第三部 自立生活って何だ! ?  ──自立生活に潜む医学モデルの検討

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長谷川唯
(日本学術振興会特別研究員PD/立命館大学)


1 はじめに

 日本では1970年頃から身体に重度の障害を抱える人たちの自立生活にかんする運動、研究がおこなわれてきた。運動は脳性まひ者を中心として、親もとや施設から離れた地域生活の実現を求めておこなわれてきた。重度の障害を抱える人たちにとって「自立生活運動」は特別な意味をもっている。
 中西によれば、自立生活運動は施設に閉じ込められ一生を送ることが決められた重度障害者の絶望の中から生まれたという(中西・上野 2003)。障害者は障害があるというだけで、保護という名目で社会から排除され、施設の中に閉じ込められることが多かったし、たとえ施設の生活でなくとも、親もとでほとんど自由が奪われた状態の生活を強いられてきた。
 自立生活運動はそうした抑圧された生活からの解放でもあった。それは、1970年の「青い芝の会」に代表される差別解放運動とも通じている。そして今日まで自立生活運動は、障害があることを自然な形として必要な支援を社会から得ながら、障害を持たない人たちと同じように生活していける社会を目指してきた。そして実際に多くの障害者たちが親もとや施設から離れ、そのような地域生活の実現を試みてきた。
 だが現在でも、重度の障害を持つ人たちが障害を持たない人たちと同様に生活できる社会にはなっていないし、依然として家族の支援がなければ地域で生活することは難しい。とくに本稿で対象とする筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis 以下ALS)の人たちで家族に頼らずに一人暮らしをしている人は全国でもきわめて少ない。その要因のひとつには、生活を支える社会制度がいまだに家族を社会資源として位置づけていることが挙げられる。家族の存在を前提として構築された社会制度は、常時介助を必要とする重度の障害を持つ人たちに対する介助を戦後から現在まで一貫して家族に委ね続けてきた。そうした環境のもとでは、家族は介助に疲弊し、障害を持つ本人は家族の顔をうかがいながらの生活を強いられてしまう。このことは非常に問題だが、今も変わらずに日常にありふれている。だからALSの人たちは人工呼吸器を装着すれば長期的な生存が可能となるのに、多くの人たちがそうした環境によって──自己決定とされながら──その装着をあきらめている。このように重度の障害を持つ人たちは地域生活を営むことさえも難しい状況に置かれている。
 では、自立生活運動が目指してきた「自立生活」とは何なのだろうか。
 
自立生活とは、どんな重度の障害をもっていても、介助などの支援を得たうえで、自己選択、自己決定にもとづいて地域で生活することと定義できる。(中西・上野 2003: 29)

自立生活運動が導き出した「自立」の概念は、生活の場面でどうしたいのかを選び、自分がどんな人生を送りたいか、選び、決定し、責任をもって生きる、「自己決定権」の行使を指します。(樋口 2001: 18)

 このように、自立生活は、必要なことを自分で選んで生活することと説明できる。本稿では、そうした従来の自立生活モデルに基づいておこなわれる自立生活センターの活動における「自立生活」の概念の限界を、ALSの人の生活を手がかりに探り、自立生活の多様性を追求したい。




2 日本の自立生活運動における「自立生活」の概念と
  自立生活センターの誕生
 日本の自立生活運動では「自立生活」を、人の手を借りつつも、障害者が自己決定し生活の主体者として地域で生活することと捉えてきた。これまでの自立生活運動で主張されてきたのは、「自分の生活は自分で決める」ということである。障害をもたない人にとって当然とされている生活は、障害を負ったというだけで自分の生活を自分で決めるという自由さえも制約され、たちまちあたりまえではなくなってしまう。
 たとえば施設では、起床や就寝、食事や入浴の時間まで決められた生活を送らなければならない。こうした生活では障害が重ければ重いほど多くの制約を受ける。ALSのように呼吸器や胃ろうなどの医療的ケアを要する人たちは、たとえ地域で暮らしていたとしても、現状では多くの部分を家族に頼らざるを得ず、そうした場合はその家族を気遣いながら、顔色をうかがいながら生活しなければならない。さらには家族がいなければ地域生活という選択肢さえも与えられないのである。施設にしても家族同居にしても、多くの制約を受け、本人の多くの我慢の上に生活が成り立っている。そこでは、障害があることで自分の生活を自分で決める自由さえも奪われてしまっている。だからこそ障害者は、自立生活運動で、施設や家族との抑圧された生活からの脱却を求め、他人から必要な支援を得ながら地域での生活を実現してきた。
 障害を持つ人たちの自立生活では、「自己選択」「自己管理」「自己決定」が重要視されている。それは上述のように、「自分の生活は自分で決める」ということが一般的な生活の延長線上に位置付けられる当然のことだという主張でもある。だが同時に、他人の手を必要とする生活では、知らない間にしばしば他人に(介助する側に)その主導権を握られてしまい、そのために生活の主体者であるはずの本人の選択や決定が阻まれてしまいかねないこともある。重度の障害を持つ人たちは介助をする人がいなければ生きられない。そのため、生活のあらゆる場面において介助する側の意志は本人の意志を脅かし、支配し抑圧する存在でもある(杉野 2007)。
 施設や家族のもとで管理された生活を長期間強いられてきた障害者は、家族や職員に依存的になり、主体性を持ちにくい状況に置かれてきた。障害がある人が障害をもちながら自立の当事者、自己決定の当事者、生活の主体者になって「自立生活」を実現できるように、自立生活センターは設立された。
 日本では1986年に「ヒューマンケア協会」が発足している。ヒューマンケア協会はアメリカの自立生活センターの機能を取り入れた日本で最初の自立生活センターとして設立された。アメリカの自立生活運動は、ヒューマンケア協会の立ち上げや日本の自立生活運動に大きな影響を及ぼした。具体的には、1979年のアメリカのバークレー自立生活センターのエド・ロバーツの来日公演、1981年から財団法人「広げよう愛の輪運動基金」の障害者リーダー育成米国研修プログラムの実施、1983年のアメリカの自立生活運動のリーダーを招いての「障害者自立生活セミナー」の開催などである。
 日本の自立生活運動の始まりはアメリカの自立生活センターの動きと大きな隔たりはないが、その運動の展開方法に違いがある。アメリカがマイノリティの公民権運動、消費者運動として発展してきたのに対して、日本は脳性マヒ者を中心に展開してきた。
 ヒューマンケア協会はアメリカの自立生活センターで研修を受けた者を中心に立ち上げられ、障害のある当事者が運営する自立支援サービス組織としてスタートした。ここで重要なのは、自立生活センターが「事業体」の側面を持ったことである。それは、従来の「哀れみの福祉」を廃止し、その客体だった障害者が主体へ、さらに主権者への転換することでもあった。なかでも介助者派遣と自立生活プログラムの提供はその中核を成す事業として位置付けられる。介助者派遣事業は、今まで無料だったボランティアの介助を有料制にしてしまうことに、障害者から反対の声があった。しかし現実としてボランティアの介助者の確保は厳しく、実際の介助の場面では対等な関係ではいられなかった(中西・上野 2003)。次第に介助を有償化することでボランティアゆえに生じる生活の不安定さが解消されることがわかり、受け入れられていった。
 他方で、介助サービスの提供だけでは利用者が依存的になってしまう可能性があることをアメリカでの研修で学んでいた。依存的になってしまえば、たとえ地域で生活していても施設や家族のもとでの生活と変わらない。だから自立生活プログラムを並行して提供することが必要とされた。そして自立生活プログラムが持つ大きな意味は、これまで「なにもできない者」「自己決定ができない/自己決定権がない者」として施設や家族のもとで保護や管理された生活の中で植えつけけられてきた「自分はなにもできない人」という価値観を、障害者自身が自ら脱却することにあった。実際に中西らはアメリカの研修で「ここに来る前は、自分は何もできないと思っていたが、今は何でもやれるという気がする」(中西・上野 2003:31)という自立生活センターの職員の言葉を聞き、効果を実感している。
 1990年に入ると、自立生活センターの全国組織である全国自立生活センター協議会設立の動きがみられるようになる。その当時に活動していた主な自立生活センターが集まって討議を重ね、1991年に全国自立生活センター協議会が発足した。その翌日には、1989年から開催されている「自立生活問題研究全国集会(自問研)」の第三回全国集会が開かれている。第三回自立生活問題研究全国集会に参加した当事者たちは全国自立生活協議会の発足に立会い、地域に戻って自立生活センターを作り始めていった。こうして自立生活センターは全国に普及していった。これまで行政に対して介護保障の交渉を続けてきた運動体、また作業所や生きる場を運営してきた当事者団体も自立生活センターへと組織を変容させていった。自立生活プログラムを取り入れ、障害者自身が福祉のサービスの受け手から担い手に代わるというスローガンを掲げたヒューマンケア協会は自立生活センターのモデルとなった。自立生活センターは社会に障害者の要求を訴える運動体と、その要求を自ら満たす事業体としての性格をあわせもつものとして作られた。

3 日本の自立生活センターの活動

 現在、日本には自立生活センターが122箇所存在し、自立生活運動の拠点となっている。上述のように自立生活センターは運動体と事業体という二つの側面をあわせもっている。とくに、ALSのような最重度の障害を抱える人にまでは行き渡らない行政のサービスを確保し供給するという事業体としての役割はとても大きい。事業活動で得られる収益は運動をおこなう上でも重要な要素であり、自立生活センターの運営には欠かせない。
以下は、全国自立生活センター協議会が規定する自立生活センターの定義である。

1、所長(運営責任者)と事務局長(実施責任者)は障害者であること。
2、運営委員の過半数は障害者であること。
3、権利擁護と情報提供を基本とし、介助派遣サービス、住宅相談、ピアカウンセリング(ピアとは仲間の意味)、自立生活プログラム(ILP)のなかから二つ以上のサービスを不特定多数に提供していること。
4、障害種別を越えたサービスの提供。
5、会費が納入できること。(樋口 2001:17-18)

 このように運営委員の過半数と事業実施責任者が障害者でなければならず、利用者(障害者)の要求が運営の基本となっている。事業についてここでとくに注目したいのは、ピアカウンセリングと自立生活プログラムである。これらは基本的な事業として位置付けられる。そして自立生活で必要とされる「自己選択」「自己管理」「自己決定」を可能とする「主体性」の獲得という点で共通する。つまり「ピアカウンセリング」で主体性を獲得し、それを実際の生活の場で発揮できるように「自立生活プログラム」で生活技術として身に付けるのである。それは、これまでの障害者の自立生活が身辺自立と経済的自立を条件とされ、それらが達成できなければ「なにもできない者」「自己決定ができない/自己決定権がない者」として決めつけられ、様々なことを経験する自由も与えられず「自分はなにもできない人」という価値観を植えつけられてきた障害者が、自分の状態のあるがままを受容し、何がしたいのかを見つけ、実行する力を身に付けていく作業である。
 この取り組みは、身辺自立や経済的自立を努力して達成した一部の障害者に対する恩恵としての自立生活から、必要な支援は社会から得て人の手を借りながら生活するという障害を持つ全ての人の権利としての自立生活へと変換させる自立生活運動でもある。自立生活センターの活動は、自立生活運動で導き出された「自立」の概念をもって、医学モデルから社会モデルへと「自立生活」の理念の変革を進めてきた。
 しかし、ALSのような進行性難病の場合には、進行する病気を抱えながら、生活のあらゆる場面において自分の意志で物事を決定していくことは難しい。その障害の特性によって従来の「自立生活」で求められる「主体性」が十分に発揮できない状況に置かれている。それでも自立生活運動で主張されてきた「自立生活」の考えにあてはめられるために、実際の生活では「自己選択」「自己管理」「自己決定」が問われ、生活の「主体者」となることが求められるのである。自立生活センターは、そうした人に対してピアカウンセリングや自立生活プログラムを実施し、自己決定の当事者になれるように「主体性」の啓発を試みるのである。

4 自立困難な人の自立生活──ALSの人の生活から

 ALSは全身に身体障害を伴う進行性の難病である。主に40代から60代で発症することが多く、健常者として生きてきた時間の方が長い。症状が進行により、やがて自力で身体を動かせなくなり、生活のあらゆる場面において介助が必要となる。呼吸筋の低下に伴い、自力で痰を吐き出すことが困難となり、吸引や胃ろうなどの医療的ケアを要するようになる。さらに発話での会話が困難となり、透明文字盤や意思伝達装置などのIT機器を使用しなければ、周囲に自分の意志を伝えることができなくなる。病状の進行とともに、その介助が質的にも量的にも増大していくため、生活では周囲とのコミュニケーションが非常に重要となる。
 同じ障害者でも、先天性障害や幼い頃に障害を持った場合、また症状が固定している場合には、自立生活運動に倣った「自立生活」の実現可能性が高く、実際に多くが実現している。その人たちは、自分の身体の状態や介助内容を適切に把握しているからこそ、周囲に的確に指示を出し、「自立生活」が可能となる。そこでの「主体者」が誰であるかを本人も周囲も認識することができる。だが、ALSの場合は上述のように進行性難病で中途障害者であることによってそれが難しい。想定したことも、また想定もできない生活の中で、さらに身体の状態を自分自身で把握することができない状態では、何が必要かがわからずに生活のすべての場面で周囲に的確に指示することができない。本人の生活であるにもかかわらず、その「主体者」が誰であるのか本人も周囲も認識することが困難であり、コンフリクトが生じる。そうした場合に自立生活センターが介入し、ピアカウンセリングなど相談支援を実施するも、結局はそのコンフリクトの解消には至らないことがある。そもそもALSの人たちの生活を自立生活運動での「自立生活」の概念にあてはめて考えること自体が難しい。

5 自立生活センターの活動に潜む医学モデル

 自立生活センターは、自分たちの望む生活を主張し、そのために必要な資源やサービスを社会に指し示すと同時に、その要求を自ら満たしていくという手法をとる。しかし、運動と事業が表裏一体のものとして存在し、切り離せない関係だからこそ、多様なはずの自立生活を画一化する支援が展開されることになる。例えば介助者派遣は、社会に介助サービスの必要性を指し示す一方で、その生活に介入し、異なる障害を持つ人に対しても従来の自立生活運動にあてはめた支援を展開する。このことはALSの人の生活で見られるように、従来の「自立」概念をあてはめてしまうことで、かえってその生活を困難なものにしてしまうことなる。
 また、生活の主体者になることが自立生活の必要条件とされることで、自立生活センターの基本的な事業であるピアカウンセリングや自立生活プログラムには、障害者同士のヒエラルキー構造が作り出されてしまう。そこには、生活や介助のことを差配できず生活の主体者になりきれない障害者を「できない障害者」とし、ピアカウンセリングなどをおこなう障害者が「できる障害者」として教育するという構図が存在するからだ。ピアカウンセリングにおいては、同じ障害を持っていることと当事者団体が資格認定をおこなうことが、当事者とピアカウンセラーの対等な関係を成立させる条件となっている。このことは、非障害者による支援との差異を明確化することができても、ピアカウンセラーが「専門性」を持つ資格者として存在することは、当事者とピアカウンセラーとの間にヒエラルキー構造を生み出す要因として指摘できる。
 自立生活センターの活動はすべての障害者を対象にしており、障害種別を問わず総合的なサービスを提供することとしているが、その活動の根幹となる思想は脳性マヒ者を中心とした運動から導き出された「自立」の概念である。現状では、そうした従来の自立生活モデルにあてはまらない障害者の難しさは、自立生活の主導権を握れない障害者だとして個人の責任にされ、個人の能力の問題にされてしまっている。このように自立生活運動における「自立生活」の枠組みで展開される自立生活センターの活動には医学モデルが内在している。

6 おわりに──自立生活って何だろう?

 日本では脳性まひ者が中心に自立生活運動をしてきた歴史的背景から、それを基軸とした「自立生活」が前提とされ、そこでの「自立」の概念が他の障害にまであてはめて考えられている。さらに、生活を支える諸制度、それを規定する政策は、「障害者」という枠組みでひとつに括り、多様なはずの生活を定式化している。そうした社会では、主体性が発揮できなければ、自立生活そのものが困難とされ、また政策や制度、医療や福祉によってその意志が制約される。このように従来の「自立生活」にあてはまらない難しさを能力の問題にすることは、障害自体をその個人が負うべき問題として、個人に責任を還元してしまうことになる。実際に、個人の能力に帰責することで、それぞれの生活や障害の特性による違いが見えにくくされている。
 自立生活運動は、多様なはずの生活を定式化する社会からの解放を目指し、障害者を排除する社会に対してその差別を訴え、撤廃を求めてきた。だがそこで導き出された「自立」の概念によって、その多様な生活が画一化されてしまっている。そもそも、それぞれの障害者による運動が、その生活と抱える障害の特性などによって裏づけられた思想を拠り所にしており、「自立」の概念を一様にあてはめて考えること自体に限界がある。地域での生活は他者から規定されるものではなく、また教育されて勝ち取るものでもない。地域生活においてあるべき障害者像、障害者と周囲との関係性においても一通りではない。生活そのものが流動的で柔軟性があり、個人の能力ではなく、様々な環境や関係性の中で形作られるものである。


[文献]
樋口恵子,2001,「日本の自立生活運動史」全国自立生活センター協議会編『自立生活運動と障害文化──当事者からの福祉論』現代書館,12-32.
中西正司・上野千鶴子,2003,『当事者主権』岩波書店.
杉野昭博,2007,『障害学──理論形成と射程』東京大学出版会.

生存学研究センター報告

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