祝祭と共生プロジェクト

祝祭とは人間が抱く「生存」への根源的な希求ではないだろうか。こう問いを立てたとき、世界はどう見えるか、私たちの眼は世界をどう捉えるか、そこに共生を見いだす可能性はあるのか、本プロジェクトの出発点はここにある。「世界中の人が他者との異なりと自らの変容とともに生きて」(生存学創成拠点・趣意書)おり、加えて、人は自然的人為的な環境の変化の中で流動的、相互的に生きている。しかし現代社会では、国籍や階級、民族、年齢、健康状態などのさまざまな〈社会的〉カテゴリが、存在の基本的な条件であるかのような言説がさまざまな形態で流通する。祝祭とはこうした言説装置が作り出そうとする〈主体〉の生が、同じ状況を生きようとはしないものが作り出す、という意味での虚構であることがあらわになる空間/場ではないだろうか。祝祭をこのように仮定し、それぞれの場面で、祝祭的なものがつくりだす生の在り方に目を向けることで、生きていることのうちにある喜びや幸福といったもの、それにかかわるものを記すことになるだろう。

祝祭や儀礼は人間が生存の拠点とする地域、集団、社会にまとまりを与える装置でもあるが、さらにはそれらが作り出す抑圧的な状況を打破するものでもあった。また、それらはそれぞれの集団の固有な信念や喜びや美的なものの観念が埋め込まれた神話や物語と深い関係をもっている。国内では、3.11以降、地域の「祭り」は共同体の維持装置として注目と再評価を集めるに至っているが、被災地では共同体の解体や解体の前提となるであろう人々の移動が余儀なくされている。ひとのつながりのあり方を生み出し、刷新することもできる祝祭はいま、どこで、どのように表れているのか。そして、その祝祭がどのような現実に波及するのか。多彩なフィールドを持つ各研究者の研究領域から、今日の祝祭のあり様を収集し、「共生」社会構築における祝祭的なもの(祝祭に備わる普遍性)が持つ可能性と限界を検討することが、本研究会の目的である。

プロジェクト名 祝祭と共生プロジェクト
プロジェクト代表者 渡辺公三
年度 2013