第三部 水俣病事件の障害学 ──「住民手帳」という実践モデルについて

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森下直紀
(立命館大学衣笠総合研究機構PD)


 1 はじめに

 公害病として知られる水俣病の問題の中でも熊本水俣病1)の問題は、1956年に熊本県水俣市で公式に確認されてから半世紀以上の時を経た現在も、水俣病による直接的被害の他に地域の住民コミュニティに複合的な差別を生み出している2)。しかし、それは同時に、この差別の問題を乗り越えるためのヒントが、この地域に内在していると考えることもできる。
 立命館大学生存学研究センター「病/障害をめぐる当事者運動研究会」3)では、精神障害、ハンセン病、水俣病の福祉施策について、障害学の知見に基づいてそれぞれの課題を検討し、またそれらの事例から得られた知見を障害学に還元することを目的に本年度より、研究活動を展開してきた。
 本稿は、熊本水俣病に関するこれまでの現地フィールドワークを踏まえ、有機水銀に曝露しているすべての人々を対象とした「住民手帳」を取り扱いつつ、水俣病事件の特徴と障害学的見解について検討したものである。本稿の内容は、立命館大学生存学研究センターおよび韓国障害学研究会主催にて韓国・ソウル市で2012年11月におこなわれた、障害学国際セミナーにおけるポスター報告の内容に加筆修正を加え、さらに期間中の議論内容を反映したものである。このセミナーにおける報告は、障害とは一見無関係に思われる公害問題を扱い、公害被害による障害や差別問題を検討する場を設けること、そして公害病被害者4)の今後の生活を検討していく上で、障害学のこれまでの議論蓄積がどのように生かせるのかについて検討する場を設けることを目的とした。特に、韓国において活発な運動を展開する障害当事者や障害学研究者が公害被害者に対してその社会改革の意識を向けることが重要であるという認識を共有することを最大の目的とした。この目的にしたがって、ポスター報告では水俣病事件について簡潔な解説を加えるとともに、公害被害者の差別についても理解できるよう配慮した。

2 補償(賠償)と福祉
 水俣病事件の歴史は、健康被害を受けた被害者が、加害者とその責任を明らかにすることを求めてきた歴史である。この被害に対する賠償は、当然なされなければならない。一部にはなされてはいるが、不十分である。不十分であることの要因として、補償(見舞金契約5))が公害病被害の「認定」より先行したことにより被害認定と補償が事実上一体化していること、水俣病と名付けられた公害病の実態が明らかにされておらず、これを明らかにするための行政による健康被害調査が網羅的におこなわれていないこと、が挙げられる。これらの論点については、様々な論者によって議論が深められてきており、裁判や法制定の展開においても中心的な議論を形成してきた。水俣病によって被った被害は賠償されなければならない。また、水俣病による差別や差別を発生させた地域社会に対する被害も賠償されなければならない。しかし、この当たり前のことが、過去半世紀以上おこなわれておらず、その実現のために多くの人々が努力してきた。他方で、その経過のなかで、多くの被害者は当初の目的を断念し、政治決着へと向かった。それは被害者たちの高齢化が、その決断の背景にあるに違いないだろう。有機水銀に曝露歴を有する人々の中には、水俣病様の症状を有していない人々、「潜伏患者」6)が存在するが、彼らのなかに潜伏期間を経て加齢とともにより重篤な水俣病の症状を示す者たちもいる。また、これまで水俣病患者としての自覚(あるいはその強い疑念)を持ちながら、何らかの事情でそれを胸のうちに押し留めてきた潜在患者が、彼らの積年の禁忌に触れようとしている。そうしたものの総体が、この度打ち切られた特措法7)の65,000人を超える申請者の数に現れている。この申請者数の多さは、水俣病事件の歴史が新たな局面を迎えていることを示している。
 水俣病事件の歴史の長さは、水俣病という公害病へのより精確な把握を可能にするはずであった。しかし、認定患者のその後の健康調査などのフォローアップはおこなわれておらず、水俣病被害者へのこれまでの対応は潜伏する水俣病を見通していない。また、チッソや行政にもその新たな局面の対応への準備は十分ではなく、既存の福祉行政の枠組みにその任を追わせようとしているのである。

3 障害学の視点と水俣病事件

 1982年にアーヴィング・ケネス・ゾラたちによってアメリカで誕生したDisabilities Studies(障害学)は、従来の医療や社会福祉の枠組みから障害や障害者を捉えるのではなく、「障害者独自の視点の確立を指向し、文化としての障害、障害者として生きる価値に着目」する学問分野とされている(石川・長瀬 1999: 11)。公害病被害者として水俣病患者は、事件が一般に知られるようになった公害被害の典型としての激しい症状を示した急性水俣病患者を除けば、リハビリテーション効果の薄い不可逆的な慢性症状を示す者が多く、水俣病患者と障害者とを一見して見分けることはできない。しかし、障害学が導入しようとする「文化としての障害」や、「障害者として生きる価値」をそのまま、「文化としての水俣病」や、「水俣病患者として生きる価値」と読み替えることは、水俣病事件史における被害当事者たちの思いを逆なですることにもつながるように思われる。あるいは、仮に水俣病の文化や価値について語る被害者がいたとしても、我々がそれを一般化して語ることは許されないだろう。なぜならば現代日本において熊本水俣病発生地域ほど、重層的な地域住民の差別感情が渦巻く土地はないかもしれないからである。地域に存在する差別感情は、「健常者」、障害者、水俣病被害者の間で、そしてそれぞれの当事者間で日常的に発見できる。この様々な差別により、水俣病被害者は地域での生活を抑圧され、その他の障害者は水俣病とみなされないように心を砕き、また健常者は水俣出身であることを隠蔽する。水俣病被害者たちはこのような重層的な差別の渦中にあって、水俣病被害者としての認定(行政責任の明確化と謝罪)と賠償を求めてきた。
 水俣病被害者が公害健康被害補償法(公健法)の中で認定水俣病患者として認められると、加害企業チッソから被害補償がおこなわれ、1,600〜1,800万円の一時金と年金、医療、介護などの様々な手当が与えられる。しかし、この様々な手当は、患者認定への制度的障壁を高くし、被害者として認められることを困難にしてきた。他方で、未認定患者を障害者制度の枠組みで行政は受け入れてきたが、その利用は限定的である。理由として、未認定患者の人々に水俣病と障害は違うという認識が背景にあるとされている(田尻 2007: 74-5)。その結果、水俣病の認定を受けられなかった人たちの中には、十分な補償も受けられず、福祉の網からもこぼれ落ちたままにされている人たちが存在する。
 水俣病事件の中心に位置する水俣市では、上記の差別による地域の分断が長期化し、それらを融和して新たな地域社会を構想することが重要な課題である。そして、その地域社会を構想する当事者は誰か、ということを考えたとき、アメリカの障害学の歴史に手がかりがあるように思われる。
 障害の当事者性をめぐる問題は、障害学においても長年議論の対象となってきた。杉野昭博(2007)は自著『障害学──理論形成と射程』において、イギリスの障害学は、障害学の担い手たる「当事者」を狭い範囲に限定する一方で、アメリカの障害学はこれを広い範囲で想定する、としている。

アメリカの医療社会学は、主として「患者視点」を基本として、医療供給体制に批判的分析の目を向けてきた。つまり、医療の研究にあたっては、誰もが「患者」であり「当事者」の視点に立つことができる。アメリカ障害学は、その延長に成立しているので、障害と慢性病とを区別する意識が低く、そのかわり、だれもが「潜在的慢性病者」あるいは「潜在的障害者」といった「当事者性」をもつことができる。(杉野 2007: 3)

 同様のことを水俣病発生地域において検討するための一つの道具立てとして、熊本学園大学水俣学研究センターの花田昌宣は「住民手帳」を提案している。その提案とは「住民手帳」を、有機水銀に曝露歴のあるすべての人々を対象に発行しようとするものである。そして、この「住民手帳」を持つ人たちを対象として定期健診を実施し、健康不安を解消しつつ、障害や疾患が出てきたら医療費を負担するしくみである(花田 2005: 16)。この提案によって、認定患者と未認定患者のみならず、潜在患者や潜伏患者を一つの枠組みの中に入れることができ、またこれまで補償を受けてこなかった潜在患者や「潜伏患者」の今後の健康不安をも解消することができると考えられる。そして、水俣病が発生した地域に住む(住んでいた)人たち──たとえ、「健常者」と本人が考えていたとしても──が、水俣病という一つの「当事者」意識の元で統合することを可能とすることができる提案であると思われる。しかし、水俣病事件を検討する「住民手帳」という実践モデルを実現することは、簡単ではない。事実、アメリカの障害学が、経験してきた困難を水俣病事件地域の人々が引き受けなければならないのである。

「障害者手帳保持者」といった狭い意味での「障害者」と、手帳を保持していない「多様な障害や病気をもつ人」と、さらに、一般に「健常者」と見なされている「潜在的障害者」という3つの「当事者性」の調和のバランスを維持できるかという問題である。この3つのグループの連帯を形成していく課題の困難さを、アメリカの障害学は経験している。(杉野 2007: 11-2)

 花田の提案する「住民手帳」も同様に、アメリカの障害学が経験してきたのと同様に、認定患者、未認定患者、潜在患者、「潜伏患者」の連帯をどう模索していくのかが課題になる。

4 おわりに──「住民手帳」の障害学的効用

 発生から半世紀以上を経て、存命の水俣病の被害者たちの多くは、慢性的な症状を訴えており、被害者であると同時に、障害福祉支援の必要な存在である。中には、高齢な母親が壮年の患者の介護を続けていたり、介護を担っていた両親が死亡し、残された患者のその後の生活問題が起きたり、と切迫した問題が立ち上がっている。
 また、母親から胎盤を通じて有機水銀に曝露していたものの、これといった症状が無く、健常者として生活してきたが、加齢とともに水俣病様の症状が現れて、水俣病と診断されることもある。あるいは、生まれつき脳性マヒと診断されてきたものの、水俣病と判明することもある(田尻 2007:76-7)。水俣病事件において、水銀汚染の長期化とそれに伴う影響範囲の広さ、胎盤を通しての汚染の世代間移行により、被害者たちの障害の発生時期やその程度は千差万別である。汚染地域に住んでいたり、汚染された魚貝類を摂取したりした人々は、現時点において水俣病様の症状が確認されなかったとしても、将来にわたってもそうであるということにはならないのである。
 上述した花田による「住民手帳」の提案は、水銀に汚染された魚貝類を摂取した可能性のある人たちやその子どもたちへの緩やかな連帯を担保させる意図として理解することができる。すなわち、ゾラの「障害の普遍化」(Zola 1989)戦略として機能させることが可能である。この「戦略」は、有機水銀に曝露しているものの特に自覚的な水俣病様の症状が無く、したがって「健常」と考えている人々(潜伏患者)や障害者を含むすべての人々を包摂する「社会モデル」は構築可能であり、水俣病発生地域の生活者間における水俣病差別の払拭に有効と思われる。その際には、「住民手帳」が発行される「拡大水俣病地域」において、慢性水俣病も障害の一つとして福祉の対象となる障害者支援の枠組みや、潜伏水俣病患者概念の導入により「健常者」とされている人々を含む形での障害福祉制度の構築がおこなわれる必要がある。
 「住民手帳」制度や潜伏水俣病患者概念の導入によって、コミュニティに内在する重層的な差別を払拭し、将来的な地域の連帯可能性を担保することができ、地域住民たちが現存する様々な社会的困難の排除を主張する原動力となるのではないだろうか。また、それは地域福祉の新しい形を提案しているようにも思える。

 本稿では、水俣病事件についての用語など、紙幅の関係から十分に解説を加えることはできなかったが、水俣病事件の現状についての概説と、それらを障害学の理論で検討するための基盤としての「住民手帳」を検討した。なんらかの社会変革を志向する場合、その変革の理想と現状を基本的な尺度として準備しておく必要がある。理想を現行制度による全員認定とするならば、どこに落としどころを探っていくのか、これを想定しておかなければならない。「住民手帳」はその一つの可能性を示しているように思われる。
 水俣病事件の被害者を、公害による負の遺産として歴史の中に埋設するのではなく、社会内存在としての彼らを再発見し、社会を再構築することが求められている。

[謝辞]本セミナーを有意義な研究交流の場とするために尽力された参加者と、日韓双方のスタッフの方々に、この場を借りて御礼申し上げます。

[注]
1)水俣病は、工場廃液などに含まれる有機水銀が河川や海洋に排出され、それらの汚染物質が生態濃縮を経て魚貝類に高濃度に蓄積し、汚染された海産物を多量摂取することで引き起こされる公害病。熊本県における水俣病事件では、化学工業企業のチッソが汚染源。皮膚感覚、視力、聴力、平衡機能などの障害が発生し、言語障害や振戦(手足の震え)などの症状が見られる。重篤な場合は、意識不明に陥り死亡する場合もある。また、有機水銀が胎盤を通過することから母体内の胎児が死亡する場合や、魚介類を摂取していないにも関わらず上記症状を示す、生まれながらの胎児性水俣病となる場合がある。上記の水俣病の症状の多くは不可逆的なものとされているが、リハビリテーションにより改善された事例も報告されている。1956年5月1日に、水俣保健所に2名の小児患者の症状が報告された(水俣病公式確認)。その後、1968年5月に、政府が公害と認めるまでの間、水俣病は伝染病や奇病として怖れられ、現在まで続く被害者差別の温床となった。また、水俣市の発展に大きな影響を及ぼしてきたチッソとの関係から、水俣病被害を訴えることには地域社会の圧力を覚悟しなければならないという、地域の構造的な問題が存在する。
  水俣病は熊本県水俣市の他、新潟県、カナダ・オンタリオ州、中国吉林省、アマゾン川流域でも発生したとされ、発生地域を指す地名を付けて特定地域の水俣病を示す名称に使用される。また、加害企業を冠する表記も使用されている。
2)筆者は水俣病の病院物質となった有機水銀に汚染された不知火海沿岸地域の歴史と地域が歴史的に形成してきた差別の構造が、水俣病の出現によってどのように変化してきたのかについて、社会調査者の視点から先行研究の批判的検討を試みた(森下 2012)。水俣病の発生によって差別が発生したわけではなく、差別のあるところに水俣病被害者が多発するという構図が、初期の学術調査によって発見されていることを指摘している。
3)この研究会は、2012年度立命館大学生存学研究センター若手研究者研究力強化型の助成を受けている。
4)従来多くの論者は、公害の被害者は公害病被害者——本稿で言うところの「水俣病認定患者」「未認定患者」「潜在患者」「潜伏患者」の総称——であると考えてきた。確かに包含関係であり、公害病被害者は公害の被害者に集合として含まれる。しかし、公害の被害者——より正確には、公害事件の被害者——は、公害病被害者よりも多数である。事件の歴史の初期には、ほぼ一致していたこの僅かな概念の差は、事件が長期化するにしたがって、拡大を続けている。
5)1959年12月30日に、チッソと「水俣病患者家庭互助会」との間で結ばれた補償契約のことである。この見舞金契約にともなって、厚生省(当時)に「水俣病患者診査協議会」が設置された。「そこ〔水俣病患者診査協議会──引用者註〕が認定したものだけが患者とされ、見舞金が交付されるという仕組み」(宮澤 1997: 271)が作られた。今日でも、制度化された審査会によって公害被害者かどうか判定され、「認定」された人たちだけが補償(賠償)を受けられる図式は継続している。
6)従来水俣病事件研究では、水俣病審査会によって「認定」された認定水俣病患者、水俣病認定申請をおこなうも、認定を否定された場合や認定審査結果がでていない未認定患者、そして水俣病であるという自覚や疑いがありながらも、申請をおこなわない潜在患者としてきた。本稿では、これらの概念に加え、水俣病様の症状が自覚されていない、あるいはなんらかの症状が自覚されていてもその症状が水俣病のものであることに自覚的ではない人たちを「潜伏患者」と表現する。
7)特措法とは、2009年7月に制定された「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」を指す。国の認定基準をめぐる2004年の関西訴訟判決により、1996年の政治解決以降沈静化していた未認定患者の増加を受けて、第二の政治解決を目指して制定された法律。特措法の申請者数は、2012年7月の締め切りまでに65,151人となった。

[文献]
花田昌宣,2005,「水俣の負の遺産とその展望:五〇年後の水俣病事件」『部落解放研究くまもと』50: 3-17,熊本県部落解放研究会.
石川准・長瀬修編,1999,『障害学への招待——社会、文化、ディスアビリティ』明石書店.
宮澤信雄,1997,『水俣事件四十年』葦書房.
森下直紀,2012,「社会調査者は何をみたか——水俣病被害の構造的理解を求めて」天田城介・村上潔・山本崇記編『差異の繁争点——現代の差別を読み解く』ハーベスト社,218-40.
杉野昭博,2007,『障害学——理論形成と射程』東京大学出版会.
田尻雅美,2007,「胎児性水俣病患者の表象」『部落解放研究くまもと』54: 74-97,熊本県部落解放研究会.
Zola, Irving Kenneth, 1989, “Toward the Necessary Universalizing of a Disability Policy,” The Milbank Quarterly, 67: 401-28.

生存学研究センター報告

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