まちの居場所の研究  ──まちの学び舎ハルハウスの事例より

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小辻寿規


1 はじめに──社会的孤立問題の解消策としての「まちの居場所」

 本稿では,孤独死,孤立死,人間関係の希薄化,「無縁社会」という一連の社会的孤立問題に関する問題提起に対して,それを解消するための「絆」や「つながり」づくりを行う場所として着目されている「まちの居場所」1)の研究を行う.「まちの居場所」が新しい人間関係を形成する場になっているという仮説を基に,メディア等からモデルケースとして注目され2),2003年から「まちの居場所」活動を行い,その手腕などがメディア等でも取り上げられてきた丹羽國子氏(以下,丹羽氏)が運営する施設である「まちの学び舎ハルハウス3)(以下,ハルハウス)」の検討を行い,「まちの居場所」はこれまでとは違った新しい人間関係を形成する場を提供するものだといえるのか.そういえるとして,そこにはどのような要因があるのか.また,とくに社会的孤立問題の解決策として,どのような可能性と課題があるのかを考察する.
 日本において,社会的孤立問題は1970年代初頭の孤独死報道や阪神淡路大震災後の被災者孤独死報道,北九州市で「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死した事件などを経て,社会問題となっている.また,2010年にNHKが番組内で使用した「無縁社会」4)という用語は,地縁,血縁,社縁を喪失した社会を表すものとして使われ始め,流行語大賞にもノミネートされることとなった.
 この「無縁社会」と呼ばれる社会から,人と人との縁がある「有縁社会」を目指そう,社会的孤立や孤独死を無くそうとする流れが生まれつつあり,地縁を改めて作ろうと自治会・町内会活動が見直されつつある.この流れは,2011年3月11日の東日本大震災以降,「絆」や「つながり」という言葉を用いて語られている.そして,自治会・町内会活動が「絆」や「つながり」を形成する場として,重要視されている.
 しかしながら,社会的孤立という問題を考えた場合に自治会・町内会活動を活発化させることのみが有効であるとは言いにくい(松橋 2012: 13-14).社会的孤立問題の論点は少なくとも「○1雇用労働者化の進行に伴う世帯構成の変化,○2家族・地域関係の変化,○3低所得問題,○4政策による医療・介護環境の変化」という4つの大きな論点が存在する.雇用労働者化の進行に伴う世帯構成の変化は,時に夫婦共働きを推奨し,時に労働時間以外の時間(たとえば,余暇の時間や趣味の時間や地域活動への参加時間など)を大きく減らすことになる(小辻 2011).先行研究で指摘された労働環境の変化が,核家族を増加させることにもつながり,地域活動に参加する時間的余裕を奪ってきたことは自明のことといえる.
 雇用労働者化の進行に伴う世帯構成の変化と家族・地域関係の変化という論点に付随する重層的な問題として,低所得問題と政策による医療・介護環境の変化があり,より一層単なる自治会・町内会活動では解消することは難しくなっている.たとえば,金銭が無く働かなければならない者達は自治会・町内会活動を行なう時間が制約され,疾病などを抱えている一人暮らしの者は,介護ヘルパーなどには会う機会があっても地域住民との交流は友人がいるなどの関係が無ければ自然と薄くなっていく.
 これらの問題だけでなく,自治会・町内会の役員との人間関係が好ましくない状態にある者達などは孤立した場合,その状態を改善する余地はあまり考えにくいことは容易に想像がつき,自治会・町内会で行われている高齢者の見守り活動などでは,対応しにくい現実がある.
 これらの現状を総合すると自治会・町内会と関係の深いもしくは地域に知り合いなどがいる者に対しては見守り活動なども有効であるといえず,研究の中や現場からは不十分さを指摘されてきている(河合 2009; 小川 2006).しかし,介護保険制度を用いた介護予防支援事業や訪問介護などが行なわれている者は,何らかの「絆」や「つながり」が維持されている一方で,地域住民とのつながりが薄い.介護保険制度を用いた介護予防支援事業や訪問介護などを利用していない者には,どのような「絆」や「つながり」を作る機会が用意されているのであろうか.高齢者の中でも決して少ないとはいえない割合を占めると考えられる彼らへの対策は現状,皆無なものとなっている.だが,一人暮らしの高齢者が増えると考えられている今後,その層に対しての対策を一層行なっていかなければならないことは明白である.
 では,この層に対して,社会はどのように包摂していくべきなのであろうか.この問に対して「まちの居場所」が,人々を包摂する場として,一定の効果を発揮する可能性が高いことが報告されはじめている(日本建築学会編 2010)(坂倉 2010).また,「百草団地ふれあいサロン」の研究においては,利用者が互いに抱える不安の共有ができることや,今まで一人暮らしで一日中誰とも話す機会の無かった人が話す機会を得たこと,利用することによって友達ができたことが報告されている(木村 2011: 176-177).「まちの居場所」の一つである「カフェ型保健室しらかば」を運営する工藤明美は,ある相談に来た高齢者から介護保険に認定されない人や介護保険外でゆっくりお茶を飲み気軽に話せる場所として居場所を作った(工藤 2010: 3)としている.
 秋山弘子は,柏市豊四季台の居場所づくり活動であるコミュニティ食堂(通称:わいわい食堂)などの事例を取り上げ,「地域における新たな人のつながりが生まれ,人間関係のネットワークが構築されることで,社会的孤立の問題解決に大きく貢献する」(秋山 2011: 715)と指摘している.また,河田珪子は「まちの居場所」の一つである「芝の家」において運営者だけでなく利用者を含め,場にいる人同士がケアしあえる場づくり(河田・坂倉 2010: 3)が行われていることを指摘しているなど,福祉政策や町内会・自治会とは異なった扶助の担い手である可能性が高いといえる.
 少ない先行研究ながらも,制度や地域の取り組みからは零れ落ちるような人に対しても開かれている多様性のある「まちの居場所」は地域住民とのつながりが薄く,介護保険制度に基づく,介護予防支援事業や訪問介護などを利用していない,もしくは利用できない高齢者を孤立させないためにも有効なものと考えることができるはずである.
先行研究では,「まちの居場所」の効果を一回から数回程度の訪問での聞き取り調査により追ってきたものが多いゆえに断片的な情報でしか捉えることができていない.しかしながら,空間の連続性を考えた場合にその変化と人間関係形成のプロセスも検討していかなければ総合的判断することは難しいといえる.そのため,本稿においては,「まちの居場所」が新しい人間関係を形成する場になっているという仮説を基にしながら検討を行なう.

2 「ハルハウス」調査概要

 本稿では,立命館大学産業社会学部社会調査士課程13期生SDクラスと筆者が共同で2010年8月23日から 同月29日まで1週間行った参与観察の結果5)と,「ハルハウス」の事業報告,筆者個人が行ったまちの丹羽氏に対する聞き取り調査より分析を行う.○1「ハルハウス」参与観察の実施期間は,2010年8月23日から 同月29日まで1週間に行い,調査方法は,オープン時間(6:00〜16:00)に「ハルハウス」に滞在し,利用者とスタッフと施設について観察を行った.収集した調査結果は,性別,年代,利用目的,注文内容,一回当たりの滞在時間,コミュニケーション形態に関して区分し,調査に関わる倫理的配慮として,あらかじめ,運営者である丹羽氏の同意を取り付け,利用者に対して丹羽氏及びスタッフの告知のもと,その場で得られた個人情報は非公開を前提に行った.筆者は,本調査においては統括の役割を担い,調査設計の関与及び丹羽氏との調整を行うと同時に,共同調査者に対しても調査結果の筆者の単独利用の同意を取り付けた.○2丹羽氏に対する聞き取り調査の実施期間は2010年9月23日から 2012年6月31日まで月1回程度行い,調査方法としては,オープン時間(6:00〜16:00)に2時間程度「ハルハウス」に滞在し,運営者の丹羽氏に対して非構造化面接にて同意の下で聞き取り調査を行った.本稿における丹羽氏の発言は,特段の記載が無い限りこの聞き取り調査によるものである.立命館大学における人を対象とする研究倫理指針6)の下で行っている.

3 「ハルハウス」の活動概要
 「ハルハウス」は,名古屋市において「まちの縁側クニハウス(以下,「クニハウス」)」を運営していた丹羽氏が2001年から佛教大学の専任教員になったのを機に,ボランティア学生や近隣住民と2003年10月,京都市北区紫野十二坊町に開設7)した「まちの居場所」であり,設立の理念を「誰もが住み慣れた土地で,お互いが支え合って,健やかな生活の実現をめざし,5つの約束8)のもとに居ながらボランティアで対話.ことに老いた者は,つぎの世代に健康に生きる生活の智慧を伝え,地域に美田を遺して,明るく活力ある共生き社会に寄与する」9) としている.
 運営法人は,「クニハウス」と共通で「一般財団法人まちの縁側クニハウス&まちの学び舎ハルハウス」である.
 人的資源として,スタッフは運営者の丹羽氏と専従職員で統括主任のA氏の他,19名のボランティア(2012年1月29日現在)がいる.
 開設当時の「ハルハウス」は二世帯住宅の民家で,一階を「まちの居場所」として開放し,高齢者や不登校の子ども,自閉症の子ども,心の悩みを抱える人などが訪れる施設であった.その後,近隣住民の利用者も増え,今では町内会や地蔵盆の親睦会などにも利用されるなど公共性の高いもので,現在の「ハルハウス」の建物は2010年3月26日に竣工した鉄骨3階建てとなっている.変遷過程は,表1の「ハルハウス」年表である.
 物理的環境として,京都市バスライトハウス前バス停から2分程度で行くことができ,千本通から一筋入った住宅地の中にある.周辺には,佛教大学,京都府立盲学校高等部,京都市立楽只小学校と教育機関が点在する.
 施設としては,ソーラーシステム,雨水利用の防災設備等を備えている.「ハルハウス」の入り口には縁側の代わりに木の長椅子が設置されており,中に入らなくても休憩することができる.また,無料で取れる情報誌なども配布されている.1階には机と椅子の他に畳の間,ダイニングキッチン,バリアフリーのトイレがある.丹羽氏もしくはスタッフに許可を取った場合には,パソコンの利用も可能となる.2階は多目的スペースになっており,机と椅子,ホワイトボード,電子ピアノなどが設置されているため,会議及び催し物を中心に利用されている.提供する食材の一部の天日干しもこの2階のスペースで行われている.3階は居住スペースになっており,丹羽氏の部屋がある他に京都へ訪れた人が宿泊するためにも利用されており,仕事やプライベートでの利用者がいる.他にも東日本大震災の被災者家族数組も震災直後,京都に避難してきた際には利用している.
 「ハルハウス」は,二部制に分かれており,「京雑炊ハルハウス10)」としては,6:00〜10:00に年中無休で,「まちの学び舎ハルハウス」としては10:00〜16:00にかけて月〜水,金,土の週5日間営業し,サービス内容として,「まちの縁側(『まちの居場所』)」交流事業,地域活動拠点としてのまちづくりの各種イベント,食育,会合場所の提供,学習会,健康相談等を行っている.利用者の交流会も年に数回開催されており,主なものとして,新年会やふれあい教室,健康づくり塾,チャリティーコンサート,クリスマス会などがある11).

4 「ハルハウス」の特徴

 まず,2010年4月〜2011年12月(「京雑炊ハルハウス」に関しては2011年1月〜2011年12月)までの,「ハルハウス」の利用者変化(図1)と「ハルハウス」利用者の割合(図2)を見た場合,平均で大人の利用者は150人程度おり,「京雑炊ハルハウス」の利用者を含めると200人程度の大人が利用しているといえる.同じように「まちの居場所」である「芝の家」の先行研究とは異なる結果となっている12).「ハルハウス」が大人を中心に利用されている理由として,丹羽氏は「毎朝営業し,朝ご飯を提供しており,健康志向の大人が利用していること,丹羽氏に対して生活相談しに来る人が多いこと」を挙げる.
 また,参与観察を行った2010年8月23日から 同月29日まで1週間の利用者数52人中,性別は男性が29人,女性が23人の利用という結果になっており,利用者の年齢層も50代,20代,40代の順になっており,成人を中心に男女問わず比較的幅広い層に利用されている.「ハルハウス」の利用者の多くは京都市民である.
 コミュニケーションとしては,1週間の来訪者の52人中,約73%にあたる38人がスタッフとのやり取りを行なっており,そのやり取りの多くは,丹羽氏,もしくはスタッフによって始まっている.また,約17%にあたる9人は「ハルハウス」で初めて知り合った人とやり取りをしている(図3).このやりとりは基本的には自発的に始まるというよりも丹羽氏が両者に話しかけ,利用者同士が話しやすい環境を作り上げていることにある.その環境づくりが,その後,利用者同士が友達になることに繋がっている.このような環境づくりは,「芝の家」の研究(坂倉 2010)でも指摘13)されており,丹羽氏はその環境づくりの能力が非常に高い14)といえ,「まちの居場所」の一つの機能といえる可能性が高いと想定される15).
 そして,「ハルハウス」の大きな特徴としては,食事が営業時間中常にできるということもある.丹羽氏によれば,「実際の利用者の中には『ハルハウスに来れば,美味しいだけでなく,誰かと話をしながら食事ができるので寂しくなく楽しい食事を取ることができる.』と語る者もいる」とのことである.一人暮らしの者だけでなく,昼間に一人で暮らしている者が一人で食事をせずに済むという理由から利用者になるという傾向もあり,食事を提供しているという点が通う動機の一つになっている可能性も高いといえる.そして,そのことは「ハルハウス」がある京都市北区の利用者だけでなく,左京区や上京区など様々な区からの利用者がいることにもつながっている.
 また,「ハルハウス」の特徴の一つとしては,このような利用者とのコミュニケーションの中から,必要に応じてニーズを聴き,利用者が望む「ハルハウス」に変化してきたことがある.「ハルハウス」は利用者に対して,「来る者拒まず去る者追わず」の姿勢16)を取っている.丹羽氏と理念が違う者がいても利用者である以上は受け入れ,時としてその利用者の要望も受け入れる.「ハルハウス」は丹羽氏が全てを決定する場所では無く,利用者や他のスタッフと共に作り上げていく場所となっており,それが繰り返し訪れる利用者を生みだし,「ハルハウス」が約10年も続いてきた原動力にもなっているともいえる.

5 「ハルハウス」の役割と課題

 ここまでは,「ハルハウス」の効果を捉えてきたが,「ハルハウス」が地域において全て肯定的に捉えられてきた訳ではない.「ハルハウス」は先述の通り,2003年に開設されたわけだが丹羽氏は当時地域に馴染みの無い市外からやってきた大学の教員として地域からは認識されている.丹羽氏は聞き取り調査の中で「誰でも気軽に入ることができる家などは『ハルハウス』のある地域に存在していなかったので,一部の地域住民には『ハルハウス』は新興宗教の施設のように誤解を与えていたようだ」と語っている.また,開設時に地域の自治会・町内会などと話し合いの場を持って,作ったのではないため,自治会・町内会とも距離17)のある「まちの居場所」となり,口コミやインターネットなどを通して知りやってきた高齢者や不登校の子ども,自閉症の子ども,心の悩みを抱える人が主な利用者であった.
 しかし,丹羽氏によれば,「地域の人に対して毎日積極的にあいさつをする声掛け活動を行い,一人暮らしの高齢者もしくは昼は一人暮らしの高齢者などに対しては積極的に『ハルハウス』に来るように呼びかけていった」こともあり,高齢者の利用者が増えると同時に地域住民がお裾分けを持ってくることや自治会の会議に積極的に「ハルハウス」を利用するといった現在の友好的な関係が築けるようになってきている.丹羽氏は「多くの地域の人に『ハルハウス』が浸透し,利用してもらえるようになるまで7年ほどかかった」と語っている.現在も丹羽氏や「ハルハウス」スタッフの精力的な挨拶活動や「ハルハウス」利用を呼び掛ける声掛け運動は続いており,地域の高齢者の交流も「ハルハウス」の中でも行われるようになってきている.特に,近隣住民の高齢者に関して丹羽氏は,「私たちの声掛け活動や見守り活動をきっかけに利用者になってくれており孤立が減少している」と語る.このことからも,「まちの居場所」活動だけでなく,見守り活動と複合的に行うことにより,見守り活動によって発見された孤立しがちな者を,「まちの居場所」に誘導しやすくなり,「まちの居場所」活動単体よりも効果的である可能性が高いといえる.
 地域住民やメディアなどがまちの学び舎ハルハウスの活動を現在では好意的に捉えている18)一方で,佐賀県くらし環境本部県民協働課(佐賀県くらし環境本部県民協働課 2004: 19)や京都市市民参加推進フォーラム(京都市市民参加推進フォーラム 2006)の報告にもあるように,自治会・町内会の中には特定の目的を持った志縁組織に対して好意的に捉えていない者もいる.19)
 また,「ハルハウス」の財務(2011年)(表2)を見た場合,丹羽氏は「ハルハウス」から給料等を受け取っておらず,丹羽氏の講演料等も全て,「ハルハウス」に寄付しており,丹羽氏の無償ボランティアにより成り立っている.「ハルハウス」の収入の32.5%が助成金,19.4%が寄付金となっており,今後も現状を維持するためには,他の「まちの居場所」以上20)に金銭的な課題が多いことも事実である.
 大分大学福祉科学研究センターの調査によれば,「まちの居場所」の開業資金に関しては,その61.1%が運営者達の自費,28.2%が補助金となっている(大分大学福祉科学研究センター 2011: 23-29).しかし,これらの資金は限られたものであり,年間の運営資金は平均で552万円かかることからも資金が底をつけば経営は立ち行かなくなる.「ハルハウス」においても,丹羽氏の無償労働と助成金及び寄付金により経営が成り立っており,10年以上続いている「ハルハウス」モデルの経営は,決して誰もが可能なものではないといえる.
 「ハルハウス」を含め「まちの居場所」活動の資金繰りの安定化,そして自治会・町内会との相互理解を深めた上で,今後どのように役割を分担,もしくは協働で行っていくことが今後の課題になっていく可能性も高いといえる.

6 おわりに──「ハルハウス」研究で明らかになったことと今後の展望

 本稿では,「まちの居場所」が新しい人間関係を形成する場になっているという仮説を実証すると同時に,見守り活動との併用が高齢者の孤立を減少させるために有効である可能性が高いことが明らかになったといえる.
 「ハルハウス」の大きな要素は,毎日,人(運営者や様々な利用者)がいること,同じ場所で営業していること,そして食事の提供にあることといえる.
 「ハルハウス」が既存の自治会・町内会が作っている縁とは何が違うのか.まちの学び舎ハルハウスは,橘弘志の定義する「まちの居場所」の特性11項目「(1)訪れやすいこと,(2)多様な過ごし方ができること,(3)多機能であること,(4)多様な人の多様な活動に触れられること,(5)自分らしく居られること,(6)社会関係が作り出されること,(7)参加できる場であること,(8)キーパーソンがいること,(9)柔軟であること,(10)地域との接点がもたらされること,(11)物語が蓄積されていること」(橘 2010: 180-194)の全てを満たしており,参加に制限のある既存の自治会・町内会とは一番の大きな違いといえる.「ハルハウス」は,地縁を大切にしつつも,「ハルハウス」が存在する地域以外の区や市からやってくる利用者がいる.
「ハルハウス」は「来る者拒まず去る者追わず」の姿勢を取っている.この方法をとることは既存の自治会・町内会では難しい.自由に参加したい時に参加するという利用方法は地縁に縛られない人にとっても使いやすいものである.これは,上野千鶴子の提唱する家族に代わる代替資源になる「選択縁」21)(上野 2008)や阿部真大が重要とする職場と家族に代わる「第三の居場所」(阿部 2011)にも該当するものになる.
 石田光規もまた,孤立を減らす上での新たな連帯先としてNPOが運営するサロン(本研究では「まちの居場所」)を上げている(石田 2011: 182-185)が,その論を補う意味でも,「まちの居場所」が重要な存在になる可能性が高いことが本研究で明らかになったといえる.
 利用者達は,その場に慣れてくれば誰が「ハルハウス」でスタッフとしている時間が分かるようになり,その時話したいスタッフがいる時間を選択して利用することが可能となる.丹羽氏に会うためにやってくる利用者もいれば,A氏に会うためや他のスタッフに会うためにやってくる利用者もいる.これは,自分の話したいスタッフに会うために遠くからやってくる利用者が多くいることからもいえる.利用者の中には,「ハルハウス」を友人や知人,メディアなどに紹介する者もおり,そこから利用者の数も拡大している.
「ハルハウス」に行くことによって友人や知人が増えていく様はインターネット上で友人や知人を増やしていく様によく似ている.いわば,「ハルハウス」は新時代型のコミュニティ生成組織ということもできる.「ハルハウス」の事例であるがゆえに全てに当てはまるとはまだ言い切れないが,先行研究の研究を踏まえても「まちの居場所」は無縁社会に対抗する有効な組織になる可能性が高いといえる.
 ただ,「まちの居場所」は,現代社会において親和性の高いコミュニティ生成組織であるといえるが,それと同時に二つの大きな問題もはらんでいる.その問題の一つが資金面であり,もう一つが既存の自治会・町内会との共存といえる.
 資金面の課題を解消するためには,利用料の安定的確保や寄付を増やすことが課題となる.利用料を上げると参加者を限定してしまうがゆえに,「まちの居場所」の意義を失いかねない.そうなれば,現実問題としては寄付を増やすか助成金に頼るしか方法は無くなる.「まちの居場所」を今後拡大していくためには日本の寄付と助成金をどのように集めるかも重要な課題といえる.
 既存の自治会・町内会との共存は一つの課題となる.調査を行っているうえでも,「まちの居場所」の存在は,既存の自治会・町内会と似たような活動も行うがゆえに,時として何十年も同じ土地に住む住民からの理解を得られないこともある.「ハルハウス」においても地域住民の完全な理解が得られるまで,約7年間かかったことにはこのような影響もあるといえる.「まちの居場所」が地域住民に対してあまり説明のないまま運営を開始する場合は,「ハルハウス」よりも,地域住民の完全な理解には時間がかかる可能性や誤解を生むケースもあると想定される.このようなことからも今後,「まちの居場所」を始める場合は地域住民との折衝が重要であり,地域住民をいかに協力者として巻き込むかが必要だといる.
 その一方で既存の自治会・町内会が「まちの居場所」としての役割を持ち始めている事例22)もある.そうすることによって,他地域からの利用者も増え,それは既存の自治会・町内会の発展にも繋がっている.これらの事例は,「ハルハウス」等の常設の「まちの居場所」とどのような共通点を持ち,どのような相違点を持ち,効果に差があるのかを明らかにしていく必要性がある.
 このようなことからも,「まちの居場所」は現在発展している段階にあり,今まで行った研究を踏まえ,どのようにすれば「まちの居場所」は資金難に陥らず,地域住民と共存しながら,拡大,そして増加していくのかを考えることは今後の課題である.この「まちの居場所」の発展こそが,決して新しくは無い無縁社会や孤独死といった問題に対する一つの処方箋になる可能性がある.

[付記]本稿は,日本学術振興会特別研究員として研究助成を受け,研究成果の一部をまとめたものである.

[謝辞]調査に協力して頂いた「まちの学び舎ハルハウス」の丹羽國子氏を始めとする運営者・スタッフ・利用者の皆様に厚くお礼を申し上げる.また本稿は,立命館大学産業社会学部社会調査士課程13期生SDクラスと共同で行った調査がなければ成り立つものでなく,調査結果の使用の許諾を与えて下さった平本毅先生及びゼミ生の皆様に感謝する.さらに,本稿を仕上げる段階で老い研究会の先生方・メンバー,後藤玲子先生,萩原三義氏,諸岡聖氏からも貴重なコメントを頂いた.深く謝意を表する.
[注]
1)市民セクターが運営する誰でも自由に利用でき,運営者や他の客と自由に交流ができる社交場とその活動を総合して本研究ではその名称を「まちの居場所」として取り扱う.このような場の呼び名は様々であり,「コミュニティカフェ」や「ふれあいサロン」,「まちの居場所」などとも呼ばれている.本研究で取り扱う「ハルハウス」がある京都府や愛知県,長野県などでは「まちの縁側」という呼び方で浸透している.また,先行研究では京都市の「まちの縁側」が「小地域福祉活動交流サロン」(株式会社地域計画医療研究所 2005)と呼ばれているものもある.
2)2012年1月1日付京都新聞「まちの縁側絆あたたか【京都】」他.
3)「ハルハウス」命名の経緯として,丹羽氏は,母である丹羽ハル氏の名前から取ったのが一番の理由であるとしている.また,設立の理念とは関係はないが,ジェーン・アダムズらによって設立されたセツルメントハウス「ハルハウス」の名前は意識したとしている.
4)『無縁社会──“無縁死”三万二千人の衝撃』によれば,「無縁社会」という言葉は「つながりのない社会」,「縁のない社会」を表す言葉(NHK「無縁社会プロジェクト取材班」 2010: 1-2)として誕生している.
5)『つながるKYOTOプロジェクト〜“脱”無縁社会を目指して〜』(立命館大学産業社会学部社会調査士課程13期生SDクラス 2011)を参照されたい.この共同調査にては「まちの縁側」という言葉を用いているが,本論文の「まちの居場所」と同義語である.
6)立命館大学ホームページの立命館大学における人を対象とする研究倫理指針(立命館大学 2012)に詳しい.
7)京都市内の「まちの居場所」(2012年12月30日現在)の中では北部に位置している.
8)5つの約束は「○1ここに集う人はすべて対等です.年上を敬い年下には大らかに,笑顔であいさつしましょう.○2政治・宗教の勧誘を禁じます.○3足跡以外は何も残さないよう,清潔に心がけ使用しましょう.○4節水・節電(省エネ)にご協力ください.○5整理・整頓に心がけましょう.」となっている.
9)「クニハウス」と「ハルハウス」ができた経緯に関しては『名古屋&京都発 ボランティアのまち育て──豊かな地域づくりを願う人へ』(丹羽・高谷 2008)を参照されたい.
10)主なメニューには,コーヒー(200円),京雑炊(400円),卵入り雑炊(450円)があり,二部とも共通である.
11)このような「ハルハウス」の催し物については「一般財団法人まちの縁側クニハウス&まちの学び舎ハルハウス──最新エントリー──」(一般財団法人まちの縁側クニハウス&まちの学び舎ハルハウス 2012)に最新のものが公開されている.
12) 「芝の家」の結果は子ども41%,大人47%,高齢者12%で,子どもの利用者が多い.
13) 「芝の家」では,一般の喫茶店などとは異なり,スタッフが居合わせた人同士を紹介したり,来場者が他の来場者に別の人を紹介したりということが日常的に行われている.
14) このことに関して平本(平本 2011)は「主の丹羽氏はハルハウスに来る人のすべてに気を配っており,来客と自分との間,あるいは来客同士の間に『つながり』を作ろうとしている.もしハルハウスに集まってくる人々の社会ネットワーク(関係性)をソシオグラム(関係性を可視化する図)に描いたなら,間違いなく丹羽氏の媒介中心性(ある行為者が,他の行為者間を仲介する度合い)が飛びぬけて高いものになるだろう.そして,丹羽氏がこのような高い媒介中心性をもつからこそ,知らない人同士が丹羽氏を介して『つながり』をもつことができるようになる.──中略──丹羽氏は,客Aと客Bの間をとりもつことができる.その意味で丹羽氏は,『つながり』のハブとなるような存在である」と指摘している.
15) 筆者が別に聞き取り調査を行った東京都北区で行われている高齢者ふれあい食事会(東京都北区 2012)や京都市上京区にあるとねりこの家の食事会(まちの縁側「とねりこの家」 2012)などでもこのような光景を見ることができ,「まちの居場所」と利用者をつなぐ運営者がいる場合,初対面同士でも遠慮せずに話し合う環境ができる可能性が高いといえる.
16) ただ,丹羽氏や「ハルハウス」スタッフは利用しなくなった元利用者の見守り活動を定期的に行う他,手紙を出すなどしてコミュニケーションを取ろうとしており,あくまでも来ることを強制しないことをこの言葉を用いて表現している.
17) 丹羽氏が名古屋市で運営する「クニハウス」は彼女が生まれ育った名古屋市にあり,丹羽氏が地域の風習などもよく理解していたこともあり,このような距離ができることは少なかった.あまり親しみの無い地域で「まちの居場所」を興そうとすると怪しまれることもあり旧住民の理解をあまり得られない可能性もある.
18) 2012年1月1日付京都新聞「まちの縁側絆あたたか【京都】」他.
19) 筆者自身「まちの居場所」を増やしていく活動を行っているが,多くの場では肯定的な声がある一方で,今まで地域の活動に参加しない人が「まちの居場所」活動をされると地域住民が混乱してかえって地域福祉活動が阻害されるとの話を聞くこともある.地域福祉活動の実践団体が増えることにより,より一層一つの団体が全ての情報を把握するのが難しくなるという指摘や,地域の伝統的な地域福祉活動を利用せずに「まちの居場所」ばかり利用されると伝統的な地域福祉活動が廃れてしまうとの意見を筆者や立命館大学産業社会学部社会調査士課程13期生SDクラスと共に「まちの居場所」調査をしている時にも聞き取り調査を行った地域福祉活動の実践者も述べている.また,大分大学福祉研究センター(大分大学福祉研究センター 2011: 13)が全国の「まちの居場所」(コミュニティカフェ)に対して行った調査においても,運営者の抱える課題として,「地域性があり,NPOの活動が認知されない,信頼も得られない等の状況があります」との記載もある.
20) 「まちの居場所」の全国平均を見た場合,助成金(補助金)は11.6%,寄付金は1.6%(大分大学福祉研究センター 2011: 30‐34)となっている.
21) 脱血縁・脱地縁・脱社縁の人間関係を「選択縁」と呼んでいる.NPO活動などでつながる「志縁」などもこれに該当するといえる.
22) 2012年1月6日付京都新聞「ほな,また,あした「まちの縁側」○4南太秦ふれあいサンデーモーニングカフェ【京都】」他.「南太秦サンデーモーニングカフェ」はまちの学び舎ハルハウスとは異なり,隔週の日曜日に開催される.運営者髙岡宏行氏は「南太秦サンデーモーニングカフェ」の開設理由として「『私たちの行く場所がない.どっか,そんな場所をつくってくれはったら,うれしいのになぁ.そこへ行ったらまた,色んな友達も来るやろし,色んな話もさしてもらえるやろし,また,若い人とも会えるかもしれへんしなあ』と」(まちづくりチョビット推進室 2012)と京都三条ラジオカフェで放送されている「まちづくりチョビット推進室」内で語っている.

[文献]
阿部真大,2011,『居場所の社会学──生きづらさを超えて』,日本経済新聞出版社.
秋山弘子,2011,「高齢者を孤立させない地域政策」『老年精神医学雑誌』22(6),709-715.
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平本毅,2011,「課程生が学んだもの──「場」と「つながり」について」,立命館大学産業社会学部社会調査士課程13期生SDクラス『つながるKYOTOプロジェクト──“脱”無縁社会を目指して』,103-108.
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[URL]
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