第三部 支援された意思決定を巡って ──日本国内法の現状と課題

桐原尚之
(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
長谷川唯
(日本学術振興会特別研究員PD/立命館大学)

1 背景と問題意識

1.1 射程の拡大——身体から精神へ
 障害学とは、「障害を分析の切り口として確立する学問、思想、知の運動である。それは従来の医療、社会福祉の視点から障害、障害者をとらえるものではない。個人のインペアメント(損傷)の治療を至上命題とする医療、『障害者すなわち障害者福祉の対象』という枠組みからの脱却を目指す試み」(長瀬 1999: 11)である。
 英国のマイケル・オリバーは、障害をディスアビリティとインペアメントに二分し、ディスアビリティを社会的障壁による機会の制限、インペアメントを個人の機能的制限とした。そして、ディスアビリティこそが障害者を抑圧しているとし、社会のあり方を批判した(Oliver 1983)。また、野崎泰伸は「障害者が生きにくいのは実は社会のせいであり、障害はマイナスだという価値観にとらわれた社会によって排除されているからこそ、無力化させられるのだ」(野崎 2011: 25)と説明している。それは「障害を治すのはよくないが、環境によって対応させるのはよい」(野崎 2011: 26)といったケースワーク論の生活モデルと立場が異なるものである(野崎 2011: 25-7)。
 石川准は、環境によって対応させることの問題を次のように指摘する。

障害者が社会の中で排除されるひとつの理由として、出来事のスムーズな進行を妨げてしまうというようなことがあるとするなら、バリアフリー社会とは誰もが有能でいられる社会をつくることで統合を実現しようとするアプローチです。(中略)できない人をできる人にするというアプローチなのですから(中略)基本的な理念としては能力主義の枠を超えるものではないということです。(石川 2000: 39-40)

 石川の指摘は、我々が生きる社会が、そもそも障害者を排除して(あるいは、排除したいところを健常者の恩恵で生かしてもらって)成り立っていることを批判したものである。
 こうした障害学の理論は、精神障害や知的障害の問題を取り上げる際にも有効である。それでも、これら一連の障害学の議論は、段差などの物理的側面に及んだ議論から派生してきたことは確認しておいた方が良い。そして、精神障害や知的障害の立場からの理論展開が、従来の社会モデルになんらかの影響を与えることが想定されるため、身体から精神へ射程を拡大していくことが求められる。

1.2 意思決定の社会モデルの登場
 障害者権利条約アドホック委員会では、一般に「判断能力」と称される概念までもが障害の社会モデルの対象であるとして議論の中核となった。それは、従来ならば重度の障害によって自力では有効な判断ができないとされてきた精神障害者や知的障害者が、保護を名目とした後見制度の廃止を求め、法的能力の平等を要求したことに始まる。もとより、意思決定は、誰もが単独で行うようなものではない。仮に「あなたは自己決定していますか」と質問されても、その意味不明さで返答につまるのが常である。意思決定は、様々な情報や人との関係性の中で規定されるものであり、人並みの情報と関係性さえあればある程度の有効な意思決定が可能となるはずである。実際に「判断能力」が不十分とされる人々は、情報を閉ざされ、極めて限定された人間関係の中でいきることを強いられてきた人々である。アンソニー・ウエストンは言う。

アメリカで黒人を奴隷にしたとき、それが問題とされない主な理由は、黒人は生まれつき「無知であり、性悪である」というものだった。しかし、黒人の多くを無知にしその精神を荒廃させるようにしむけたのは、奴隷制自体だった。黒人たちは学ぶ機会を与えられず、労働によって消耗し、家族や社会を何度となくズタズタにされた。(中略)奴隷制は奴隷の意志を萎えさせ、精神を腐らせる。そして、だめな人間であることが奴隷自身のせいにされてしまう(「生まれつき」そういう奴らなんだ、と言われるのだ。)かくして、奴隷制はますます強化され、それとともに奴隷の精神はさらに蝕まれていく。(Weston 1997=2004)

 すなわち、後見人(guardian)の必要性(social needs)を主張するソーシャルワーカーは、障害により精神障害者や知的障害者の判断能力が不十分であることを根拠としてきたが、実のところ彼らの意志を保護の名目で後見人を立てて封じ、情報や人との関係を遮断してきたことで、真に有効な判断をできない状況に追いやってきたのである。そういう意味では、「判断能力」も個人の所有する能力の問題ではなく、社会の問題として社会モデルの観点から考えられなければならない。
 精神障害者の世界組織であるWNUSP(World Network of Users and Survivors of Psychiatry)のティナ・ミンコウィッツは次のように言う。

障害の社会モデルは、問題は個人の中にあるのではなく、その個人が機能しうるようなやり方で対応しない社会にこそ問題があるとしている。この社会モデルは法的能力の問題にも適用される。個人に問題があるから、強制的介入や後見人で対応されるべきとされるように、個人のうちに問題があるのではない。そうではなくて本人の法的能力減失に関して強制的介入や後見人ではない別の方法で社会が対応しなければならないのだ。(Minkowitz 2004=2006 )

 こうした障害者団体による主張は、最終的に障害者権利条約第12条第2項の「障害者が生活のあらゆる側面において他の者と平等に法的能力を享有することを認める」と同条第3項の「障害者がその法的能力の行使に当たって必要とする支援を利用することができるようにするための適当な措置をとる」の明文に結実した。

2 目的

 障害学は、精神の問題も射程に入れて、意思決定の社会モデルを障害の社会モデルの一環として理論形成の材料にしていく必要がある。本報告では、日本の障害者運動が支援された意思決定を取り入れようと運動して、何を変えることができたか、あるいは、変えられなかったかを示しながら、支援された意思決定がソーシャルワークと異なるものであることを示す。

3 法的能力概念の確認

3.1 制限行為能力
 民法第7条には、「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者については、家庭裁判所は、本人、配偶者、四親等内の親族、未成年後見人、未成年後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人、補助監督人又は検察官の請求により、後見開始の審判をすることができる」と制限行為能力の規定がある。この「精神上の障害により事理を弁識する能力」とは、専ら意思能力のことと考えられている。意思能力とは、1905年5月11日の大審院判決によると、有効に意思表示する能力のことであり、意思能力のない者の法律行為は無効とされる。しかし、意思能力のない者による法律行為は無効とされるが、法律行為の当事者が事後において行為時に意思能力が欠如していたことを証明することは非常に困難である。また、行為時の意思無能力が証明された場合には法律行為が無効となるので、その法律行為が無効となることを予期しなかった相手方にとっては不利益が大きい。そこで、民法は意思能力の有無が法律行為ごとに個別に判断されることから生じる不都合を回避し、類型的にみて法律行為における判断能力が十分ではない者を保護するため、これらの者の単独で有効に法律行為をなし得る能力(行為能力)を制限する条項を設けた。制限行為能力は、その原因や程度により未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人に類型化した上で、それぞれの判断能力に応じて画一的な基準により法律行為の効果を判断できるようにした。
 つまり制限行為能力は、契約に基礎を置いた市場社会を守るために、市場社会に適応できない者を契約制度から除外するために設けられたものなのである。

3.2 法的能力の平等
 障害者権利条約第12条第2項に規定される法的能力(legal capacity)の意味するところは、権利能力と行為能力の双方を含むと考えられている。それは、障害者権利条約の原文中国語に「法的能力を権利能力と読み替える」旨の脚注をつける案が出され、それに対して障害者団体が批判し、削除されたことで公にされた。また、国際障害同盟障害者権利条約フォーラムの12条履行原則(IDA CRPD Forum Principles for Implementation of CRPD Article 12)では、「障害者権利条約の目的として『法的能力』は権利能力と行為能力の両方を意味する」と記され、法律専門家による障害者権利条約12条の見解(Legal Opinion on Article 12 of the CRPD)では、「行為能力を含む」「行為能力には訴訟能力も含む」と記されていることから、自明のものとされている。
 すなわち障害者権利条約は、成年後見、保佐、補助を直ちに見直し、基本的に廃止されるべきものと位置付けた上で、行為能力の制限が伴わない支援の在り方を締約国に求めているのである。その一つの方法として障害者権利条約作業部会の中で提示されたのが支援された意思決定(supported decision-making)である。これは、支援によって意思決定を成そうとするものであり、後見制度(guardianship)のように代わりにしてしまうものとは異なる。

4 日本の障害者運動と法制度の変化

 日本で「支援された意思決定」の文言を最初に使用した行政文書は、2008年の内閣府障害者施策総合調査の調査票である。以前は、「代理で記入」(本人の意見を想像して代理で記入する)とされていたものが、調査委員の一人から問題があるとして指摘された。内閣府担当官は、変更に頑なであったが、調査委員であった筆者が「支援された意思決定の文言を加えることで妥協できないか」と訴えたことで「支援された意思決定の観点から代理で記入」と調査票に記載されることになった。以後、従前の例に従い、支援された意思決定の文言が毎年入るようになった。
 同時期、障害者自立支援法違憲訴訟が各地で開始され、2009年7月現在では71名の原告が提訴していた。2009年7月の衆議院選挙で自由民主党・公明党政権から民主党・社会民主党・国民新党に政権交代したことを機に、同年12月8日に障がい者制度改革推進本部が設置され、その下で「障がい者制度改革推進会議」(以下、推進会議)が開かれた。推進会議の構成員は過半数が障害者団体の代表者であり、自身が障害当事者である者であった。推進会議で議論されたことが、2010年12月17日に第二次意見書にまとめられ、それを受けて内閣府の行政官の手により障害者基本法改正案がまとめられた。
 障害者基本法の一部改正に関する法律(案)は、自由民主党、民主党、公明党の三党合意により修正がなされ、第23条に「国及び地方公共団体は、障害者の意思決定の支援に配慮しつつ、障害者及びその家族その他の関係者に対する相談業務、成年後見制度その他の障害者の権利利益の保護等のための施策又は制度が、適切に行われ又は広く利用されるようにしなければならない」との規定が加えられた。これは、もともと後見制度が明記されていた障害者基本法の相談条項に、さらに意思決定支援を加えたため、後見制度を前提とした意思決定支援というキメラを作り出したのである。
 一方、障害者自立支援法違憲訴訟は、障害者自立支援法廃止を政権公約としていた民主党の政権により、障害者自立支援法を廃止し、総合福祉部会を設置して新法を作る旨の基本合意の締結による和解で終結した。推進会議は、総合福祉部会を開催し、障害者自立支援法を廃止と新法制定のための議論をおこなった。
 2011年8月30日、総合福祉部会の骨格提言が出される。そこには、意思決定支援の文言がある。本来、これは、支援された意思決定を意思決定支援と表記することで一応の合意をした経緯があってのものである。が、文中には、「現行の成年後見制度は、権利擁護という視点から本人の身上監護に重点を置いた運用が望まれるが、その際重要なことは、改正された障害者基本法にも示された意思決定の支援として機能することであり、本人の意思を無視した代理権行使は避けなければならない。」と障害者基本法の条文をそのまま反映させたため、後見制度を前提とした意思決定支援として描かれるに至った。
 そして2012年6月には、障害者自立支援法が廃止されずに、障害者自立支援法改正(案)が可決し、相談支援の中に意思決定支援が位置づけられた。相談支援の中に規定された意思決定支援は、当初の障害者自立支援法(案)にはなく、議会の力で途中から入れられたものである。ところで2012年1月11日、東京都社会福祉協議会知的発達障害部会、東京都発達障害支援協会、東京知的障害児・者入所施設保護者会連絡協議会、東京都自閉症協会、日本ダウン症協会の5団体は、「障害者総合福祉法における「意思決定支援」制度化の提言」を出している。上記5団体は、事実上、国会議員を通じて相談支援の中に意思決定支援を位置づけた団体といえる。
 また、上記5団体の提言には、「各障害福祉サービスにおいて意思決定支援に携わる支援職員(生活支援員等)を意思決定支援の専門職として位置付け、個別支援計画作成を担うこととすること」とある。けれども「意思/意志決定とは、本人が決めることによってしかなし得ず、そのサポートになんらかの専門性が付きまとうようなものではない」(桐原 2012: 2)ため、意思決定支援の専門家なるものが存在しようがない。
 改正障害者自立支援法による相談支援の意思決定支援は、2013年4月1日施行となる。これを受けて障害者団体及び施設・職能団体の連合体である日本障害者協議会は、政策委員会の下に意思決定支援ワーキングチーム(委員長、石渡和実)を設置し、意思決定支援の在り方の提言に向けて議論をまとめている。
 このようにして、障害者が後見制度からの解放されるために示した支援された意思決定が、後見制度とともにソーシャルワークに依拠した相談支援の一環として変質していったわけである。

5 ソーシャルワークとの有意な差

 結論からいうと支援された意思決定は、ソーシャルワーク論によるべきではない。
 ジョン・ロールズは、著書『正義論』で社会契約説を基本に据え、公正なる機会の在り様を示した(Rawls 1971=2010)。それは、従来の功利主義を批判し得る、普遍的抽象的な権利/正義という概念であった。しかし、キャロル・ギリガンの著書『もう一つの声』は、権利/正義という倫理と異なる倫理を、女性らの反応を示し明らかにした(Gilligan 1982=1986)。これは、権利/正義の倫理に対するケア/ニーズの倫理として、後に「ケアの倫理」論争を巻き起こすわけだが、ここで言いたいのは、障害者の問題を論じるにあたって、普遍的抽象的権利/正義だけでは対応できない問題が存在し、個別的で直接的な支援は不可欠ということである。だが、それだけでは、ソーシャルワーク論との優位な差は示せない。そこで、ソーシャルワーク論が介入の根拠としてきた、社会的ニーズ(social needs)概念がニーズ論の中でもとりわけて医学モデルだとして批判したい。
 社会的ニーズとは、「ニーズは一般的に人々が日々生命を維持し、社会生活を営むうえで充足されるべき基本的に必要なもの」であり、「通常人々は家族や市場さらには一般的な行政サービスなどを通じて満たすが、種々の事情によってそれが不可能な場合やもともとそれらには適当な手段がない場合」の「特別な援助」のことを指す(鷹野 2009: 216)。社会的ニーズには、相対的な視座が混じ入り、本人が自覚しているニーズ(顕在化されたニーズ)と本人が無自覚なニーズ(潜在的ニーズ)があるとされる。すると、潜在的ニーズに関しては、本人では知り得ないため、結果としてソーシャルワーカーの介入の根拠とされる。
 しかし、アマルティア・センの潜在能力アプローチによって、ニーズは「機能の集合体」として理解されるようになったため、絶対的であり、且つ個別性を包括できるベーシックニーズという理論が成り立つようになった(齊藤 2010: 241-2)。すなわち、相対的な剥奪を欠如と見做す社会的ニーズ概念は、個人を他の者と比較して特別な状態として対応するため医学モデルといえる。それに対して、潜在能力の喪失としてのニーズは、あくまで機能の喪失に向けられるため、特別な枠を設けなくとも論じることができるのである。
 冒頭の意思決定の社会モデルに立ち返れば、支援された意思決定とは機能に働きかけるものであり、なんらかの専門性に依拠するものでない。日本では、支援された意思決定が途中から医学モデルとソーシャルワークの専門性に依拠したものにすり替わったため、実体として後見制度を補完するだけのものとなってしまった。

[文献]
Gilligan, Carol, 1982, In a Different Voice; Psychological Theory and Women's Development, Cambridge: Harvard University Press,(=1986,岩男寿美子訳『もうひとつの声──男女の道徳観のちがいと女性のアイデンティティ』川島書店.)
石川准,2000,「平等派でもなく差異派でもなく」倉本智明・長瀬修編『障害学を語る』エンパワメント研究所,28-42.
桐原尚之,2012,「自分の意思決定に専門家が必要なのか」『全国「精神病」者集団ニュース』38(1):2-3.
長瀬修,1999,「障害学に向けて」石川准・長瀬修編『障害学への招待』明石書店,11-39.
野崎泰伸,2011,『生を肯定する倫理へ──障害学の視点から』白澤社.
Oliver,Michael, 1983, Social Work with Disabled People, London: Macmillan.
齊藤拓,2010,「政治哲学的理念(イデオロギー)としてのベーシックインカム」立岩真也・齊藤拓『ベーシックインカム:分配する最小国家の可能性』青土社,189-325.
Sen, Amartya K, 1985, Commodities and Capabilities, Amsterdam: North-Holland.(=1988,鈴村興太郎訳『福祉の経済学──財と潜在能力』岩波書店.)
鷹野吉章,2009,「地域福祉におけるアウトリーチの意義」社会福祉士養成講座編集委員会編『地域福祉の理論と方法──地域福祉論』中央法規,216-220.
Minkowitz, Tina, 2004, “The Paradigm of Supported Decision Making”(=2006,長野英子訳,「支援された意思決定へのパラダイムシフト」, 2012年11月1日取得, http://nagano.dee.cc/tinaJ.htm).
Rawls, John, 1971, A Theory of Justice, Cambridge: Harvard University Press.(=2010,川本隆史・神島裕子・福間聡訳『正義論 改訂版』紀伊國屋書店.)
Weston, Anthony, 1997, A Practical Companion to Ethics, Oxford: Oxford University Press Oxfordshire. (=2004,野矢茂樹, 高村夏輝, 法野谷俊哉訳『ここからはじまる倫理』春秋社.