかったと思う部分もないわけじゃないけれども、提供は思っていたよりも大変だったとか、その後に、例えば、自分のご家族の中にこんな遺伝的な性質があったということを知ったときに、提供した卵子で子どもができたんだろうか、その子は大丈夫だろうかと考えた、というようなことも気にかかる、と話されてました。だから、女性の経験に対してだけではなくって、その、男性の精子提供というときの、その男性の経験というのも当然考えないといけなくなってきます。それから先ほどのiPS 細胞のときには、じゃあ生殖細胞を使わないからこの、身体の経験、人間の経験というのは関係ないのかっていうことを考えたときに、そうではなくて、体細胞を研究に使うこともその人の経験、そしてその病気を治したいと思う人の想いというのもすごく必要で、それに思いをはせる必要があると主張していきたいと思います。もちろんご本人、当事者が主張していくこともあるし、他の人たちが主張していくこともあると思います。そういうことが、人由来の組織や細胞を材料として扱い、単に病気を治療すればいいと考えられてしまうことへの一つの抵抗になり得ると、私は思っているということです。
 もう1 つの坂井さんからのご質問への答えです。もう2 つ質問いただいているんですが、まず患者自身が当事者自身が研究に関わって意見を言っていく、こういう方法の研究をしていくべきだということは、これは今までになくって、全くなかったわけではないんですけれども、とても必要なことだと思っています。むしろその当事者が、医療者や研究者が主導の「治したいでしょ。じゃあ治してあげます」という研究の進み方ではなくって、自分たちがこういうことを求めているんだということを伝えていく、そしてそれによって研究の方向性が変わっていくというのは、これはもっとなされた方がいいと思います。ただそのときに患者である当事者であれば、その要求することはすべてがいいことなのか、倫理的問題がないことなのか、ということを考えると、そうではないと思います。これはとても難しいです。私が今までに経験してきた中で一つエピソードをお示しして問題提起というか、完全な答えにはならないんですけれども、さらに考える際の参考にしていただけたらと思います。それは、卵子提供による不妊治療を日本で認めるか認めないかという議論の際に、ある不妊の当事者団体はそれを認めてほしいと、強く主張しました。もうひとつの当事者団体は、無償での提供には反対はしないけれども、(卵子提供には提供する人に危険を伴うし、提供することへの圧力が姉妹や義理の姉妹にかかることもあるので、)非常に慎重にするべきだという主張でした。それから今実際に報道されているのでご存じの方もいらっしゃると思いますが、ご自身が不妊ではなくって、お子さんたちが不妊である、つまりターナー症候群という染色体の問題で卵子ができないということがわかっている人たちのお母さんたちが、自分たちの娘が生殖年齢になる頃には子供ができなくて悩むだろうから、卵子提供を認めてほしいという主張をされていて、無償での卵子提供者を募って、クリニックと提携して、提供卵子による体外受精を実施している団体があります。同じ不妊という状態でも、ちょっと立場が違うところもありますけれども、卵子提供についての考え方はもちろん違ってきます。そして患者の権利運動の中でも、例えばアメリカの患者の権利運動を見ていると、非常に消費者運動的です。つまり自分たちが消費者であるんだから、もっとサービスの向上をしろと。品質を上げろと。品質管理をしろと。というような主張、それからもっと技術を提供しろ。それからそのためには情報公開をして自分たちが選択できるようにしろと。それは当然、新自由主義、坂井さんが触れられていましたが、まさに新自由主義の中で、情報を提供し、そして技術も提供します。その結果は研究者、医者の責任というよりは、選んだ人が責任を抱える。結果を引き受けるという状況になります。その問題、じゃそれがいいかどうかというのは、かなり政治的な問題になってくるので、先ほど言ったようにもうちょっと説明のお時間いただきたいんですが、当事者の団体としてどれを求めていくかというのも実はその背景にある社会の文脈というのもすごく強く影響してくるし、その人たちがどんな経験をしてきたか。その障害とか病気とかに対してどんな経験をしてきたか、いかに受け止めているのかということにも強い影響を受けていると思います。それは再生医療だけじゃなくて、不妊治療だけじゃなくて、先ほど利光さんがおっしゃっていたような出生前診断、胎児の状態を見て生むか生まないかという技術にも関わってくると思います。それなので患者・当事者が意見を言っていく。それによって研究が変わってくるというのはこれはすごくいいことだと思っていますが、ですがそのじゃあ当事者であるから患者であるからその人たちが主張していけば、倫理的問題はなくなるのかとか、社会的な文化的な、そういういろいろな、抱えている問題・課題というのが解消されるのかと言ったら私はそうは思わないです。時間ですので、ここで止めさせていただきます。
〈八代〉なかなか一言でお答えするには難しい質問なので、お答えをさせていただくに当たって、一つ僕の考え方の前提みたいなものをお話して聞いていただければと思います。柘植先生のスライドの中には治すこと治さないこと、というのがあったんですけれども、それに関して言えば僕は非常にある意味共感するところがありまして、私は再生医療というような、これまでの医療の概念を変えるような研究を考えるときというのは、選択肢が増えることとを「よいこと」として捉えることを僕は大前提で考えています。それはさまざまな生き方、多様性というものの確保ということにつながると思うからです。選択肢が増えるということは、いかなる生も容認することということでもあります。逆に、治すことは「正常」という概念を強要することだ、というような意見に対して、私は違和感があります。たとえばゲノム解析というところから考えると、10 年前にものすごく費用がかかった全ゲノム解析が、いまはもう10 万もしないで読める時代になっています。そういう状況においては、遺伝性の疾患ではないんだけれども、教科書的なスタンダードな配列の遺伝子が数塩基単位で異なる遺伝子多型といわれるものを、そもそもたくさん持っているというのがすぐわかるわけです。そういう意味においては、遺伝性疾患を持っていても生まれることができるというのは、ある意味「その程度の変異」でしかないということを言えるのではないかと思っています。つまり治療ということは現在においては正常にかりたてるものではなく、生きやすい形に近づけるものなんじゃないかという定義をして考えています。そういうところから利光さんのところにお答えをしてみようと思うんですけれども、そういう今言ったような観点から考えていきますと、今1 点目のご質問いただきました優生的な選別というところなんですけれども、例えば遺伝学な多様性を持つものが誕生そのものが否定されるのではないかという話があったわけなんですけれども、私はそういうものではなくて、遺伝的な疾患を持って生まれてくる患者さんに対して、例えば今研究治療法が確立しているわけじゃないんですけれども、iPS 細胞を利用して、ダウン症の発症メカニズムを抑えることができるかもしれないということが報告をされているわけです。つまりそれは遺伝性の疾患を持っていても早期の介入ということか可能であれば、生きやすい形で生まれることができるという可能性を示唆しています。そういうことを考えれば、生まれてくる段階で優生学的な選別ではなく、むしろさまざまな生き方の可能性を提示することにつなげうるし、先ほど述べたような遺伝性の多様性を認めるということ自体を肯定するというふうに近づけられるのではないか、というふうに考えております。
 2 点目のiPS 細胞からつくられた生殖細胞によって誕生した子供の視点からというところに移りますけれども、私は基礎研究出身でもありますので、ここに出てくる「生殖細胞以外から生み出される」という言葉からは、やはり生殖細胞をスライドで言ったように特権化しすぎているのではないかと思うのです。確かに、生命は生殖細胞からしか生まれないものだという社会常識というのが前提になっている。ちょっと古臭いポストモダンみたいなんですけれども、個人としては生殖細胞以外から生まれたっていいじゃないかという価値観が、そういう多様性というのが出てくる、生まれてくる社会になるといいのではないかと思っています。ただ、iPS 細胞を用いた生殖、というのは現時点ではもちろん可能性としてはあって、まだヒトはおろか霊長類でもできているわけではないのです。そういう意味では、まず技術的にも何が起こるかわからない、何が起こるかわからない状況でこうしたことを見切り発車ではじめるというのは危険であるというのはもちろんなので、そこの安全性の担保というのは確実に必要だとは思っています。
 続いてインフォーム・ドコンセントのお話にいきますけれども、動物集合胚の問題について、実際何が行われているか、イメージするのは難しいというお話がありました。こちらにつきましては、昨年まで僕が関わっていた再生医療の実現化ハイウェイというプロジェクトで、倫理的問題を探る、という課題があるんですけれども、そこで一般の方と再生医療学会に所属している研究者に対する質問紙調査をやっていまして、やはりキメラ研究に関しては一般人と研究者の人は大きい意識の差異があらわれています。研究者においては移植臓器作製のためにキメラをつくる、ということに対して7 割は推進してもいいと考えているのに対して、非専門家の間では3 割程度しか賛成意見はありません。先ほどキメラに関してはきちんとした議論が行われていないというお話をしたのはそういうところに基づいています。ノックアウト胚にiPS 細胞を移植した結果、目的とした臓器に分化する、他のものになるんではないかというお話なんですけれども、これは実際にはあり得ます。キメラ動物というのはいろんなところに細胞が散っていくので、いろんな組織がキメラになりうるのです。これについては例えば目的が細胞に分化しないための安全装置というものを踏み込むということは、理論的には可能です。そういうことができるようになった場合、じゃあそれは倫理的に容認しうるのかということはまた新しくたちはだかるとは思うんですけれども、そういう科学的にケアをしていくことは可能ですし、それを容認した上で推進していくことは可能であるとは思います。またそのインフォームド・コンセントは個人情報のアクセスという話ですけれども、実際に連結可能匿名化という形というのは、いわゆる個人情報保護法に含まれているような個人情報には基本的にはアクセスはしない形になっています。誰のどこの何かという情報とゲノム情報がくっつくということはないので、それについてはきちんとインフォームド・コンセントで同意を取って研究推進していくべきと考えております。最後の科学的政策の枠組みについてということなんですけれども、やはり基本的には基礎と応用、応用重視というのは非常に大きな足かせになっていて、研究の多様性の確保が必要だとは思っています。ただ、なかなかライフサイエンスで難しいところというのは基礎と応用というのはグラデーションになっていて、他の分野の例えば宇宙に行くロケットの物理と素粒子論、とはちょっとまた違うんですね。ですから、研究者はいかにきちんと情報発信なりをして社会的なその研究推進の合意形成を行っていくか、そこに私のようなタイプの人間がコミットしていく、というのはこれから先は重要になっていくのではないかなというふうに考えています。
 続きまして、坂井さんからいただいたご質問に移りますけれども、一番最初のご質問ですね。体性幹細胞とiPS 細胞研究のバランス、胎児幹細胞の研究利用の正当化というところですが、やっぱり先ほど言った生殖細胞の特権化というところが一つのポイントかとは思っていまして、たとえばヒトES 細胞の研究が容認されるのは、戻されなかった受精卵というのが1 つの育てるという意思を継続して維持されたものかどうかというのが1 つあるとは思っています。つまりある意味望まれなかったという望まれなかったではないんですが、母体に移植されることなくそのまま存在したということというのは1 つの事実としてあると思います。ヒトの資源化という欲望につながる、というのはよく言われるところですが、胎児においてもそこは同じ文脈で考えていいのではないかとも思います。そういうところにおける科学的な判断、科学的な合理性を加味した上で考えれば、iPS 細胞研究と平行して胎児由来細胞なりというものは研究推進されていくべきだと個人的には考えております。
 2 点目の生殖細胞研究の話なんですけれども、こちらに関しては難しいですが、確かにここに関しても、科学行政においては応用研究、有用性というものを重視されるということで、つまり不妊治療に使えるんだよということが過剰に発言されなければならないということが1 つあると思います。直接生殖細胞を受精させて個体を作ることを目的にしなくても、不妊の分子的メカニズムを知る、そういう意味ではある意味間接的に生殖細胞が応用されるということではあるんですけれども、それは同時にヒトの始まりを知るという基礎科学の領域でもある。ただ、やはりその能力から、不妊を解消したいと思う人たちを不妊治療へかりたてる道具立てのひとつになってしまうことも事実とは思います。そうした点からは、不妊というものが社会において治さなければならないものなんだ、というような考え方を強制することが果たして良いものなのか、それを自省するということは、発言をするというか情報発信をする上で根っこに置いていないといけないと考えています。ちょっと3 番のお答えとちょっと違うんですけれども、時間のこともあるのでこのあたりで失礼いたします。
〈司会〉大変難しい質問に非常に短時間でお答えいただきまして、どうもありがとうございました。ちょっと補足で八代先生に伺いたいのです。利光さんの質問の中の、遺伝的な多様性云々というところですけれども、そのiPS から精子や卵子をつくるプロセスで、そこに例えば遺伝性疾患が含まれていると分かっていたら、それははねられて健康な配偶子が選ばれてくる。そういうプロセスは不可避ではないかという指摘があったのですけれども、そのあたりについてはいかがでしょうか。
〈八代〉そうですね、その点については、やはりなかなか難しいところはあると思います。そのは遺伝子の選別というお話についても、基本的にはやはり選択権がやはり精子をつくってほしいと言った提供者というか、ご本人、つくってほしいと言ったカップルというか、に与えられるべきであろうと思います。つまりそこで勝手に善意の名のもとで遺伝子修正が勝手に行われるというのは、行われるべきではないというか、個人的には考えです。お答えになっていますか。
〈司会〉ではまた他に質問があったらそのときに。これから皆さんのご質問を受けたいと思うのですけれども、柘植さんの最後のスライド部分で触れられない部分があったので、これ大変重要なポイントかなと思いますので、ちょっと補足していただけますでしょうか。今の議論にもすこし関連するところなのですけれども、再生医療と経済とかそれから多分政策とか、そういうところの関係について、お願いします。
〈柘植〉少し補足させていただきます。再生医療と経済について、指摘しておきたいことは2 点あります。1 つは既に利光さんからのご質問にも含まれていたと思うんですけれども、再生医療の研究を進めることが「治したい」という希望に応えるという、そういう目的だけではなくて、それは当然、研究における特許などの知的財産であったり、新しい技術によってマーケットを広げたりしていくことができるという目的があります。もちろんそのマーケットを広げていくこと、売ることによっていいもの、いいサービスができて、そして買うほうも幸せならそれでいいかもしれないけれども、その経済的な目的の部分があまりにも見えなくされていないかということです。先ほどお示ししたガイドラインにある目的でも、病気の予防とか治療とか、健康の維持のためにこの研究はやるんですよと書いてあるけれども、これは経済を活性化するためにとか、研究者や企業が特許を取るためにとか、研究者がノーベル賞のような栄誉を受けるために、というようなことは全く話されない。情報開示しているとは言っても、その限定的な開示、開示されないものもあるというのが1 つです。
 もう1 つが医療経済学的な視点からみれば、今、どの国家も医療費が増大していることに対して対策を講じないといけないと言われています。まあ、医療費の増大ということに関して、私は国家が困った困ったと言っているだけではなく、もう少し配分を変えればいいじゃないかということは思っていますが、それにしてもなぜそんなに医療費が増大しているかというと、先端医療をどんどん導入しているからなんです。先端医療研究で新しい技術を導入すればするほど、その国の医療費は増大するっていう医療経済学の研究結果があって、その本を読んでからああなるほどと腑におちました。つまり、よく、高齢化していくから、高齢人口が日本の場合にとても多くなっているから医療費が増大しているというんですが、それよりは高齢者のいろんな症状に対して、医療によって対処しよう、そして企業は市場拡大のチャンスとして捉えるために、新しい技術が導入され新しい薬が投入されていく。そのことが医療費を増大させていると分析した研究があります。そういう経済という側面で考える必要もあるんじゃないかという提案でした。
〈司会〉どうもありがとうございます。これまでのお話を、私なりに少し整理をしてみたいと思います。まず、柘植さんの問題提起というのは今のiPS 細胞、ES 細胞の研究の背景にある部分、これにしっかりと光を当てて、その上で研究のあり方とか方向性とか、あるいは例えば定義というものを見せていくべきではないかという、そこがポイントかと思います。今の医療費や医療経済の話もそういうところに含まれるかなと思います。ただ一方でこれがある意味で、例えば先端医療共通の問題でもあるわけです。ですから当然、例えばiPS細胞、ES 細胞というのは応用につなげていく方向性が非常に強い研究なのですけれども、そこに関わる例えば治すこととか、医療とは、あるいは被験者と研究者の関係とはという比較的大きないろいろな技術に共通する部分と、iPS細胞、ES 細胞ならではの部分があるでしょう。それで、もちろんそういう大きな背景のもとにES 細胞、iPS 細胞もあるので、その共通の部分というのも念頭におかなくてはいけないのです。
 これからのディスカッションでは、特にiPS 細胞、ES 細胞の問題として特に注目すべき点に、ポイントをおきたいなと思っています。さらにその中で生殖、あるいは生殖技術と関わる面を、せっかくのこのお二人がいらっしゃる機会ですので考えたい。受精卵のステータスを非常に重視する。そういうことが、例えば将来iPS 細胞から生まれてくる子供がいたとして、その子供のポジションをいたずらに逸脱したものにするのではないか。八代さんが提起されたのは、そういうお話だったと思うのです。つまりそういう技術が出る前は動物なり、人なり、生まれ出るというのはあるがままだった。しかし、いろいろな技術によってそうでない形で人として生まれ得るという状況が出てきた。そうすると八代さんのスタンスは、むしろあるがままでしかなかったような人の生まれの倫理的な考え方の枠組みを変えてもいいんじゃないかということです。むしろ生命というのは技術を介してそういうことも可能な存在であると、今やわかった。
 例えばiPS 細胞ができる前は、体の細胞になりきったものを巻き戻すということはとても考えられなかった。つまり、それが前提の生命観だった。しかし、今や巻き戻すことが可能であるということが生命の新しい事実としてわかった。だから、新しい技術によって、生命の生物学的な生命観も変われば、それによって生命の一部である人の生殖の考え方も変わっていいんじゃないかという問題提起を八代さんはされたと思います。
 それに対して柘植さんは、現実には受精卵というのは人の生々しい生活の中から生まれてくる。そしていろいろな経済的・倫理的・社会的な背景がある。科学者はモノからスタートするので、モノの位置づけ自体が非常に一面的になってしまっているんじゃないかというご指摘だったと思います。最後に、わりとはっきりとしたコントラストを出していただけたかなと思います。
 これから大体30 分ぐらいになりますけれども、せっかくの機会ですので皆さんから質問やご意見をいただきたいと思います。それで、先ほど私ができればこういう論点でというふうに申し上げましたけれども、まあそれを念頭においていただければありがたいのですが、そうでなくてもぜひということがあれば、もちろんご発言をお願いします。では早速ですけど、マイクが回りますので、質問やご意見のある方は手を上げていただけますでしょうか。どなたからでも結構です、小さいことでも結構です。このレジュメのこの言葉の意味は何でしょうとか、そういうことでも結構ですけれども。はいではどうぞ。
フロアとの質疑応答
〈遠矢和希〉日本学術振興会の遠矢と申します。利光先生から八代先生への質問の中で、2 つ目の質問についてお尋ねします。
 誕生する子どもの視点からということに関連するんですけれども、もしiPS細胞から人の精子や卵子などをつくり、それで例えば、人から採取した天然の卵子とiPS 由来の精子を融合させて胚ができた場合に、道徳的地位と倫理的にはいいますが、その胚の価値というかそういうものが天然の卵子と精子を受精させたものとどう違うのか。あるいはiPS の卵子とiPS の精子を受精させた胚との価値の違いというのも問題になると思います。
 プラスして、iPS でできた胚をたくさん実験に使えるだろうと。ES 細胞をつくることも含めてまあいわゆる分化発生、生殖などの研究にもたくさん使えるだろうというのが、iPS から精子や卵子をつくる大きな利点として考えられるという議論があります。
 天然の精子と卵子でできた胚というのは、ある程度倫理的に尊重されなければならないという認識で今はいますけれども、もしもそういう研究にiPS 由来の胚がたくさん使えるというふうにされ、一方では不妊患者さんに実際に応用されるとして、そうやってiPS 由来の胚からできた子どもさんたちというのはどうなるかという議論が恐らく出てくるだろうと思います。もしそういう結論になったらの話ですけれども、研究にたくさん使って壊していいとされた細胞からできた子どもと、自然の倫理的に守られている胚からできた子どもとの間でどういう立場の違いが出てくるかというか、あるいは子どもたちが成長する心の中でどういうふうに考えるだろうかというところは考えていくべきではないのかと私は思うんですけれども、いかがでしょうか。
〈八代〉ご質問ありがとうございます。難しいんですけれど、道徳的地位に差があるかというところなんですけれども、やはりそれは結局のところやはり何を特権的なものとしておくのかというところに立ち返ってくると思うんです。つまり人間の例えば細胞にしても、いわゆる一般の企業によって販売されている例えば初代培養細胞とかそういうものというのは包括同意というものがなされていてどのような用途にも使える、というのが研究のルール上にはなっているんですけれども、だからといってそれはただ単に物として配慮しなくていいものだという意味ではないです。それと同じようにiPS 細胞というものからつくられた例えば配偶子、いわゆる胚ですが、一般の普通の胚は区別されるべきという根拠は逆によくわからないというのがあります。だからそういうふうに考え、そういう考え方もあるんだなというのはちょっと今勉強させていただいたということはあるんですけれども、あともう1 つ、1 つそういう議論があるのかもしれないですが、iPS 細胞から基本的に生殖細胞つくって、それからさらにES 細胞をつくるというのが果たして科学的に意義があるのかというのはちょっとそこのところはよくわからないというか、iPS 細胞そのものを使えばいいんじゃないのかというふうにも思ったりはしました。すみませんちょっとお答えとしてはぼんやりしていて恐縮なんですけれどもすみません。
〈柘植〉今の八代さんのお答えに質問していいですか。例えば卵子バンクで、生きている女性の卵巣から採取した卵子とiPS 細胞からつくった卵子で、今はiPS からつくったほうがコストは高いでしょうが、それが逆転したときに、それは価値としてどちらを皆さんが好むかわかりませんが、もしかしたらiPS 細胞のほうが遺伝的に管理されているという意味で質が高いということにされるのかもしれないし、いやいや人間から提供されたらそちらのほうが価値が高いとされるかわからないですが、そこでランク付されることは考えられませんか。〈八代〉それはあり得るとは思うんですけど、僕が思うにやはり生殖細胞を樹立をするということということというのは、果たして例えばiPS 細胞的なのは可能になっている世界において、iPS 細胞バンクからわざわざ卵子をつくる必要性というのはどこまであるのかと。つまりもちろんコストパフォーマンスの問題はあるので、プアーズ卵子みたいなものというのは、あるとは思うんですけれども、やはりそういうのがテクノロジーの基盤としてあるのであれば、少なくともそれは個人からつくるほうがニーズには合うのではないのかなと思うんです。
〈柘植〉人間から生殖細胞を提供してもらった方がいいと……。〈八代〉そうですね。なのでそこの大切さはもちろんどういうものというのを実現し得る世界だと僕は思っているので、検討する必要性はあると思うんですが、個人的にみた考えとしては、やはり望ましいのはもしも生殖細胞を提供するのであれば個人の意思により近いほうに寄り添ったほうがいいとは思います。私は好きな考え方ではないんですけれども、血縁主義的なものを望みますよね。つまり血を継いでいる遺伝子を引き継いでいる自分のDNA がという言説でいろいろ言えるんで、今でもドラマでやがて父になるですか、なんかああいうドラマがあったりして、取り替えばやというものが非常に大きな焦点化をされるわけですよね。そういうことであるのであれば、iPS 細胞のやはり技術的な応用として最終的に出てくるのは恐らく自分からのつくったもの、あるいは同性間かもしれないけれども、提供者と遺伝的に連続する、そういうものから次世代をつくったほうが健全というか意味があるんじゃないのかなという。
〈柘植〉健全?
〈八代〉健全というのはちょっと変ですけど、よりなんか実効性がある現在の状況は反映するのかなとは思いますけど。
〈司会〉よろしいですか、はい。では、他にいかがでしょうか。ご質問ありますでしょうか。
〈斎藤瞳〉立教大学の斎藤と申します。柘植先生に一つお聞きしたいことがあります。女性の身体の管理に対する抵抗手段のひとつとして、女性の身体経験を切り離さないということ、そこが重要なんだということについては同じ考えを持っております。その上でお聞きしたいんですけれども、例えばお医者さんたちの中で、あるいは先生がさっきおっしゃった倫理委員会などで、どのような考えが提示されたときに、先生の中では、身体経験が考慮されているな、あるいは単なる物ではなくて、実存的な側面が考えられているなというふうに納得されるのか、そのラインのようなものがどこにあるのかということを簡単で結構ですので教えていただきたいと思います。
〈柘植〉「考えられているな」という状況になることは、卵子とか組織を身体から切り離して存在しているものを資源もしくは材料として使おうとするときには、もう無理なんじゃないかなと思います。ES 細胞研究のときに、不妊治療でもう使わなくなった受精卵を研究にご提供くださいという説明をする役割の方とお話したことあるんですが、すごく真面目な方です。その方はやはりES細胞研究が、ある病気などを治すためにとても重要である。でも産婦人科医として不妊治療に来ている人の悩みを知っているという方でした。そこから私が勝手に思ったんですが、そういう方の場合は葛藤があるんじゃないかと思います。でも、受精卵が体外に存在していて捨てられるものなんだから研究に使わせてほしいと思う時点で、女性の経験を尊重しようというのは難しいかなと思います。ただ、もうひとつ、不妊治療に使われる卵子提供のときに、提供した人ともらう人とのギャップというのをすごく感じます。提供した人の経験と、提供する動機によっても違っているんですが、ある人はお金のために提供したと言っている。それが、相手が望んでいる子どもが持てるんだから、いいことをしていると考えている。その人に、「じゃああなたの提供した卵子っていうのはどういう存在なんでしょうかね」と尋ねたら、それは子どもになるかもしれないものだけれども、自分としては遺伝物質だというふうにおっしゃいました。自分には必要のないもので、遺伝子を運んでいる物質であると。でも卵子を受け取りたい人としては、子どもがそれがないとできないわけなんですけれども、だけれども、その人の提供した人の遺伝子、遺伝物質が提供した人とつながっているということは、実は切り離したいんです。ところがもう1 人別の卵子を提供した人は、自分がお子さんを持って子どもを持つって素晴らしいことだと思ったから、それで卵子を他人に提供しようと思ったという、まあお金ももちろん動機になっているんですけれども、この人は自分が提供したものは遺伝物質じゃなくて、子どもの種(のようなもの)をあげたと思っているんです。卵子をあげた人にも、あなたのおかげで子どもができたと思ってほしいわけです。だけれども、もらって子どもができた人としてはやはりそこで卵子提供者と子どもとの関係を切り離したいんです。提供する人の想いと受け取る人の想いのギャップというのをすごく感じました。なので、研究者じゃなくても、子どもをつくりたいと思っている人でも、提供する側の経験というものをそのまま受けとめて、というのは難しいんじゃないかなと今のところ思っています。
〈司会〉よろしいですか。では、他にいかがでしょうか。
〈由井秀樹〉立命館大学大学院の由井と申します。柘植先生と八代先生大変興味深いお話聞かせていただきありがとうございました。八代先生にお聞きしたいんですけれども、これは前の論点とも少し関わってきますが、例えば無精子症の男性の細胞からiPS 細胞を用いて精子を作成したと。そしてその精子を用いて子供をつくったとします。そうするとその子供が大きくなって、さあ子作りをしようとなったときに、もしかしたらその子供も無精子症になっているかもしれないということを直感的に思いました。といいますのは、現在、重度の男性への治療法として用いられている顕微授精で生まれた子供が将来大人になったらその子供も顕微授精の適用になってしまうのではないかということを最近産婦人科のお医者さん方が問題視されているようなんですけど、そういうことがあってもiPS 細胞で作られた精子で生まれた子供が将来無精子症になってしまうんじゃないのかということ思ったんです。このあたりのことについて今動物実験レベルではどうなっているのかということを少しお聞きしたいと思いますので、教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。
〈八代〉ご質問ありがとうございます。ご指摘のとおり、そうですね、顕微授精の子供が顕微授精適用である可能性というのは、まだ完全にいろんなデータがあるので真偽はないと思うんですけれども、その可能性高いとは思っていますし、ご指摘のとおり無精子症の患者さんから患者さんと言っていいかどうかわかりませんが、無精子症の方から生まれたことというふうになれば、可能性としては当然出てくるとは思います。ただだからやはり遺伝子治療の場合ルールとしては基本的には次世代の影響を及ぼさないというのが基本的にはルールにはなっていて、それはある程度抵触をする、尊重していく必要があるとは思っているので、将来その人が大きくなって子供を持ちたいと思ったときの判断によるのかなとは思っています。現在人間の無精子症と動物レベルの無精子症ってメカニズムが違うものもありますので、完全に病態がよくわかっているわけではないので、それはやはりこれからさまざまな動物種を使って研究を進めていかないといけないところだとは思います。
〈司会〉他にいかがでしょうか。
〈広瀬一隆〉すみません、京都で新聞社に勤めております広瀬といいます。差し支えなければお二人にお聞きしたいんですけれども、さっき利光さんが質問された中で、優生的な選択が組み込まれるというお話があったと思うんですけれども、普通お母さん、子供ができたときに風疹なり何なり母体、子供のために病気にかからないように気を遣います。それとiPS 細胞から生殖細胞ができるときにスクリーニングして生まれてくる子供に疾患ができるだけ少ない状態にするという2 つがあって、私から見れば、同じであるような感覚がする一方で、でも「何か違うのかな」という気もします。まあ少なくとも精密さの程度が全然違うだろう。iPS がきっちりと精密にスクリーニングするというのと、母親の人のそれなりのかなりばくっとした胎児を大切にするというやり方は違うだろうという話もあります。また、それらとは違う視点で言えばiPS でスクリーニングしようが、不可抗力というか予測できない病気がありますよというふうな言い方もできると思います。「だからスクリーニングとか何かしてもいいんですよ。なぜなら、人間とは病気の予測なんかできない浅はかなもんですよ」という立場もあるとは思います。その辺ちょっとお二人のお立場というかお考えをお聞かせいただければと思います。
〈柘植〉今のご質問は、他の会、新しい出生前検査が入って、それについて議論したシンポジウムのときにも出されました。結局、妊娠中に風疹にかからないようにしましょうという、政府広報みたいな形でテレビでも新聞でも繰り返し出されていますよね。妊娠中に風疹にかからないために妊娠前にワクチン接種しましょうというようなそういう注意喚起っていうのは、随分されているんだけれども、それって出生前検査と同じなのか違うのかという質問をいただいたことがあります。それで私が思うのは、風疹にかからないようにしましょうということは、まあアルコールを飲まない、たばこを吸わないようにして、自分が妊娠してそして生まれてくる子どもになるべく負担を抱えない、もしくは障害とか病気とかそれからもしかしたら発達に影響して低体重で生まれてくるとかいうようなことを避けたいというのは、ある程度自己管理の範囲だと思うんです。ただし自分で管理していると思っていても、管理しきれないことは絶対にあるわけです。ただ、iPS 細胞でスクリーニングするとか、それから出生前検査というのは、自己管理ではなくって医療がすることです。その自分の身体から離れて医療化して、医療の技術で医師が管理していることだと思います。その部分で違うんじゃないかなと思っています。ただし、根底にある考え方は、おっしゃるとおり、妊娠中に風疹にかかったら障害のある子が生まれるかもしれないということへの不安と、それから子どもが長く生きられないかもしれない、また流産したり死産したりするということの不安と、それから遺伝病があるかもしれないというようなそういう不安というのは、切れてはいないと思います。つながってはいると思うんですが、でもそれって不安を持つこと自体が私は悪いとは思わないんですが、それはバックグラウンドにある、なぜそういった不安を持つのかというところにつながっていくんですけれども。そのかわり自分で管理していても、自分の思いどおりにはならないことはあるということも理解した上で、妊娠出産というのは管理しきれない部分を含んでいるということを知っておくものじゃないかと思っている、というのが私の答えです。
〈八代〉次に答える人間の強みを発揮させて言わせていただきますと、僕は基本的にはスクリーニングによる選別ではないんですけれども、チェックというのはあっていいんではないかというふうに考えています。今のお話で風疹みたいな形でリスク管理をしようと思って、避けられますと。でもそういう避けられないものがありますというふうなお話が出ました。これも何年先の技術がどうだということは言えないので、一概に言えないんですけれども、現時点において例えばスクリーニングで見られるいわゆる出生前診断のようなレベルで見られることというのは、実は一遺伝子変異だったり、比較的に病気との関連性がはっきりしているものの範疇でしかチェックはできないわけです。ゲノムだけではわからない情報って実はたくさんあります。例えば例によるとアルツハイマーというのは家族性のアルツハイマー症というのは、当然あるわけなんですけれども、孤発性のアルツハイマー症というのがあります。こういうものは、実はまだゲノムだけではわかってきません。そういうところからやるとある程度のところまでは選別できるかもしれないが、結局のところはどこまで行ってもわからないところだと思いますよという点では、僕はスクリーニングという点でもほぼ一緒だと思います。先ほど言いましたように僕の考え方というのは治療というのは生きやすい形に近づけるというふうな考え方だとしたいと僕は言いましたけれども、そういう観点から言うと優生学というような形で現在いる人たちのことを否定するという形ではなくて、いつまでもアイデンティティが患者であること、さっきの柘植先生のお話、アイデンティティが不妊であるというお話があったんですけれども、アイデンティティがその病識だけ、病識というところに強くそこに凝り固まってしまうことが果たして幸福なことなのかどうかはよくわかんないなというのがどうしてもありまして、そういうところから見ればそういうところを除いて子供が生きやすい形に近づけてやりたいという親の意思というのは排除すべきではないのかなとは思います。
〈司会〉他にまだ時間がありますが、とりあえずお二人を。では、どうぞお先に。
〈森井久美子〉わたしは森井と申します。年金生活者です。わたしはiPS 細胞問題、不妊治療問題だけじゃなくてどうしても経済社会問題も一緒に触れたいんですけれども、1 点目は非常に広域的なお話で申しわけありませんが、八代先生の「この疾病の要因」というお話がありました。
 山中ファクターを導入すると、変異を加齢だけで見るならそれは変異でも構いませんが、やっぱり化学物質等というところ、人間の構造も自由に編集することができるようになる、現在でも科学技術の「発展」により、化学物質と生体(態)が多様に編集されて「生体(態)」もめちゃくちゃです。そんなに総合的に地球環境とまでいわなくても植物も動物も全てですよね。
 ですが、そういう生命体の全ては、いくらコンピューターのスピードが1 秒間に158 兆回の計算ができるほど超高速になったといっても、まだ解明できない。ましてその相関関係、複合汚染していく状況は解明できるはずがないと思うのです。
 経済要請の科学技術の慌ただしい進歩、コンピューターの超高速化で量子学、分子学などが進んできたので、今日のようなお話を伺えるようなことになっております。けれども、それは自然が生成した生命体がゆっくりと変異していくことにまだ追いついてはいないと感じています。
 だからiPS でつくるとか、クローンもそうですけれども、人間も果たして「お前人間やろうか」と。それを精査するとよく似ているようで違うのではないか。例えばにんじんを食べますけど、今のにんじんは、30 年前のにんじんと比べると栄養素は大体20 分の1 ぐらいです。構成が違う、形は似ている。にんじんと人間と比較して申し訳ありませんが、だからiPS でつくる人間がしまいには漫画のような人造人間につながっていくんでしょうけれども、またそういう人間を受容するような社会ができるのかもしれないけれども、私としてはまだそういうものについて信用が全くおけてない。理解が悪いというにしてもそれが1 点です。
 もう1 点は、今日は不妊というのが1 つのテーマで上がっています。事務労働者出身である私は子供を生めない環境の中で働きました。妊娠とか出産に全く配慮をしてくれない。有名大企業です。もう生むことは命懸けで本当に生めなかった人がたくさんいます。
 それが今では社会的に大量に結婚もできない、出産もできない人々がいる、非正規労働者(女)が1,500 万人いると言われています。だから生めないと。そして今結婚していなくて一生懸命働いている女が突如として卵子が老化しているとテレビで脅されて、もう真っ青になっているんです。
 そういう社会経済制度と、一方でコンピューターが早すぎて生命体さえつくれるようになったということが裏表であるという実態でね。私にしたら、そんなところに税金をそそぐ(顕著な例では不妊治療助成金)よりも安心して結婚できて食えてそれで遊園地もあって、病院にはあんまり行かんと山に散歩に行ってハイキングに。親子そろって。その社会経済さえあればいいんです。
 そこの根本で、もうますます枝分かれしていって、とんでもないとこ行って、脳の問題も今では平気で人を殺せる薬もあるし、喜び勇んで笑顔で死にそうに働く薬もあります。そういうふうにだんだん便利な人造人間に近づくような恐怖で一杯なのです。
感想ですのでそこのところを研究者はどのように扱ってくださるかと思います。長くてすみません。
〈八代〉質問ありがとうございます。理解、そうですね。人間、研究者が全部理解できているか、当然そんなことはない。ある意味科学という装置は、そもそも全てを理解できるわけではないというのが組み込まれたシステムです。先ほどから僕が申し上げていますように、基本的には選択肢が増えると多様性ということで、そういうものはやはり受け入れないんだという考えの方がいらっしゃるのはもう当然のことですし、それはそういうものとして考え方を尊重すべきだと思っています。だからそういう方になぜ治さないんだとか、なぜこういうふうな社会制度に組み込まれないんだということを押し付けではいけないと思います。私個人としては、現在の社会制度にはない選択肢が支えられる世界になるといいなというふうな考え方がありまして、そういう意味では後の話にもつながりますけど、死にたくないんですけど、と思う人もそれでいいし、ぴんぴんころりみたいな生活が望ましいというふうな考え方もいると思います。僕はある意味再生医療というか今のiPS の治療というのはある意味ぴんぴんころりに近づけるという価値観なんじゃないのかな、と思っているんですけど、そういう意味では多様な選択肢だとか、いろんな死生観が認められる社会になればいいと思っていますし、そういう意味でiPS 細胞というものが1 つ常識を壊したのであれば、そういう社会制度も壊すような存在につなげていきたいなというのは個人的には考えています。
〈柘植〉働いている女性が高齢化して卵子の老化で生めなくなるということの問題はあると思いますが、そのメッセージを流すこと自体が私は政治性というか、少子化対策という政治性なんですけれども、すごく嫌だなと思っています。もうひとつ、卵子が老化した場合に備えて卵巣の一部とか卵子を先に取り出しておいて凍らせておいて、年を取ってからそれで妊娠するというような技術も、考え方自体は再生医療と似ているんじゃないかと思います。さっき松原さんが全体の医療全体の課題じゃなくて、再生医療としての課題というのを話すようにと言われたので、再生医療って何だろうって考えたのですが、やっぱり一度進んだ時間を巻き戻すことに特徴があると思うんです。それがある種の生物は、とかげのしっぽのように再生する生物がいるじゃないか。だから、再生医療を研究するのだといわれても、人間の場合はそれを進化の過程で失ってきたのだろうと思うわけです。その、生物学的な時間を巻き戻すことが技術的にできました、はい素晴らしいでしょ、ではなくってそれを戻すということの意味みたいなものを私は考えているんですが、まだうまくはお話できませんので、一旦ここで切ります。

〈司会〉では後ろの方。
〈野崎太市〉ありがとうございます。障害者団体の野崎と申します。今日ここへ来て驚いたのは随分大切な問題なのに参加者が少ないなということで驚きました。私はなぜこの催しを知ったかと申しますと、立岩さんのツイッターで立岩さんをフォローしていたので、そこにご紹介があって来たわけです。けれども、まあ私の立場で言いますと、出生前診断によって命の選別をするのもいやだし、受精卵診断で命の選別をするのも嫌です。またES 細胞、iPS 細胞についても生命に人間が深く介入することにとても危機感を感じていまして、人間の欲望はどこまでいくんだろうということを心配しています。手を出してはいけないところにだんだん進んでいっているなというふうなことを感じております。どうしてその研究者の方々は老化によるものもそうですし、生まれてくる赤ちゃんがに障害があったり、なかったり、いろんな子供どもがいますけど、そういう多様性をそのまま認めようとしてくれないのはどうしてかなといつも思っています。ちょっと感想でした。
〈司会〉多様性という言葉が出ましたけれども、八代さんも多様性っておっしゃっていますよね。
〈八代〉はい。僕もそういうお考えの方いらっしゃることはちゃんと重々よく承知しておりますし、そういう考え方はきちんと尊重すべきだとは思っていますが、個人的には手を出してはいけないところというのは、誰が決めたのかというのを個人的にはいつも思っているところで、ありのままというのも、じゃありのままというのはどこからどこまでがありのままで人間は道具を使ってはいけなかったのだろうかとか、火を持っちゃいけなかったのだろうかというところまで無限退行してたまに考えたりもすることがあります。ただ、僕はさっきから生きやすい形に近づけるという言い方をしていますけれども、基本的にやはり人間というものが生きたいというふうに思うのは、ある意味生物が普遍的に思っている本能ではありますし、人間というのはそうした衝動を科学、そしてそれを科学を介して技術という形で自分のところに還元してくるというのがある意味人間の本能であろうと。 
 ヒトは技術と引き離せないというのはレヴィナスなんかも言っていますけれども、そういうものであろうと考えている、次にやはり技術と科学というものが人間に対しての言い方悪いんですけれども、縮合でもあってそれと共存していくという考え方というのも一つこういう時代の中ではもう既にあるものをじゃあどう共存するか。どう使いこなしていくか、どう促していくのかというのも考えていかないといけないことだと思いますし、そうじゃないんだというところとの間でもバランスというのが成立していると思いますのでそういう多様な価値観はお互いきちんといやそういうふうではないという形のディスカッションというのは、きちんと続けていかないといけない課題だろうとは思っております。ご意見ご感想ありがとうございました。
〈柘植〉多様性っていうところで話をさせていただきたいんですが、八代さんの意見にある多様性を維持するというか、多様性っていうのはすごく言葉の響きはいいかもしれないんですけど、文化とか社会のことを考えていると、多様性というのはとても難しいことでもあるのです。もしかしたら多様性がある社会で、A とB があったとしたら、A とB は対立するかもしれない。そしたらそれをどうするのかという問題が生じる。それが例えば文化の衝突であったり、戦争だったりということもあるんだということも含めて多様性というのは考えないといけないと思っています。やっぱり多様性はあった方が私もいいと思っているので、もし技術を使って、本当に多様性が維持されるようになるんだとしたら、それはいい面あるかなと思うんですが、今までの歴史みたいな形で私の見ているのは本当に現代史ぐらいのものですけれども、それを見てくると新しい技術が入ってくるととりあえず使えなくなるものがあるし、それから例えば出生前検査に関してだったら、検査できるのにその技術を使わないということがとても難しくなる。不妊治療でも体外受精を使わないということがとても難しい。そういう状況で新しい技術が出てきたときに、じゃあ別に治さなくてもいいです、という選択肢自体が存在し続けるのかっていうところで多様性というものが一体何かということを考えたいと思います。それは臓器移植の議論の中にもどうしても出てくるんですが、脳死─ 臓器移植というものをどんどん進めたいという人と、いやもっと慎重にすべきだという人と、だから臓器移植をしなくてもいいんではないかという人のときに、どうしてもそこで摩擦が生じてしまう。どちらを選んでもいいじゃないかっていうふうにはなっていないなと思っています。
〈司会〉ありがとうございます。そろそろ時間になりましたが、どうしても最後にという方がいらっしゃいますでしょうか。はい、どうぞ。
〈大塚浮子〉熊本学園大学大学院の大塚です。ろう(聞くという経験がない)児の人工内耳(聞くという経験がある人と同じ医療)について、再生医療ではどの様に捉えますか?  再生医療といった場合、聴こえる経験を問うのでしょうか?
〈司会〉具体的にはiPS 等による再生医療で、先天的なろうの方の治療というのがどのように考えられるかというふうなことで、よろしいですか。
〈八代〉もうひとつ確認ですけれども、要するに物を聞いた経験がない意味ということですよね。
〈大塚〉はい。聴覚の経験がない。
〈八代〉そこに関してはやはり壁ですね。非常に難しいところだと思います。つまりそれが、視覚経験がないという全盲の患者さんとほとんど同じ構造なので、これに対して外側から経験を植え付けるということは不可能に近いことだと思います。ですので、脳の形成期にそういう音を聞いたことがない、あるいは目を視覚がないという方に関しては今のこういうアプローチの研究はなかなか難しいものがありますが、考えていくと一つは外部から電気信号なんかを使って視覚情報、聴覚情報をインプットしようというアプローチはあるので、そういうものといかにコラボレーションをしながらやっていくかというのはこれはまだ脳の高次機能の研究とやはり全くの本当な未知なところに近いので、そうした意味ではこれから構築していくべきだとは思います。
〈司会〉それでは、残念ながら定刻になりました。本当に先ほど人数が少ないんじゃないかとおっしゃいましたけども、非常に最後まで熱心にまた素晴らしい質問をしていただきまして、主催者として感謝いたします。すごくいろいろな層にわたる問題がたくさんあるテーマで、こういった短い時間で整理することはとてもできませんが、大事な論点を出していただけたと思いますし、ゲストのお二人は大変率直に難しい質問にも答えてくださって、本当にいい会になったのではないかと思います。
 では、最後に柘植あづみ先生、八代嘉美先生には拍手で感謝を述べさせていただきます。ありがとうございました。

生存学研究センター報告

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